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礼拝メッセージ

仰ぎ見よう(2022.12.18)

聖 書

地の果てのすべての者よ 私を仰ぎ、救われよ。私は神、ほかにはいない。(イザヤ45章22節)

礼拝音源(26.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 テトス2章11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編113編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ45章22~25節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「仰ぎ見よう」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 441 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神は、御自身の民の歴史を通して、「私は神、ほかにはいない」と繰り返し語られています。その神に近づき(20節)、神に聞き(21節)、神を仰ぐように(22節)勧められます。
このように神に向き合う私たちの姿勢は、今も変わることがありません。
1. 神は、「地の果てのすべての者よ」と招いておられます(22節)。確かに神は、ユダヤ人たちを特別に神の民として選ばれ、アブラハムを祝福の基とされ、出エジプトによる神の救いをなし、バビロン捕囚からの回復の御業をなされました。しかし、この神の好意ある招きは、異邦人にも及んだのです。
そして神の御子の降誕に際して、羊飼いたちに語られたメッセージに(ルカ2章10~11節)、老人シメオンが賛美したこと(同2章30~32節)などにも証しされています。クリスマスは、神が罪に堕落したすべての人を信頼された出来事なのです(ヨハネ1章9節)。

2.神に目を転じるのは「あなた」である
イザヤ書が語る信仰は、神に自分自身を安んじて任せることです(7章7節、30章15節)。ここでは、そのことを「仰ぎ」見ると語ります。仰ぐとは、目を転じることであり、今まで見ていたものから、目を転じて神を見ることです。
最初の人アダムとエバは、罪を犯した途端に、神を仰ぎ見ることができなくなりました(創世記3章8節)。目を転じて十字架上の主イエスを仰いだ犯罪人は、永遠の救いに与りました(ルカ23章42~43節)。
信仰とは、仰ぎ見ることです。仰ぎ見る日々の連続が、仰ぎ見る生涯となるのです。

望んで待つ(2022.12.11)

聖 書

一人のみどりごが私たちのために生まれた。
一人の男の子が私たちに与えられた。主権がその肩にあり、その名は
「驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザヤ9章5節)

礼拝音源(33.2MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 1テモテ1章15節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編146編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ8章23節~9章6節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「望んで待つ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 247 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

クリスマスは、歴史の悲惨、社会の悲痛、人類の失敗、人間の罪がもたらす苦悩と言ったうめき苦しむ人間に対して、神の御業が現わされた出来事です。それによって、私たちに与えられている希望とは何かを明らかされたのでした。
1.希望の先取り  8章23節~9章4節
アッスリアによって崩壊させられた北イスラエルにあった「異邦人のガリラヤ」は、ユダヤの中心からみても辺境の地であり、人々が恐れと不安に包まれ、希望を抱くことのできない暗黒の地でした(8章22節)。「しかし」闇と死の支配にあったガリラヤの人々は、大いなる光を見、その上に光が輝き、喜び躍り、勝利を得たのです。
同様な出来事は、今日にいたるまで歴史の中に働かれた神の御業として現れ、罪と死の支配にあった私たちに及んだ神の救いの御業です(マタイ4章14~17節)。幸いな人は、この神に望みを置き(詩編146編5節)、希望の先取りをする人です。

2.希望の実現  9章5節~6節
「私たちのために生まれた」「私たちに与えられた」幼子は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」として主権をお持ちの神であり、救い主イエス・キリストにおいて実現したのです(5節)。この救い主こそが、変わることのなく全存在をかけて一人ひとりに熱情を注ぎ、その十字架の御業を通して、私たちの不安や恐れそして罪と死の闇の力から解き放ってくださいました(6節)。
この事実の前に、私たちの悔い改めは深まり、主イエスへの信頼と従順も深まっていきます。ですから私たちは、回心の深まりを経験することが求められています。

信じて待つ(2022.12.4)

聖 書

それゆえ、主ご自身があなたがたにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。(イザヤ7章14節)

