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礼拝メッセージ

真の礼拝者(2022.9.4)

聖 書

主の軍勢の長はヨシュアに答えた。「履物を脱ぎなさい。あなたが立っている場所は聖なる所である。」ヨシュアはそのとおりにした。(ヨシュア5章15節)

礼拝音源(33.3MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ4章23節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編84編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア5章1〜15節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「真の礼拝者」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
9月誕生者祝福 2コリント5章18節b
賛  美 517 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちの教会は、礼拝を中心とした歩みをしています。そして、「アンティオキア教会」(使徒言行録13章1~3節)としての宣教の使命をいただいています。そこにおける信仰の戦いのためには、礼拝者として恵みによる霊的な備えが求められます。

1.恵みによって主のものであり続ける  1~10節
主は、ヨルダン渡河をした神の民たちを「ギルガル」で一時ストップをかけられました。そうすることにより、過去の罪と汚れを転がし去られたのです。さらに、神の民たちが主のものとされたしるしとして、「割礼」施されました(2~9節)。その割礼を受けた者だけが「過越祭」で食する恵みの礼拝に与れたのです(10節、出エジプト12章48節)。
今、私たちは、主イエスの十字架の贖いの恵みによって主のものとされ、神第一に生きるように招かれています(ローマ12章1~2節)。その備えを礼拝ごとにさせていだたきつつ、信仰の歩みをするのです。

2.恵みによって自立している  11~15節
過越祭の礼拝後、神の民が食するマナは降ることがなくなり、これからは自分たちで自立して食物を得るようになりました(11~12節)。それは、今日の私たちが主の恵みによって信仰生活を送るなかから、自ら御言葉に聴き従って、神の知恵をいだたきつつ歩むことを意味しています。
そして、私たちは、信仰の戦いを共にしてくださる主の前に「履物を脱」ぐように全面的に主に信頼するのです(13~15節、出エジプト3章5節)。私たちは、礼拝ごとにそのようにさせていただくことにより、霊的な備えをさせていただくのです。

主は私の羊飼い(2022.8.28)

聖 書

主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。 (詩編23編1節)

礼拝音源(25.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ12章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編23編1〜6節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ7章37~39節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 高田紅實師
宣  教 「主は私の羊飼い」 高田紅實師
祈  祷
賛  美 461 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 高田紅實師
後  奏

宣教要旨

★この詩編は、ダビデが晩年に、自分の生涯を振り返り謳った感謝の歌です。
紀元前1000年頃にイスラエルの第2代国王となったダビデは、羊飼いから身をおこし、初代イスラエル王サウルに仕え、サウルがペリシテ人と戦って戦死した後にユダで王位に就きました。彼はペリシテ人を撃破し、要害の地エルサレムに都をおいて、全イスラエルの王となって40年間治めました。そのダビデ(愛された人との意)の詩です。

★ダビデは、8人兄弟の末っ子で、少年期は父エッサイのもとで羊を飼っていましたので、羊飼いなしには生きられない羊の弱さを良く知っていました。
そのダビデが王となった時、『主は私の羊飼い』すなわち「主は私の守り手なる羊飼い、私は羊飼いに守られている弱い羊」と歌ったのです。
すなわち、「私は自分の度量と才覚、強運で王位に就いた」のではなく、主が弱い羊ような私を守って導かれた、と告白しています。
私たちも、自分の生涯を振り返るなら、「主にあの時も、この時も、助けていただいた」と、思い返すでしょう。主は、御自身を信頼し見上げる者を最後まで、何があっても守り通されます(イザヤ書41章10節、43章1節)。

★ダビデのように、私たちも愛の主の証人です。その喜びを証しし、隣人に伝えていきましょう。しかし、今、『死の陰の谷』を歩んでいる方もおられるでしょう。主はご存知です。必ず担い、共に歩んでくださいます。主は、決してお見捨てになりません。そして、いつか喜びの日がきて、愛の主を賛美できる時が来ます。その時、感謝と喜びを、あなたの隣人にお伝えください。

