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新約聖書

キリストの招きに限界はない(2022.4.24)

聖 書

イエスは言われた。「私が命のパンである。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇くことがない。(ヨハネ6章35節)

礼拝音源(29.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編68編20〜21節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編23編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ6章22〜40節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストの招きには限界はない」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 433 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、「天にまします我らの父よ」と呼びかけ、父なる神と向き合って生きいくことが大切です。そのために、父なる神と私たちとの懸け橋となってくださったイエス・キリストが、どういう方かを知る必要があります。

1.もう一つの命を与える方  26~35節
主イエスは、「よくよく(アーメン アーメン)」(26節、32節)と語られて真実の限りを尽くしてくださいました。ですから、永遠から永遠までおられる神との交わりのうちにある命を得ることができるように懸け橋となってくださった主イエスを「信じること」です(27~29節)。そして、その命を与えるために、「私が命のパンである」と言われた主イエスの「もとに来る」ことです(32~35節)。
十字架に死んで復活された主イエスは、全世界よりも重いもう一つの命を分け隔てなく与えてくださる方です(マタイ16章26節)。

2.大地のような方  35~40節
ヨハネは、厳しい試練の中にあって、主イエスを次のように紹介しています。主イエスのもとに来る者は決して飢えることがなく、主イエスを信じる者は決して渇くことがなく(35節b)、主イエスのもとに来る者を決して追い出されず(37節b)、主イエスを信じる者が皆永遠の命を得て、終わりの日に復活するのです(39~40節)。
主イエスは、私たちが厳しい試練に遭っても、そこから回復させ、強め、力づけ、揺らぐことのないようにしてくださる大地のような方です(1ペトロ5章10節)。ですから私たちは、主イエスのもとに「来て」、横たわるようにして「信じ」お任せするのです。

人生は空しいものではない(2022.4.17)

聖 書

イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちは誰も、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であると分かっていたからである。(ヨハネ21章12節)

礼拝音源(30.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 エフェソ5章14節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編16編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ21章1〜14節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「人生は空しいものではない」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 352 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主の弟子たちは、主イエスから以前お聞きしていたように(マタイ26章32節)、ガリラヤで復活の主にお会いました。彼らは、空しさを覚えるような暮れていく道ではなく、しだいに明けていく光の道を歩いていきました。

1.復活の主はすぐそこに 1~5節
弟子たちは、何週間か前に復活の主とお会いして大喜びしたにもかかわらず(ヨハネ20章20節)、はや不安を覚えながら漁に出ました。彼らは、何の収穫もない状態で一夜を過ごし、空しさの中を信仰の後戻りしているありさまです。このように、復活の主を見失っていたのですが、復活の主がおられないというのではありませんでした。復活の主は、そこに立っておられたのです(4節)。
今日の私たちは、揺れ動く諸状況の中にあって不安を覚えますが、主イエス御自身(ヘブライ13章8節)と神の御言葉(マタイ24章35節)は変わることはありません。

2.復活の主との新たな交わりに 5~14節
この時復活の主は、愛に満ちた指示をされ、命の交わりを持とうとされました(5~6節)。復活の主が手ずから食事を整えてくださり、弟子たちの労苦も用いてくださったのです(8~13節)。このように主イエスが備えてくださった感謝の食卓は、これまでも新たな交わりを生みました(マタイ26章26~30節、ルカ24章30節)。
主イエスを信頼して歩む者は、いかなる時も主イエスの恵みと憐れみの交わりの人生が備えられています。それは、永遠の御国での永遠の主との交わりにもつながるのです(ヨハネ14章1~2節)。

主に立ち帰るために(2022.4.10)

聖 書

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してそれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これは私の体である。」 (マタイ26章26節)

礼拝音源(36.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編19編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ26章17〜35節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「主に立ち帰るために」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
聖  餐  式 新49
賛  美 300 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

