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旧約聖書

昼も夜も進んでいく(2023.9.3)

聖 書

主は彼らの先を歩まれ、昼も夜も歩めるよう、昼は雲の柱によって彼らを導き、夜は火の柱によって彼らを照らされた。(出エジプト13章21節)

礼拝音源(31.6MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編136編1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 464 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編53編
会衆祈祷 一  同
聖  書 出エジプト記13章17〜22節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「昼も夜も進んでいく」 仁科共子牧師
祈  祷
9月誕生者祝福 詩編125編1〜2節
賛  美 463 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

出エジプトの時の出来事から、神様がイスラエル人たちをご自分の民として、どのように導かれたかということから恵みをいただきたいと思います。

1 民のことをよく理解して導かれた
神様はイスラエル人たちが、「戦いを目前にして後悔し、エジプトへ戻るかもしれないと考えて」あえて近道ではない道を選ばれました。民たちの弱さをよくわかっておられ、配慮された導きでした。

2イスラエル人たちは、神様が顧みてくださることを知っていた
イスラエル人たちがエジプトを離れる時、「モーセはヨセフの骨を携えていた。」と、あります。ヨセフが葬られて400年くらい経っていたのに、「神は必ずあなた方を顧みられる」とヨセフを通して神様が約束されたことを、代々教えられ、知っていたのです。

3主なる神はイスラエルとともに進まれた
「主は彼らの先を歩まれ」その行くべき道を導かれました。また「昼も夜も歩めるように」雲の柱によって導き、火の柱によって彼らを照らしてくださいました。そして、「彼らを離れることはなかった。」のです。太陽が照りつける昼も、暗闇の夜も進むことができるように導かれました。
私たちも、教会創立からの77年間を、私たちを離れることのない神様に導いていただきました。これからも、神様に導かれて昼も夜も進んでいきましょう。

慈しみと豊かな贖い(2023.8.27)

聖 書

イスラエルよ、主を待ち望め。主のもとに慈しみがあり そのもとに豊かな贖いがある。 (詩編 130編7節)

礼拝音源(42.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 申命記4章31節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 481 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編51編
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編130編1~8節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「慈しみと豊かな贖い」 第2    大塚篤師
第1、第3 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 456 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1 悔い改めの叫び (1~4節)
詩人は、「深い淵の底からあなたに叫びます」(1)と主のあわれみを求めて祈っています。私たちは、かつて深い淵の底のような暗黒の中でもがき、苦しみ絶望の淵をさ迷っていた者です。詩人は、主を呼び求める声をあげ(2)、「主よ、あなたが過ちに目を留めるなら、…だれが耐えられましょう」と自らの罪深さを覚え、ただ主のあわれみを求めています。4節「しかし、赦しはあなたのもとにあります」(4)と主の赦しの恵みに目を向けています。

2 主とそのみ言葉への待ち望み(5~6節)
「私は主を望みます」(5)と、詩人は、主とその御言葉を切に待ち望んでいます。詩人は「夜回りが朝を待つにも増して」(6)と夜回りが朝を待つ様子と比較して、切に主を待ち望んでいることを告げています。

3 主のもとにある慈しみと豊かな贖い(7~8節)
詩人は、イスラエルの民に向って「イスラエルよ、主を待ち望め」と呼びかけ、
「主のもとに慈しみがあり、そのもとに豊かな贖いがある」(7)と人々に自分
の体験を証ししています。主の贖いの恵みに与った者は、その恵みを誰かに伝え、共に喜びたいと思うものです。ですから、詩人は、主の慈しみと贖いの恵みの豊かさを自ら経験し、その確かさを人々に伝え、「イスラエルよ、主を待ち望め」と勧めているのです。 エフェソの信徒への手紙2章1~9節。

恵みと慈しみが続く人生(2023.8.20)

聖 書

命あるかぎり 恵みと慈しみが私を追う。私は主の家に住もう 日の続くかぎり。(詩編 23編6節)

