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待降節

預言の成就(2023.12.3)

聖 書

主は彼を打ち砕くことを望まれ、病にかからせた。彼が自分の命を償いのいけにえとするならその子孫を見、長寿を得る。主の望みは彼の手によって成し遂げられる。(イザヤ書 53章10節)

礼拝音源(47.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編46編9節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 231 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編67編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ書 53章1~12節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「預言の成就」 仁科共子牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
12月誕生者祝福 詩編4編8〜9節
賛  美 298 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

イザヤは神様から告げられたことを人々に伝える預言者として仕えました。この53章には、罪の贖いの捧げ物としてその命を捧げられたイエス様のことが書かれています。

1. 私たちの身代わりとして
私たちは神様を離れ「羊の群れのようにさまよい、それぞれ自分の道に向かって行った」者でした。主なる神様は、そのような私たちの全ての過ちをイエス様に負わせられました。イエス様が私たちの身代わりに負ってくださったので、私たちは癒され、平安が与えられたのです。

2. 神のみこころを成し遂げられた
イエス様が病を負い、打ち砕かれることは神様の御心でした。虐げられ、苦しめられても口を開かず、弁護も抗議もしないでその苦しみを従順に受け入れられました。こうして、イエス様は私たちのための償いのささげ物としてその命を捧げてくださり、みこころを成し遂げられたのです。

3. イザヤによって伝えられた神様の計画は実現した
イザヤが人々にこのことを伝えたのは、イエス様がこの世に生まれる700年以上も前のことでした。ユダヤ人たちは、希望を持ってこのことを伝えていきました。そして、イエス様の弟子たちはこの預言が成就したことを証しし伝え、多くの人がこの恵みを受けています。(使徒8:26〜40)

主の来臨の待望(2022.11.27)

聖 書

主の恵みの年と 私たちの神の報復の日とを告げ すべての嘆く人を慰めるために。(イザヤ61章2節)

礼拝音源(36.9MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ローマ13章12節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編130編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ60章19節~61章4節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「主の来臨の待望」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
賛  美 236 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

待降節から降誕節に向かうこの時節は、一年の中でも最も喜ばしい時です。私たちがこの「待降節」を過ごすときに、主イエスの来臨をどのように待望するのでしょうか。そこには、どのような意味があるのでしょうか。

1.二つの待望
イザヤ書は、神の御業を全歴史を貫いて預言しています。特に、救い主の二つの来臨が、さながら一つの来臨のように重なって語られています。第一の来臨(61章1~2節a、ルカ4章16~21節)、続いて第二の来臨(61章2節b~4節)と預言されています。
待臨節は、かつて来臨された御子イエスの御降誕を想い起しつつ待ち望み、やがて主イエスが再び来臨されることを期待しつつ待ち望み、心を向ける時節です。ですから、御子の御降誕を想い起して感謝の祈りをささげ、再び来臨される主イエスに対する待望信仰を抱いて備えるのです。

2.二つの時を待望しつつ
主イエスは、第一の来臨によって、私たちに仕えて救うために来られした。その極みが主イエスの十字架と復活の御業に現されました。第二の来臨は、栄光の王が栄光のうちに来られ、神の救いは完成し、神の栄光が輝き現れるのです(60章19~22節)。
その中心におられるのは、ただ一度限りの永遠の贖いの御業を成し遂げてくださった「神の小羊」である主イエスです(61章1~2節、ヨハネの黙示録21章22~23節、22章3~5節)。この御方こそが、永遠に変わることなく、信仰者を永遠の交わりの中に導かれるのです(61章3~4節)。

主の救いを待ち続けて(2018.12.2)

宣教題  「主の救いを待ち続けて」      宣 教  川原﨑晃主管牧師
聖 書  ルカ17章22~37節

 待降節は、誕生された主イエスを私たちの内に信仰をもって迎え入れる時です。同時に、全ての終わりの時に再臨される主イエスを待望し、備えをする時です。「人の子の日」(22、24、30節)に向け、どのように備えるのでしょうか。

1.平静な心で待つ  22~25節
 主イエスの再臨を静かな心で待望することが勧められています(23節)。思いがけない時突然に、必ず主イエスの再臨があります。主イエスの大いなる救いが完成されるまで(24節)、主イエスの十字架の贖いの御業を想起しつつ、それを基点として信仰の歩みをするのです(25節)。
 ルカはパウロと一緒に主イエスに仕えることによって、終りの時を生きる聖徒の生きざまを教えられました(使徒言行録)。そこで学んだことは、主イエスが再臨されることを計算に入れて、平静な心で生きることでした。

2.無頓着にならずに待つ  26~37節
 人が、主イエスの再臨に対して無頓着であることを戒めています。ノアの時代の人々に臨んだ洪水やロトの時代に罪深いソドムの町が滅ぼされたように、「人の子が現れる日にも、同じことが起こる」からです(26~30節)。その時は、救いの完成の時であり、また審きの完成の時です(31~37節、信徒信条参照)。
 主イエスは、ここで脅しておられるのではありません。警告されているのです。主イエスを信頼し、その再臨を忍耐して待つことを求めておられるのです。見通しがきかなくても、苦しみがあるとしても、主イエスの十字架の贖いが支えてくださるからです(1コリント11章26節)。

聖書朗読(0.8MB)

メッセージ(8.8MB)