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礼拝メッセージ

私の主、私の神よ(2021.4.4)

聖 書

トマスは答えて、「私の主、私の神よ」と言った。(ヨハネ20章28節)

礼拝音源(26.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 エフェソ5章14節cde 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編24編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ20章24~29節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 327 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「私の主、私の神よ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
入 会 式
4月誕生者祝福 1ペトロ1章8節
賛  美 197 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

復活された主イエスは、恐れと不安を覚え、かつ疑いを抱いた弟子たちに「あなた方に平和があるように」に語られています(19節、21節、26節)。そうした中から、トマスは、「私の主、私の神よ」と信仰の確信へと導かれたのでした。

1.復活の主は、ほっとかれない  24~26節
トマスは、他の弟子たちと「一緒にいなかった」ために、復活された主イエスにお会いする喜びを経験しませんでした。そして、彼は自分の目で見、手で触れなければ「決して信じない」と言ったのです(24~25節)。驚くべきことに、その八日の後にトマスが他の弟子たちと「一緒にいた」時に、主イエスの方から来られて語りかけられたのでした(26節)。主イエスは、トマスをほっとかれなかったのです。
今も主イエスは、聖徒の交わりの中で、神の救いの恵みを明らかにされ、信仰に導かれ、養い育ててくださいます。私たち一人ひとりをほっとかれません。

2.復活の主は、対面してくださる  27~29節
主イエスは、主体的かつ実証的な性格をもったトマスに対して、ご自分から身を低くして語りかけられ、明確な信仰へと導かれ、祝福されました。それは、トマスが、直面する主イエスに対面して個人的に培われた信仰でした。
私たち一人ひとりは、対面してくださる主イエスを「私の主、私の神よ」と信仰の告白をすることが必要です。それは、十字架に架かられた主イエスに叫び求めた「もう一人の」犯罪人も同じでした(ルカ23章42節)。そして、「私の主、私の神よ」と信仰の告白する聖徒の交わりに生きることが、幸いな勝利者の歩みとなるのです。

あと一歩でクリスチャン(2021.3.28)

聖 書

イエスは言われた。「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない。(ヨハネ14章6節)

礼拝音源(29.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 イザヤ53章1~7節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ14章1~6節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 288 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「あと一歩でクリスチャン」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
教会役員任命式
賛  美 300 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちの信仰には、主イエスの言動を信じる信仰と、主イエスご自身を信頼する信仰とがあります。この二つの信仰が結びつくプロセスを生きた人物に、「トマス」がいました。彼の人物像については、「ヨハネによる福音書」が詳しく語っています。

1.誠実な求道者  11章16節
ユダヤ人指導者たちが主イエスを殺そうと謀っていたので(10章31節)、主イエスがエルサレムに行くことは向う見ずな行為に見えました。しかも、ラザロが死んでしまったためにエルサレムに行くことは無用なことだと思われました(11章1~15節)。その時です。トマスは、自ら死に至るまで主イエスに誠実であろうと決心しました(同16節)。
しかし、このように誠実なトマスでしたが、主イエスが十字架にお架かりになった場面では、主イエスから離れていってしまいました。それは、主イエスを信頼するのでなく、自分の誠実さに頼っていたからです。信仰は、信心ではないのです。

2. 当惑する求道者  14章5節
主イエスが、十字架に架かられる前日のことです。主イエスは、当惑するトマスたちに、ご自身が父なる神のもとに通じる唯一の道であり、神について説き明かす唯一の真理であり、神の限りない唯一の命をもたらすことを明らかにされました(14章1~6節)。
主イエスは、十字架で踏みつけられるように死に、救いの道を開いてくださったのです。
神が人となって出てきてくださった主イエスが、私たちと会ってくださいました。それに対して、私たちは自分に固執している所から一歩出て、生きておられる主イエスにお会いするのです。一人ひとりには、この出会いをする信仰の一歩が求められています。

必要な一つのこと(2021.3.21)

聖 書

しかし、必要なことは一つだけである。マリアは良いほうを選んだ。それを取り上げてはならない。(ルカによる福音書10章42節)