イスカリオテのユダが主イエスを裏切る企てをした直後に、「過越の食事」続く「主の晩餐」と言った主イエスとの交わりが持たれ、ペトロの離反と続きました。私たちは、この出来事を通して、再確認し再出発することがあるのです。

1.主の前に自分の姿を顧みる 17~25節、31~35節
神の救いの御業を想起する「過越の食事」の祝いの交わりを損なうことが起ころうとしていました。自分の思いを優先させ、それを押し通したユダの裏切りです(17~25節、47~50節)。さらに「主の晩餐」の直後に、ペトロを代表とする主の弟子たちが、主イエスにつまずいて見捨てて逃げていったことです(31~35節、69~75節)。その後、ユダを除く主の弟子たちが主の周りに集うようになったのは、主イエスが復活される時までありませんでした。
私たちは、自分を過信したり自分の都合で、主イエスのもとを離れたり、主の御心と掛け離れたところに自分の心を置いていることがないかを顧みることが必要です。

2.主にあって生きる 26~30節
そのような状況の中で、「主の晩餐」が執り行われました。この時に主イエスが執り行われたパンとぶどう汁を用いての行為と言葉は、今日の私たちに聖餐というかたちで受け継がれています。私たちは、この聖餐において、自らを吟味して罪を悔い改め、憐れみの見本として主イエスの救いにすがるのです(1テモテ1章15~16節)。
私たちは、主イエスにあって、新しく造り変えられ、やり直しのチャンスをいただき、
いつまでも主と共に生きていくのです。

新しく造られること(2022.4.3)

聖 書

割礼の有無は問題ではなく、大事なのは、新しく造られることです。(ガラテヤ6章15節)

礼拝音源(31.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ12章24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編14編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ6章11〜16節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「新しく造られること」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
4月誕生者祝福 2テモテ2章8節
賛  美 475 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、主イエスの恵みにより、信仰を通して「新しくされ」たときから(ヨハネ3章3節、5節)、「新しく造られる」(15節)恵みの中を生きていきます。これは、信仰者にとって、心して聞かねばならない大切なことです(11節)。

1.十字架を誇りとして生きる  14節
律法主義的なキリスト者たちは、人を恐れることからくる自己保全や自分たちを「誇りたい」との欲望や虚栄心がありました(12~13節)。しかし、十字架と復活によって永遠の救いに与らせてくださるキリストを知った者は(フィリピ3章4~8節)、十字架以外は誇りとしないようになるのです(14節a)。
ですから、この世の評価や価値観と私たちとの間に十字架が立っているなら、この世は私たちを支配しないのです(14節b)。このように、十字架の恵みは、私たちを真に自由な生き方へと変えていくのです。

2.キリストを基準として生きる  16節
「この基準に従って進む人々」は、キリスト信仰に生きる神の民として歩調を合わせ一致を保ちつつ進んでいく教会の姿を表しています。その基準は、キリストの十字架と新しい創造です。私たちにこの基準が明確になっていれば、互いの間に平和と憐れみがともないます(5章13節、6章2節)。
このことが朝ごとの恵みとなるならば(哀歌3章22~23節)、私たちの日々は「新しく造られ」続けていくのです。

信仰は実践的なもの(2022.3.27)

聖 書

口でイエスは主であると告白し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。(ローマ10章9節)

礼拝音源(31.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 2コリント5章17節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編8編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ19章38〜42節
ローマ10章9節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「信仰は実践的なもの」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 448 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「アリマタヤ出身のヨセフ」と共に「ニコデモ」(3章1節以下)は、十字架に死なれた主イエスのお体を引き取るという行動をすることにより、「イエスの弟子」であることを公にしました。このように神は、一人ひとりに相応しい出る幕を用意しておられます。

