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礼拝メッセージ

恵みにあふれて(2023.3.19)

聖 書

しかし、私と私の家は主に仕える。(ヨシュア24章15節b)

礼拝音源(31.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編51編19節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編24編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア24章14~24節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みにあふれて」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 510 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ヨシュアは、告別説教ともいえるメッセージを語っています(23章~24章)。信仰の歩みと戦いが積み重ねられていくなかで、主の臨在に生きる恵みは(1章5節)、何をもたらすのかを指し示しています(24章15節)。

1.信仰の決断を支える恵み
ヨシュアは、「あなたがたが仕えようと思うものを今日、選ぶがよい」と語っています。彼は、信仰において「選ぶ」ということの大切さを強調するのです。ただ、その前提として、主の愛のゆえに選びの恵みがありました(23章14節、申命記7章6~8節)。それは、主イエスが弟子たちを選ばれたことに通じるものです(ヨハネ15章16節)。
先行する主の選びの恵みに対して、人格をもつものとして造られた人間が選ぶという信仰の決断をすることを支えているのは、主の恵みなのです。この霊的センスを養い続けさせていただいていることが大切です。

2.共に仕える恵み
続いてヨシュアが「私と私の家とは主に仕える」と語ったことに対して、民たちは「主に仕え、その声に聞き従います」と応答しています(24節)。そこに至るまで念入りなやりとりがされたのは(16~23節)、民が不従順に陥らないために証言を求めてのことでした(25~28節)。主イエスの御受難を前にしたペトロを想起します(ルカ22章54~62節)。
礼拝は、主に仕える恵みへと導きます。しかも「私と私の家とは」共に主に仕えるところから、仕える恵みがあふれてくるのです。それは、主イエスが明らかされたことであり(マタイ20章28節)、聖徒たちが証しし続けていることです(ローマ15章30~33節)。

恵みの深みへ(2022.3.12)

聖 書

今日もなお、モーセが私を遣わした日のように健やかです。戦いのためであれ、日常の務めであれ、今の私の力は当時と同じです。 (ヨシュア14章11節)

礼拝音源(31.2MB)
※会衆祈祷の音声が途中で途切れております。申し訳ございません。

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ57章15節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編23編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア14章6~15節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みの深みへ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
洗 礼 式 67
賛  美 507 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

モーセの従者ヨシュアと共に歩み労したカレブは、年老いても「健やか」でした。それは、「主が私と共にてくださる」ゆえの前向きかつ積極的な信仰でした(10~12節)。
彼らがいつも主の恵みの約束に立って歩み続けたことは、私たちの歩みでもあります。

1.主の恵みは尽きないゆえに

主が備えておられる恵みは、ヨシュアが年を取っても尽きませんでした(13章1節)。その恵みは、モーセに告げられた約束どおりであり、カレブに対しても同様でした(9節、1章3節)。こうした恵みが尽きないのは、真実な主が責任をもって守り、支え、引き上げてくださるからです(1テサロニケ5章23~24節参照)。
ですからカレブは、主の御言葉の約束に立って、どこまでもその御言葉に聞き従う姿勢を貫いたのです(10節、12節)。

2.主の臨在信仰に立ち続ける
このように、尽きない恵みを自分のものにさせていただくのは、カレブに与えられた信仰に見るように、主に対する全き信仰によります。すなわち、信仰の友をもった信仰であり(6節、民数記14章)、勇気ある信仰であり(7~9節、民数記13章)、御言葉に対する変わらない進取の信仰です(11~12節)。こうした積極的な信仰は、人間的な向こう見ずなどではなく、「主が私と共にいてくださる」(12節)ことが根本にあります。

私たちは、老いてもなお主の臨在信仰に立ち続けるところに「健やか」さがあり、主の助けと備えがあり、道が開かれていくのです。私たち一人ひとりは、老いも若きも遣わされた日のように、今も変わらず壮健でありますように。

生きた信仰(2023.3.5)

聖 書

「ただ一つ知っているのは、目の見えなかった私が、今は見えるということです。」 (ヨハネ9章25節c)

