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新約聖書

この一事のために(2021.12.19)

聖 書

家に入ってみると、幼子が母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。(マタイ2章11節)

礼拝音源(29.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 テトス2章11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編100編1〜5節
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ2章1〜12節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「この一事のために」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
洗礼式 67
賛  美 258 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリスト礼拝こそが、クリスマスに最もふさわしい私たちのあり方です。東方の博士たちは、キリストに出会い、非常に大きな喜びに溢れてひれ伏し、礼拝をささげました(10~11節)。このことが、私たちに最も必要なことなのです。

1.キリストを知る
博士たちは、星に導かれて旅立ち、救い主に出会い、キリストを礼拝しました。キリストを拒絶して不安を抱いたヘロデ王、また聖書知識はあったもののキリストには無関心であった学者たちとは、大きな違いでした(3~8節)。博士たちは、大切な「宝の箱を開けて」献げました。黄金はキリストが真の王であることを、乳香は神と人との交わりの回復を、没薬はキリストの十字架の死を表しています。
私たちは、御言葉に導かれてキリストに出会い、その御前にひれ伏し礼拝を献げることを通して、キリストを知り続けるのです。

2.キリストによって揺り動かされる
博士たちは、「別の道を通って」いつもの日常の中へ帰って行きました(12節)。神と取引するように、神が語られることを聴き取り、それに服して従いました。それは、新しい歩みへの方向転換であり、神と共に歩み続ける新しい人生の旅路でした。
私たちは、キリストの前にひれ伏し礼拝を献げることを通して新しくされ、遣わされていきます(マタイ28章17節)。その日々の連続が、ついに天の御国におけるひれ伏す礼拝へと至るのです。キリストとその御言葉によって揺り動かされる聖徒の群れが、教会なのです。

神は私たちと共に(2021.12.12)

聖 書

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」これは、「神は私たちと共におられる」という意味である。(マタイ1章23節)

礼拝音源(31.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ40章9節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編130編1〜8節
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ1章18〜25節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神は私たちと共に」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 231 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスの御降誕の出来事は、神の愛の冒険でした。とともに、神の信頼の冒険でもありました。神が人となって私たちのもとに宿られ、私たちと共におられるほどに私たちを信頼され、私たちも神を信頼して神と共にいるのです。

1.神は私たちと共におられる
主イエスは、その系図に見るように、人間の罪と嘆きの現実の中に到来されました(1章1~17節)。それは、人間の力によるのではなく、聖霊による御業でした(18節、20節)。
この主イエスが来られた目的は、その名とされた「イエス」と「インマヌエル」とに明らかにされ、互いに結びついています(21節、23節)。
すなわち、主イエスは、神との間を隔てていた罪の赦しを十字架によって成し遂げられたことによって(イザヤ書59章1~2節)、神が私たちと共にいてくださいます。私たちは、「いつも」そして今日も主の臨在に囲い込まれているのです(マタイ28章20節)。

2.私たちも神と共にいる
それは、「マリアを妻に迎えた」ヨセフの信仰姿勢に見ることができます(24節)。すなわち、人間としての正しさを越えた(19節)、「恐れずマリアを妻として迎えなさい」(20節)との招きに、信仰によって応答しました。ヨセフは、沈黙の中で、神の前で思い巡らし(20節)、神の御言葉と御旨に従ったのです。
私たちは、神の前にひとりになり、神の御言葉と御旨に従う中から神と共にいることを知らされ、神への信頼へと導かれていくのです。

恵みがやってくる(2021.12.5)

聖 書

天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」(ルカ1章28節)

礼拝音源(34.0MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編98編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編108編1〜7節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ1章26〜38節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みがやってくる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
12月誕生者祝福 ヨハネ10章10節b~11節
賛  美 461 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

御子イエスの御降誕の事実は、神の恵みがやって来たことを明らかにしました。ここに語られているマリアへの受胎告知は、マリアを通して、人はこの恵みと出会い、その恵みを受け取る必要があることを語っています(28節、30節)。