礼拝音源(34.3MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編96編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 208 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編50編
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編23編1〜6節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「恵みと慈しみが続く人生」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 459 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1 羊飼いが羊の世話をするように
羊は弱い生き物で、世話をしてくれる人がいないと生きていくことができません。それで、羊飼いはよく気をつけて羊の世話をします。神様も羊飼いのように、私たちの世話をしてくださるのです。この詩編の作者は、自分の経験の中で、困難や危険なことがあっても、いつも一緒にいてくださり、守ってくださった。必要なものを備え、生活を祝福してくださった、と思い返しています。それを「主は私の羊飼い」と言う言葉で表現し、自分はその羊飼いに守られ、世話をしてもらっている羊のような存在だと言っています。

2 恵みと慈しみはいつまでも
この羊飼いのような神様は、生涯一緒にいてくださり、どこへ行っても神様の恵みと慈しみが追ってくるように続いていくと言っています。それはまた、この羊飼いのような神様の家に住んでいることだと言います。一生、神様の恵みと慈しみを受けて生きていくのだと言うのです。それは、安心と喜びに満ちた生活です。
「恵み」は神様から無代価で与えられるものです。羊飼いが羊の世話をするように、私たちが生きるためのすべてを与えてくださいます。「慈しみ」は弱い者を大切に思い、いたわる無償の愛です。この神様を「私の羊飼い」として、恵みと慈しみを受けて歩む人生を導いていただきましょう。

誠実であるとは(2023.8.6)

聖 書

ボアズは言った。「あなたは主に祝福されるように。娘さん。この度のあなたの誠実さは、以前にも増して尊いものです。(ルツ記 3章10節a)

礼拝音源(36MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ルカ 2章14節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 17 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編48編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルツ記 3章1〜18節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「誠実であるとは」 鎌野直人副牧師
祈  祷
8月誕生者祝福 詩編37編3〜4節
賛  美 505 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1 ナオミのことばを行うルツ
ルツがボアズに出会ったことを聞いたナオミは、彼女の安らぎの場所のために、ボアズがいる麦打ち場に行くように命じた。彼に求婚を示唆する行動をルツが行うことによって、ボアズの指示を待つためだ。ルツはナオミのことばを受け入れ、それに従った。ボアズがどのように言うのか、分からない中でも、ルツは勇気をもって従った。

2 ルツのことばを行うボアズ
夜中に目を覚ましたボアズは、足もとに寝ている女性に驚いた。ルツはボアズに対して、自分たちの家を絶やさぬ責任あるボアズに助けを求めて来たと答えた。エリメレクの家を救おうと行動したルツの誠実さは、先の彼女の誠実さにまさるとボアズは考えた。さらに、異邦人でありながら、人々からは立派な女性と認められているルツのことばをすべて行うとも約束した。ただし、ボアズが依頼された働きを全うできるかは未確定である。ボアズも誠実にこの問題に向き合うのだ。翌朝、ルツはボアズのことばに従い、大麦を受け取って町へ戻り、ナオミに報告し、ボアズの次の行動を待った。

神の誠実さに気がついたナオミから始まった出来事は、誠実なルツとボアズの勇気ある行動を通して進み始めた。計画通りに人が動くか、どうか不確定であるにもかかわらず、神の誠実さに気づいたからこそ、そのように行動したのだ。これは、死者の中からのイエスのよみがえりという神の誠実さの福音を知る私たちに対するチャレンジだ。

偶然はあるのか(2023.7.2)

聖 書

そこでルツは出かけて行き、刈る者たちの後に付いて畑で落ち穂拾いをした。そこは、図らずもエリメレクの氏族に当たるボアズの畑の一角であった。(ルツ記 2章3節)

礼拝音源(35.5MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編25編8〜9節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編41編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルツ 2章1〜23節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「偶然はあるのか」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 414 一同起立
7月誕生者祝福
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1 偶然なのか
ルツは自ら進んで落ち穂拾いを申し出た。彼女は自分を受け入れてくれる刈る者の後について落ち穂拾いを始めた。それはエリメレクの親戚であるボアズの畑であった。その日、ボアズも畑の様子を見に来た。彼は見たことのない若い女に気づき、彼女のことを尋ねると、監督する者はナオミと一緒にモアブの野から帰ってきたモアブの娘である、彼女が自分から申し出て、一生懸命、働いている、と伝えた。