満ち足れる祝福(2022.8.21)

聖 書

私を信じる者は、聖書が語ったとおり、その人の内から生ける水が川となって流れ出るようになる。(ヨハネ7章38節)

礼拝音源(32.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編62編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ7章37~39節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「満ち足れる祝福」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 404 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

感謝と喜びの仮庵祭が最高潮に達した時に、主イエスは「立ったまま、大声で」、「渇いている人は誰でも」と人々を招かれました(37節)。主イエスは、今も同じように、心の渇き、魂の渇きを覚えている私たちを招いておられます。

1.満たされる祝福があるから
私たちは、様々な悲しみ・空しさ・失望・不安・恐れ・心の痛みをもったままで過ごしています。主なる神は、そのような私たちの魂の渇きを満たそうとされます(詩編42編1~2節a)。
それに対して私たちは、何かをするのではなくて、ただ主イエスの「もとに来て」水を飲むように、主イエスを「信じる」のです(37~38節)。聖霊という「生ける水」が注がれることによって、主イエスとその十字架の救いを信じさせていただき、魂の渇きを満たしていただくのです(39節、12章23~24節)。私たちは、悔い改めとへりくだる心をもって信じるのみです。

2.溢れ出る祝福があるから
このように満たされる祝福は、その人の全存在を通して他の人々への祝福となっておのずと溢れ出ていきます(38節)。それは、「聖書が語ったとおり」魂が生きかえり、どのような時でも流れ出る聖霊の結実です(エゼキエル47章1~12節)。
主イエスの十字架のとなりにいた犯罪人のひとりは、悔い改めて主イエスに依り頼み、執り成し祈りました(ルカ23章39~43節)。この祝福が、今も流れ続けています。それは、魂を満たされた私たちを通して溢れ出る祝福なのです。

今、この時に(2022.8.14)

聖 書

そこで、イエスは言われた。「今しばらく、私はあなたがたと共にいる。それから、私を遣わした方のもとへ帰る。(ヨハネ7章33節)

礼拝音源(31.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ55章6節,7節b 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編57編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ7章25~36節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「今、この時に」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 280 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ヨハネによる福音書は、主イエスの十字架と復活という「イエスの時」を意識しながら福音を語り伝えています(30節、33節)。私たちは、その時を覚えつつ、信仰の歩みをしていくのです。
1.偏見なく主イエスを見る  25~31節
エルサレムの市民たちは、公然と大胆に語られる主イエスを見て、主イエスを捕らえようとするユダヤの指導者たちに対して疑問を持ち始めました(25~27節)。そこで主イエスは、御自身を遣わされた真実な神のもとから来たことを宣言されたのです(28~29節)。これに対して、主イエスを拒む指導者たち(30節)、信じ受け入れる群衆たち(31節)と分かれました。
主イエスは、御自身を偏見なしに見る群衆たちの信仰を不十分だとされませんでした。それは、ニコデモに対しても同様でした(3章1~15節、7章50~51節、19章39節)。

2.今、主イエスを見いだす  32~36節
続いて主イエスは、あからさまにではなく、これから御自身がたどっていかれる道、すなわち十字架と復活の道に至る道筋を明らかにされました(33~34節)。それに対するユダヤの指導者たちは、的外れな理解しかできず、失望さえしています(35~36節)。
ところで主イエスは、それとは全く反対の方へと御自身の弟子たちを導かれ、死の壁を突き抜ける道を明らかにされました(13章36節~14章6節)。主イエスは、「今しばらく」と私たちにも語っておられます。ですから、「今」という機会を逃すことなく(イザヤ55章6~7節)、主イエスを受け入れ、見いだし続けていくのです。

神の記憶、神の記念(2022.8.7)

聖 書

それは、地のすべての民が主の手の力強さを知るためであり、またあなたがたが常に、あなたがたの神、主を畏れるためである。(ヨシュア4章24節)

