聖書
言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します。(2コリント 9:15)
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ 3:16)
礼拝音源(22.9MB)
20201224
言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します。(2コリント 9:15)
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ 3:16)
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20201224
わたしはこの目であなたの救いを見たからです。(ルカ2章30節)
礼拝音源(29.4MB)
前 奏 | ||
招 詞 | ヨハネ3章16節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 一同起立 | |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交読詩編 | 98編1~9節 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | ルカ2章25~35節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一同起立 |
賛 美 | 247 | 一同起立 |
牧会祈祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
宣 教 | 「救い主イエスを抱いて」 | 川原﨑晃主管牧師 |
祈 祷 | ||
賛 美 | 268 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
私たちは、一生を決定する救い主イエスとの出会いを大切にしたいものです。主イエスもまた、その出会いを大切にしてくださいます。ここに、シメオンが、幼子イエスをしっかりと抱くことによって、その出会いをしています(28節)。
1.神の慰めを見る 25~32節
普通人は、穏やかで柔和な思いを持って幼子を抱きます。シメオンは同じような思いを持って幼子イエスを抱き、「イスラエルの慰められることを待ち望み」つつ、聖霊の導きをいただいて幼子イエスと出会いました (25~28節)。
その出会いが、シメオンの賛歌を生み出したのです。彼は、神の救いを見たことが、神の慰めをもたらしたと語っています。人は誰であっても、自分の罪深さに悲しみ、罪を悔いて神の救いの恵みを信じるならば、神の慰めが訪れるのです(29~32節。イザヤ書40章1節とマタイ5章4節)。これ以上の救いはないし、これ以上の慰めはありません。
2.救い主の十字架を通して見る 33~35節
シメオンは同時に、救い主イエスの十字架を見ていました。救い主イエスは、すべての人を御腕に抱くようにして一切の罪を引き受けられ、神の前にその身代わりとなって十字架で死なれたことを預言しています。それは、母マリアが心を剣で刺し貫かれるような痛みを経験することだと語ります(ヨハネ19章23~27節)。このように、シメオンは、救い主イエスの十字架を通して、神の救いと慰めを見ていたのです。
同様に私たちは、十字架の主イエスの愛の御腕に抱かれ、罪の記憶を十字架によって赦された恵みの記憶に変えていただき、安んじるのです。
身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう(ルカ1章48節)
礼拝音源(24.74MB)
前 奏 | ||
招 詞 | テトス2章11節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 一同起立 | |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交読詩編 | 113編1~9節 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | ルカ1章46~55節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一同起立 |
賛 美 | 248 | 一同起立 |
牧会祈祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
宣 教 | 「かえりみてくださる神」 | 川原﨑晃主管牧師 |
祈 祷 | ||
賛 美 | 268 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
マリアは、主が「この主のはしためにも目を留めてくださった(かえりみてくださった)」と語っています(48節)。それに対してマリアは、「わたしの魂は主をあがめ」(46節)、主が「わたしに偉大なことをなさいました」(49節)と賛美しています。
1.主は偉大な御業をなされた 48~55節
神から受胎告知を受けたマリアは、神が語られて御言葉をてがかりに主を信頼し、主の御言葉に固く立ちました(38節)。そして、彼女はその大きな神の御業がなされたことに感嘆しました(48~49節)。