礼拝音源(36.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ55章6,7節b 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編20編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ9章13~41節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「生きた信仰」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
入会式
3月誕生者祝福 コロサイ2章6~7節
賛  美 402 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、神の業の最大の現れである主イエスの十字架による罪の赦しの恵みによって、信仰の目は開かれます。その信仰は、目が見えるようになったこの人と同じように、深められ、生きた信仰となっていきます。

1.恵みの事実に生きる
この人は、目が見えるようになった次第を語っています。そのことが繰り返される中で、彼の主イエスに対する理解は深められていきました(11節、17節、25節、31節、38節)。そして、彼は自分自身が受けた恵みの事実については、確実に「ただ一つ知っている」(25節)と、動揺することもひるむこともなく語っています(30~33節)。そのとき、主イエスがこの人に近づいてくださり、個人的に「あなたは人の子を信じるか」と問いかけられ、「主よ、信じます」と応答したのです(35~38節)。
生きた信仰は、個人的に主イエスの救いの恵みの事実に立って生きるのです。

2.恵みの業を主イエスと一緒に担う
この人は、主イエスを信仰告白した後ただちに「ひれ伏す」礼拝をしたところから、主イエスの救いの恵みが見えてきました(38~39節)。確かに神の業は、主イエスによってなされました。そして主イエスは、それを「私たち」も一緒に担って、その恵みの業が拡げられていくことを願っておられます(4節)。
生きた信仰は、恵みの事実に生きる私たちが、主イエスと一緒に喜びと感謝に満ちて恵みの業を担っていくところに証しされるのです。

苦悩や虚無にさようなら(2023.2.26)

聖 書

イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。
神の業がこの人に現れるためである。」 (ヨハネ9章3節)

礼拝音源(27.9MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 マタイ11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編19編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ9章1~12節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「苦悩や虚無にさようなら」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 446 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、どうしても自分では選ぶことができないことがあります。それは、自分の「生まれ」です。ここに、「生まれつき目の見えない人」が登場していますが(1節)、
生まれつきですから、それを自分で選んでそうなったのではありませんでした。

1.過去に原因探しをしますか
それに対して当時の人たちは、その人が背負う苦悩や虚無が誰のせいなのかと問題にしました。主イエスの弟子たちも問いただしています(2節)。こうした因果応報の考え方は、いつの時代にもありましたし、今なお人の心と思いを支配しています。
しかし、因果応報の考え方は、どんなに人を苦しめているか、不安に陥れているかは、主イエスがよくご存じでした。それが主イエスによって断固断ち切られところで、私たちは生かされるのです(3節)。過去に原因探しをすることから、私たちは主イエスによるとらえ直しをすることが大切です。

2.神の業を信頼し今を生きますか
「世の光」として来られた主イエスは、この人に対する深い愛をもって、不思議な方法で目が見えるようにされました(5~7節)。このように、遣わされて来られた主イエスは、一人ひとりの一番つらいところに愛をもって触れる御業をされるお方です。その極みこそ、主イエスが存在を賭けて成された十字架と復活の御業であり、それに対して私たちが信仰の一歩を踏み出すことが必要なのです(35~39節)。
今も生きておられる主イエスは、神の業が現れる人生を開いてくださいます。私たちにできることは、その神の業に自分を委ねることです。

死に勝利するには(2023.2.19)

聖 書

よくよく言っておく。私の言葉を守るなら、その人は決して死を見ることがない。(ヨハネ8章51節)

礼拝音源(33.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ハバクク2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編17編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ8章48~59節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「死に勝利するには」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 467 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

本箇所は、永遠のイエス・キリストが(ヘブライ13章8節)、どういうお方であるかを明らかにしています。真実な主イエスは、確かな救いを得させてくださるのです(51節、58節)。それに対して、私たちはどういう信仰の歩みをしてくいのでしょうか。