2 ルツを知るボアズ
ボアズはルツを守るために、自分の畑から落ち穂を拾うように語った。外国人差別が当たり前の世界で、同じ氏族の家族を養う責任を果たそうとした。ボアズは、ルツがナオミと共に帰ってきたことを知っていたので、ルツに主の祝福があるように祈った。自らが奴隷以下の外国人寄留者に過ぎないと考えるルツに対して、ボアズはさらに食を備え、彼女をいじめから守るだけではなく通常以上のものを与えるよう指示した。

3 主の介入に気づく
ルツはボアズが何者か知らなかった。一方、ナオミは偶然から始まった出来事に、自分たち家族への主の慈しみを見出し、主の手のわざに気付き始めた。偶然はある。しかし、ボアズとルツそれぞれが置かれていたところで忠実に歩んだからこそ、神の摂理がナオミの目に見えるようになり、彼らは思いもよらぬ形で神のわざに関与するのだ。

神はすべてを奪うのか(2023.4.30)

聖 書

私は満ち足りて出かけて行ったのに 主は私を身一つで帰されたのです。どうして私をナオミと呼ぶのですか。主は私を痛めつけ 全能者は私に災いを下されたのです。(ルツ記1:21 )

礼拝音源(35.6MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編67編1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編31編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルツ記1章1〜22節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「神はすべてを奪うのか」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 487 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1.すべてが奪われたナオミ
王国が誕生する前の時代、豊かな食を与えると主が約束した地に飢饉が訪れた。エリメレク一家はその地を去り、モアブへ行った。ところが家長エリメレクはすぐにその地で死ぬ。その後、家族はモアブに長期的に寄留し、ナオミの息子たちは妻を迎えた。十年後、二人の息子も死んだ。すべてが奪われた。ナオミは一人、残された。

2 母の家に帰るオルパ
ナオミはベツレヘムへ帰ることにした。主がその地を顧みたということを聞いたからである。二人の嫁はナオミと共に帰途につく。ナオミは彼女たちに自分の母の家に帰るように、彼女たちがこれまで示した慈しみにしたがってイスラエルの神である主が慈しみを示すように、と語る。ナオミが母の家、ナオミの民が自分の民だと語る彼女たちに、期待してはならないとナオミは釘を刺した。主がすべてを奪った、私はあなたがたより辛い、と嘆いた。これを聞いたオルパは、彼女なりの選択として自分の母の家に帰った。

3 ベツレヘムへ帰るルツ
ルツは、希望などなくてもよい、ナオミという母の家に留まり、その民、その神のところに帰る、自分の将来よりも母への慈しみが重要だ、と語った。ナオミは諦めてルツと戻る。帰ったとき、女たちは「すてきだ」と語るが、ナオミは、主がすべてを奪い取ったから自分は「苦々しい」と語る。誰もまだ、神の張られた伏線に気がついていなかった。賜物を神は、備えていたのだ。目をこらして待て。時が来たら、見える。

ビジョンに生きる(2023.4.16)

聖 書

幻がなければ民はちりぢりになる。教えを守る者は幸いである。     ( 箴言29章18節 )

礼拝音源(25.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編96編1、2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編29編
会衆祈祷 一  同
聖  書 箴言29章18節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「ビジョンに生きる」 第2 船田献一師
第1、第3 仁科共子牧師
祈  祷
任職式
賛  美 461 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

人は誰でもビジョン(幻)に生きる者だが、キリスト者はさらに神様から与えられたビジョン(視点)に生きる者である。みことばを通して自分の真相を知り、十字架の血潮で贖われた者に約束された御国の望みと世界宣教の視点に立たせていただきたい。

1.自己認識と贖いのビジョン
まず、神様から見せていただくビジョンは、自らを深く洞察して、自分の罪の真相を
知ることである。聖なる神の前に立ち、みことばを通して自らの内面が照らされる時、自分の真相が暴露される。そして、ただ神の憐れみの故に血潮による贖いをいただき、召命と献身の土台が据えられる。