そればかりか、主を畏れる神の民に対して、神の救いの御業を進められてきたことを証ししています(50~55節)。
同様に私たち一人ひとりをかえりみてくださる主イエスは、十字架と復活を通して大いなる救いの御業を成し遂げてくださったのです。
2.主をあがめる 46~47節
それゆえにマリアは、「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」と、全存在・全人格・全生涯をもつて主を讃えています。それは、主なる神を大きなお方として、神を畏れ、信頼し、礼拝するということです。そのように生きたパウロは、「私の身によってキリストが公然とあがめられるように」(フィリピ1章20節)と証ししています。
今も私たちは、主をあがめ讃える時に、賛美したとおりに生きているかと、賛美の戦いを覚えます。かえりみてくださる主のみが大いなるものとされますように。
これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。(ルカ1章78~79節)
礼拝音源(31.65MB)
前 奏 | ||
招 詞 | マルコ1章15節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 一同起立 | |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交読詩編 | 130編1~8節 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | ルカ1章67~79節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一同起立 |
賛 美 | 54 | 一同起立 |
牧会祈祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
宣 教 | 「神の憐れみは尽きない」 | 川原﨑晃主管牧師 |
祈 祷 | ||
聖 餐 式 | 新49 | |
12月誕生者祝福 | イザヤ書60章1節 | |
賛 美 | 268 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
主イエスのご降誕にまつわる出来事には、「神の憐れみ」が響きわたっています。ザカリアは、救い主が遣わされることを賛美し(67節~75節)、洗礼者ヨハネと救い主の働きに対して賛美しています(76節~79節)。ここにも「神の憐れみ」が溢れています。
1.顧み、訪ねてくださる
「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し」と、アブラハムから出エジプト、ダビデを通してイエス・キリストに至る歴史の中で、神がどんなに神の民を顧みていてくださるかを語り、賛美しています(67節~73節a)。
そのように、憐れみの神は、神の民を忘れないで顧みてくださり「訪れて」くださいました。憐れみの主イエスは、同じように私たち一人ひとりを顧み、訪れてくださいました(78節)。今、この事実に信仰の眼を開いていただきましょう。そして、主に仕える者として、人々を訪れる者にしていただきましょう(73節b~75節)。
2.罪の赦しによる救いを与えてくださる
さらに、憐れみの主イエスは、「我らの歩みを平和に導く」(79節)お方です。この「平和(平安・勝利・救い)」を得るためには、救い主イエスの十字架による「罪の赦しによる救い」に与ることが必要です。
一人ひとりが罪の赦しの救いに与ってこそ、「神は我々と共におられる」との恵みの日々を歩み続けることができるのです(マタイ1章21~23節)。この罪の赦しの救いに与っている「憐みの手本(見本)」であるとは、何と幸いなことでしょう(1テモテ1章15~16節)。
「彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」(ルカ24章52~53節)
礼拝音源(26.2MB)
前 奏 | ||
招 詞 | 詩編24編9~10節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交読詩編 | 96編1~13節 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | ルカ24章44~53節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一同起立 |
賛 美 | 236 | 一同起立 |
牧会祈祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
宣 教 | 「喜びを抱いて待つ」 | 川原﨑晃主管牧師 |
祈 祷 | ||
賛 美 | 409 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
待降節は、救い主イエスの降誕を祝う備えをさせていただき、また再び来臨される主イエスを迎える備えをさせていただく時です。ここに語られている昇天される直前の主イエスの言動は、再臨の主イエスを待望する者の歩みを明らかにしています。
1.祝福がともなった喜びを抱いて 50~53節
ここには、良い言葉が溢れています。主イエスが良い言葉を語ってくださると、それは「祝福」となりました。そして、主の弟子たちが神に向かって良い言葉を語ると、「神をほめたたえていた」とある賛美する言葉となりました。