1.主イエスにどこまでも愛されているから
主イエスは、慈しみと慰めに満ちたお方です。それは、主の弟子たちを守り通されたことを通して明らかです(18章19~20節)。
それに対して、ニコデモは主イエスを弁護できないで沈黙し(7章50~51節)、彼も主の弟子であることを「隠していた」のです(38節)。そこには、他の人の顔や評判に恐れやすい心があり、神を信頼し切れない姿があります(12章42~43節)。
しかし、主イエスは、そのようなニコデモを始めとする主の弟子たちに、深い豊かな愛を注ぎ、最後まで愛し通されました(13章1節)。

2.主イエスのために生きるようになるため
主イエスの葬りに際して、それまでひそんでいたニコデモの信仰が公に表されました。主の教えも数々の奇跡も成しえなかったことを、主の十字架の死が彼を引き寄せ、イエスを主として見える形で崇めて生きるようになったのです(39~40節)。
「口でイエスは主であると告白」(ローマ10章9節)するとは、心で信じたことを口と存在と行動をもって表すことです。つまり、イエスを主として従っていくことを行為に表し、主イエスのために生きることです。このように神によって出る幕が設けられたことを通して、私たちが神の祝福を周囲に及ぼす者とされていくのてす。

目指す地へ(2022.3.20)

聖 書

そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。(ヨハネ6章21節)

礼拝音源(28.7MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編124編8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編4編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ6章16〜21節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「目指す地へ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 462 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ここでは、「あなたはどこに行くのか」、そして「どなたと一緒に行くのか」と問いかけています。そうした中から、「目指す地に」向かう主の弟子たちが自らの真相を知らされ、主イエス御自身の真実を知るように導かれています。

1.自らの真相を知る  16~19節
弟子たちは、主イエスによって「強いて」舟に乗せられました(マタイ14章22節)。主イエスは、深い意図をもって成されたのです。ところが弟子たちは、逆風に悩まされるという試練に遭い(同14章24節)、どうにもならない状態に置かれました。
このように主イエスは、私たちの信仰の旅路や教会の歩みにおいて試みることを通して、私たちの罪深さや弱さや足らなさといった真相を知らせ、信仰の深みへと導かれます。それはまた、神の御前にも、人の前にも、真の謙遜を学ばせるために通される恵みの経験でもあります。

2.主イエスの真実を知る  19~21節
主イエスは、恐れろうばいする弟子たちに、「私だ。恐れることはない」と声を掛けられました。弟子たちは、恐れゆえに主イエスを見失っていたのです。そして、「私だ」との声が聞こえなくなっていたのです。
私たちも同様です。恐れを抱くような危機に遭遇したとき、そのただ中におられる主イエスの声を聞けるかどうか、そこに信仰生活の勝敗はかかっています。こうした危機のただ中に真実な主イエスの臨在を覚え、「私だ、恐れることはない」との御声を聞きつつ、主イエスに導かれて「目指す地に」向かって歩むのです(申命記33~34章)。

蒔くことと刈り取ること(2022.3.13)

聖 書

自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。(ガラテヤ6章8節)

礼拝音源(27.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編2編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ6章6〜10節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「蒔くことと刈り取ること」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 514 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

この聖書箇所には、「蒔く」ことと「刈り取る」ことについてのテーマで語られています。私たちが信仰とその歩みに蒔き続けるものに対して、神が刈り取らせられることを教えています。何を蒔き、何を刈り取るのでしょうか。

1.良いものを分かち合う  6節
救いの神は、日々に私たちを担っていてくださる恵みに立って(詩編68編20節)、「おのおのが自分の荷を負」い(6章5節)、「互いに重荷を担」っています(同2節)。
この荷を負うことの大切なことの一つに、御言葉を語り教える者とそれを教えられる者とが、互いに神の国に仕えていきます。前者は御言葉の真理を学んで得た良いものを、後者は働きによって得た良いものを、共に神から授かった賜物として「分かち合」うことによって(1コリント9章11節)、「愛をもって互いに仕え」(5章13節)ているのです。これは、聖霊による交わり(コイノーニア)です。