礼拝音源(35.0MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 マルコ1章15節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編138編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ7章3~17節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「信じて待つ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
12月誕生者祝福 コロサイ3章15節
賛  美 231 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

待降節のこの時節は、待つことを経験する日々です。それは、神の御子の到来を信じ、待ち続けた人々の歩みに連なることです。そして、神の約束の確かさに対して、神への信仰を広げることが求められています。

1.神の約束の確かさ
ユダの王アハズの時、隣国アラムとエフライムが同盟し、ユダに攻めてこようとしました。その民の心は動揺します。預言者イザヤは、「インマヌエル(神は私たちと共におられる)」との約束に立って、この難局に勝利するように語ります。「インマヌエル」の約束の確かさは、歴史を通して神が証ししてこられたからです(イザヤ41章10節)。
このインマヌエルの約束は、主イエスにおいて実現しました(マタイ1章21~23節)。私たちは、十字架による救いの道を開いてくださった主イエスによって、神と共にいることができるようになったのです。

2.約束してくださった神への信仰
共におられる神は、いかなる時にも決して下手なことはなさいません。ですから、静まって主の前に信じて待ち望みつつ、恐れずに御言葉に自らの根拠をおき続けることが必要なのです(4節、9節)。
信じて待つことは、信仰者一人ひとりと教会の信仰の大切な姿勢です。聖書が語る信仰の世界は大きくかつ広く豊かな世界です。「魂に救いを得て」いますので、「言葉に尽くせないすばらしい喜びに溢れて」いるからです(1ペトロ1章8~9節)。私たちは、この主イエスを信じる信仰に連なっているのです。

主の来臨の待望(2022.11.27)

聖 書

主の恵みの年と 私たちの神の報復の日とを告げ すべての嘆く人を慰めるために。(イザヤ61章2節)

礼拝音源(36.9MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ローマ13章12節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編130編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ60章19節~61章4節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「主の来臨の待望」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
賛  美 236 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

待降節から降誕節に向かうこの時節は、一年の中でも最も喜ばしい時です。私たちがこの「待降節」を過ごすときに、主イエスの来臨をどのように待望するのでしょうか。そこには、どのような意味があるのでしょうか。

1.二つの待望
イザヤ書は、神の御業を全歴史を貫いて預言しています。特に、救い主の二つの来臨が、さながら一つの来臨のように重なって語られています。第一の来臨(61章1~2節a、ルカ4章16~21節)、続いて第二の来臨(61章2節b~4節)と預言されています。
待臨節は、かつて来臨された御子イエスの御降誕を想い起しつつ待ち望み、やがて主イエスが再び来臨されることを期待しつつ待ち望み、心を向ける時節です。ですから、御子の御降誕を想い起して感謝の祈りをささげ、再び来臨される主イエスに対する待望信仰を抱いて備えるのです。

2.二つの時を待望しつつ
主イエスは、第一の来臨によって、私たちに仕えて救うために来られした。その極みが主イエスの十字架と復活の御業に現されました。第二の来臨は、栄光の王が栄光のうちに来られ、神の救いは完成し、神の栄光が輝き現れるのです(60章19~22節)。
その中心におられるのは、ただ一度限りの永遠の贖いの御業を成し遂げてくださった「神の小羊」である主イエスです(61章1~2節、ヨハネの黙示録21章22~23節、22章3~5節)。この御方こそが、永遠に変わることなく、信仰者を永遠の交わりの中に導かれるのです(61章3~4節)。

キリストを知る(2022.11.20)

聖 書

そこで、イエスは言われた。「あなたがたは、人の子を上げたときに初めて、『私はある』ということ、また私が、自分勝手には何もせず、父に教えられたとおりに、話していることが分かるだろう。 (ヨハネ8章28節)

礼拝音源(31.0MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 1ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編116編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ8章21~30節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストを知る」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 303 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