1.恵みに捉えられる
未婚の娘マリアにとって子を宿すことは、驚きあやしむことしかできないことでしたが、神の全能によって成し遂げられたことでした(35~37節)。同時にこの事実は、罪と悪に満ちた世界に独り子を送り込むと言う神の冒険でもありました。
マリアは、神の前から逃げることなく、神の御計画を信頼し、一切を託したのです(38節)。彼女にそうさせたのは、神の御言葉に促され、導かれ、支えられてのことでした(28節、30節、35節、37節)。同じように私たちは、主イエスによって成し遂げられた神の救いの恵みに捉えられて、飛び込んでいくのみです。

2.恵みにより方向づけられる
マリアがこのように恵みを受けたことは、大きな試練を通してでした(29節)。それは彼女が、「主の仕え女」として選び取った恵みの経験でした。そして、その後も数々の苦難を受けた中で、わが子が十字架に架けられるという経験をします(ルカ2章35節)。
マリアのこの恵みの経験は、パウロが「あなたがたには、キリストを信じることだけではなく、キリストのために苦しむことも、恵みとしてあたえられているからです」(フィリピ1章29節)と語ることと重なり合います。同じように私たちは、「キリストのために苦しむ」ことの恵みによって、信仰の歩みの方向づけをさせていただくのです。

闇の中に光が訪れる(2021.11.28)

聖 書

これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって高い所から曙の光が我らを訪れ
暗闇と死の陰に座している者たちを照らし 我らの足を平和の道に導く。(ルカ1章78〜79節)

礼拝音源(29.7MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ13章12節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編113編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ1章76〜79節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「闇の中に光が訪れる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 503 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

憐れみ深い神は、洗礼者ヨハネの働きについて(76~77節)、「曙の光」である主イエスの救いの御業について(78~79節)、ザカリアを通して語っておられます。
私たちは、それを捉えることのできる信仰の眼を持たせていただきたいものです。

1.光は闇に勝利した  78~79節
ルカは、主の御降誕を旧約聖書に預言されている約束に結び合わせて語っています(イザヤ8章23節~9章6節)。クリスマスの出来事は、争いという悲惨・社会の悲痛・人類の失敗・罪の暴挙といった「暗闇と死の陰」がもたらすことによって苦しむ人々に、「曙の光」である主イエスが訪れてくださり、神の救いの道を開いてくださいました。
そして、主イエスは私たち一人ひとりを支配している罪と死の暗闇から解き放つために、「低きに下って」くださり、十字架と復活による勝利と永遠の希望の光をもたらしてくださったのです(詩編113編4~8節)。

2.闇の中にあって光を証言する  76~77節
洗礼者ヨハネは、人々が主イエスを救い主として受け入れる「道を備え」る働きをしました。それは、彼が決して自分自身が人々に救いを与えることができるなどとは考えず、彼らに主イエスによる「罪の赦しによる救いを知らせる」ことでした。
神の憐れみによって救いに与った私たちには、他の人々の救いのために道備えをするように、各々にふさわしい働きを託されています。私たちが祈ること、信仰の証しをすることなどによって、主イエスが彼らを救いへと導いてくださいます。主なる神は、私たちが小さな洗礼者ヨハネとして生きることを期待し、待っておられるのです。

 

よみがえる人生(2021.11.21)

聖 書

イエスは言われた。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。(ヨハネ11章25節)

礼拝音源(26.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 2コリント5章17節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編23編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ11章25〜26節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
証し
宣  教 「よみがえる人生」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
幼児成長祝福式 詩編71編5~6節
賛  美 57 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、さまざまに失うという経験をします。その中で最後に経験するのが、「命を失う」という死に直面することです。その時に、いつまでも残る信仰と希望と愛によって(1コリント13章13節)、よみがえる人生へと導かれたいものです。