主の弟子たちは、礼拝をささげた後で「大喜びで」エルサレムに帰りました。その喜びは、主イエスの降誕に際してすべての人に届けられた喜びと同じです(ルカ2章10節)。
私たちは、「絶えず」主イエスの祝福に与り続け、神をほめたたえ続けて主の再臨を待ち望むのです。
2.聖霊による喜びを抱いて 44~49節
昇天された主イエスは、地上におられた時の御業を継続されました。そのために、すべての人に悔い改めと罪の赦しの福音を宣べ伝える人を用いようとされましたが、主の弟子たちはその重責を担い切ることができませんでした。そこで、彼らが聖霊に満たされて主の証人にされることによって進められたのです。その御業は、多くの主の証人によって今日にまで至っています。
福音に与るひとりの人が起こされることは、神の「大きな喜び」です(ルカ15章1~7節)。福音を宣べ伝えて神と同じ喜びに与るのが、主の再臨を待ち望む主の証人です。
「しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」(マルコ3章29節)
礼拝音源(26.1MB)
前 奏 | ||
招 詞 | ヨハネ12章24節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交読詩編 | 126編1~6節 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | マルコ3章20~30節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一同起立 |
賛 美 | 17 | 一同起立 |
牧会祈祷 | 石﨑善土伝道師 | |
宣 教 | 「普通におかしい非難」 | 石﨑善土伝道師 |
祈 祷 | ||
賛 美 | 54 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
1.普通に考えておかしい非難
イエスは山で十二人の使徒を選び、弟子達と共に家に帰って来ました。すると、再び群衆が集まって来ました。その中には、エルサレムから来たファリサイ派の律法学者たちがいました。彼らはユダヤ教の指導者でしたが、イエスが悪霊を追い出しているのを見て、「ベルゼブル(悪霊の頭)の力で悪霊を追い出している」(22)と非難しました。
イエスはその非難に対し、「サタンがサタンを追い出しているなら、悪霊は内輪で争っている事になり、立ち行かなくなる。」(23,24)と、普通に考えればその非難はおかしいと、応答しました。彼らの非難には根拠がなく、以前にイエスに非難された事(3:1~6)に腹を立て、思い込みや憎しみから出たものでした。
2.聖霊を冒涜する者は永遠に赦されない
イエスは聖霊により悪霊を追い出していました。また、人は聖霊により救われます。神を信頼し、自分の罪を悔い改め、イエスの十字架が自分の身代わりであったと信じる事は聖霊の働きによります。(1コリント12:3) そして救われる時、人が犯した罪や神に対して言ったどんな冒涜の言葉も、すべて赦され(28)ます。
悪霊の追い出しが聖霊の働きではないとすることは、聖霊を否定して冒涜する事です。それは、聖霊の働きによる救いを拒否することになります。その結果、「永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」(29)ことになります。
律法学者たちは、自分の考えにとらわれ保身に走り、イエスが全ての人に与えようとしている永遠の救いを受取る事ができませんでした。あなたはどう応えるでしょうか。
一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。(ルカ24章30節)
礼拝音源(27.1MB)
前 奏 | ||
招 詞 | 詩編118編23~24節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交読詩編 | 91編1~16節 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | ルカ24章28~43節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一同起立 |
賛 美 | 120 | 一同起立 |
牧会祈祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
宣 教 | 「共に食されるキリスト」 | 川原﨑晃主管牧師 |
祈 祷 | ||
賛 美 | 218 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
二人の弟子たちと「一緒に歩き始められた」主イエスは(15節)、なお先に進み行かれました(28節)。そして、彼らの「一緒にお泊りください」との求めに答えて「イエスは共に泊ま」られ(29節)、「一緒に食事の席に着」かれたのです(30節)。
1.主は、共に交わってくださいます
主イエスは、エマオで二人の弟子と共に食され(30節)、エルサレムでは彼らの仲間たちの前で食されています(42~43節)。これは、主イエスの復活が、日々の日常生活のなかでの出来事であることを表し、その中で復活信仰に生きることを明らかにしています。