2.将来の祝福のビジョン
神様は神様を愛する者たちに御国の望み、変貌の望みを与えられる。この将来の祝福のビジョンは、あらゆる試みや苦しみ、罪の誘惑から私たちを助け出し、失望や落胆から引き上げてくれる。このことが日々の生活の中で繰り返して洞察され、展望される必要がある。

3.世界宣教のビジョン
神様は旧約時代には預言者を通して生けるまことの神を示され、新約時代には十字架と復活のイエス様を通して世界宣教へのビジョン(幻)を与えられた。神様は全ての人の救いを求めておられる。そして、その実現のために私たちを必要とされている。終末の時代、神様からいただいたビジョンに生きる者でありたい。

恵みにあふれて(2023.3.19)

聖 書

しかし、私と私の家は主に仕える。(ヨシュア24章15節b)

礼拝音源(31.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編51編19節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編24編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア24章14~24節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みにあふれて」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 510 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ヨシュアは、告別説教ともいえるメッセージを語っています(23章~24章)。信仰の歩みと戦いが積み重ねられていくなかで、主の臨在に生きる恵みは(1章5節)、何をもたらすのかを指し示しています(24章15節)。

1.信仰の決断を支える恵み
ヨシュアは、「あなたがたが仕えようと思うものを今日、選ぶがよい」と語っています。彼は、信仰において「選ぶ」ということの大切さを強調するのです。ただ、その前提として、主の愛のゆえに選びの恵みがありました(23章14節、申命記7章6~8節)。それは、主イエスが弟子たちを選ばれたことに通じるものです(ヨハネ15章16節)。
先行する主の選びの恵みに対して、人格をもつものとして造られた人間が選ぶという信仰の決断をすることを支えているのは、主の恵みなのです。この霊的センスを養い続けさせていただいていることが大切です。

2.共に仕える恵み
続いてヨシュアが「私と私の家とは主に仕える」と語ったことに対して、民たちは「主に仕え、その声に聞き従います」と応答しています(24節)。そこに至るまで念入りなやりとりがされたのは(16~23節)、民が不従順に陥らないために証言を求めてのことでした(25~28節)。主イエスの御受難を前にしたペトロを想起します(ルカ22章54~62節)。
礼拝は、主に仕える恵みへと導きます。しかも「私と私の家とは」共に主に仕えるところから、仕える恵みがあふれてくるのです。それは、主イエスが明らかされたことであり(マタイ20章28節)、聖徒たちが証しし続けていることです(ローマ15章30~33節)。

恵みの深みへ(2022.3.12)

聖 書

今日もなお、モーセが私を遣わした日のように健やかです。戦いのためであれ、日常の務めであれ、今の私の力は当時と同じです。 (ヨシュア14章11節)

礼拝音源(31.2MB)
※会衆祈祷の音声が途中で途切れております。申し訳ございません。

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ57章15節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編23編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア14章6~15節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みの深みへ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
洗 礼 式 67
賛  美 507 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

モーセの従者ヨシュアと共に歩み労したカレブは、年老いても「健やか」でした。それは、「主が私と共にてくださる」ゆえの前向きかつ積極的な信仰でした(10~12節)。
彼らがいつも主の恵みの約束に立って歩み続けたことは、私たちの歩みでもあります。

1.主の恵みは尽きないゆえに

主が備えておられる恵みは、ヨシュアが年を取っても尽きませんでした(13章1節)。その恵みは、モーセに告げられた約束どおりであり、カレブに対しても同様でした(9節、1章3節)。こうした恵みが尽きないのは、真実な主が責任をもって守り、支え、引き上げてくださるからです(1テサロニケ5章23~24節参照)。
ですからカレブは、主の御言葉の約束に立って、どこまでもその御言葉に聞き従う姿勢を貫いたのです(10節、12節)。