1. 御言葉を重んじ目を注ぐ  48~55節
ユダヤ人たちの高ぶった思いは、心を閉ざし、聞こえなくし、主イエスに対する抵抗の炎を燃やさせました(48、52、53、57、59節)。それに対して主イエスは、御自身と父なる神との深い信頼の関係を明らかにされたのです(49~50節、54~55節)。それゆえに、主イエスは、御自身の御言葉を重んじて目を注ぐように大事にするならば、「決して」永遠の「死を見ることがない」と大胆に主張されました(51節)。
私たちは、主の御言葉を重んじて目を注ぎ続け、死に勝利する信仰の霊的センスを養い続けさせていただくのです。

2.主イエスを生きがいとする  56~59節
ユダヤ人は、真に聖書や神の力を知らないでいました(52~53節、55節a)。ところが、先祖アブラハムは、主イエスの日を見るのを楽しみとし、喜びとし、生きがいとしていました(56節、ヘブライ11章13節)。そのことも理解できないユダヤ人に対して(57節)、主イエスは、永遠から永遠までいつも「私はある」ことを明らかにされたのです(58節)。
主イエスは、今も変わらない同じお方です。私たちは、アブラハムと同じように、十字架と復活の主イエスを楽しみとし、喜びとし、生きがいとすることによって、死に勝利する道がつくられていくのです(詩編68編20~21節)。

主に仕える祝福(2023.2.12)

聖 書

しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある顕現を、あなたがたが広く伝えるためです。(1ペトロ2章9節)

礼拝音源(33.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編16編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア13章8~14節

1ペトロ2章9節

使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「主に仕える祝福」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 390 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

イスラエルの12部族には、カナンの地征服後の土地が分割されました。ただ、神と民との交わりの道をとりなす「祭司」の務めに任じられた「レビ族」には、相続地は与えられませんでした(14節、33節)。彼らは、余念なく主に仕える人々とされたからです。

1.神に選ばれている
レビ族は、最初から祭司として主に仕える人々ではありませんでした。レビが非常に醜いことをしてしまったことにより(創世記34章)、ヤコブから神の祝福を受けることができませんでした(同49章5~7節)。ところが、レビ族が主に忠実に仕えたことにより(出エジプト32章25~29節)、モーセから神の祝福を受けています(申命記33章8~11節)。こ
のようにして、レビ族は神の選びの祭司として用いられるようになったのです。
私たちは、主イエスの救いを信じて従うことを通して、レビ族と同じように神に「選ばれた民」として主に仕える者とされているのです(1ペトロ2章9節)。

2.神のものとされている
レビ族は、相続地は与えられませんでしたが、住むべき町と神殿でのささげ物の動物のための放牧地という最小限必要な土地が与えられました(14章4節)。主に直接仕える彼らは、主御自身が相続地であり、主への感謝をもって受け取ったのでした(詩編16編5~6節)。こうして、彼らの歩みが整えられていったのです。
旧約のレビ人は、新約のキリスト者のひな型です。私たちは、主イエスによる贖いの救いによって「神のもの」とされ、主にとりなし祈り、「広く伝える」ことにより主に仕える使命に与っているのです(1ペトロ2章9節)。これは、キリスト者の特権です。

主のわざにあふれて(2023.2.5)

聖 書

それから、ヨシュアはエバル山にイスラエルの神、主のための祭壇を築いた。(ヨシュア8章30節)

礼拝音源(26.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編100編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編15編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア8章1~2節、30〜35節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「主のわざにあふれて」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
2月誕生者祝福 イザヤ書40章31節
賛  美 536 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ヨシュアたちは、エリコでの大勝利後(6章)、アイにおける敗北を経験し、アカンの罪を除去し立て直しがされました(7章)。さらに、積極的な信仰でもって敵と戦っています(8章)。その勝利の秘訣は、今日の私たちの信仰の戦いのあり方を語っています。

最善を備えて  1~17節
戦いの勝利は主の恵みによるものであったことを忘れてしまっていた民に、主は全力を注いで一つになって敵に当たるように命じています(1~3節)。ヨシュアはそれに応答して、その通りにしています。そのように主のわざに励むなかにも、知恵をいただいて対応しています(4~17節)。