主イエスと共に食することは、主の祝福の交わりのなかに身を置くことであり、それを通して感謝の祈りが生まれてきます。私たちは、日常生活でさまざまな経験をしますが、そこで生きた復活信仰に生きるのです。
2.主よ、共にとどまってください
心が燃え始めていた二人の弟子は、「一緒にお泊りください」と、主イエスを「無理に引き止め」ました(29節)。そうすることは、主イエスご自身と御言葉とその愛にとどまることを意味しています(ヨハネ15章5節、7節、9節)。ですから私たちは、自分自身の全存在をもって、日々の歩みにおいて、「主よ、ともに宿りませ」(讃美歌21 218番)と賛美しつつ歩むのです。
二人の弟子が、明るい日中に暗い思いで歩いた道を、暗い夜中に光輝く思いで走り帰りました。それは、復活信仰に生きる信仰者と教会の姿です。
話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。(ルカ24章15節)
礼拝音源(29.3MB)
前 奏 | ||
招 詞 | ヨシュア1章5節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交読詩編 | 127編1~5節 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | ルカ24章13~27節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一同起立 |
賛 美 | 532 | 一同起立 |
牧会祈祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
宣 教 | 「共に歩まれるキリスト」 | 川原﨑晃主管牧師 |
祈 祷 | ||
幼児成長祝福式 | マタイ28章20節b | |
賛 美 | 532 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
あらゆる世代が共に生きていく教会であるためには、一人ひとりが主イエスと共に生きていることが大切です。そのために、復活の主イエスは、今も変わらずに何をしていてくださるのでしょうか。
1.今も共に歩んでくださる
エマオに向かって歩いていた二人の弟子は、十字架に死なれた主イエスに対する望みが挫かれ、魂は傷ついていました。また、主イエスが復活されたと聞いても理解できず、主イエスが分からない状態でいました。主イエスは、そのように目が遮られていた彼らに近づき、一つのかたまりのようになって一緒に歩まれたのです(15節)。
私たちは、二人の弟子のように主イエスが分からなくなる時があります。そのような時にも変わらずに、復活されて今も生きておられる主イエスは、あなたと共に歩みたいと招かれていますし、あなたと共に歩んでおられます。
2.今も共に語り合っていてくださる
共に歩まれる復活の主イエスは、ご自身の十字架の受難と復活を中心にして聖書全体を説き明かすことにより、二人の弟子の信仰を確かなものにしようとされました(25~27節)。彼らは、主イエスが共に語り合ってくださるなかから御言葉を聞き、心の燃える経験をしたと述懐しています(32節)。
今、私たち一人ひとりと教会は、様々な状況下で聖書の御言葉によって信仰を持たせていただき、保たせていただいています。今も共に歩み続けてくださる主イエスは、御言葉を語り続け、共に語り合ってくださっているからです。
従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。(ローマ14章8節b)
礼拝音源(26.3MB)
前 奏 | ||
招 詞 | イザヤ43章1節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交読詩編 | 90編1~17節 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | ローマ14章7~9節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一同起立 |
賛 美 | 493 | 一同起立 |
牧会祈祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
宣 教 | 「わたしたちは主のもの」 | 川原﨑晃主管牧師 |
祈 祷 | ||
11月誕生者祝福 | エレミヤ記29章11節 | |
賛 美 | 459 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
「聖徒の日」は、すでに地上の歩みを終えて天に召された方々のことを記念し、私たち自身の地上の歩みにも終わりがあることを覚えて備えをさせていただく時です。
ここにパウロは、神が語られる死生観に対する信仰を明らかにしています(8節)。
1.ここに慰めがある
聖書は、「生きるか死ぬか」ではなく、「生きるにしても、死ぬにしても」と問いかけています。そして、どちらにせよ「わたしたちは主のものです」と語っています(8節b)。そのために、キリストは十字架に死に、復活されて生きたものとなることによって、キリストご自身が「主」となってくださったのです(9節)。
