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神と共にいる喜び

喜びは尽きず(2008.12.14)

題   : 「喜びは尽きず」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖書  : マタイによる福音書 1章18節~25節

クリスマスの出来事は、「聖霊によって」(18、20節)とあります。それは、人間が作り出したものではなく、神がなされた御わざであるということです。
この事実は、今日に至るまで人々に聖霊による喜びをもたらし、今も尽きることのない喜びとなっています。

1.神が私たちと共にいて下さるゆえに
主の天使が、「その名をイエスと名付けなさい」と告げられたのは、「この子は自分の民を罪から救う」お方であったからです(21節)。
主イエスは、私たちを神から引き離し、その結果価値観を狂わせ、人格を曲げ、良心を萎縮させて行動を麻痺させ、あげくは人と人の関係を歪めてしまう罪からの救い主であられたのです。そのために、十字架において血を流してくださいました(マタイ26章28節)。
さて、「その名はインマヌエルと呼ばれる」お方でもあり、その意味は「神は我々と共におられる」ということです(23節)。
神が共にいてくださることができないのは、私たちの罪だけです(イザヤ59章1~2節)。その罪を取り除くために、神の方から救いの手を差し伸べてくださったのです。
十字架の死から復活された救い主イエスは、時とか場所に制約されることなく、いつでも、どこにでも共にいてくださるお方です(マタイ28章20節)。この喜びは尽きることがありません。

2.私たちも神と共にいるゆえに
ヨセフは、神の御ことばを重んじる「正しい人」でしたので、マリアが懐妊したことを悩み苦しみました。しかし、それが聖霊による神の御わざであることを信仰によって受け入れ、御ことばに従いました(24~25節)。それは、ヨセフが「私も神と共にいる」との信仰の自覚をもっていたからです。
自分の願いに、また自分の不安や恐れに動かされないで、さらに自分の正しさに立つのでもなく、神の御ことばに動かされ、聖霊に動かされていくとき、主が私たちと共におられ、私たちも神と共にいるとの尽きない喜びに満たされるのです。
待降節、そしてクリスマスを祝う時に、私たちは自らの喜びが何によるものかを問う必要があるのではないでしょうか。