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へりくだった信仰

知恵を求めて(2017.10.8)

宣教題 「知恵を求めて」        宣教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 ヤコブ1章5~11節

 いろいろな試練に会うとき、信仰が試されることで忍耐を生じさせ、霊的に成長した者として造り上げられていきます(2~4節)。そのような試練に際して必要なのが、神からの賜物としての知恵です。それを切に祈り求めることが必要です。

1.神はどのようにして与えてくださるのか  5節
 神からの知恵は、信仰によって「だれにでも」与えられるもので、誰一人例外がありません。しかも神の賜物として「惜しみなく」、「とがめだてしないで」すなわち過去を挙げ連ねて、見下すようなことをなさらずにお与えになります。
 それに対して、信仰者は、神からの「知恵の欠けている」という自覚を持つことが必要です。パウロは、試練のただ中にあって死の宣告を受けた思いでいたことに対して、「人間の知恵によって」対処することなく「神の恵みの下に行動」してきたと証ししています(2コリント1章8~12節)。
私たちも信仰の試練に遭ったときに、神の賜物である知恵を願い求めるのです。

2.神にどのような信仰姿勢で願うのか  6~11節
 信仰者は、へりくだって「いささかも疑わず、信仰をもって」願い求めることが大切です。そこには、神への信頼と不信が同居していることはありません(6~8節)。
神に対する深い信頼があるならば、神からの知恵が与えられるのです。
 キリストは、全ての人のために十字架に死んで救いの道を開いてくださったゆえに、いかなる人も価値ある者として受け入れてくださったのです。従って、貧しい者はキリストにあって高くされ、富んでいる者はキリストによって低くされることを勝ち誇るほどの喜びとされるのです(9~10節)。
 ですから私たちは、謙虚にへりくだった信仰をもって、神に信頼して神からの知恵を受け取るのみです。