わたしたち一人ひとりは、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしのものではなく、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることが、ただ一つの慰めです。キリストこそが、罪と死の恐れのとりこから解き放ってくださったからです。
2.この慰めの中で喜びが満ちる
キリストのものとされた者は、ただ一つの慰めの中で「主のために生き」「主のために死ぬ」のです(7節~8節a)。このような死生観をもった信仰は、特定の日を重んじることや食することなど、全てにおいて「主のために」生きることに通じます(6節)。働く者は主のために働き、家事をする者は主のために家事をし、学ぶ者は主のために学び、伝道する者は主のために伝道するのです。
私たちは、キリストの救いの慰めをいただいているので、喜びに満ちて主のために生き、主のために死ぬ生き方をするのです。
主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。(ルカ7章13節)
礼拝音源(25.9MB)
前 奏 | ||
招 詞 | マルコ1章15節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交読詩編 | 46編1~12節 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | ルカ7章11~17節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一同起立 |
賛 美 | 155 | 一同起立 |
牧会祈祷 | 石﨑善土伝道師 | |
宣 教 | 「オワコンにワンチャン」 | 石﨑善土伝道師 |
祈 祷 | ||
賛 美 | 474 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
1. 題の解説
オワコンとは、終わったコンテンツの略称です。コンテンツとは小説や映画などの内容のことで、ここでは人生のことです。ワンチャンとは、元々は英語で、もう一回(ワン)チャンスがある。という事です。スポーツでピンチになったときに、励ますときに使っていたのが元のようです。
2.一人息子を無くす悲しみ
ある母親の一人息子が死にました。家族、特に若い年齢の家族が負傷したり、亡くなったりすることは大変な悲しみです。亡くなって間がない葬儀のときには、将来の心配をするどころではなく、なぜこうなってしまったのか、回避する事はできなかったのかと悲しみが満ち溢れているでしょう。その悲しみを知り、イエスも父なる神も放っておく事はできませんでした。なぜなら、イエスは一人息子として十字架の死に向かっていました。一人息子を亡くすことは、他人ごとではなかったからです。
3.悲しみをわかって下さる主
この世に命をもって生まれてきたものは、誰でも死を迎えます。死は私達が避けて通ることのできない、人生最大のオワコンです。この悲しみをわかってくださる主は、私たちに救いの手を差し伸べ、もう一度命を与えて下さいます。その力がイエスにある事を証明しているのが、一人息子を起き上がらせた事に他なりません。私達の人生は、死でオワコンではありません。主と共に歩むものには、いつでもワンチャンがあります。
礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉がわかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。
◎ 主日礼拝 (毎週日曜日) 第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:00 第2礼拝 :AM 10:45 ~ 11:45 第3礼拝 :PM 5:00 ~ 6:00 |
○成人科プログラム (毎週日曜日) AM9:30 ~ 10:15 楽しい聖書の学び 1階集会室にて お話は毎回完結します。 いつでもお入りください。 |
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1日(日) | 第1聖日 聖徒の日合同記念礼拝 「わたしたちは主のもの」 ローマ14:7~9 |
幼子のような信仰 マルコ10:13~16 鎌野 健一 |
8日(日) | 第2聖日 幼児成長祝福礼拝 「共に歩まれるキリスト」 ルカ24:13~27 |
仕える生き方 マルコ10:35~45 山崎 勝 |
15日(日) | 第3聖日 礼拝 「共に食されるキリスト」 ルカ24:28~43 |
切なる信仰 マルコ10:46~52 増永 茂 |
22日(日) | 第4聖日 収穫感謝日・伝道礼拝 「普通におかしい非難」 マルコ3:20~30 |
祈りと証し |
29日(日) | 第5聖日 特別礼拝 「喜びを抱いて待つ」 ルカ24:44~53 |
預言されたメシヤ誕生 イザヤ9:1~17 鎌野 健一 |
祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを神さまに感謝するものです。
■ 1日(第1聖日)聖徒の日合同記念礼拝 11月誕生者祝福
■ 8日(第2聖日)幼児成長祝福礼拝 役員会
■ 15日(第3聖日)礼拝 教会学校教師研修会3
■ 22日(第4聖日)収穫感謝日・伝道礼拝 大掃除
■ 29日(第5聖日)第1待降節礼拝