聖書は、私たちに人生の損益勘定をするように勧めています(マタイ16章26節)。パウロは、この計算に強かった人です(フィリピ3章7~8節)。そこで彼は、キリストを知ることが、人生最大の得をもたらすことだと語っています。

1.キリストは何者か
ユダヤ人たちは主イエスに、「あなたは一体、何者なのか」(25節)と問いかけています。それに対して、主イエスは、御自身が神であり(23節)、父なる神と共におられ、その御心に適うことを行われ(29節)、何よりも十字架に上げられることにより(28節)、誰も代わることができない死を遂げられる(21節)ことを明らかにされました。
主イエスの十字架の死こそが、私たちに罪の赦しを与える神の愛の勝利の御業でした(ルカ23章34節)。この高価な犠牲による赦しがなければ、私たちは自分の罪のために滅びるしかなかったのです。

2.人は何者なのか
主イエスは、人は「自分の罪のうちに死ぬ」(21節、24節)と繰り返し語られました。悔い改めないままで、闇の中を歩んでいたからです(23節)。そのままにとどまるならば、永遠の滅びにいたる致命傷を負うことになります。その罪を自覚させ、そこからの救いをもたらすために、「私はある」と言われる主イエスが、十字架の死を通して、私たちが「罪のうちに死ぬ」ことのないようにしてくださったのです(24節、28節)。
主イエスは、「罪のうちに死ぬ」ことのない救いの恵みを与えていてくださいます。私たちは今、その主イエスを信じる信仰をもって応答するのです(エフェソ2章8節)。

光が見えていますか(2022.11.13)

聖 書

イエスは再び言われた。「私は世の光である。私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ。」(ヨハネ8章12節)

礼拝音源(30.4MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編118編23〜24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編8編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ8章12~20節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「光が見えていますか」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
幼児成長祝福式 484(口語訳)
賛  美 503 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神に創造された私たちは「光」が必要です(創世記1章3節)。ですから「まことの光である」主イエスを通して、闇を照らしてくださいました(ヨハネ1章9節)。では「私は世の光である」(12節)と言われた主イエスと私たちは、どういう関係なのでしょうか。

1.キリストに導かれて
この時ヨハネは、出エジプトによる神の救いと、その後の40年間の荒れ野を導かれた神の御業を想起しています。神は民にパンと水を与えて養われましたが、今や主イエスが「命のパン」(ヨハネ6章31~35節)となられ、「生ける水」(同7章37~38節)となられて養い続けていてくださいます。また、神は民を雲と火の柱をもって導かれましたが、今や主イエスは「世の光」として導かれます。
宗教家たちは、このように自己証言しておられる主イエスが受け入れられませんでした(14~18節)。神に対して心と魂の目が開かれていなかったからです(19節)。
しかし私たちは、罪と死の闇から救われ、「命の光」の中に立って歩むのです。

2.キリストに従い続けて
そして私たちは、「私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ」と約束される主イエスに従う歩みをします。ちょうど、神が民を荒れ野で導かれ際に、民が信仰によって従ったようにです(民数記9章15~23節)。
そして、主イエスが「世の光」ですから、私たちはその光を受けて、受けた「命の光」を輝かすのです。そのようにされるのは、主の恵みによるのですから、「命の光」を高くかかげるのです。

永遠につながる人生(2022.11.6)

聖 書

朝には、あなたの慈しみに満たされ すべての日々を楽しみ、喜ぶことができますように。 (詩編90編14節)

礼拝音源(31MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編68編20〜21節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編23編
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編90編1~17節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「永遠につながる人生」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
11月誕生者祝福 2コリント4章16節
賛  美 226 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

詩編は、神による人生は幸いなものであり(1編1節)、嘆きも神への感謝となって讃えているものが多くあります(150編6節)。同じように本編は、嘆きから讃美へ、そして永遠につながる人生の幸いを歌っています。