1.死を覚えよ
マルタとマリアは、病気のラザロが癒やされることを願って「主よ、あなたが愛しておられる者が病気なのです」と、主が最善をしてくださることを期待して、お任せしようとしました(11章1~6節)。しかしその結果は、愛する者の死という悲しみに直面したのです(同7~16節)。それでもなお彼女たちは、主イエスに「終わりの日の復活の時に復活する」との将来に望みを置いています(同22~24節)。
私たちは、死の現実に対して自らの人生のはかなさを痛感します。その死を覚えつつ、主イエスに望みを置くのです。

2.主イエスを忘れるな
ところで、主イエスは「私は復活であり、命である」と語られたように、十字架において人の罪の問題を解決しくださり、復活されて死の問題に解決を与えてくださいました。この主イエスを信じる者は、死の不安の中にあっても復活の命を与えられ、復活の時によみがえるのです。そして、罪のゆえに永遠の死を恐れる者には、主イエスを信じる今この時に、永遠の命が与えられ、新しく生きるようにされるのです(同25~26節)。
主イエスを信じる私たちは、死から命へと移されたよみがえる人生の歩みをします。その信仰に生きる歩みは、継承されていきます。

魂を生き返らせてくださる神(2021.11.7)

聖 書

主は私の魂を生き返らせ御名にふさわしく、正しい道へと導かれる。(詩編23編3節)

礼拝音源(27.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 エフェソ5章14節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編121編
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編23編1~6節
1ペトロ2章24〜25節
使徒信条 93-4  1A 一  同
証し
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「魂を生き返らせてくださる神」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
11月誕生者祝福 1ペトロ1章3節b
賛  美 226 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

信仰の先輩たちは、何を信じ、どう歩んだかを知って、それに倣って生きることが大切です。その人たちに共通していることは、神に信頼する歩みをされたことでした。その神は、「魂を生き返らせ」てくださるお方です(詩編23編3節)。

1.魂を癒やしてくださる
羊飼いにたとえられている主なる神は、不安・疑い・恐れ・疲れを経験する私たちに、必要なものを備えて与え、共に歩み、危険から守り、勝利を与え、憩わせてくださるお方です(詩編23編1~4節)。そして、豊かに溢れるほどの恵みと慈しみをもって、喜ばせてくださるお方です(同5~6節)。
そのために、「魂の牧者であり監督者(見守る方)」である主イエスは、私たちの魂を最も傷つけている罪を十字架によって赦し、魂を癒やし、主のもとに立ち返らせてくださったのです(1ペトロ2章24~25節)。私たちは、十字架の主に信頼するのみです。

2.絶えず主のそばに導いてくださる
「私は乏しいことがない」とは、万事が思うように都合よくいくといった時ばかりではありません(詩編23編1~2節)。時には「死の陰」と思われる恐れを経験したり、「苦しみ」に出会ったりします(同4~5節)。
しかし、主はいつもご自身の面子にかけて、必ず「正しい道」そして勝利の道へと導いてくださいます(同3節)。「あなたは私と共におられる」と、主の臨在こそが私たちの救いです(同4節)。主イエスがいつまでもそばにいて寄り添い、その恵みと慈しみの確かさ、深さ、強さをもって導いてくださるからです。

変えられる人生(2021.10.31)

聖 書

すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。(ヨハネ5章9節a)

礼拝音源(27.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マタイ11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編46編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ5章1~9節
使徒信条 93-4  1A 一  同
証し
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「変えられる人生」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 456 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

長年病気で苦しんできたひとりの人は、主イエスから「良くなりたいか」と尋ねられたことに応答して良くなり、生まれ変わらせていただきました。このように本気で問いかけられる主イエスは、どのようなお方なのでしょうか。