礼拝音源(30.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨシュア1章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編122編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア4章1~24節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神の記憶、神の記念」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
8月誕生者祝福 詩編65編5節
賛  美 394 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちの日常には、礼拝をはじめとして、神こそが主であることを深く知るための中断される恵みの時が与えられています。それは、主によってヨシュアに率いられた神の民たちが、主によってストップをかけられた時も同様でした(4章1節~5章9節)。

1.主の記憶の中に覚えられていることを知る
ヨルダン渡河は、主の民にとっては驚くほどの喜びの経験でした。それらは全て、「主」の主導によって、ヨシュアや民たちを用いてなされました。このように主に覚えられている恵みを「記念」して(7節)、12部族ごとに川底から石を拾ってギルガルに据え、この石を見るたびに主の恵みを想起したのです。こうして彼らは、「主の手の力強さを知」り、「主を畏れる」ことを証ししたのです(24節)。
私たちは、今も変わらずに永遠の主イエスの記憶の中に覚えられています(ヘブライ13章8節)。私たちのすべての信仰体験は、主から出ているのです(詩編103編2節)。

2.主の記念を覚えて歩む
記念の石は、二ヵ所に立てられました(8~9節)。川の中に立てられた石は、それまでの荒れ野の生活に終止符を打ち、陸地に立てられた石は、これからの歩みを象徴して立てられました。後者のギルガルに立てられた記念の石は、主の救いの御業が確かであることを語っています。これは、今日の洗礼(1ペトロ3章21節)と聖餐(1コリント11章24~25節)の記念をもって信仰生活を整えていただくことに通じます。また、主の生きた証しを語り継ぐことを語っています(21~23節)。
私たちは、主の恵みに触れ続け、福音宣教に備えさせていただきましょう。

どこまでも真実に(2022.7.31)

聖 書

しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不正がない。(ヨハネ7章18節b)

礼拝音源(32.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ハバクク2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編51編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ7章14~24節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「どこまでも真実に」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 451 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ユダヤの人たちにとって仮庵祭という喜ばしい祝いの時に、その指導者たちは主イエスに対する殺意を抱いていました(19~20節)。そのような中にあって、主イエスは「真実な人」であり(18節、14章6節)、信仰者にも真実であるように語っておられます。

1.分かることにおいて  17節
主イエスの教えは人々を驚かせるほどのもので、お遣わしになった父なる神からの教えでした(15~16節)。そのことが分かるのは、父なる神の「御心を行おうとする者」です(17節)。
主イエスの教えが分かったら、主イエスを信じるのではありません。まず信じたら、真実な主が分かってくるのです。そして、神の御心を行おうと願うことは、自分自身を主イエスに委ねていくことです。私たちは、この点において真実でありたいものです。

2.求めることにおいて  18節
主イエスは、御自分の栄光ではなく、遣わされた父なる神の栄光を求めておられます。そのことによって、御自身が真実な者であることを証しされたのです(18節)。それに対して、ユダヤ当局者たちは、自分たちの栄光を求め、不真実な有様でした(19~20節)。続く主イエスの反論は、見事です(21~24節、5章1~9節)。
ところで、父なる神は、主イエスの十字架と復活において御自身の栄光を現しなさいました(12章27~36節)。そして、私たちがこの主イエスの救いを信じることにより、神の栄光が現わされるのです。私たちは、この点においても真実でありたいものです。

礼拝ご案内・行事予定(2022年8月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉がわかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日) 第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:00 第2礼拝 :AM 10:45 ~ 11:45 第3礼拝 :PM 5:00 ~ 6:00 ○成人科プログラム (毎週日曜日) AM9:30 ~ 10:15 楽しい聖書の学び 1階集会室にて お話は毎回完結します。 いつでもお入りください。
7日(日) 第1聖日 平和聖日礼拝
「神の記憶、神の記念」
ヨシュア4章1~24節
放蕩息子
ルカ15:11~24
鎌野 健一
14日(日) 第2聖日 礼拝
「今、この時に」
ヨハネ7章25~36節
エリヤ1生きて働かれる神
第一列王17:1~16
鎌野 健一
21日(日) 第3聖日 伝道礼拝
「満ち足れる祝福」
ヨハネ7章37~39節
エリヤ2 火をもって答える神
第一列王18:20~40
増永 茂
28日(日) 第4聖日 礼拝
「キリスト者の装い」
コロサイ3章12節、14節
エリシャ1 霊の二倍分
第二列王2:1~15
鎌野 健一