■ 6日(第1聖日)第2待降節礼拝 聖餐式 12月誕生者祝福 エノク会
■ 13日(第2聖日)第3待降節礼拝 中央教会学校クリスマス礼拝
■ 20日(第3聖日)クリスマス感謝・伝道礼拝 洗礼式 教会学校クリスマス合同礼拝
■ 27日(第4聖日)年末感謝礼拝
こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。(フィリピ2章 10~11節)
礼拝音源(30.8MB)
前 奏 | ||
招 詞 | ヨハネ16章13節a | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交読詩編 | 119編9~16節 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | フィリピ2章1~11節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一同起立 |
賛 美 | 358 | 一同起立 |
牧会祈祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
宣 教 | 「信仰を告白するということ」 | 金井由嗣師 |
祈 祷 | ||
賛 美 | 411 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
「イエス(・キリスト)は主です」と声を合わせて言い表す告白(ホモロギア)は、初代教会におけるもっとも重要な信仰の表明でした(ローマ10章9節、1コリント12章3節参照)。この告白にはどのような意味があったのでしょうか。
1.イエス・キリストは唯一の主です
新約聖書の時代、ローマ帝国は武力で平和と繁栄をもたらした皇帝を「主」(「キュリオス・カエサル」)と呼んで礼拝することを全ての市民と公職者に求めていました。しかしキリスト者は、力による平和ではなくキリストがもたらす真の平和を追い求め、皇帝礼拝を拒否しました。それは文字通り命をかけた告白でした。
2.全被造物が加わる告白です
神様の救いのご計画は、終わりの日に霊的存在も含めた「すべての」被造物が「イエス・キリストは主である」と告白することを目指して今も進んでいます。私たちキリスト者はその初穂として、先に救われ、信仰を告白します。個人の信仰告白が共同体(教会)の共通の告白、さらに被造物全体の告白へと広がっていくのです。
3.「しもべ」となってくださったお方を「主」と告白します
イエス様は力で征服するのではなく、「僕の身分」になり、「十字架の死に至るまで」神様の御心に従われました。そのイエス様を、父なる神が「主」として高く引き上げてくださったのです。イエス様を「主」と告白するキリスト者は、自らも「しもべ」として生きるように召されています。まず教会の交わりの中で、次に遣わされて生きる場所で、隣人に仕えつつ真の「主」を告白し、証して生きるのです。
「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。」(ルカ24章6節)
礼拝音源(25.5MB)
前 奏 | ||
招 詞 | マタイ16章24節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交読詩編 | 84編1~13節 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | ルカ24章1~12節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一同起立 |
賛 美 | 11 | 一同起立 |
牧会祈祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
宣 教 | 「キリストは生きておられる」 | 川原﨑晃主管牧師 |
祈 祷 | ||
賛 美 | 513 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
主イエスが墓の中に「おられない。復活なさった」ということは(6節)、主イエスはどこにでもおられ、今ここに生きておられるということです。主イエスが復活されたという事実に対して、私たちはどういうあり方であればよいのでしょうか。
1. 思い出しなさい
最初に墓に行った婦人たちは、主イエスのご遺体がないことに途方に暮れていたとき、主の使いから「まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい」と聞かされ(6節)、それを弟子たちにも伝えました。思い出すことは、主イエスが十字架に架けられ、復活されるという出来事でした(7節、ルカ9章22節)。
私たちは、御言葉が解き明かされる時に、聖餐に与る時に(1コリント11章24~25節)、主イエスの十字架と復活によって、罪と死のとりことなっていたところから解き放たれたことを、思い当たることとして、繰り返し思い出すのです。
2.お会いしなさい
マタイによる福音書における並行記事で、復活の主イエスは、「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる」(マタイ28章7節、10節参照)と語られました。ガリラヤは、弟子たちが最初に主イエスに出会い、主イエスに従った場所です(ルカ5章1~11節)。弟子たちは、そのガリラヤで復活の主イエスにお会いし、再献身するように招かれたのです。