1. 見出し受け止めてくださる
このひとりの人は、何ともならない倦怠感と挫折感だけが残り(5節)、助けをえられないとの無力感を味わう(7節)日々を歩んでいました。主イエスは、このひとりの人の前に立ち止まり、彼を見られ、その窮状を知って、その悩みと痛みをご自身の身に受け止められました。本気で「良くなりたいか」と語られています(6節)。
心身の弱さだけでなく、人は誰もが罪の惨めさと死の恐れの経験をします。それらから、何とかならないかとあえぎ、諦め、無力感を持ちます。主イエスは、今もその惨めさを抱く一人ひとりを見出して受け止め、愛の眼差しをもって語りかけられるのです。

2. 起き上がらせ新しい歩みを造ってくださる
主イエスは、このひとりの人のすべて受け止め、担うとともに、起き上がらせ、なお深く関わっておられます(8節)。この主イエスの愛するという行動に応答した彼は、瞬時に良くなって、主イエスによって新しい歩みが造られていったのです(9節)。
続いて主イエスは、このひとりの人に「もう罪を犯してはいけない」(14節)と語られています。その罪と死に対する解決は、真実な主イエスと十字架と復活による救いにしかありません。主イエスは、今この時も「あなた」の前に立たれ、「良くなりたいか」と問いかけ、それに応答するように招いておられます。

信仰による望み(2021.10.24)

聖 書

そして、彼もその家族もこぞって信じた。(ヨハネ4章53節b)

礼拝音源(32.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ5章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編24編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ4章43~54節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「信仰による望み」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
賛  美 474 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、十字架と復活による主イエスの救いに与り、今も共に歩まれる主イエスの恵みに与り続け、再臨される主イエスに望みを置いて生きています。ここから生きた信仰が生まれます。その良い例が、「王の役人」にみる信仰でした。

1.主の御言葉を信じて一歩を踏み出す  46~50節
王の役人は、息子が病気で死にかけているという予想だにしなかった深刻な問題に直面していました。そのことに心を支配されていた彼は、主イエスに息子の癒しを繰り返し執拗に「頼んだ」のです(47節)。主イエスは、自分の無力を思い知らされていた彼に対して、冷たい返事をされましたが、彼は懇願し続けました(48~49節)。ついに彼は主イエスからお答えをいただき、「イエスの言われた言葉を信じて帰ったのです」(50節)。
事が思い通りに運ばなかったりすると、信仰がぐらつきやすくなります。王の役人のように、私たちも御言葉に従って一歩を踏み出す信仰が求められます。

2.さらに深く主を信じさせていただく  50~53節
主イエスは、しるしや不思議な業を見なければ信じない人々に対して(48節)、主イエスの御言葉を聞いて信じたサマリアの人たちを見よと言わんばかりに(41~42節)、主イエスの御言葉だけで十分な信仰に導かれることを証しされました(50節)。王の役人は、主イエスの御言葉を信じて帰って行くと、息子が癒されていたことを知り、もう一度「信じた」のです。しかも彼の家族全員の信仰を引き出すという祝福を体験しました(53節)。
信仰の確かさは、私たちの内にある何かでなく、仰ぎ見る主イエスにあるのてす。聖餐の恵みは、望みを抱いて、信仰の吟味をいただく時です(1コリント11章26~28節)。

喜びを共にする(2021.10.17)

聖 書

あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月ある』と言っているではないか。しかし、私は言っておく。目を上げて畑を見るがよい。すでに色づいて刈り入れを待っている。刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、蒔く人も刈る人も共に喜ぶのである。(ヨハネ4章35〜36節)

礼拝音源(27.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編26編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ4章27~42節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「喜びを共にする」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
長寿祝福・感謝の時
賛  美 459 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、一日を最後の日であるかのように遣わされて生きていくならば、人生を前向きに生きることができます。主イエスが神から遣わされ方であったように(34節)、弟子たちも主イエスに遣わされて生きることを喜びとするように導かれました(38節)。