私たちは、信仰のよいスタートをきって歩み始めたその姿勢を、ゴールまで持続する信仰が必要です。信仰者としての経験や知識がプライドとなって、それを妨げることがあります。ですから、やり直す恵みへと招かれるのです(ヨハネの黙示録2章4~5節a)。

2. 初めから、終わりまで  18~35節
ヨシュア率いる全軍は、戦いの最中はもちろん、勝利を収めただけで終わりとしないで、勝ち抜いた後も主に命じられた通りに信仰の姿勢を保ちました。
ヨシュアの戦い方は、アイに向かって投げ槍を差し伸べ続けることでした(18節、26節)。これはモーセ同様に、主に向かい祈り続けることでした(出エジプト17章8~13節)。
さらに、勝利を終えた後に主の御前に礼拝をささげ、献身と感謝の信仰を表明し、御言葉に立ち続けました(30~35節、エフェソ6章14~18節)。
私たちの信仰の戦いは、全力を注いで主のわざにあふれる霊的な営みです。

キリストに属する者(2023.1.29)

聖 書

神から出た者は神の言葉を聞く。(ヨハネ8章47節a)

礼拝音源(29.5MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編14編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ8章39~47節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストに属する者」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 459 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、主イエスへの信仰によって「神によって生まれた」のであり(ヨハネ1章12~13節)、「神から出た者」(46節)すなわち「神に属する者」です。このことを信じて歩む私たちは、どのように新しく造り変えられ続けていくのでしょうか。

1.キリストを愛し続ける  42節
「アブラハムの子」であるユダヤ人は、この時「罪の奴隷」(34~35節)であり、悪魔の「偽り」の誘惑によって主イエスを「殺そう」としていました(39~41節、44節)。
それに対して、主イエスを遣わしてくださった神を父と呼ぶ者は、主イエスを愛する者たちでした(42節)。しかも、神から生まれた者は、同じように神から生まれた者たちを愛するのです(1ヨハネ5章1~2節)。キリストに属する者たちの群れである教会は、主イエスを愛し、兄弟姉妹を愛することを使命とするのです。

2.主の御言葉に聞き従い続ける  47節
主イエスを愛することは、主イエスが語られる言葉が分かるのです(43節)。それは、主イエスが語られることに、耳を傾けて聞こうとするからです。しかし、主イエスを愛することができないでいると、主イエスが神から示された真理を語っておられるので、主イエスを信じようとしないで心を閉ざすのです(45~46節)。
ですから、「神から出た者は神の言葉を聞く」のです(47節)。そして、「神から出た者」が語ることに耳を傾けるのです(1ヨハネ4章6節)。主イエスは、今も愛と忍耐をもって語り続けておられます。私たちは、それに応答して、聞き分ける力、聞こうとする力が大切なのです。

自由への招き(2023.1.22)

聖 書

「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする。」(ヨハネ8章32節)

礼拝音源(29.5MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 2コリント5章17節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編8編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ8章31~38節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「自由への招き」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 432 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

人間は真理を探究することによって、無知や偏見や迷信と言った不自由さから解放されてきました。それでは、「真理はあなたがたを自由にする」(32節)と語られた主イエスは、どのような自由へと招かれるのでしょうか。

1.真の自由はここに 32~36節
私たちは、政治的・社会的・経済的自由を経験するようになりました。しかし、人間は、人を愛する自由、赦す自由といったことに対しては不自由さの中に閉じ込められています。神に選ばれたアブラハムの子孫は、偶像と悪意の「罪の奴隷」となっていました(33節、37節)。私たちも同様に、罪の習慣の中にあって「罪の奴隷」状態です(34節)。
しかし、主イエスの十字架と復活によって、ビクビクしながら生きていく罪の奴隷から解放されて自由となり、親のふところに抱かれた幼子のように神の子どもとされて自由に神に近づく者となるのです(35~36節)。