礼拝音源(25.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マタイ16章24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編32編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカによる福音書10章38~42節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 56 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「必要な一つのこと」 池口輝雄師
祈  祷
賛  美 403 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

イエス様は「必要なことは一つだけである」と言われました。どうしてでしょうか。そして、その一つのこととは、一体、何なのでしょうか。

1.一つだけの必要なこととは何か

イエス様は、他の全てのことが不必要だと言っておられるのではありません。それらは、確かに、大切なもので私たちの生活に必要なものです。中には、とても尊いものもあります。けれども、ここでイエス様が、言われたのは、必要なものの中で最優先すべきものは何かということです。それは、マリアのように神の御言葉を聴くことです。

2.神の御言葉の中心は十字架

では、マリアが聴いていたイエス様の言葉の中心テーマは何だったのでしょうか。それは、「福音」です。「福音」とは、神の御子であられるイエス様が、私たちすべての人間の罪を負って下さり、私たちに代わって十字架にかかって死んで下さり、信じる者の罪が赦される道を完成して下さったということです。そして、この福音を宣べ伝えるように命じられました。

3.命令と約束という恵み

神様の命令には、常に、その命令を遂行できるようにしてあげようという神様の約束が伴っています。あなたは既に神様に用いられています。安心して、必要なただ一つのこと「御言葉を聴き、従う」ことを最優先してみて下さい。想定外の神の恵みに浴することでしょう。例えそうでなくても神様の御言葉は空しく神様のもとに返ることはありません。

黙示録とデジタル世代(2021.3.14)

聖書

見よ、私は新しいことを行う。今や、それは起ころうとしている。あなたがたはそれを知らないのか。確かに、私は荒れ野に道を荒れ地に川を置く。(イザヤ43章19節)

礼拝音源(27.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編51編19節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編29編
会衆祈祷 一  同
聖  書 黙示録11章7~13節
イザヤ43章19節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 579 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「黙示録とデジタル世代」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 463 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

1.ヨハネの黙示録と掛けてデジタル世代と解きます
言葉には、使う人の地域性、考え方、価値観等が表れます。生まれた時からインターネットが普及していた世代は、デジタルネイティブやZ世代と呼ばれています。便利だけど不景気の中に育った、最新の世代です。私達は世代が異なると文化の違いから、理解できず、戸惑い、批判する事が多くなります。
信仰継承から、現代用語を使ったメッセージをしてきましたが、その用語を使っていると思っていた方から、意味を知らないと言われた事がありました。予想外に世代が短く分かれていることに驚きました。新しい言葉が次々と出て来る様に、新世代も次々と現れ、お互いの理解と伝えることが難しくなっています。
黙示録は難解だと言われ続け、以前は11章9節を見て、世界中の人が同時に見るということを理解されず、あり得ない事だと言われていました。

2.その心は
理解が難しいかもしれませんが、聞けばきっと解かるでしょう。
黙示録は研究が進み、良書も増えているようです。信仰を持って神の言葉に耳を傾けるとき、聖霊によって教えられます。デジタル世代や異なる世代の人は、生きて目の前にいます。聞く耳さえあれば、解らない事は聞く事ができます。そして、解りあえたとき、共に信仰に生きる事ができるのではないでしょうか。
私たちには不可能と思えることを、神は新しい事として実現します(イザヤ43:19)。神の言葉にも、人の言葉にも、耳を傾ける事が大切です。

恵みによる回心(2021.3.7)

聖書

なぜならこの私は、その福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、実にイエス・キリストの啓示を通して受けたからです。(ガラテヤ1章12節)

礼拝音源(30.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヤコブ4章8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編27編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ1章11~17節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 6 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みによる回心」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
3月誕生者祝福 「箴言3章5~6節」
賛  美 441 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