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~11:30、PM 7:00 ~ 8:00

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを神さまに感謝するものです。

8月行事予定

■ 7日(第1聖日)平和聖日礼拝
■ 14日(第2聖日)礼拝 ギデオンラリー
■ 21日(第3聖日)伝道礼拝
■28日(第4聖日)教区一斉講壇交換礼拝 CS振起日合同礼拝9:15~

9月行事予定

■ 4日(第1聖日)創立75周年記念感謝礼拝・洗礼式
■ 11日(第2聖日)長寿祝福礼拝
■ 18日(第3聖日)礼拝
■ 25日(第4聖日)伝道礼拝 オープンチャペル ジュニアジャンボリー(舞子の丘)  

すべてに時がある(2022.7.24)

聖 書

そこで、イエスは言われた。「私の時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備わっている。 (ヨハネ7章6節)

礼拝音源(32.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マタイ11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編50編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ7章1~13節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「すべてに時がある」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 403 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

イザヤ書が開示する信仰は、臨在信仰に生きることについて大きな示唆を与えます。聖なる主は(15節)、私たちを恵もうと待ち、憐れもうと立ち上がられる公正の神です(18節)。私たちは、いかなる時にもこの主に対する生きた信仰を抱きつつ歩むのです。
私たちは時間を等しく与えられているので、それをどのように使うかが問われます。
主イエスは、父なる神が定められた時を絶好の時とされました。私たちもその時を人生の絶好の時としたいものです。

1.キリストの時
この時人々は、かつて神の民が神の救いを経験し、その後も神の導きをいただき養われたことを感謝する仮庵祭を祝っていました。ガリラヤからエルサレムに向かわれる主イエスに対して、ユダヤ人は敵対感情を持ち、群衆は傍観者のようになり、イエスの兄弟たちは評論家のようになって、主イエスに対する信仰は生まれませんでした。
主イエスを憎み、殺そうとする「世」の罪に対して(7節)、神の審きの極まる時、神の愛の極まる時となったのが、主イエスの十字架の事実でした。この時に、主イエスによる救いが現されたのです(6節)。

2.一人ひとりに備えられた時
主イエスに神の時があったように、私たちにも時があります。それは、一人ひとりが「私が救い主イエスを十字架に架けた」ことの罪を認め、主イエスに対する信仰の応答をする時です。 そして、主イエスを信頼して歩んでいく時、神はすべてを絶好の時としてくださり、神の最善へと導かれます(コへレトの言葉3章1~11節)。私たちは、自分で設定した時でなく、神に設定していただいた好機を知って、主イエスと共に「時」を過ごすのです(2テモテ4章6節、8節)。

生きた信仰(2022.7.17)

聖 書

主なる神、イスラエルの聖なる方はこう言われる。「立ち帰って落ち着いていれば救われる。静かにして信頼していることにこそあなたがたの力がある。」(イザヤ30章15節abc)

礼拝音源(32.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編46編11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編65編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ書30章15~22節
使徒信条 93-4  1A 一  同
教団信仰告白 (別 紙) 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「生きた信仰」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
入会式
賛  美 510 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

イザヤ書が開示する信仰は、臨在信仰に生きることについて大きな示唆を与えます。聖なる主は(15節)、私たちを恵もうと待ち、憐れもうと立ち上がられる公正の神です(18節)。私たちは、いかなる時にもこの主に対する生きた信仰を抱きつつ歩むのです。