2.真の自由を得るには 30~31節、37節
ところで、「多くの人がイエスを信じた」(30節)のですが、それは一時的なものであり、そこには主イエスを殺そうとする思いが潜んでいて(37節)、主イエスを信頼して歩んでいこうというものではありませんでした。ですから、主の御言葉に「とどまる」、主イエスに学び続ける「弟子」として歩み出す(31節)、主イエスの御言葉を全く信頼して受け入れていることが必要なのです(37節)。
一人ひとりは、主イエスの救いの御業とその約束の御言葉の中に救いのすべてがあることを信じ自らを任せた時に、「本当に自由になる」のです(34節)。

聖なる者となる(2023.1.15)

聖 書

直ちにこの民を清め、言いなさい。あなたがたは、明日に備えて身を清めなさい。(ヨシュア7章13節ab)

礼拝音源(29.3MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨシュア1章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編4編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ40章27~31節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聖なる者となる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 521 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主なる神は、イスラエルの民に救いの恵みを成された時から(出エジプト12章2節、16節)、彼らと常に「共におられ」、信仰の戦いに勝利する「聖なる者」として導かれました(レビ11章45節、ヨシュア1章5~6節)。ここでは、不信仰との戦いがあります。

1.敗北がもたらすもの  1~12節
民たちは、エリコでの大勝利を経験しましたが、続くアイでは思わぬ敗北をしました(2~5節)。そこには、彼らが「主」の前に出ている姿勢が見られません。主の導きに従う信仰が必要だったのです。
そこでヨシュアは、主の前にひれ伏し、深い悔い改めの祈りをしました(6~9節)。それに対して、主はヨシュアを責めることなく、「立ちなさい」との御声をかけられたのです(10節)。こうしたことを通して、主が共におられることを確信するに至っています(11~12節)。ここに、敗北の中に一筋の光が射し込んできた恵みがあります。

2.真の勝利がもたらすもの  13~26節
直ちにヨシュアは、民が身を清め、敗北の原因であるものを取り除くことを命じています(13~15節)。そして彼は、御言葉から離れたアカンの罪を指摘し(6章18節)、かたくな心を悔い改めへと導きました(16~21節)。主は、一人ひとりの魂に御言葉の光を注いで探られます(創世記3章1~8節、詩編119編9節、11節)。このようにして、アカンの罪が取り除かれるまでは、勝利を与えられませんでした(22~26節)。
私たちは、主イエスの十字架に贖いのゆえに「聖なる者」とされたのですから、罪から離れ、汚れからは清められ続ける必要があるのです。

主を待ち望む(2023.1.8)

聖 書

しかし、主を待ち望む者は新たな力を得 鷲のように翼を広げて舞い上がる。走っても弱ることがなく歩いても疲れることはない。 (イザヤ40章31節)

礼拝音源(31.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ43章18~19節ab 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編2編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ40章27~31節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「主を待ち望む」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
1月誕生者祝福 2コリント4章16節
賛  美 474 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

イザヤ書は、過去から将来にわたる神の救いをパノラマのように展開しています。そこでイザヤは、神の民に呼びかけ、神からの希望のメッセージを告げているのです。ここでは「主を待ち望む」とはどういうことなのかを語っています。

1.永遠の神の慰めによって
神の民たちは、先の見通しが立たない重苦しい状況に置かれると、神への信仰は鈍ってきたり、信頼を失ってしまったり、捨ててしまう人々が起こってきました(27節)。
それに対して神はイザヤを通して、「慰めよ、慰めよ、私の民を」(40章1節)と、罪を悲しみ、悔い改めて救われるようにと語られたのです(マタイ5章4節、ルカ2章25~32節参照)。その慰めは、解放者の慰め(40章2~5節)、羊飼いのような慰め(同6~11節)、創造者の慰め(同12~26節)、永遠の神の慰め(同27~31節)です。
今も変わることのない主イエスの十字架と復活による救いこそが、私たちの揺るがない希望の根拠です(2コリント1章5節、9~10節参照)。

2.絶えず新たにされていく
神は、疲れ果てた者に力を与え、弱り果てた者を引き起こしてくださいます(28~29節)。そして、生まれつきの力や若さが失われても(30節)、「主を待ち望む者は新たな力を得」ることができます(31節)。永遠の神は、私たちを造り直し、造り変えてくださる再創造者なのです。
私たちは神の前に開かれた心をもって、神のもとにひれ伏すならば、永遠の神によって新しくされ続け、力を与えられ、真の慰めを知るのです。信仰の翼を広げましょう!