パウロは、回心した時から人生についての考え方や価値観が変わりました。キリストの十字架の事実が、彼の回心するまでの人生とその後の人生とを区切ったのです。

1.回心をもたらす恵みの主  11節~16節a
パウロは、福音の出所も起源も人間からではなく、神ご自身からのものであると宣言しています(11~12節)。キリストが、それを開かれ、明らかにされ、示されたのです。
かつてのパウロは、行動的にも内面的にも「極めて熱心でした」(13~14節)。しかし、神が恵み深い主権的な働きかけをもって、パウロに回心をもたらされたのです(15~16節b)。そこにおいて、恵みによる神の選びがあり、恵みによる召命があり、恵みによってイエスが救い主であることを示されたのです(ヨハネ15章16節参照)。
私たちの内にキリスト信仰を与えてくださるのは、聖霊なる神です。

2.確信へと導かれる恵みの主  16節b~17節
回心後のパウロには、二つの衝動がありました。自分の身に起こったことを直ちに他者に知らせたいという衝動、自分の身に起こったことの意味や結果を深く吟味したいという願いです。別言すれば、隠れ込んで出て行く、という衝動です。
パウロは、ダマスコ(使徒言行録9章20節)からアラビアへ、そしてダマスコに戻ったのでした。この間彼は、深く主との交わりを持つ孤独の時を過ごしています(哀歌3章26~28節参照)。そこで、信仰の確信へと導かれたことは、神の恵みでした。
私たちは、その信仰生活において、礼拝や祈祷会や個々人の密室などが真に生かされ、救いの確かさが深められ、広げられていく恵みにあずかり続けることが大切です。

 

あなたは何をしたいのか(2021.2.28)

聖書

そして、シモンをイエスのもとに連れて行った。イエスは彼に目を留めて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。(ヨハネ1章42節)

礼拝音源(30.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マタイ11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編23編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ1章40~42節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 225 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 栗本高仁神学生(ガラテヤ2章16節)
「あなたは何をしたいのか」
川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 475 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「私は何をしたらよいのか」との問いは、「私は何のために生きるのか」との問いにつながり、つまるところ「私は何ものなのか」との問いとなります。ペトロは、主イエスを通して、その問いかけに対する答えを明らかにしていただいたのです。

1.あなたは・・・である
主イエスは鋭くも恵みに満ちた視線をペトロに注いでおられます。開口一番、主イエスの口から出た言葉は、「あなたヨハネの子シモンである」でした。主イエスは、この後明らかにされるペトロの罪深さ(ルカ5章8節)、臆病(マタイ14章30節)、弱さ(ルカ22章61節)といったありのままの姿を見ておられたのです。
主イエスの憐れみの目は、今この瞬間においても、私たちの上に注がれています。常に弱さと醜さと罪深さが混在している私たちに対して、主イエスは「あなたはそのような者だ」と診断されます。実は、そこから、主イエスの恵みの御業が始まるのです。

2.あなたを・・・にする
続いて主イエスは、「ケファ ― 『岩』という意味 ―と呼ぶことにする」と言われました。「するであろう」ではなく、「する」と言われたのです。それに対して、ペトロは、主イエスを信じ、信頼して、従っていこうとしたのです。こうしてペトロは、これまでとは違う新しい生き方をスタートしたのです。
主イエスは、あなたの神との関係が変えられ、心が変えられ、価値観が変えられ、生きる目的が変えられる新しい生き方に招いていてくださいます。私たちは、この主イエスの恵みの招きを聞いて、信仰の歩みを始めるのです。

恵みは尽きることがない(2021.2.20)

聖書

私たちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを与えられた。(ヨハネ1章16節)

礼拝音源(23.95MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ローマ12章1節 司 会 者
頌  栄 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 イザヤ書40章26~31節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ1章14~18節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 342 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みは尽きることがない」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 451 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ヨハネによる福音書が書かれた時代は、イエス・キリストの恵みに対する確信が揺らぎかねない状況下にありました。そのような時に、尽きることのない豊かな恵みに与り続けることを証言しているのです(14節、16節、17節)。