1.主イエスの喜びを共にする
サマリアの女は、主イエスによって救われた喜びを人々に語らずにはおれませんでした。その証言はサマリアの人々の魂を揺り動かし、主イエスを信じる者とされました(30節、39~42節)。サマリアの女に成し遂げられた父なる神の御業は、主イエスの喜びでした(34節、ルカ15章5~7節参照)。
主イエスは、弟子たちを使命をもって遣わそうとされます。主イエスが福音の種を蒔いてくださり、弟子たちがその福音の実を借り入れことによって「共に喜ぶ」ことを願われてです(35~36節)。私たちには、この喜びを知る生き方に変えられ、その喜びが増し加わっていくことが願われています。

2.同労者と喜びを共にする
主イエスに遣わされた「ほかの人々が労苦し」、主イエスに遣わされた人々が実を刈り入れ「共に喜ぶ」ということは、今日に至るまで続けられています(使徒言行録8章参照)。そこには、同労者として喜びを共にするという恵みがあります(35~38節)。
このことを知るならば、共に感謝と喜びがあり、また自分を誇ることができないと謙虚にならざるを得ません。私たちは、いかなる立場であっても、神の国の建設に仕える喜びを共にするために、遣わされて生きる一人ひとりなのです。

愛の懇願(2021.10.10)

聖 書

私の子どもたち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、私は、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。(ガラテヤ4章19節)

礼拝音源(22.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ローマ12章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編126編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ4章12~20節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「愛の懇願」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 512 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神の子とされていたガリラヤの信徒たちは、そのキリスト信仰が不確かになり、キリストから離れていきました。それに対してパウロは、彼らとの親しい交わりを回顧しつつ、信頼を込めて愛の懇願をしています(12節、19節)。

1.キリストの福音に留まり続けるように  12~15節
パウロは、律法から解き放たれて、キリストの救いに与る生き方に変えられました。ガラテヤの信徒たちは、世を支配するものから自由にされて、キリストによって新しい生き方をするようになりました。両者は、キリスト信仰に生き、キリストに従う者となって、互いに倣うものとなったのです(12節)。
そのガラテヤの信徒たちは、病と弱さを持っていたパウロを拒むことなく受け入れ、パウロが語るキリストの福音を素直に受け入れて幸いを味わったのです(13~15節)。この時の彼らに見る信仰をもって、キリストの福音に留まり続けることが大切です。

2.キリストが形づくられるように  16~20節
ところが、ガラテヤの信徒たちは、キリスト以外のものに土台を置いて生きることに逆戻りしていきました(16~17節)。そんな彼らにパウロは、熱い愛をもって十字架の福音を語り続けるのです(18節)。
そして、その信仰が成長していくことを願い、再び産みの苦しみをしました。その願いは、一人ひとり内に、かつキリストの体である教会の間にキリストが形づくられ、キリストの愛に満たされることでした(19節)。人が途方に暮れるようなことがあっても、キリストは失望させなさることはありません(20節、2コリント4章8節)。

神の子として生きる(2021.10.3)

聖 書

ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人でもあるのです。(ガラテヤ4章7節)

礼拝音源(32.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1テモテ1章15節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編65編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ4章1~11節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神の子として生きる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
10月誕生者祝福 2テモテ2章1節、8節
賛  美 12 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

本日の聖書箇所のメッセージの要約は、「あなたはもはや奴隷ではなく、子です」(7節)とある通りです。ここでは、私たちが神の子としての生涯をスタートし、神の子としての生涯を全うするように招かれています。

1.神の子とされる   1~6節
かつてのパウロは律法を遵守することに救いを見出していましたし(3節)、異邦人のガリラヤ人は「神でない神々の奴隷となって」その生き方に依存し束縛されていました(8節、10節)。そこには、迷信に縛られたり、自分で得た価値観に流され依存している人間の姿があります。
私たちは、そのようなところからキリストの十字架によって贖い出され、神の子として、神と共に生きるようにされたのです(4~5節)。そして、「御子の霊」すなわち聖霊によって「アッバ、父よ」と神に祈り、神に近づく者とされたのです(6節)。