1.静かにして信頼する  15節
南ユダ国は、二度の国家的な危機に見舞われました。最初は、アラムとエフライム同盟が攻撃してきた時です。主は、イザヤを通して「気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはならない」(イザヤ7章4節)と告げられ、臨在の主に信頼するように勧められました(同9節、14節)。次は、アッシリア帝国が攻撃してきた時です。主は、「静かにして信頼していることにこそ」(30章15節)と語られ、信仰に立つように勧められました。
「静かにして」とは、主の中に身を沈めるようにして信頼することです(出エジプト14章13~14節、詩編46編9~10節)。そこには、人の信仰の備え(イザヤ37章14~15節、列王記下20章20節)と主の最善の御業がありました(イザヤ37章36~38節)。

2.敏感に応答する  18~21節
それゆえに、信仰者は「主を待ち望む者」(18節)であり、主に「叫ぶ」(19節)者であり、主を「見る」(20節)者であり、主が「語る言葉を聞く」(21節)者となるのです。とりわけ、主に導かれて右に行こうが左に行こうが、「これが道だ、ここに行け」と羊飼いである主の「背後から」の声に敏感に聞き従って行くのです(21節、詩編23編4節)。
私たちは、特別な選択を迫られる時だけでなく、日常生活のあらゆる場面において、主が語られる御言葉に敏感に応答していく生きた信仰者であらせていただきましょう

勝利への道(2022.7.10)

聖 書

主はヨシュアに言われた。「今日、イスラエルのすべての人々の目の前で、あなたを大いなる者とする。私がモーセと共にいたように、あなたと共にいることを、彼らが知るためである。(ヨシュア記3章7節)

礼拝音源(33.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編46編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア記3章1~17節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「勝利への道」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 507 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

大いなる救いの計画をお持ちの主は、主の民を出エジプトからヨルダン渡河そして約束の地への旅を導かれました。臨在の主に導かれて、一つになって進みました(民数記9章18節)。その勝利の道を可能にしたのは、主の恵みと民の信仰によりました。

1.勝利の保証
水量が増し、流れの速度が速くなる時期のヨルダン渡河でした。主は、恵みをもってこの道を導かれたのです。祭司が担ぐ「主の契約の箱」は主の臨在のしるしであり、彼らが民を先導して足が水につかるや川の流れがせき止められ、川の真ん中に立ちとまっている間中民たちは渡河したのです。
このように、臨在の主は御自身の民を導かれ、途中でその導きを放棄される方ではありません。しかも、「今までに一度も通ったことがない」(4節)未知の道を進む時にも、思いがけない方法を用いて道を開かれるのです(マタイ28章20節)。

2.勝利の条件
ですから、この臨在の主に従えばよいのです。ヨシュアを通して祭司たちに命じられ(3節、8~14節)、それに民が従ったのでした(14~17節)。奇跡が起きたから渡河したのではなく、主とその御言葉に対する信仰に伴う従順によりました。

さらに、「身を清めなさい」(5節)とあり、生活上の外的な清めという以上に、内的な清めが求められます。すなわち、罪と汚れから清められ続け(1ヨハネ1章7~9節)、主の前に謙って、主に全く信頼し続けることです(ヘブライ12章1~2節)。
臨在の主は、常に先頭に立って、道を示し、切り開いてくださるお方です。

信仰によって(2022.7.3)

聖 書

信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た者たちを穏やかに迎え入れたので、不従順な者たちと一緒に滅びることはありませんでした。(ヘブライ11章31節)

礼拝音源(34.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編100編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編42編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア記2章1~24、
ヘブライ11章31節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「信仰によって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
7月誕生者祝福 箴言3章5~6節
賛  美 458 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」(ヘブライ11章6節)。主なる神への信仰を持って、信仰によって生きることは、何にもまして大切なことです。「信仰によって、遊女ラハブは」、どのような信仰を抱いていたのでしょうか(同11章31節)。

1.聴従する信仰
ヨシュア記は、主の約束に立って、主の恵みにより、信仰をもって従っていく者たちの信仰の戦いの歩みを証言しています。
ラハブは、二人の偵察者をエリコの追っ手から逃れさせようとしました(1~7節)。彼女は、目撃者ではありませんが、神の民の出エジプト以来の神による勝利を聞いていましたし、カナンの地を主が与えておられることを知っていました(8~11節)。
ラハブの信仰は、主とその御言葉を聞いて、自らの全存在をかけてそれに従ったのでした(詩編40編7~8節)。そこに、異邦人のラハブに、救いの道が開かれたのです。