1.神に生かされている幸い  1~6節
詩人は、神を「あなた」と愛情をこめて讃えています(1~2節)。それは、「私はあなたがたを友と呼んだ」(ヨハネ15章15節)と言われる主イエスに対して、私たちが呼びかける信仰の言葉です。続いて神は、人は神に生かされていることを明らかにされ(3~6節)、その人生は意味をもって与えられている重い一生であることを伝えられました。

2.神に知られている幸い  7~12節
神は、人のすべてを知っておられます。何よりも過ちや罪を知っておられますから、十字架の贖いによって罪を赦してくださいました(7~8節)。十字架は神の祈りであり、この祈りだけが人を救いえるのです。また、人が生きる年数は限りがあり、突然のようにして終わりを告げられます(9~10節)。それは、私たちには天に至るステップですから(2コリント4章14~15節)、残された日々を感謝して生きるのです(11~12節)。

3.神の慈しみに生かされ続ける幸い  13~17節
神は、朝の目覚めとともに、神の慈しみを思うようにしてくださいます(14節)。そして、神の慈しみに満たされているならば、今この時も神が備えていてくださる働きに、胸を張って生きるのです(17節)。その恵みと慈しみに追われる日々は無駄ではありません(詩編23編6節)。そこには、永遠につながる人生があります。

真実な同伴者キリスト(2022.10.30)

聖 書

二人は互いに言った。「道々、聖書を説き明かしながら、お話しくださったとき、私たちの心は燃えていたではないか。」(ルカ24章32節)

礼拝音源(25MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 2コリント5章17節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編103編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ24章13~32節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「真実な同伴者キリスト」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 493 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちの歩みは、主イエスによって生かされ、導かれていることを知ることが大切です。そうするならば、今この時が確実に変わってくるし、生きる勇気が湧いてきます。そして、将来に望みを持った生き方が開かれてきます。

2.キリストは生きておられる 13~27節
エマオ途上の二人の弟子は、主イエスに望みをおいて従って来ましたが、エルサレムで十字架に架かられて死なれた出来事のゆえに、人生をかけた望みを挫かれ、途方にくれて失意の中にいました。主イエスが分からなくなっていたのです。そんな彼らに、復活された主イエスが近づいて来られ、語りかけられました(15~17節)。そして、御言葉を解き明かしてくださいました(25~27節)。
今も復活された主イエスは、様々なことで不安と恐れの中にいる私たちに近づき、語りかけられます。生きておられる主イエスを知ることは、幸いです(箴言3章6節参照)。

2. キリストは共に歩んでくださる  28~32節
主イエスは、どこまでも御自分のほうから近づいて、一つのかたまりのようになって二人の弟子と共に歩んでくださいました(15節)。そして、十字架と復活を中心にして御言葉を解き明かしてくださいます。その時、途方にくれていた者の目を開いて、主イエスを分からせてくださるのです(30~32節)。
そのためには、私たちが「無理に引き止め」るようにして主イエスと共に歩み出すことが必要です(28~29節)。このように、今も生きておられる主イエスを信じることは、このお方を受け入れることなのです。

何につながっている?(2022.10.23)

聖 書

私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。私を離れては、あなたがたは何もできないからである。(ヨハネ15章5節)

礼拝音源(44MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編100編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ15章1~10節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 光田隆代師
宣  教 「何につながっている?」 光田隆代師
祈  祷
賛  美 新332 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 光田隆代師
後  奏

宣教要旨

あなたは誰の影響、また、どのような情報の影響を強く受けているでしょうか。今日のテキストは、神があなたの人生の主人であり、主イエスはあなたを育てる命であると示されています。ぶどうの木の目的が実を結ぶためであるように、あなたに対する神のご期待もあるのです。

1.剪定の目的 2節
神は人を神と同様の慈しみ深く生きる存在として造られました。もし、あなたの生き方から優しい愛が感じられないならば、神の剪定が必要です。聖書で言う罪の洗いです。なぜなら、罪はあなたを神の祝福から引き離す原因だからです。