2.神の子として育てられる   6~11節
さらに、神の子とされた者は、栄光の日に復活の体に変えられて永遠に生きるものとされるという財産を受け継ぐ「相続人」にされています(7節)。聖霊は、終わりの時まで神の子を育てられ、守り続けられるのです(6節、ローマ8章14~17節参照)。
にもかかわらず、私たちを福音から引き離して律法に生きることが魅力的になったり、迷信などに隷属させるという「逆戻り」が起こるのです(9節)。ですから、私たちは、今では神を知っている、いや知られている神の子として育てられているという恵みを絶えず確認することです。このためにも、聖餐の恵みにあずかり続けるのです。

満ち足りた人生(2021.9.26)

聖 書

しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真実をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。(ヨハネ4章23節)

礼拝音源(26.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1ヨハネ3章16節ab 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編84編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ4章19~26節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「満ち足りた人生」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 451
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスは、すべての人に福音を届けてくださり、救いの道を開いてくださいました。ここでは、その救いの道を私たちがどのように歩み、また生活するかを明らかにされました。

1.実質ある礼拝生活を
サマリアの女は、礼拝の場所の正当性を取り上げました(20節)。それに対して主イエスは、場所に捉われるのではなく、誰を礼拝するのかを「知っている」ことの重要性を語られたのです(21~22節)。そして、聖霊によって新たに生まれ変わらせていただき(3章3~6節)、真理である主イエスによって(14章6節)礼拝を献げることが、実質ある礼拝であることを明らかにされました(23~24節)。
私たちは、このように父なる神が求めておられる礼拝に応答していくことによって、父なる神に養っていただき、満ち足らせていただく歩みを続けるのです。

2.実質ある信仰告白を
実質ある礼拝生活は、主イエスとその救いの御業に信仰の応答をすることから始まります。そして、サマリアの女同様に、「あなたと話しているこの私が、それ(キリスト)である」(26節)ことを知って、主イエスを告白し続けることが必要です。
この時、サマリヤの女は、質的な大きな変化を経験しています。彼女が、主イエスに出会うまでの興味や関心事に勝って、主イエスを知って証ししたのでした(27~30節)。この霊的目覚めは、パウロも経験したことでした(フィリピ3章8節)。私たちが、イエス・キリストご自身を知ることに勝るものはありません。

命あふれる人生(2021.9.19)

聖 書

しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。」(ヨハネ4章14節)

礼拝音源(28.5MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編32編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ4章1~18節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「命あふれる人生」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 433
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちの肉体の渇きや心の渇きを覚えるときは、繰り返し水分を求めます(13節)。ところが、主イエスは、魂の渇きに対しては「私が与える水を飲む者は決して渇かない」(14節a)と語られ、「神の賜物」について知らせてくださったのです(10節)。

1.「神の賜物」は与えられている

主イエスとサマリアの女との出会いは、一見偶然のように見えますが、主イエスの側からは必然のことでした。そこにおいて主イエスは、交わりをもっていなかったサマリアの女に、「水を飲ませてください」(7節)と求められたのです。そして、彼女に「永遠の命」を「神の賜物」として与えようとされたのです。
そのために主イエスは、彼女のうちにあった魂の病とも言える罪を具体的に示され、それからの解決の道を明らかにしようとされました(16~18節)。そうすることによって、彼女を主イエスが与えてくださる救いへと導こうとされたのです。一人ひとりが、この神の賜物を信じ受け入れることが必要です。

2.「永遠の命」があふれ出てくる
主イエスが与えてくださる「永遠の命」は、与えられた人を通して「湧き出る」のです(14節b)。すなわち、主イエスから与えられた永遠の命は、自分一人のなかにしまっておけないで、「踊り上が」るようにあふれ出て(使徒言行録3章8節)、他の人を癒やし生かすのです。サマリアの女は、この後そのように導かれました(ヨハネ4章39~42節)。