2.踏み込む信仰
主とその御言葉に聴従したラハブは、主の中に踏み込んでいく行動となった信仰でした。それは、ヨシュアたちが「足の裏で踏む」ことと同じ信仰に基づいた行動でした。ラハブは、瀬戸際に立たされたところで、大胆に信仰に立って行動したのです(4~7節、12~16節)。こうして、ラハブの信仰は生きたものとなりました(ヤコブ2章25~26節)。
なおラハブは、深紅のひもを約束として、その約束をしてくださった主を信じて救いに与りました(17~21節)。私たちは、主イエスが十字架を通して救いを成就してくださったことを信じ、主の中に踏み込む信仰の歩みをするのです。

 

一つになって(2022.6.26)

聖 書

主があなたがたと同様に、同胞にも安息を与え、あなたがたの神、主が与える地を彼らに継がせるためである。(ヨシュア1章15節a)

礼拝音源(30.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨエル3章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編96編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア1章10〜18節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「一つになって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 411 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主から委ねられた使命は、モーセからヨシュアと神の民へと展開されていっています(1章1~9節)。このように、主は今日にいたるまで、またこれからも、主の使命を神の人また神の民を信頼して委ねられるのです。

1.主とその御言葉に信頼する
ヨシュアが主とその御言葉の約束を信頼して従ったところに、主の臨在の確かさがありました(7~9節)。そして、神の民たちも「皆立ち上がり」(2節)、主とその御言葉に信頼して従ったときに、主の臨在の確かさがありました(16~17節)。
この後、ヨシュアと神の民が御言葉から離れずに御言葉に従っていったところに、ヨルダン川があり、山地があり、エリコがありましたが、主は道を開かれ、勝利を与え、祝福をもたらされました(11章15節)。
主は、福音宣教において同じようにして展開されていきます。

2.主の民と協同する
神の民が、主の約束の地に入っていくために食料の準備をするように命じられました(10~11節)。主は整えられた民の行動を通して、その地を得させなさいます。また、ヨルダン川の東側に住む二部族半の勇士も結束してヨルダン川を渡って他の部族の人を助け、共に安息のともなった祝福を受けることが命じられています(12~15節)。そこには、民全体の承認と同意と服従の表明がありました(16~17節)。
主の群れを通して主の使命が遂行されていくとき、主の僕と協同する信仰の仲間を用いられます。福音は、このように一つになって宣証されていくのです。

 

唯一の希望(2022.6.19)

聖 書

シモン・ペトロが答えた。「主よ、私たちは誰のところへ行きましょう。永遠の命の言葉を持っておられるのは、あなたです。(ヨハネ6章68節)

礼拝音源(30.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ5章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編34編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ6章60〜71節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「唯一の希望」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 522 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちには、主イエスを信じる信仰によって希望のある人生へと導かれます。その希望は、聖霊によって神の愛が心に注がれ、決して失われることのない永遠の命を得ていることから生まれます(ヨハネ3章16節、ローマ5章5節)。

1.失望したままで終わりません
主イエスから離れ去り、共に歩まなかった人たちがいました(66節)。彼らがそのようにした理由は、自分たちが考えていたような主イエスではなかったからです(41節、60~62節、64節、67節、70~71節)。当てがはずれて、失望したからです。後のペトロも一時そのようになりました。
しかし、主なる神は、イスカリオテのユダに対してそうであったように、決して御自身の方から私たちを捨てられることはありません。ですから、聖霊が御言葉を用いて語りかけてくださることを信じることが必要です(63節、65節)。

