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民数記

最高の祝福(2011.9.11)

宣教題  : 「最高の祝福」   宣教:   川原﨑 晃  牧師
聖    書  : 民数記  6章22節~27節
モ-セとアロンとミリアムは、80歳を超えてから、神に遣わされて神の民イスラエルの先導者となりました(ミカ6章4節)。特にモ-セの兄であったアロンは、神の祝福を執り成す者として用いられました。

1.祝福を受ける
アロンは、徹頭徹尾モ-セの脇役に甘んじたという点で、たぐいまれな人物です。アロンが表面に立って語る時があるとすれば、それはモ-セの代弁者としてでした(出エジプト4章16節)。しかし、どこまでもモ-セを支えるものであって、とりわけ彼の祈りを支えました(同17章8~12節)。
ところが、モ-セが大祭司を選ぶための諸規定を神から教えられていた間(同28~29章)、アロン自身は民の要求に従って金の子牛作りに精を出していました(32章)。神は、そんなアロンの罪を赦し、「主の聖なる人」(詩編106編16節)として、神と罪人の間に立つ仲保者とする祝福を与えられました(出エジプト32章)。これは、私たちの姿を映す鏡であり、イエス・キリストの救いという祝福を受ける者の姿です(エフェソ1章3節)。

2.祝福を告げる
アロンは、神の祝福を告げる祭司として用いられました(民数記6章22~27節)。ここには、「あなた」と言われる神の民全体に対して、神の祝福と守りが(24節)、主の臨在の恵みと導きが(25節)、主の臨在の顧みと平安が備えられることが告げられています(26節)。そしてこの祝福は、全キリスト者に及び、三位一体の神の名による祝祷でもあります(1コリント13章13節)。
今日の教会の礼拝は、牧師の祝祷で終わりますが、互いの日々の歩みがこの祝福を受けたところから始まります。この祝祷は単に祝福を祈るという以上に、祝福を告げることなのです。そして、祝福のうちに死を迎え、祝福の確信をもって試練と戦うのです。私たちは、イエス・キリストに信仰によって結び合わされ、神の祝福を告げる祭司なのです。