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新約聖書

あなたの罪はゆるされた(2023.6.18)

聖 書

イエスは彼らの信仰を見て、その病人に、「子よ、あなたの罪は赦された」と言われた。(マルコ2:5)

礼拝音源(29.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書30章18節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編39編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マルコによる福音書 2章1~11節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「あなたの罪はゆるされた」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 442 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 人々の期待
イエスがカフェルナウムの家にいるという知らせが広がった。いやしや悪霊追い出しを期待して、人々はイエスのところに集まった。体の麻痺した男もイエスのところに連れて来られた。人々は屋根を剥ぎ、穴を開け、その人を釣り下ろして、この男をイエスの前に連れ出した。「神の国」の到来を語り、見せたイエスの姿は彼らのうちに信仰を生み出し、その信仰のゆえに彼らはこのような行動をした。

2. 罪のゆるしから生み出された論争
いやしを期待している男にイエスは「子よ、あなたの罪は赦された」(2:5)と言った。いやしを望んでいた人々の期待は裏切られたように思った。律法学者たちは、イエスが律法を破ったと考えた。罪の赦しは神殿で祭司によって与えられるものであったからだ。しかし、イエスはこれらを省略して罪の赦しを宣言した。

3. 罪を赦す権威
イエスが罪の赦しを宣言されたのは、からだのいやしが罪の赦しの現れであるからだ。それには全人格的な広がりがある。ちょっとした悪いことの積み重ねが、本人も親しい人も苦しめていくからだ。地上で罪を赦す権威を持つイエスは罪を赦し、人をその苦しみから解放する。実に力あるわざをなされたのだ。イエスがおられるところに、神の国があり、罪のゆるしが実現し、神の祝福が溢れ流れる。

神の霊によって知る(2023.6.11)

聖 書

私たちは世の霊ではなく、神の霊を受けました。それで私たちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。(1コリント 2:12)

礼拝音源(31.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書30章23節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編37編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 2章10〜16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神の霊によって知る」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 504 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

信仰が神の力によるものであることを伝えたパウロは、さらに神の霊によって神との交わりに入れていただいた者について教えていきます。

1.神の霊によって神を知ることができる
イエス・キリストを信じて神の霊を受けた者は、この神の霊を通して神がどのような方であるのかを知ることができるようにしてくださっています。人の知恵では神を理解することができません。けれども、神の霊は神のことをよく知っているので、神のことを明らかに示してくださるのです。

2.神の霊によってみこころを知る
神の霊を受けた者たちは、神が与えてくださったものがどんなものであるかを知ることができます。また、神のみこころを知ることができ、みこころに従う生活をすることができるようにしてくださいます。

3.キリストの思いを抱いて神とともに生きる
イエス・キリストを信じる者に与えられた神の霊は、私たちとともに住み、信じる者たちを神とともに生きるものとしてくださいます。それは、神との親しい愛の交わりの中に生きることです。その生き方を、神の霊は教えてくださるのです。
私たちが受けた神の霊によって、私たちを愛してくださる神を知り、神のみこころを知って神を愛し、神との愛の交わりの中に生きる生活をさせていただきましょう。

神の力によって(2023.6.4)

聖 書

私の言葉も私の宣教も、雄弁な知恵の言葉によるものではなく、霊と力の証明によるものでした。 (1コリント 2:4)

礼拝音源(34MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 箴言9章10〜11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編36編
会衆祈祷 一  同
聖  書 コリントの信徒への手紙一 2章1〜9節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神の力によって」 仁科共子牧師
祈  祷
6月誕生者祝福 詩編91編4〜5節
賛  美 457 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

神の知恵によって十字架にあらわされた神の力が救いの力であると語ったパウロは、続いて、この神の力は聖霊によって知ることができると教えていきます。

1. 神の霊と力によって伝える
パウロは、知恵や知識によって雄弁に語っても、聞いた人が信じることはできないということを経験して知りました。それで、コリントの人たちには知恵の言葉によらないで神の霊と力によって伝えた、と言っています。