1.キリストの栄光を見る恵み  14節
私たちと同じ人間になられたキリストが、私たちの間に宿ってくださったことによって、私たちに安息を与え、喜びと感謝に満たしてくださいます。それによって、神の栄光を見させていただくことになりました。
神の栄光は、キリストの全生涯において現されました。とりわけ、十字架において神の救いを成し遂げられたことによって(ヨハネ12章23~24節)、復活された勝利を通してです(同17章24節)。罪のゆえに神の栄光を受けられなくなっていた私たちは(ローマ3章23節)、キリストの十字架と復活の恵みによって、キリストの仲間とされたのです。

2.恵みの上にさらに恵みへと導かれる  16節
キリストを通して現わされた恵みは、継続して与えられていきます。一つの恵みを受け取ったら、新しい恵みを受け取り続けるのです。順境には順境の恵みが、逆境には逆境の恵みが、強くされた時には強くされた時の恵みが、弱さを覚えた時には弱さを覚えた時の恵みが、試練の時には試練の時の恵みが、病める時には病める時の恵みが、悩める時には悩める時の恵みがあります。それは尽きることがありません。
一人ひとりにふさわしく差し出されている恵みは、心を開いて受け取り続けるのです。神の前に謙虚にされ、キリストの恵みに立ち続けるのです。

灯の照らすところ(2021.2.14)

聖書

「灯を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。(マルコ4章21節bc)

礼拝音源(24.9MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ4章23節ab 司 会 者
頌  栄 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編19編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マルコ4章21~32節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 403 一同起立
牧会祈祷 石﨑善土伝道師
宣  教 「灯の照らすところ」 石﨑善土伝道師
祈  祷
2月誕生者祝福 詩編37編5節 一同起立
賛  美 18 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

1.隠されている言葉
イエスは、「聞く耳のある者は(信仰のある者は)聞きなさい」(23)と、たとえを用いて話した。たとえには、イエスの弟子ではない人が聞いても悟らないよう、意味が隠されている言葉が使われた。『種を蒔く人』のたとえでは、蒔かれた種は御言葉であり、成長するのは信仰である事が隠されていた。今回の聖書箇所のたとえでも、隠されている言葉は同様に『御言葉』と『信仰』である。

2.たとえの意味
灯のたとえ-御言葉と信仰は、世を照らす。秤のたとえ-信仰によって聞いて「量る」(判断する)人は、さらに与えられる。これは個人の信仰の成長を表している。
成長する種のたとえ-神の国(教会)の成長は、個人の成長とよく似ている。神がそうして下さる。そして、29節には、「実が熟す」(時が来る)と「鎌を入れる」「収穫の時」(裁き)が来る事を示している(ヨエル4:13、黙示録14:15)。
からし種のたとえ-イエスの宣教からはじまった神の国は、最初は信じるものが少なかったが、多くの者が信じるようになることを教えている。32節の成長の表現は、豊かに成長することを表現する昔からの言い方(エゼキエル17:23、ダニエル4:9,18)である。

3.宣教題の意味
今日の宣教題に、隠された言葉を当てはめると、『あなたの信仰の照らすところ』となる。世界も人生も、悲観的に見えるかもしれない。しかし、信仰を通して見るとき、希望がある事が見えて来ないでしょうか。あなたの灯は、あなたの周りを照らします。

 

真実な神に誠実を(2021.2.7)

聖書

もし、今なお人の歓心を買おうとしているなら、私はキリストの僕ではありません。(ガラテヤ1章10節c)

礼拝音源(24.38MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編46編11節 司 会 者
頌  栄 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編16編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ1章6~10節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 4 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「真実な神に誠実を」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 507 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

この手紙は、真実なキリストの福音に応答する者及び教会が、何を最も大切にしなければならないかを問いかけています。

1.痛みを覚えることがある  6~9節
パウロは、信仰的な危機に陥っていたガラテヤ地方の教会に向かって、「私は驚いています」と語り出しています。と言うのも、「キリストの恵みへと招いてくださった方から」離れ、「キリストの福音を」根本から覆そうとする者がいたからです。つまり、キリストの救いの恵みを信じるだけでは不十分で、人の業を加えなければ救われないと主張していたのです(6~7節)。パウロは、キリストの十字架の救いが無駄にならないために、教会を愛すればこその驚きと痛みを覚えつつ、「その者は呪われるべきです」と神のさばきに委ねるのです(8~9節)。
キリストの十字架の福音に立ち続けたいものです。