このように主イエスは、ご自身を信じ受け入れた者を通して、「永遠の命」が湧き出る新たな人生へと広げてくださいます。

 

 

 

キリストにはかえられません(2021.9.12)

聖 書

「あの方は必ず栄え、私は衰える。」(ヨハネ3章30節)

礼拝音源(26.3MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編68編20~21節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編92編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ3章22~36節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストにはかえられません」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 522
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ここには、キリストと洗礼者ヨハネの関係を明らかにしつつ(22~30節)、キリストと人との関係が語られています(31~36節)。そして、洗礼者ヨハネのキリスト証言は、終始一貫変わっていないことが証しされています(29~30節)。

1.キリストの喜びを共に喜ぶ  29節
キリストの証しを受け入れる者は、神は間違いがないと確認し、揺るぎない者にされます(33節)。つまり、キリストを信じる者は、永遠に神の前に神の命をいただいて生きるものとされますが、キリストに従わないで生きる者は、神の怒りに支配されたままとなります(36節)。厳粛な事実です。
さて、花婿の「介添人」は、花婿に花嫁を紹介して喜びを共にします(29節)。そのように、キリストと失われ滅びに向かう人との間を取り持ち、新しく生まれ変わった人生へと導くのが、キリストの喜びを共に喜ぶ「友」なのです(ヨハネ15章11~17節参照)。

2.キリストの栄えを喜ぶ  30節
洗礼者ヨハネは、キリストは必ず栄えて輝き、自分は衰えるべきだと語ります。彼は、徹底して自分の使命に生き、なすべきことを忠実に果たしたのです。これこそ、真実なきよめの生涯です。この生き方は、キリストの友としていただいた一人ひとりが受けとめていくことです。
自分が輝くことが衰えてキリストが輝き続けるならば、永遠の命によって覆われ続けた生き方となります。そのような私たち一人ひとりを通して、キリストの輝きが増し続ける教会となるのです。

 

 

キリストにあって(2021.9.5)

聖 書

あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです。(ガラテヤ3章28節d)

礼拝音源(25.2MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ43章19節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編99編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ3章23~29節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストにあって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
9月誕生者祝福 ローマ15章13節
賛  美 411
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリストの十字架と復活によって神の「真実が現れたので」、私たちは律法に縛られることなく、キリストに対する信仰によって導いていただきました(23~25節)。この「キリスト・イエスにあって」(26節、28節)、どのような新しさが生じたのでしょうか。

2.キリストにあって神の子  26~27節、29節
キリストの真実のゆえに、キリストへの信仰のもとに生きる一人ひとりは、神に捕らえられ、守られ、終わりまで支えられる「神の子」です(26節)。
神の子は、「洗礼を受け」てキリストに結び合わされ、その命のご支配に入れられています。そして、罪と死の支配を脱ぎ捨てて、義と命をさずけてくださる「キリストを着た」者として覆われています(27節)。さらに、「キリストのもの」として、神の命を受け継ぎ、永遠の神の国の世継ぎとしての祝福の「相続人」とされるのです(29節)。
「キリスト・イエスにあって神の子」とされた信仰から始めさせていただきましょう。

2.キリストにあって一つ  28節
このような神と人との関係は、同時に人と人との新しい関係をつくり上げていくことに結びついています。すなわち、キリストにある交わりに入れられた時から、民族の壁、社会の壁、性別の壁などを乗り越えて、私たちは「キリスト・イエスにあって一つ」とされるのです。それは、繰り返しキリストが祈られたことであり(ヨハネ17章21節)、キリストが一致させてくださる十字架を通しての恵みです(エフェソ2章14~16節)。
このことが現実に成されていくには、私たち一人ひとりが十字架を負うなかから導かれていきます。神の子とされた者たちが一つにされ、仕え、遣わされていくのです。