2.聖霊に蒔く生き方をする  7~10節
霊の人は、神への奉仕、他の人の霊的・実際的必要を満たすために「蒔く」労苦をするように勧めています。神を尊ぶことは、他の人も尊ぶからです(7節)。それは、「自分の肉に蒔く」(5章19~21節)のではなく、「霊に蒔く」(同22~23節)ことにより、失望落胆して投げ出すことなく、時のある間に機会を生かして「善を行う」ことです。
それに対して、神が終わりの時に「刈り取り」をされます(マタイ16章27節)。神の恵みによって「永遠の命を刈り取」るのですから、怠惰になることなく、高慢になることもなく、日々に聖霊に蒔く生き方をしていくのです。

負うべき重荷(2022.3.6)

聖 書

互いに重荷を担いなさい。そうすれば、キリストの律法を全うすることになります。 (ガラテヤ6章2節)

礼拝音源(30.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編46編11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編1編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ6章1〜5節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「負うべき重荷」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
3月誕生者祝福 1ペトロ1章8~9節
賛  美 459 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

聖霊に導かれ、聖霊によって歩みまた進む信仰者たちが(5章16節、18節、25節)、「霊の人」です(6章1節)。その人たちは、他者との愛の実際的な関係が培われている人たちです(5章13~14節、22節)。そして、重荷を負って歩むことに生きる人たちです。

1.互いの重荷を  1~2節
霊の人は、柔和な主イエスによって自分たちの重荷を負っていてくださることを知っています(マタイ11章28~30節)。ですから、その人は、「過ち」に陥って罪責や自責の念といった重荷を抱えている人たちを、聖霊が結ばせてくださる実である「柔和な心」で回復させようとするのです。そのためには、自らも過ちに陥ることとのないように、謙虚であり続けることが大切です。
このようにして「互いに重荷を」担い合って生きることが、互いに愛し合うことであり(ヨハネ13章34節)、愛をもって互いに仕えていくことになるのです(5章13節)。

2.自分の荷を  3~5節
人と人との比較の中で生きていると、自分を欺いたり、間違った誇りを持ったままの中を過ごします。しかし、神の御前に自分自身を吟味しながら歩むことにより、人間理解が変えられ、他の人との関係と交わりが豊かなものになります。
そのような私たちは、次のような自分の荷を負っています。罪と死と滅びという自分が負っていた荷は、主イエスが十字架に架かられて代わって負ってくださいました(詩編68編20~21節)。そして、自分の全うすべき責務という荷は、神から託されています。教会は、このような「自分の荷を負う」ことを知る者たちの集まりです。

どうしたら信じられるか(2022.2.20)

聖 書

あなたがたは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を調べているが、聖書は私について証しをするものだ。 (ヨハネ5章39節)

礼拝音源(29.7MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ハバクク2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編149編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ5章31〜47節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「どうしたら信じられるか」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 54 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

信仰者は、大きなことばかりでなく小さなことにも、ありとあらゆることを主イエスとその御業と御言葉を信じて歩んでいきます。それは、どういう信仰なのでしょうか。

1.信頼する  31~40節
主イエスは、自ら神として働いていることを明らかにされました(5章17~18節)。そのことを「証し」したのは、洗礼者ヨハネであり(33~35節)、主イエス御自身の御業であり(36節)、父なる神御自身であり(32節、37節)、聖書そのものです(39節、46節)。
しかし、ユダヤ人たちは、主イエスの語ることは信じるに値しないと決めつけ、主イエスのもとに来ようとしませんでした(40節)。それは、「父のお言葉を自分の内にとどめていない」で(38節)、主イエスを小さくし、その御言葉を軽く考えていたからです。
私たちは、主イエスとその御業と御言葉に対して、全き信頼を持ち続けて歩むのです
(37節b、1ペトロ1章8~9節)。