2.誠実であり続けることである  10節
それゆえにパウロは、神とキリストの福音に対して誠実であり続けることを語るのです。そこで、信仰に生きる者が、人に取り入り人の歓心を買おうとする生き方をもって人生を築くのか、それとも神に喜ばれる人生を貫くのか、何を動機として生きるのかを問いかけているのです(マタイ19章16~22節参照)。

昨日も今日も永遠に変わることのない神の真実に照らされて生きることが、神を喜ばせる生き方です。キリストに向き合いながら、キリストの恵みの福音に与り、「キリストの僕」であり続けるように招かれているのです。

恵みと平和の福音(2021.1.31)

聖書

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平和があなたがたにありますように。(ガラテヤ1章3節)

礼拝音源(24.09MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ43章1節 司 会 者
頌  栄 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編8編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ1章1~5節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 4 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みと平和の福音」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 521 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「ガラテヤの信徒への手紙」は、教会を真実に正しく導く福音の羅針盤のような手紙です。この手紙のあいさつ部分に、「恵みと平和」の福音は、何をもたらすかを明らかにしています。

1.キリストの救いの確信に導く  3~4節
恵みによって、神は私たちの救いのためにすべてのものを備えていてくださいます。その恵みがあるところには、神との和解がもたらす平和と平安の祝福があります(3節)。

そして、この福音の根元には、キリストの十字架があります。キリストの十字架は、私たちの罪の身代わりのため、私たちを今の悪の世界から完全に救い出すためでした。キリストは、そのようにして父なる神の深いご計画に従われたのです(4節)。

このキリストの救いの御業によってのみ、私たちは救われるのです。この救いの事実は、私たちの考えや思いが届かないほど、深く、大きいものです。

2.神の召しにあずからせる   1~2節
パウロが恵みと平和の福音の使徒とされたのは、復活されたキリストと父なる神によって直接与えられたことを語ります(1節)。こう語るのには理由がありました。ガラテヤ地方の教会に、パウロにはその資格がなく、かつてはキリスト教会とクリスチャンを迫害した過去があるために、彼を信用できないと主張する者たちがいたからです。

神は、人が神に背いていた過去の姿を見て評価し、判断されません。今、恵みと平和の福音に生きている真実な姿を見られ、その将来を見られます。私たちも、このように神に召された者であることを自覚して、栄光を神に帰する者となりましょう(5節)。

 

神の子となる(2021.1.24)

聖書

しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には、神の子となる権能を与えた。(ヨハネ1章12節)

礼拝音源(24.09MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 2コリント5章17節 司 会 者
頌  栄 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編1編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ1章9~13節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 17 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神の子となる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 443 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神の子(養子)とされた者は、神の子どもとしての特権をいただいて歩みます。神は、全ての人が「神の子となる」ように招いておられます。

1.神によって生まれる
イエス・キリストは「まことの光」として、不安の中にあって希望を失っている、罪の汚れの中にとどまっている、死の恐れに支配されたままでいる者のために、「世の光」として来てくださいました(9節)。そして、十字架に死んで復活されて「命の光」を持つようにしてくださいました(ヨハネ8章12節)。
それによって、神のことなる特権が与えられたのです(12節)。それは、クリスチャン家庭だから自動的に与えられるのでなく、自分の努力や信心によって与えられるのでなく、功績があったから与えられるのでなく、ただ「神によって生まれた」という一方的な神の愛と恵みによって与えられたのです(13節)。