2.主の臨在信仰に立ち続ける
このように、尽きない恵みを自分のものにさせていただくのは、カレブに与えられた信仰に見るように、主に対する全き信仰によります。すなわち、信仰の友をもった信仰であり(6節、民数記14章)、勇気ある信仰であり(7~9節、民数記13章)、御言葉に対する変わらない進取の信仰です(11~12節)。こうした積極的な信仰は、人間的な向こう見ずなどではなく、「主が私と共にいてくださる」(12節)ことが根本にあります。

私たちは、老いてもなお主の臨在信仰に立ち続けるところに「健やか」さがあり、主の助けと備えがあり、道が開かれていくのです。私たち一人ひとりは、老いも若きも遣わされた日のように、今も変わらず壮健でありますように。

主に仕える祝福(2023.2.12)

聖 書

しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある顕現を、あなたがたが広く伝えるためです。(1ペトロ2章9節)

礼拝音源(33.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編16編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア13章8~14節

1ペトロ2章9節

使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「主に仕える祝福」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 390 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

イスラエルの12部族には、カナンの地征服後の土地が分割されました。ただ、神と民との交わりの道をとりなす「祭司」の務めに任じられた「レビ族」には、相続地は与えられませんでした(14節、33節)。彼らは、余念なく主に仕える人々とされたからです。

1.神に選ばれている
レビ族は、最初から祭司として主に仕える人々ではありませんでした。レビが非常に醜いことをしてしまったことにより(創世記34章)、ヤコブから神の祝福を受けることができませんでした(同49章5~7節)。ところが、レビ族が主に忠実に仕えたことにより(出エジプト32章25~29節)、モーセから神の祝福を受けています(申命記33章8~11節)。こ
のようにして、レビ族は神の選びの祭司として用いられるようになったのです。
私たちは、主イエスの救いを信じて従うことを通して、レビ族と同じように神に「選ばれた民」として主に仕える者とされているのです(1ペトロ2章9節)。

2.神のものとされている
レビ族は、相続地は与えられませんでしたが、住むべき町と神殿でのささげ物の動物のための放牧地という最小限必要な土地が与えられました(14章4節)。主に直接仕える彼らは、主御自身が相続地であり、主への感謝をもって受け取ったのでした(詩編16編5~6節)。こうして、彼らの歩みが整えられていったのです。
旧約のレビ人は、新約のキリスト者のひな型です。私たちは、主イエスによる贖いの救いによって「神のもの」とされ、主にとりなし祈り、「広く伝える」ことにより主に仕える使命に与っているのです(1ペトロ2章9節)。これは、キリスト者の特権です。

主のわざにあふれて(2023.2.5)

聖 書

それから、ヨシュアはエバル山にイスラエルの神、主のための祭壇を築いた。(ヨシュア8章30節)

礼拝音源(26.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編100編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編15編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア8章1~2節、30〜35節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「主のわざにあふれて」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
2月誕生者祝福 イザヤ書40章31節
賛  美 536 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ヨシュアたちは、エリコでの大勝利後(6章)、アイにおける敗北を経験し、アカンの罪を除去し立て直しがされました(7章)。さらに、積極的な信仰でもって敵と戦っています(8章)。その勝利の秘訣は、今日の私たちの信仰の戦いのあり方を語っています。

最善を備えて  1~17節
戦いの勝利は主の恵みによるものであったことを忘れてしまっていた民に、主は全力を注いで一つになって敵に当たるように命じています(1~3節)。ヨシュアはそれに応答して、その通りにしています。そのように主のわざに励むなかにも、知恵をいただいて対応しています(4~17節)。

私たちは、信仰のよいスタートをきって歩み始めたその姿勢を、ゴールまで持続する信仰が必要です。信仰者としての経験や知識がプライドとなって、それを妨げることがあります。ですから、やり直す恵みへと招かれるのです(ヨハネの黙示録2章4~5節a)。