2.誠実である  41~47節
ユダヤ人たちは、神を愛し敬っていると言いつつ、神の栄光を求めて神に喜んでいただこうとするより、人からの栄誉に心を奪われていました。それが、主イエスを軽んじて十字架に架けることにつながっています。そこには、主イエスとその御業と御言葉に対する誠実さはありませんでした。
イスカリオテのユダは、不誠実の中を歩みましたが(マタイ27章3~5節)、パウロは主イエスとその救いを知って、誠実な歩みに変えられました(45節、フィリピ3章7~8節)。
私たちは、主イエスとその御業と御言葉に対して、誠実な歩みを続けるのです。

聖霊によって歩む(2022.2.13)

聖 書

私は言います。霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。(ガラテヤ5章16節)

礼拝音源(30.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編148編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ5章16〜26節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聖霊によって歩む」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
2月誕生者祝福 詩編16編8~9節
賛  美 342 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリストを信じた時に聖霊を授けられて(3章2節、5節)、新しく生まれ変わらせていただいた私たちは、キリストに属する者となりました。それが私たちの真の居場所となり、その時から聖霊によって歩み続けるように導かれてきました。

1.聖霊の道を
キリストのものとされた者は、肉の望むことと聖霊の望むこととの葛藤を意識することがあります(17節)。しかし、聖霊が導いていてくださっているので(18節)、聖霊によって歩み(16節)、聖霊に導かれて生きているので、聖霊によって進んでいきます(25節)。聖霊は御言葉とともに働かれますから、御言葉に聴従し、聖霊に全面的に信頼し、支配していただくことによって、内側から溢れてくる聖霊の道を生きるのです。
さらに、聖霊によって進むとは、教会が秩序をもって共に進むことを意味していますから(25節)、聖霊の道を踏み外すことがないようにしたいものです(26節)。

2.聖霊の実を
このように聖霊の道を歩む者たちに、聖霊は内側から人を造り変え続けます。そして、聖霊の恵みによって実が結ばれていきます(22~23節)。それには、「愛、喜び、平和」との神に対する実、「寛容、親切、善意」との人に対する実、「誠実、柔和、自制」との自分自身に対する実があります。これらは、聖霊の導きに従って歩むすべての人に、一つの実となって表れ、結ばれていく驚くべき恵みです。
私たちは、聖霊が結ばせてくださる実であることを謙虚に受け入れ、それが私たちの人格と品性の証しとなって表れていくことが大切なのです。

キリストに属する者(2022.2.6)

聖 書

キリスト・イエスに属する者は、肉を情欲と欲望と共に十字架につけたのです。 (ガラテヤ5章24節)

礼拝音源(29.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編100編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編133編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ5章16〜26節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストに属する者」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 503 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリストに愛されている自分に出会い続けることは、信仰者にとって大切なことです。そのような信仰の自覚は、「キリスト・イエスに属する者」(24節)とされている自分に出会うことにつながります。

1.キリストのものとされている
キリスト者の自由に生きる者は(5章1~15節)、キリストに属する者となり、キリストのものとされて生きるのです。ところで、キリストのものとされるためには、キリストの十字架なしにはありえませんでした(1コリント6章19~20節参照)。それによって、キリストが永遠の主人となられたのです。
私たちは、キリストのものとされている自分に出会い続けることにより、今の自分が100パーセントキリストのものとされているとの自覚をもって生きるのです。

2.十字架につけられている
ここでいう「肉」とは、神に反逆させる罪を「情欲」と「欲望」に呼び込んでくるもので、キリスト者の中にも残存するものです。その「肉の行い」は、本能むき出しの性的な罪(19節)、神に対する敵対行為の罪(20節)、対人的に毒された感情(20~21節)、不節制で自分自身を破壊する罪(21節)などとなって明らかになっていきます。中でも「妬み」は人間の罪の核心部分にあります(26節、マルコ15章10節参照)。
私たちは、この「肉を情欲と欲望と共に十字架につけられ」ていることを信仰をもって受け取り、主の恵みによってその肉の働きと決別させていただくのです。そして、時々刻々、十字架につけられている自分に出会い続けて歩むのです。

