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信頼と従順

召され、信頼し、従う(2013.4.21)

宣教題   : 「召され、信頼し、従う」   宣教:   鎌野 直人 協力牧師
聖    書  : ローマ 1章1~7節
御子に関する神の福音は、神の王国が世界に到来し、復活されたイエスがその王であると宣言している。この福音の宣教は何を私たちの上に起こすのか。

1.召命(1:7)
御子に関する福音は、イエスの復活の事実を告げているだけではない。「神の王国が到来し、イエスがその王となった。今、この王国に加わろう」と人々を神の王国へと招待する。これは、神ならぬものが支配し、罪と死の力が人々を苦しめている世界で、イエスこそ本当の王だと勇気をもって宣言する困難な選択を求める。同時に、御子をささげ、ご自身のすべてをささげるほどに私たちを愛しておられる神の招きでもある。

2.従順(1:5)
福音の招きを受けても、それを拒絶することもできる。この招きを受け入れる時、神の王国の民となり、王であるイエスの僕(1:1)となる。王であり、主人である方の声をしっかりと聞くのが僕である。そして、聞いたことばに従う。聞き、従うことを通して、福音の招きに応じた者は、イエスが王であることと神の王国の到来をその生き方を通して示す。

3.信頼(1:5)
王の声に従うのは、従わない者に与えられる罰を恐れているからではない。神が聖書の約束を忠実に守って下さったゆえに、忠実に従っていく。私たちの忠実さは、アブラハムが「希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ」(4:18)た姿を模範とする。そして、アラム軍に囲まれたエリシャのように(列王下6:15−17)、王であるイエスに信頼し続ける。
神の福音によって召して下さる神の恵みへの応答は、信頼から生み出される従順である。そして、パウロが福音宣教へと召されたように(1:1)、召され、信頼し、従う私たちにも福音を告げ、神の招きを届ける使命が与えられている。