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イースター

主を見て喜んだ(2008.3.23)

題   : 「主を見て喜んだ」   宣教:  福田 勝敏 牧師
聖書  : ヨハネによる福音書 20章19節~23節
イエス様が墓に葬られて三日目の朝、マグダラのマリアはイエス様がよみがえられて空っぽになったお墓を見て、ペトロともう一人の弟子に伝えました。彼らもお墓を見て、不思議に思いながら家に帰って行きました。しかし、マグダラのマリアは墓に留まっていました。このようなマリアにイエスはご自身を現して下さったのです。

1.心にかかる鍵
マリアは「わたしは主を見ました」と弟子たちに伝えました。しかし弟子たちは人を恐れて、家の鍵をかけて中に隠れていました。しかし、そんな家の中に復活のイエス様が入ってこられたのです。そして「あなた方に平和があるように(シャローム)」と言われました。
ゲッセマネの園で捕らえられたイエス様を見捨てて逃げ出した弟子たちに、なんと優しく語りかけられたことでしょう。わたしたちがどんな困難や問題の中にあっても、心を固く閉ざしていても、心に来てくださるお方です。

2.主を見て喜んだ
イエス様は、弟子たちに手とわき腹を見せられました。そこには釘穴があり、わき腹には槍で突き刺された大きな傷がありました。紛れも無くイエス様です。
弟子たちは、この時初めて喜んだのです。この「喜んだ」には歓喜した、大喜びをしたという意味があります。わたしたちもどのような状態にあっても、死に勝利された復活のイエス様が共に居てくださるなら、神からの平和が与えられるのです。

3.使命に生かされる
主を見て喜んだ弟子たちに、もう一度「平和があるように」と語られました。そして続いて「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」と言われました。
イエス様は弟子たちに最高に崇高な使命を与えられたのです。弟子たちにはこの使命を果たす力はありません。ましてわたしたちにはそのような力はありません。
しかし、息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と言われました。弟子たちがその使命を達成するために必要なことをしてくださったのです。

不信仰で無力なわたしたちを用いるために、聖霊が今日も与えられています。復活のイエス様を喜び、愛し、愛する人々に福音を伝えさせて頂きましょう。