2.神の養い 9節 
キリストの十字架は、罪の刑罰をキリストが身代わりに背負って死なれたことを教えています。神は、捨てられるべきあなたを救うために来られました。そして、神の愛に養われ続けるように導かれます。ここでは神の愛の中に留まることが、その樹液に与ることです。よい実を結ぶ条件は、御言葉に養われ、神の愛に育てられることと言えます。

3.祈りの応え 7節
ここに、神との強いつながりを持ち続けるために「祈り」の道が備えられていす。神は祈りをお聞きになります。答えが何で、いつ応えられるかは分かりませんが、神との深く温かい信頼関係は、あなたの日々を恵みによって新たにするでしょう。果実は自分以外の誰かが味わうものです。

解き放たれて(2022.10.16)

聖 書

女が、「主よ、誰も」と言うと、イエスは言われた。「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはいけない。」(ヨハネ8章11節)

礼拝音源(25MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 マタイ16章24節b 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編99編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ8章1~11節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「解き放たれて」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 481 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

この聖書箇所は、主イエスらしいことを語られ、主イエスらしいやり方で導いておられます。人が、その主イエスに向き合っていたか、また立ち留まっていたかによって、その後の歩みは大きく変わっていきました。

1.主イエスから離れる  1~9節
「律法学者やファリサイ派の人々」が裁こうとした対象は、「姦淫の現場で捉えられた女」に対してよりも、主イエスに対するものでした。主イエスを訴えることができるよう、巧妙に罠をしかけてきたのです(4~6節a)。それに対して主イエスは、彼らの罪を気づかせようとして、徹底して沈黙されました(6節b)。やがて主イエスが口を開いて言われたことは、彼らの偽善と悪意に満ちた心を鋭く指摘される言葉でした(7節)。
それを聞いた人々は、自分の良心に向き合ったままの状態で、主イエスから離れて行ったのです(9節)。主イエスの赦しに与るために、踏み留まることがなかったのです。

2.主イエスのもとに立ち留まる  9~11節
最期には、「イエス独りと、真ん中にいた女が残」りました。彼女は、主イエスと向き合って語り合っています(9~11節a)。主イエスは、「私もあなたを罪に定めない」と語られたように、真に罪を裁くお方であるからこそ、真に罪を赦すことができるお方なのです(11節b)。主イエスが、十字架上で叫び祈られた御声が聞こえてきます(ルカ23章34節、マルコ15章34節)。
私たちは、主イエスに立ち留まった女のように、罪から解き放たれ、「これからは、もう罪を犯してはいけない」(11節d)との御声を聞き、立ち上がらせていただくのです。

信仰による勝利(2022.10.9)

聖 書

信仰によって、エリコの城壁は、人々が周りを七日間回ると、崩れ落ちました。 (ヘブライ11章30節)

礼拝音源(28MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 黙示録3章8節b 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編96編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア6章1~27節
ヘブライ11章30節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「信仰による勝利」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
10月誕生者祝福 ヨハネ15章16節
賛  美 515 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

聖書は、恩寵(恵み)先行、信仰後続で貫かれています。ヨシュア記に見る出来事は、どこまでも主の恵みが先に進み、その恵みにとらえられ、満たされ、溢れ出しているところから生まれる信仰の戦いの記録です。

1.主によって
エリコを前にして、主ご自身がこの戦いの「軍勢の長」であることを明らかにされました(5章13~15節)。その主が、このエリコを「あなたの手に渡す」(2節)、それは完了していると宣言されました。ヨシュア記に一貫しているメッセージです(1章2節)。ところが、その戦いの作戦は(7~9節)、ヨルダン川を渡った時と同様に(3章)、戦闘態勢ではなく、主への礼拝行為とも言えるものでした(14~16節)。
私たちは、「主」の御前に、「主」の方を向いて仰ぎ、「主」と共に信仰の戦いの中を歩む礼拝者です。