私たちを信仰の原点に立ち帰らせてくださり、信仰の歩みに変革をもたらしてくださるのは、今も生きておられる復活の主イエスです。
恵みが、変わらぬ愛をもってわたしたちの主イエス・キリストを愛する、すべての人と共にあるように。(エフェソ6章24節)
礼拝音源(28.9MB)
前 奏 | ||
招 詞 | 1テモテ1章15節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交読詩編 | 67編1~8節 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | エフェソ6章21~24節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一同起立 |
賛 美 | 83 | 一同起立 |
牧会祈祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
宣 教 | 「聖なる交わり」 | 川原﨑晃主管牧師 |
祈 祷 | ||
聖餐式 | 新49 | |
10月誕生者祝福 | 2コリント12章9節a | |
賛 美 | 390 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
エフェソの信徒への手紙の最後の部分です。本文を語り終え、終わりの挨拶と祝福で閉じられています。そこには、「聖なる交わり」が溢れています。
1.恵みを分かち合う交わり 21~22節
パウロは、獄中という試練の中で、礼拝と祈祷の時と伝道に勤しんでいたことをエフェソの信徒たちに伝えました(使徒言行録16章25節、28章30~31節)。パウロにとって、そこがどんなに神の恵みが働いていたかを伝えたかったのです。そうすることによって、エフェソの教会がパウロと同じ恵みに与って、励ましを受けてほしいと願ったのです。それを取り次いだのか、主のものとされ、忠実に仕えるティキコでした。
パウロとティキコとエフェソの信徒たちが、神の恵みを分かち合ったように、私たちもこの神の恵みを分かち合うところに、聖なる交わりが造られていくのです。
2.恵みを祈り合う交わり 23~24節
最後は、神に対する祈り、神の祝福と導きを求める祈りで結ばれています。その祈りは、「兄弟たちに」「すべての人と共にあるように」と誰にでも当てはまる内容です。そして、イエス・キリストの救いの恵みが、私たちのうちに信仰を起こさせ、平安と愛という実を結ばせることを祈り合う聖なる交わりが造られるようにとの、教会の祈りです。
ところで聖餐は、キリスト贖いの恵みに対する「感謝の祈り」の時、「記念として」キリストの救いを想起する時、「主が来られるときまで」主を讃える時です。そして、キリストとお互いの「聖なる交わり」が造られていくことを確認する時です。
そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。(マルコ3章14~15節)
礼拝音源(25.4MB)
前 奏 | ||
招 詞 | ハバクク2章20節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交読詩編 | 66編1~20節 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | 詩編46編1~12節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一同起立 |
賛 美 | 463 | 一同起立 |
牧会祈祷 | 石﨑善土伝道師 | |
宣 教 | 「使徒の選出」 | 石﨑善土伝道師 |
祈 祷 | ||
賛 美 | 510 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
1.選ばれた背景
イエスが行った奇跡のことを聞き、おびただしい群衆が集まった。しかし、その人々には、福音とイエスに対する偏った理解しかなかった。それに対し、福音の全体像を知り深く理解する者を育てるため、イエスは弟子の中から使徒とする者を選んだ。
2.選ばれた理由
選んだ理由は、『じぶんのそばくに置くため』『派遣して宣教させ』『悪霊を追い出す権能を持たせるため』(14,15)でした。使徒はイエスのそばで寝食を含めた生活を共にすることで、生ける福音であるイエスを目の当たりに見て深く知り、宣教に出て行く力と福音に対する信頼を得ました。そして、神から遣わされている印である、悪霊を追い出す権能を与えられるのにふさわしい者となって行きます。
3.選びの責任
イエスが十二人を任命したとき、彼らは未熟でした。筆頭のペトロをはじめ、使徒達は失敗を繰り返し、イエスの教えを理解できず、逃げ出すことさえします。しかし、イエスのそばで成長し、未熟ながらも使命を果たします。そして、使徒達が宣教した結果、私たちのところまで福音が伝えられました。
福音とイエスを信じる者は、すべて神から選ばれた者です。その信仰は未熟なところから始まります。イエスの復活があるまでは誰も完成することはありません。しかし、イエスのそばで歩み続ける事で、成長して派遣される者となります。選んだ方が責任を持ってして下さいます。その主のそばで、この秋も歩んで行きましょう。