2.神に任せる
「神の子になる」恵みに与るには、イエス・キリストを締め出してしまうのではなく(10~11節)、私たちの所に来られたイエス・キリストご自身を迎え入れ、このお方が語られた御言葉と十字架と復活の御業を信じ、安んじて神に任せることです(12節)。
このようにして、神の子とされた者は、神との交わりをいただきつつ、一歩一歩天国を目指して歩み、永遠にいたる祝福を受けるのです(ローマ8章17節)。
「神の子になる」という驚くべき神のプレゼントをいただき、神の子に与えられる驚くべき恵みのフルコースにあずかりましょう。

タネのネタあかし(2020.1.17)

聖書

「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」 (マルコ4章20節)

礼拝音源(25.99MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ43章18~19節b 司 会 者
頌  栄 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 イザヤ35章1~10節
会衆祈祷 一  同
聖  書 マルコ4章1~20節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 53 一同起立
牧会祈祷 石﨑善土伝道師
宣  教 「タネのネタあかし」 石﨑善土伝道師
祈  祷
賛  美 481 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

1.ネタあかし
マルコは4章に、たとえ話を集めている。その中で最初に出て来るタネを蒔く人のたとえ話は、13節から20節で、イエスによる説明(ネタあかし)がされている。たとえ話には隠語が使われていて、その意味が分からなければ、話の内容が理解できないようになっている。ネタという言葉は、寿司ネタや話のネタなど普通に使用され意味に迷う事はないが、元はタネの隠語であり、分かる人には分かるように使われた。

2.メンバー限定の教え
イエスのもとへ、集まって来たおびただしい群衆には、幾つかのタイプがあった。奇跡のために集まった人は、表面的な理解に留まった。ファリサイ派は、イエスの働きは悪霊によるものとして、否定した。イエスの家族は、世の評判を聞いて惑わされた。使徒と弟子はイエスのそばで学び続けた。この様な人のタイプを、種が蒔かれた地として表現し、御言葉が蒔かれた人の事であることを、イエスは使徒と弟子達のメンバー限定で教えられた。隠語を使用したたとえで話すのは、10節から12節でイザヤ書6章9節を引用し、他の人は聞いても理解できない用にするためと説明されている。

3.現代では
現代の日本では、誰でもこのたとえの説明を読み、聞くことができる。理解すれば誰でも、実を結ぶ者となりたいと思うだろう。しかし、実を結ぶのは、イエスの言葉に耳を傾け深く理解しようとする者だけである。そして、どのくらい実を結ぶかは神の業である。イエスは今も、「聞く耳のある者は聞きなさい」と語り掛けている。

光が放たれて(2020.1.10)

聖書

光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった。(ヨハネ1章5節)

礼拝音源(29.64MB)
※誕生祝福のあと、機器操作ミスにより、頌栄まで飛んでおります。申し訳ございません。
本日正午過ぎに第2部の礼拝をアップさせていただきます。
→アップ完了しております(12:07)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編100編1~2節 司 会 者
頌  栄 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編96編1~13節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ1章1~8節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 54 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「光が放たれて」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
1月誕生者祝福 エレミヤ書31章3節b
成人祝福
賛  美 503 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ヨハネによる福音書は、神が遠い存在のお方であるというイメージを覆して、キリストにおいて身近なお方であることを明らかにしています。そのキリストは、永遠に変わることのない光となってこの世界に訪れてくださいました。

1.闇の中で輝く光として  1~5節

光であるキリストは、「闇の中で輝いている」(5節a)お方です。闇は、様々な自然災害や紛争といった人災などがもたらしています。また、真の神を見失った人間の罪がもたらしています。そして、死の恐怖がもたらしています。闇は光であるキリストを拒みましたが、キリストは十字架と復活によってその闇に対して勝利されました(5節b)。

主の弟子ヨハネは、闇から光の中に入れられた体験をし、同じような体験をした人たちをこの福音書の中で証ししています。この体験があったからこそ、「言」であり「命」であり「光」であるキリスト理解が深まっていったのです(1~4節)。私たちは、人間が作りだした自分の光に頼ることなく、光であるキリストに立ち帰ることが必要です。