2. 初めから、終わりまで  18~35節
ヨシュア率いる全軍は、戦いの最中はもちろん、勝利を収めただけで終わりとしないで、勝ち抜いた後も主に命じられた通りに信仰の姿勢を保ちました。
ヨシュアの戦い方は、アイに向かって投げ槍を差し伸べ続けることでした(18節、26節)。これはモーセ同様に、主に向かい祈り続けることでした(出エジプト17章8~13節)。
さらに、勝利を終えた後に主の御前に礼拝をささげ、献身と感謝の信仰を表明し、御言葉に立ち続けました(30~35節、エフェソ6章14~18節)。
私たちの信仰の戦いは、全力を注いで主のわざにあふれる霊的な営みです。

主を待ち望む(2023.1.8)

聖 書

しかし、主を待ち望む者は新たな力を得 鷲のように翼を広げて舞い上がる。走っても弱ることがなく歩いても疲れることはない。 (イザヤ40章31節)

礼拝音源(31.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ43章18~19節ab 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編2編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ40章27~31節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「主を待ち望む」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
1月誕生者祝福 2コリント4章16節
賛  美 474 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

イザヤ書は、過去から将来にわたる神の救いをパノラマのように展開しています。そこでイザヤは、神の民に呼びかけ、神からの希望のメッセージを告げているのです。ここでは「主を待ち望む」とはどういうことなのかを語っています。

1.永遠の神の慰めによって
神の民たちは、先の見通しが立たない重苦しい状況に置かれると、神への信仰は鈍ってきたり、信頼を失ってしまったり、捨ててしまう人々が起こってきました(27節)。
それに対して神はイザヤを通して、「慰めよ、慰めよ、私の民を」(40章1節)と、罪を悲しみ、悔い改めて救われるようにと語られたのです(マタイ5章4節、ルカ2章25~32節参照)。その慰めは、解放者の慰め(40章2~5節)、羊飼いのような慰め(同6~11節)、創造者の慰め(同12~26節)、永遠の神の慰め(同27~31節)です。
今も変わることのない主イエスの十字架と復活による救いこそが、私たちの揺るがない希望の根拠です(2コリント1章5節、9~10節参照)。

2.絶えず新たにされていく
神は、疲れ果てた者に力を与え、弱り果てた者を引き起こしてくださいます(28~29節)。そして、生まれつきの力や若さが失われても(30節)、「主を待ち望む者は新たな力を得」ることができます(31節)。永遠の神は、私たちを造り直し、造り変えてくださる再創造者なのです。
私たちは神の前に開かれた心をもって、神のもとにひれ伏すならば、永遠の神によって新しくされ続け、力を与えられ、真の慰めを知るのです。信仰の翼を広げましょう!

新しい始まり(2023.1.1)

聖 書

見よ、私は新しいことを行う。今や、それは起ころうとしている。あなたがたはそれを知らないのか。
確かに、私は荒れ野に道を 荒れ地に川を置く。(イザヤ43章19節)

礼拝音源(29.9MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編96編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編1編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ43章18~21節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「新しい始まり」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 368 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

 旧約聖書に登場する預言者たちは、主の慈しみと憐れみと真実に揺るぎない確信を見いだし(哀歌3章22~23節)、主が絶えず「新しい」御業を成されることを期待しつつ語っています(19節)。そのことは、主イエスの救いへの揺るがない確信へと導かれます。
1.「これまで」の主の恵みを忘れないで
 イザヤは、慈しみと憐れみと真実の主こそが、創造主(21節)、贖い主(14節)、イスラエルの聖なる方(14節)、救い主(3節)と証言しています。
神の民は、かつてこの主によって出エジプトに見る神の救いを経験しました。ところが、彼らはいつの間にか、その救いの御業を忘れて主に対する信頼を失い、過去の栄光の上にあぐらをかいていました。そこで、先にあったかつての出エジプトの救いを忘れないで、かつ主が新しい御業を成してくださることに応答するように勧めているのです(18~19節)。それは私たちの主イエスの救いの恵みに生きることにおいても同様です。

2.「これから」の主の恵みに期待して
 続いて主は「今や、それは起ころうとしている」(19節b)と語られ、主の新しい御業に対して期待を持つように、主への信頼を促しておられます。「新しいこと」とは、歴史的にはバビロン捕囚からのペルシャによる解放を(44章28節~45章1節)、預言的には罪と死の支配下にある人類の救いを成し遂げられた主イエスの救いを預言しています。
 私たちは、過去の経験に立てこもって主の御業を限定するのではなく、主が成し遂げられる新しい御業を期待しながら、主に従っていくのです。そのようにして、新しい始まりを見る信仰につなげていくのです。