新しい始まり(2023.1.1)

聖 書

見よ、私は新しいことを行う。今や、それは起ころうとしている。あなたがたはそれを知らないのか。
確かに、私は荒れ野に道を 荒れ地に川を置く。(イザヤ43章19節)

礼拝音源(29.9MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編96編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編1編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ43章18~21節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「新しい始まり」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 368 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

 旧約聖書に登場する預言者たちは、主の慈しみと憐れみと真実に揺るぎない確信を見いだし(哀歌3章22~23節)、主が絶えず「新しい」御業を成されることを期待しつつ語っています(19節)。そのことは、主イエスの救いへの揺るがない確信へと導かれます。
1.「これまで」の主の恵みを忘れないで
 イザヤは、慈しみと憐れみと真実の主こそが、創造主(21節)、贖い主(14節)、イスラエルの聖なる方(14節)、救い主(3節)と証言しています。
神の民は、かつてこの主によって出エジプトに見る神の救いを経験しました。ところが、彼らはいつの間にか、その救いの御業を忘れて主に対する信頼を失い、過去の栄光の上にあぐらをかいていました。そこで、先にあったかつての出エジプトの救いを忘れないで、かつ主が新しい御業を成してくださることに応答するように勧めているのです(18~19節)。それは私たちの主イエスの救いの恵みに生きることにおいても同様です。

2.「これから」の主の恵みに期待して
 続いて主は「今や、それは起ころうとしている」(19節b)と語られ、主の新しい御業に対して期待を持つように、主への信頼を促しておられます。「新しいこと」とは、歴史的にはバビロン捕囚からのペルシャによる解放を(44章28節~45章1節)、預言的には罪と死の支配下にある人類の救いを成し遂げられた主イエスの救いを預言しています。
 私たちは、過去の経験に立てこもって主の御業を限定するのではなく、主が成し遂げられる新しい御業を期待しながら、主に従っていくのです。そのようにして、新しい始まりを見る信仰につなげていくのです。

主は来ませり(2022.12.25)

聖 書

初子の男子を産み、産着にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる所がなかったからである。(ルカ2章7節)

礼拝音源(31.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編98編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ2章1~20節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「主は来ませり」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
洗 礼 式 67
賛  美 268 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスの降誕の出来事が、世界史的な出来事の中に位置づけられています(1~3節)。「すべての民に与えられる大きな喜び」(10節)の知らせだったからです。主イエスこそが、歴史の中心、すべてのものの中心、私たちの中心なのです。

1.へりくだって救い主を見る  1~7節
神の御子の誕生を迎えた地上での最初の場所が「飼い葉桶」でした(7節)。これほどまでに、主イエスは貧しい者の姿をとって来てくださり、私たちの救いを成し遂げられたのです。
このように「飼い葉桶」に寝かされている幼子を「救い主」として明らかにすることにより、私たちの「心の飼い葉桶」のような頑なな心を砕き、閉じた目を開かせ、驚くべき救いに目を注ぐように促しておられます。私たちは、へりくだって悔い改め、救い主を仰ぎ見るのです。ここに、クリスマスを祝う幸いがあります。

2.喜びの知らせを受け取る  8~20節
救い主の降誕の出来事から最も遠いところにいると見られていた羊飼いのもとに、「救い主」の誕生という福音が告げられました(10~12節)。それにより、天での栄光が地での平和に結び合わされる喜びの賛美となりました(13~14節)。
「今日」(11節)は神の救いが起こる「今日」であり(ルカ19章9~10節、23章43節)、私たち一人ひとりが受け取らなければならないものです。そこから、礼拝の人生また主への賛美の人生という新しい日常が始まります(15節、20節)。十字架にお架かりくださった「救い主」が、「飼い葉桶」の中に降誕されたのですから(7節、12節、16節)。