死から命へ(2022.1.30)

聖 書

よくよく言っておく。私の言葉を聞いて、私をお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁きを受けることがなく、死から命へと移っている。(ヨハネ5章24節)

礼拝音源(30.0MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 黙示録3章8節b 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編146編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ5章19〜30節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「死から命へ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
献 児 式
賛  美 456 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「今も働くのだ」と語られた御子イエスによって(17節)、「死から命へ」と移された(24節)ことを知った人々は、「驚き」の経験をします(20節、28節)。その驚きは、御子の真実な救いの御業を語る御言葉でした(19節、24節、25節)。

2.その源には「キリストの従順」があった  19~23節、30節
御父と御子は、完全な一致と調和を持っておられます(19節、30節)。そこには、御父の御子に注がれる愛があり、御父は御子に「大きな業」を示されました(20節)。それは、霊的命を失った人に命を与えて生かし(21節)、御父に代わって御子に裁く権威を与えられたのです(22節)。それにより、人々が御父と御子を敬うようになるのです(23節)。
こうして、御子は、御父から出た救いの御計画に対して全く従順でした。御子は、十字架の死に至るまで従順を学びながら、御子に従うすべての人々にとっての永遠の救いの源となられたのです(ヘブライ5章7~10節)。

2.その極みは「キリストの永遠の救い」である  24~29節
御子は、すべての人を霊的な「死から命へと」移し、御子がお持ちの「永遠の命」を与えて生きるように招いておられます(24~26節)。そして、御子に聞き従うならば永遠に生き続け、御子の命の賜物を拒み続けるならば最終的な裁きがあります(27~29節)。それゆえに、御父を信じ、御子が語られる言葉を聞き取って受け取り、聞き従うのです(24~25節)。
私たちは、御父からいただいた人生を受けとめて感謝し、いつも御父の前に構えないで素顔で向き合い、御子の永遠の救いの中を歩み続けるのです。

とこしえの愛(2022.1.23)

聖 書

イエスはお答えになった。「私の父は今もなお働いておられる。だから、私も働くのだ。」
(ヨハネ5章17節)

礼拝音源(28.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 2コリント5章17節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編130編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ5章9節b〜18節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「とこしえの愛」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 475 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

変わりやすいのが私たち人間です。しかし、決して変わることのない「天のお父さま」である神を信頼して生きていくならば、人生に安心が生まれます。
神の「とこしえの愛」は、どのように現され、実現されていくのでしょうか。

1.キリストによって現された
病気を癒やしていただいた人は、そのようにしてくださった方が誰であるかを知りませんでした(13節)。そんな彼に、主イエスの方から御自身を現しなさいました。そして、その人の人生を不幸に閉じ込めていたのは、肉体的病気というだけでなく、さらに深刻な罪の解決を得ないままで生活していたことと、その結果が永遠のさばきを刈り取るようになることを明らかにされました(14節)。
私たちは、十字架の身代わりの死をもって罪と永遠のさばきから解放してくださった主イエスに出会うことによって、人生は変えられいくのです。

2.キリストの働きは限りがない
これを聞いたユダヤ人たちは、主イエスを迫害し始めました(16節)。それに対して主イエスは、父なる神と御自身はともに変わることなく働いていることを明らかにされました(17節)。それに対して、ユダヤ人の主イエスに対する殺意は深まっています(18節)。
神の愛は、常に変わることなく一人ひとりに注がれ、その愛に基づく神の働きは休むことなく、制限されることもありません。そして、十字架に死んで復活された主イエスは、今も変わることなく働き続け、私たちを支えていてくださいます(申命記33章27節)。
私たちは、このように注がれたとこしえの愛に、心を開いて信仰の応答をするのです。

キリスト者の自由(2022.1.16)