仰ぎ見よう(2022.12.18)

聖 書

地の果てのすべての者よ 私を仰ぎ、救われよ。私は神、ほかにはいない。(イザヤ45章22節)

礼拝音源(26.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 テトス2章11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編113編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ45章22~25節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「仰ぎ見よう」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 441 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神は、御自身の民の歴史を通して、「私は神、ほかにはいない」と繰り返し語られています。その神に近づき(20節)、神に聞き(21節)、神を仰ぐように(22節)勧められます。
このように神に向き合う私たちの姿勢は、今も変わることがありません。
1. 神は、「地の果てのすべての者よ」と招いておられます(22節)。確かに神は、ユダヤ人たちを特別に神の民として選ばれ、アブラハムを祝福の基とされ、出エジプトによる神の救いをなし、バビロン捕囚からの回復の御業をなされました。しかし、この神の好意ある招きは、異邦人にも及んだのです。
そして神の御子の降誕に際して、羊飼いたちに語られたメッセージに(ルカ2章10~11節)、老人シメオンが賛美したこと(同2章30~32節)などにも証しされています。クリスマスは、神が罪に堕落したすべての人を信頼された出来事なのです(ヨハネ1章9節)。

2.神に目を転じるのは「あなた」である
イザヤ書が語る信仰は、神に自分自身を安んじて任せることです(7章7節、30章15節)。ここでは、そのことを「仰ぎ」見ると語ります。仰ぐとは、目を転じることであり、今まで見ていたものから、目を転じて神を見ることです。
最初の人アダムとエバは、罪を犯した途端に、神を仰ぎ見ることができなくなりました(創世記3章8節)。目を転じて十字架上の主イエスを仰いだ犯罪人は、永遠の救いに与りました(ルカ23章42~43節)。
信仰とは、仰ぎ見ることです。仰ぎ見る日々の連続が、仰ぎ見る生涯となるのです。

望んで待つ(2022.12.11)

聖 書

一人のみどりごが私たちのために生まれた。
一人の男の子が私たちに与えられた。主権がその肩にあり、その名は
「驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザヤ9章5節)

礼拝音源(33.2MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 1テモテ1章15節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編146編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ8章23節~9章6節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「望んで待つ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 247 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

クリスマスは、歴史の悲惨、社会の悲痛、人類の失敗、人間の罪がもたらす苦悩と言ったうめき苦しむ人間に対して、神の御業が現わされた出来事です。それによって、私たちに与えられている希望とは何かを明らかされたのでした。
1.希望の先取り  8章23節~9章4節
アッスリアによって崩壊させられた北イスラエルにあった「異邦人のガリラヤ」は、ユダヤの中心からみても辺境の地であり、人々が恐れと不安に包まれ、希望を抱くことのできない暗黒の地でした(8章22節)。「しかし」闇と死の支配にあったガリラヤの人々は、大いなる光を見、その上に光が輝き、喜び躍り、勝利を得たのです。
同様な出来事は、今日にいたるまで歴史の中に働かれた神の御業として現れ、罪と死の支配にあった私たちに及んだ神の救いの御業です(マタイ4章14~17節)。幸いな人は、この神に望みを置き(詩編146編5節)、希望の先取りをする人です。

2.希望の実現  9章5節~6節
「私たちのために生まれた」「私たちに与えられた」幼子は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」として主権をお持ちの神であり、救い主イエス・キリストにおいて実現したのです(5節)。この救い主こそが、変わることのなく全存在をかけて一人ひとりに熱情を注ぎ、その十字架の御業を通して、私たちの不安や恐れそして罪と死の闇の力から解き放ってくださいました(6節)。
この事実の前に、私たちの悔い改めは深まり、主イエスへの信頼と従順も深まっていきます。ですから私たちは、回心の深まりを経験することが求められています。