2.信仰によって
エリコ陥落は、「信仰によって」成されました(ヘブライ11章30節)。確かな主の御言葉の約束に対して(2節)、「しなさい」「することができる」「そのようにした」と信仰の応答が繰り返されています(1~14節)。このように、「信仰によって」約束の御言葉をつかんでいたのです。
私たちは、聖書の御言葉の約束にたって、主の御前にひれ伏して祈り、従っていくことによって、信仰の戦いにおける勝利を得させていただけるのです。それは、個々人の信仰の生涯に、教会の歩みにおいて証しされています。

恵みへの招き(2022.10.2)

聖 書

主を尋ね求めよ、見いだすことができるうちに。主に呼びかけよ、近くにおられるうちに。(イザヤ55章6節)

礼拝音源(36.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 1テモテ1章15節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編98編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ55章1~7節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みへの招き」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
聖餐式 新49
賛  美 432 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ここには、主の救いの恵み(イザヤ53章)への招きに応答する者たちの祝福が語られています。「私はあなたがたと永遠の契約を結ぶ」(3節c)とは、主が一方的に与えられる恵みの契約であり、主イエスによる贖いの恵みでもあります(1コリント11章25節)。

1.命への招き  1~5節
主は、霊的な命と祝福に与りたいと渇き求め、主のみもとに「来る」者に、無代価で受け取れるように招いておられます(1節、4~5節)。そして、主の御言葉のみに集中して「聞き従い」続ける者の魂を豊かにし、魂が生きるようにされるのです(2~3節)。
この招きは、聖餐の祝いの時の招きに通じています。私たちは、「私のもとに来なさい」と招かれる主イエスによって魂は安らぎ(マタイ11章28~30節参照)、そのように招かれた礼拝によって「大いに慰められ」るのです(使徒言行録20章7~12節参照)。

2.赦しへの招き 6~7節
主が、人の側からは遠くにおられるように思える状況でも、そこには常に恵みの主はおられます。ですから、主への感謝の祈りをもって、「主を尋ね求め」「主に呼びかけ」るならばお会いできるのです(6節)。主との間の敷居は高くありません。
そして、「主に立ち帰れ」と招いておられます。それは、主と人とを間を遠ざけている良心の呵責また誘惑がもたらす罪を悔い改め、憐れみ「赦してくださる」主に立ち帰り続けることです(7節)。これこそが、勝利ある信仰生涯を歩むことにつながります。
私たちは、聖餐の祝いをするごとに、主イエスの十字架の赦しの恵みに与り続けるのです(1コリント11章25~28節参照)。

真実な友キリスト(2022.09.25)

聖 書

友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。(ヨハネ15章13節)

礼拝音源(32.2MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 マタイ11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編95編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ15章11~17節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「真実な友キリスト」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美  新350 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスは、「私はあなた方を友と呼んだ」(15節c)と私たちを招いてくださり、真実な友となってくださいます。主イエスは、どのようにして真実な友となってくださるのでしょうか。

1.大切なものを与えてくださる  13節
神に愛されている私たち一人ひとりです。その愛は、主イエスが人間の罪の身代わりとして十字架に架かってくださったことに現されています。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(13節)とは、「友よ」と呼びかけてくださる主イエスの真実な愛の姿です(マタイ26章50節)。
神の愛を、神の御大切と表現されることがあります。私たちは、主イエスが大切な御自身の命を十字架で捨ててくださるほどに大切な一人ひとりなのです。ですから、主イエスの真実な愛に応答して生きるのです。

2.大切なことを知らせてくださる  15節
私たちを友と呼んでくださる主イエスは、「父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせ」(15節d)てくださいます。何よりも、友として「選ん」でくださったゆえに、父なる神の御心にかなった実を結ばせ、願いを聞かれ、新しくして遣わして人生を造り上げてくださいます(16節)。このように、主イエスは私たちをこの世から引き抜くようにして選び抜かれたのです。
主イエスの友とされた私たちは、主イエスを友としてひと足、ひと足歩み続けることにより、主イエスの恵みの世界が開かれていくのです(17節)。

礼拝ご案内・行事予定(2022年10月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉がわかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

 