2.証言される光として  6~8節

バプテスマのヨハネは、知らないうちに無目的に遣わされたのではなく、歴史の舞台に神の目的のもとに神から遣わされました(6節)。

神がバプテスマのヨハネをここに登場させなさったのは、光であるキリストとキリストによって彼の上に起こった出来事を証言させるためであり、彼を通して、すべての人が光であるキリストを信じる者となるためでした(7~8節)。私たちは、自らの存在と言動をもって、キリストの証言者にならせていただきましょう。

 

 

キリストの愛と真実に支えられて(2021.1.3)

聖書

私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の子の真実によるものです。(ガラテヤ2章20節c)

礼拝音源(27.01MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編96編1~2節 司 会 者
頌  栄 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 詩編65編1~14節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ2章19~21節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 484(口語訳) 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストの愛と真実に支えられて」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 456 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

最高にして価値ある生き方は、キリストに出会い、救いを与えられることによって「神に生きる」人に造り変えられることです(19節)。この明確で永続する生き方は、キリストによってどのように生かされていることであり、生きることなのでしょうか。

1.キリストの真実によって生かされている

パウロは、律法に仕えることによっては、神に生きることはできないことを知りました(19節a)。彼は、キリストが永遠の滅びに向かっていた者を愛して、その滅びを引き受けてくださり、十字架に死んでくださったことを根拠にしてのみ生き続けたのです。この「神の子の真実」のゆえに、その真実をあてにして信じる信仰によって生かされていることを知ったのです(20節c)。
私たちは、終始一貫変わることのないキリストの真実に支えられてこそ(2テモテ2章13節)、その救いと導きに対する信仰の基盤は揺らぐことがなく、強められるのです。

2.キリストの愛によって生きる

パウロ同様に私たちは、キリストの十字架につなぎ合わされて、自分の古い性質や考え方や価値観がキリストと共に葬られました。そして、キリストの復活とも一つにされ、その命につなぎ合わされて神に生き、神に対して生き、神のために生きるのです(19節b~20節ab)。
そのようにして、キリストが私たち一人ひとりの全人格、全生涯、日々の主となられて、キリストの愛に生かされ、その愛に応えて生きるようになります。私たちは、キリストの真実に支えられて、キリストの愛に生きるように招かれているのです。

 

家族がアタオカと言われて(2020.12.27)

聖書

「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」(マルコ3章35節)

礼拝音源(24.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ60章1~2節 司 会 者
頌  栄 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 103編1~22節
会衆祈祷 一  同
聖  書 マルコ3章31~35節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 208 一同起立
牧会祈祷 石﨑善土伝道師
宣  教 「家族がアタオカといわれて」 石﨑善土伝道師
祈  祷
賛  美 411 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

1.はじめに
アタオカとは、“頭がおかしい”を短縮した言葉です。意味はそのまま、考えがおかしい、気が変になっているという事です。「あの男は気が変になっている(アタオカ)」(21)と言われたのは、救い主である、イエスでした。それも群衆からではなく、ユダヤ教の中央エルサレムから派遣された、指導的立場にいる律法学者から言われました。イエスの家族はそのように言われ、心配になりイエスの所に来ました。(31)

2.集まった人々のタイプ
イエスのまわりに集まって来た人には、2つのタイプへと別れて行きます。1つは前回取り上げた律法学者のように、イエスの働きを非難する人達です。彼らは、イエスのもたらす救いを否定し、イエスを十字架へ架けることになって行きます。そして、救いの十字架を信じないため、罪赦される事はありません。(29)
もう1つはイエスの働きの表面を見るのではなく、その教えに真剣に耳を傾け、神の御心を行う人達です。彼らは、血の繋がりは無くても、イエスから兄弟、姉妹、母と呼ばれました。(35) クリスマスに、彼らはイエスを受け入れ、神の子とされました。(ヨハネ1:12)と言われたとおりです。

3.イエスの周りに座り耳を傾ける人々
イエスのそばに集まる人は、遊女や取税人など、当時の社会に受け入れられていない人が中心となって行きます。イエス様はどのような人にも、誰であっても、耳を傾ける人に私の家族だと言い、今も招いて下さっています。