2.いつまでも続く希望をいただいています
それでは、彼らが主イエスから離れ去って救いに与らないとするなら、誰のところに行けばよいのでしょうか(68節a)。主イエスのところに踏みとどまり、すがるほかありません。
キリスト信仰のメッセージの中心には、十字架とともに復活があります。主イエスが死を打ち破られて復活されたので、私たちには絶望はありません。ですから、一人ひとりが主イエスを個人的に、主体的に信じて、体験的に主イエスを知ることが必要です(68節b~69節)。そこから、いつまでも続く希望があふれるのです(ローマ4章17~18節)

 

命あふれて(2022.6.12)

聖 書

これは天から降って来たパンである。先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は永遠に生きる。(ヨハネ6章58節

礼拝音源(30.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ16章13節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編33編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ6章52〜59節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「命あふれて」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 56 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスを個人的な救い主また主として信じ受け入れるまでは、永遠の命に生きることができません。それは、一度限りのものではなく、繰り返し信じ受け入れ続けていくことによって、永遠の命にあふれる歩みとなるのです。

1.主イエスと一体となって生き続ける  55~56節
主イエスを食べるとは、主イエスを信じて一体となることであり、その血を飲むとは、主イエスの命にあずかることです(53~54節)。主イエスに一人ひとりが「とどまる」すなわち一体となるとは、主イエスと人との区別がなくなることではなく、主イエスにある命と恵みの祝福が、その人のものになることです(56節)。
主の聖餐によって明らかにされたように(1コリント11章26節)、私たちは主イエスを信じる信仰によって、いつも主イエスと結ばれ続け、豊かな祝福に与り続けるのです(ヨハネ15章5節)。

2.キリストのために生き続ける  57~58節
主イエスが父なる神から遣わされ、父なる神のために御生涯を生きられたように、私たちが命の源である主イエスによって、主イエスのために充実した歩みをすることが、「永遠に生きる」ことです(57~58節)。
ところで、「食べる」(54~58節)とは、むさぼり食うという意味があります。それは、その人に代わって他の人が食べるのではありません。そのように私たちは、主体的な信仰の貪欲をもって、主イエスと一体とされ、主イエスのために「永遠に生きる」という視点で生き続ける一人ひとりであり、群れであるように招かれているのです。

 

 

聖霊による祝福(2022.6.5)

聖 書

私はあなたの子孫に私の霊を あなたの末裔に私の祝福を注ぐ。(イザヤ書44章3節b)

礼拝音源(25.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 使徒言行録1章8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編84編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ書44章1〜5節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聖霊による祝福」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
6月誕生者祝福 ガラテヤ5章25節
賛  美 343 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

イザヤ書は、神の民がバビロン捕囚から解放されて、神の救いの慰めに与ることが語られています。そこには、やがてイエス・キリストの初臨から再臨に至る救いの全貌が預言されており、永遠の聖霊がどのように臨まれるかを明らかにしています。

1.主の御業を成し遂げられる
主は、御自身が選び、造られた民の罪を消し去り、罪を想い起すことなく、罪を消し去り贖われます(43章25節、44章1~2節、22節)。そして、聖霊を子孫にまで注いで祝福され(44章3節)、新しい命を生みだし(同4節)、「主のもの」とされます(同5節)。この聖霊による御業は、出エジプトを通しての神の救いと約束の地に導かれるときにも成し遂げられたことでした(63章10~14節)。

私たちが主イエスによる永遠の救いに与らせていただいているのは、聖霊によってです。今も間断なく注がれている聖霊に私たちが満たされることにより、私たちは活性化され、主の御業は進められていきます(32章15節)。

2. 主の御言葉と一体となって働かれる
聖霊は、聖書の御言葉を用いて、御言葉と結びついて一体となって語りかけてくださいます(59章21節)。御言葉が働くときには、聖霊がその人のなかに働くのです。聖霊が一人ひとりに注がれ、一同が聖霊に満たされたとき、主イエスの福音が語られました。そして、主の救いの御業と教会の歩みが展開されて行きました(使徒言行録2章)。

私たちが聖霊と御言葉によって生かされ続け、聖霊と御言葉の器として生き続けているところに、教会が造られていくのです。