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日) 第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:00
第2礼拝 :AM 10:45 ~ 11:45
第3礼拝 :PM 5:00 ~ 6:00
○成人科プログラム (毎週日曜日) AM9:30 ~ 10:15
楽しい聖書の学び 1階集会室にて
お話は毎回完結します。いつでもお入りください。
2日(日) 第1聖日 世界聖餐日礼拝
「恵みへの招き」
イザヤ書55章1~7節
エレミヤの召し
エレミヤ1:1~10
鎌野 健一
9日(日) 第2聖日 神学校デー礼拝
「信仰による勝利」
ヨシュア記6章1~27節
キリストの名による歩み
使徒3:1~10
増永 茂
16日(日) 第3聖日 礼拝
「解き放たれて」
ヨハネ8章1~11節
ステパノの殉教
使徒7:54~60
鎌野 健一
25日(日) 第4聖日 伝道礼拝・オープンチャペル
「何につながっている?」
ヨハネ15章1~10節
祈りと証し
25日(日) 第5聖日 宗教改革記念日・オープンチャペル
「真実な同伴者キリスト」
ルカ24章13~32節
マケドニヤからの叫び
使徒16:9~10
鎌野 健一

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~11:30、PM 7:00 ~ 8:00

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを神さまに感謝するものです。

10月行事予定

■ 2日(第1聖日)世界聖餐日礼拝 聖餐式 避難訓練
■ 9日(第2聖日)神学校デー礼拝 役員会 10月誕生者祝福
■16日(第3聖日)礼拝
■23日(第4聖日)伝道礼拝 オープンチャペル
■30日(第5聖日)宗教改革記念礼拝 オープンチャペル

11月行事予定

■ 6日(第1聖日)聖徒の日合同記念礼拝 バルナバミッション祈祷会
■ 13日(第2聖日)幼児成長祝福礼拝 役員会 
■ 20日(第3聖日)収穫感謝日礼拝 伝道礼拝 大掃除
■ 27日(第4聖日)第1待降節礼拝 聖餐式 教会学校教師研修会3

聞く力に応じて(2022.9.18)

聖 書

イエスは、このように多くのたとえで、人々の聞く力に応じて御言葉を語られた。(マルコ4章33節)

礼拝音源(31.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ガラテヤ3章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編91編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ7章40~52節
マルコ4章33節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聞く力に応じて」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 57 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちには、主に聞くための恵みの時が与えられています(サムエル上3章9節、イザヤ50章4節)。ここでは、主イエスの招きの御言葉に対して(ヨハネ7章37~38節)、人々に「聞く力」が備えられていたかを問いかけています(マルコ4章33節)。

1.聞き分ける力をもって 40~46節 主イエスの招きの御言葉を聞いた群衆や下役たちの間には、さまざまな反応が起こり、対立をもたらしています。それは、聞き分ける力を失っていた彼らが、どのような心で主イエスを十字架に架けたかを物語っています。 このように、人は、主イエスが語られることに対して受け入れて信じるか、それを拒むかに分かれます。私たちは、主の声と自分の声、主の声とサタンの声、主の声とこの世の声とが区別できる聞き分ける力を失わないようにしたいものです。私たち主の「羊はその声を聞き分ける」(ヨハネ10章3節)のです。

2.聞こうとする力をもって 47~52節 祭司長やファリサイ派の指導者たちは、主イエスに対する偏見と固定観念に支配されて聞こうとせず、群衆を非難し、断罪しています(47~49節)。それに対して、ニコデモは主イエスの御言葉を想起し(ヨハネ3章3~8節)、主に聞こうとしています。 私たちは、聞きすぎているために、新鮮な思いで聞こうとする意欲を、教えられようとする謙虚さを、大切なことをとらえる注意力を失わないで、「わたしにも聞かせてください」(讃美歌21 57)と自らへの語りかけを聞きたいものです。「聞く耳のある者は聞きなさい」(マルコ4章9節)とは、聞こうとする耳です。