聖 書

きょうだいたち、あなたがたは自由へと召されたのです。ただ、この自由を、肉を満足させる機会とせず、愛をもって互いに仕えなさい。(ガラテヤ5章13節)

礼拝音源(31.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨシュア1章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編127編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ5章1〜15節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリスト者の自由」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 513 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリストのみが真の自由を与えてくださいます(ヨハネ8章32節)。このキリストを信じる信仰に招かれたのは、「自由を得させるため」(1節)、「自由へと召され」るためでした(13節)。ここに、キリスト者の自由が宣言されています。

1.何による自由か
キリスト者は、キリストによって罪と死と滅びにある奴隷状態から解放されて自由にされました(1節)。その自由は、キリストを信じたときにいただいたというだけではなく、「キリスト・イエスにあって」(6節、ヨハネ15章5節、2コリント5章17節)、いつでも継続されていく自由です。
ですからキリスト者は、キリストの恵みと愛にとらえ続けられ、その中に「しっかりと立って」(1節)、キリストの恵みと愛にいつも触れ続けることが大切です。

2.何を生み出す自由か
キリストにある自由は、放縦の自由でも、自己主張の自由でもありません。愛を生み出す自由です。それには、「愛によって働く信仰」(6節)があります。これこそが、愛に動機づけられた信仰であり、神の恵みの御手を動かすのです。
この信仰には、当然愛の実践が伴います。「ただ、この自由を、肉を満足させる機会とせず、愛をもって互いに仕えなさい」(13節)と展開されていきます。この自由こそが、キリストが私たちに仕えてくださったように、隣人の救いのために愛をもって仕え(1コリント9章19節)、兄弟姉妹を自分のように愛し仕えることなのです(14~15節)。そうすることが、互いを生かす愛なのです。

 

宿営の外に出て(2022.1.9)

聖 書

それで、イエスもまた、ご自分の血で民を聖なる者とするために、門の外で苦難を受けられたのです。 ですから、私たちも、イエスの受けられた辱めを身に負い、宿営の外に出て、御もとに赴こうではありませんか。(ヘブライ13章12〜13節)

礼拝音源(30.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編96編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編65編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ4章21〜31節
ヘブライ13章12〜13節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「宿営の外に出て」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
成人祝福式 詩編119編105節、9節
1月誕生者祝福 ゼファニヤ書3章17節
賛  美 451 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「ガラテヤ4章21~31節」で語られていることを解説したのが、「ヘブライ13章12~13節」です。主イエスが苦難を受けながら「門の外」へ行かれたからこそ、救いの道が開かれました。その救いに与った者は、「宿営の外に出て」信仰の歩みを続けるのです。

1.束縛から自由な者となるために  ガラテヤ4章21~31節
ここでは、アブラハムの二人の息子を対比させつつ(創世記16~21章参照)、神の救いに与る道を明らかにしています。まず、女奴隷から生まれた子は、「肉によって生まれた」のであり、救いのために律法の奴隷となる者を代表しています。そして、自由の女から生まれた子は、神の「約束を通して」かつ「(聖)霊によって」生まれた者であり、信仰によって神の祝福に与っている者を代表しています。
私たちも後者の信仰に立つとき、成功しては誇り、失敗しては落胆しているような束縛から解き放たれて、自由と喜びをもって主イエスに従う道を歩み続けるのです。

2.聖なる者となるために  ヘブライ13章12~13節
神が聖なる方であられるように、信仰者も聖なる者であることが望まれています。それが私たちのものとなるための条件として、ガラテヤの信徒たちにあったような律法主義に生きる「宿営から外に出る」ことが必要です。
私たちには、出ようとしない宿営がありあります。律法主義とともに律法を無用として生きる生き方、世俗主義に留まっている生き方、自己中心主義に立てこもってしまっている生き方です。流された主イエスの血によって聖なる者とされるために、私たちは閉じこもっている「宿営の外に出る」ことが大切です。