仰ぎ見よう(2022.12.18)

聖 書

地の果てのすべての者よ 私を仰ぎ、救われよ。私は神、ほかにはいない。(イザヤ45章22節)

礼拝音源(26.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 テトス2章11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編113編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ45章22~25節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「仰ぎ見よう」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 441 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神は、御自身の民の歴史を通して、「私は神、ほかにはいない」と繰り返し語られています。その神に近づき(20節)、神に聞き(21節)、神を仰ぐように(22節)勧められます。
このように神に向き合う私たちの姿勢は、今も変わることがありません。
1. 神は、「地の果てのすべての者よ」と招いておられます(22節)。確かに神は、ユダヤ人たちを特別に神の民として選ばれ、アブラハムを祝福の基とされ、出エジプトによる神の救いをなし、バビロン捕囚からの回復の御業をなされました。しかし、この神の好意ある招きは、異邦人にも及んだのです。
そして神の御子の降誕に際して、羊飼いたちに語られたメッセージに(ルカ2章10~11節)、老人シメオンが賛美したこと(同2章30~32節)などにも証しされています。クリスマスは、神が罪に堕落したすべての人を信頼された出来事なのです(ヨハネ1章9節)。

2.神に目を転じるのは「あなた」である
イザヤ書が語る信仰は、神に自分自身を安んじて任せることです(7章7節、30章15節)。ここでは、そのことを「仰ぎ」見ると語ります。仰ぐとは、目を転じることであり、今まで見ていたものから、目を転じて神を見ることです。
最初の人アダムとエバは、罪を犯した途端に、神を仰ぎ見ることができなくなりました(創世記3章8節)。目を転じて十字架上の主イエスを仰いだ犯罪人は、永遠の救いに与りました(ルカ23章42~43節)。
信仰とは、仰ぎ見ることです。仰ぎ見る日々の連続が、仰ぎ見る生涯となるのです。

望んで待つ(2022.12.11)

聖 書

一人のみどりごが私たちのために生まれた。
一人の男の子が私たちに与えられた。主権がその肩にあり、その名は
「驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザヤ9章5節)

礼拝音源(33.2MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 1テモテ1章15節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編146編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ8章23節~9章6節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「望んで待つ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 247 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

クリスマスは、歴史の悲惨、社会の悲痛、人類の失敗、人間の罪がもたらす苦悩と言ったうめき苦しむ人間に対して、神の御業が現わされた出来事です。それによって、私たちに与えられている希望とは何かを明らかされたのでした。
1.希望の先取り  8章23節~9章4節
アッスリアによって崩壊させられた北イスラエルにあった「異邦人のガリラヤ」は、ユダヤの中心からみても辺境の地であり、人々が恐れと不安に包まれ、希望を抱くことのできない暗黒の地でした(8章22節)。「しかし」闇と死の支配にあったガリラヤの人々は、大いなる光を見、その上に光が輝き、喜び躍り、勝利を得たのです。
同様な出来事は、今日にいたるまで歴史の中に働かれた神の御業として現れ、罪と死の支配にあった私たちに及んだ神の救いの御業です(マタイ4章14~17節)。幸いな人は、この神に望みを置き(詩編146編5節)、希望の先取りをする人です。

2.希望の実現  9章5節~6節
「私たちのために生まれた」「私たちに与えられた」幼子は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」として主権をお持ちの神であり、救い主イエス・キリストにおいて実現したのです(5節)。この救い主こそが、変わることのなく全存在をかけて一人ひとりに熱情を注ぎ、その十字架の御業を通して、私たちの不安や恐れそして罪と死の闇の力から解き放ってくださいました(6節)。
この事実の前に、私たちの悔い改めは深まり、主イエスへの信頼と従順も深まっていきます。ですから私たちは、回心の深まりを経験することが求められています。