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主イエスの弟子

主の弟子になる(2018.6.24)

宣教題  「主の弟子になる」       宣 教  川原﨑晃主管牧師
聖 書  ルカ14章25~35節

主イエスの大いなる救いの祝宴に招かれた者は、主の弟子として生きるようになります。それは、信仰者一人ひとりに対する主の恵みの招きです。

1.主の弟子になる道  25~27節、33節
信仰者は、「わたしの弟子ではありません」との主からの挑戦に応答する必要があります。それによって、家族よりも主を優先し聖別させていただくことにより、真に家族の絆は祝福を受けるのです(26節)。永遠の救いに招き入れてくださった主と一緒に十字架を負わせていただくことにより、他者の痛みを理解し、それを一緒に負わせていただくのです(27節)。神以外のものが心の王座を占領しているならば、それに別れを告げて神第一に生きるのです(33節)。
このような主の弟子の道を歩んでいるでしょうか。

2.主の弟子とされる祈り  28~32節
主の弟子の道を歩むには、「腰をすえて」主の前に静かに考えて祈ることが大切です(28節、31節)。主が「わたしの弟子ではありません」と言われるものがないかどうかを、神との祈りの交わりの中で明らかにしていただくためです。
腰を据えて静かに考えて祈る中に、主の恵みと祝福が及んでいくのです。

3.主の弟子の使命  34~35節
主の弟子として生かされ、主に従って、主の御心を実現させていただくために、主は私たちを使ってくださいます。すなわち、人々や社会の腐れを止め、味つけしていく塩のような存在としてくださるのです。
私たちの関心が、塩気のある主の弟子また群れでありますように!

メッセージ(11.9MB)

キリストと共に労する(2015.9.6)

宣教題  「キリストと共に労する」           宣教 川原﨑晃牧師
聖 書  ルカ9章1~6節

私たちは、信仰の伝統から信仰のいのちを受け継ぎ、受け取り直し、再発見していくことが大切です。クリスチャンは、主イエスの弟子であるということもその一つです。主イエスの弟子は、いつも主イエスと一緒にいて(8章1節)、福音のために主イエスと共に労する者です。

1. 福音を委託されているから
主イエスは、弟子たちを遣わして「神の国を宣べ伝え」(2節)、「福音を告げ知らせ」(6節)なさいました。神の国の福音は、人が造り出すものではなく、主イエスご自身が差し出され、無代価で提供されたものです。それを委託された主の弟子たちは、「福音に共にあずかる」(1コリント9章23節)ことを切に望んだのです。
神の国は、ちょうど家屋の大黒柱のようなもので、主イエスの恵みの支配の中にあるならば、そのもとで支えられ、守られ、強められるという大いなる救いの中に保たれるのです。そこにおいては、人間の霊的な、精神的な、肉体的な弱さを覚えるときにも、救いの恵みに与らせていただけるのです。
主イエスは、私たち一人一人に、教会に、神の国の福音を託していて下さるのです。

2. 福音を伝える力が備えられているから
続いて主イエスは、「旅には何も持って行ってはならない」(3節)と言われました。神の国の福音を伝えるために必要なものは、神が備えていてくださるので、神を信じる信仰を持って行くように勧められたのです。ないものに目を留めるのではなく、その時その時に必要なものを備えてくださる神に目を留めて信頼することです。そのために、主イエスは、ご自身がお持ちの力と権威をもって、主イエスの弟子たちを教え、訓練し、造り上げてくださるのです(1節)。
主イエスの愛に駆り立てられ(1ヨハネ4章10節、2コリント5章14節)、福音を恥としないで(ローマ1章16節)、神の国の福音を語る力を与えられ、用いていただきましょう。