2. 神の知恵によって語るもの
神の力によってキリストの十字架になされた救いの恵みをいただいた者には、聖霊によって神の知恵が開かれ、神の言葉と神のみわざを理解することができるとパウロは教えています。それは、「人の心に思い浮かびもしなかったこと」であり、神が「ご自分を愛する者たちに準備された」ものです。

3. 神の力による信仰
神の知恵によって、十字架にあらわされた神の恵みのわざは、神の霊と力によらなければ知ることができず、信じることができません。パウロは、神の聖霊と力によってキリストを伝え、聞いた人々が信じて、信仰に生きる者とされていると語ります。この世の知恵によってはできないことです。
私たちは、神の力によって神の恵みのわざを知り、信じることができるようにしていただき、信仰の生活を導いていただいています。神の力によって歩みましょう。

それぞれの言葉で聞いた(2023.5.28)

聖 書

すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした。(使徒言行録 2:4)

礼拝音源(31MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ 14章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編35編
会衆祈祷 一  同
聖  書 使徒言行録 2章1〜16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「それぞれの言葉で聞いた」 仁科共子牧師
祈  祷
聖餐式 新49
賛  美 404 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

イエス様が約束された聖霊が五旬祭(ペンテコステ)の時に与えられました。

1.聖霊に満たされて話しだした
イエス様は復活された後、弟子たちの前に現れ、生きておられることを示されました。そして、エルサレムで聖霊のバプテスマを待つように言われました。弟子たちは集まって心を合わせて祈っていました。そこに、聖霊が炎のように現れて弟子たちの上にとどまり、彼らは聖霊に満たされて「霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした」のです。

2.人々はそれぞれの故郷の言葉で聞いた
その頃、エルサレムにはたくさんの国々から来た人たちが住んでおり、五旬祭のために集まってきていた人たちもいました。弟子たちは聖霊によって、その人たちがわかるそれぞれの言葉で語ったのです。人々は話されたことがわかって、「彼らが私たちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」と驚きました。

3.キリストを証しするために
弟子たちに聖霊が与えられたのは、キリストの証人となるためです。「聖霊が降ると力を受けて・・・私の証人となる」(使徒1:8)とイエス様は言われました。
その通りに弟子たちは聖霊に満たされて、イエス様の福音を宣べ伝えました。
今、私たちにも同じように聖霊が与えられ、キリストを証しする者とされています。聖霊の力によって聞く人に伝わる言葉で伝えさせていただきましょう。

世界とあなたのための十字架(2023.5.21)

聖 書

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ 3:16)

礼拝音源(32.3MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 エレミヤ29章11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編34編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ3章16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「世界とあなたのための十字架」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 430 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 世界を愛された神
 世界を愛する神がおられる。神は、この世界を造られたからこそこれを愛されるのだ。世界を大切にし、その最善を願っておられる。さらに、神は世界のために人を造り、この世界を整えてよくし、美しくし、豊かにする使命を与えた。そして、この使命を果たすことができるように力と、力を用いる自由を人に与えられた。

2. ひとり子を与えられた神
 与えられた力と自由を人は自分のために用いるようになった。その結果、自分も世界もだめにしていった。そこで、神は自らが愛する世界のために行動をした。アブラハムを選び、エジプトから救い、律法を与え、住む地へと導いた。世界を回復するためだ。しかし、民は世界を破壊し、自らを破壊しつづけた。神は彼らに警告を与えた。それでも応答しない民は自分の国から追い出された。そこで、神はひとり子であるイエスを送り、その働きのクライマックスとして彼を十字架に架けた。イエスがすべての破壊を自らの身に負ったので、人は罪から解放され、命の道を進むことができるようになった。

3. 信じる者に与えられる使命
 こうして、イエスのわざのゆえに、人がその使命を果たす道が開かれた。永遠の命とは、死後のことだけではなく、今、ここで人としての使命を果たす道をも表している。この道を進みなさい、御子を信じなさい、と神は私たちを招いておられる。神が与えてくださるこの素晴らしいプレゼントを受け入れ、神の働きに加わろうではないか。

十字架の言葉は神の力(2023.5.14)

聖 書

あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのです。
キリストは、私たちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。(1コリント1:30 )

礼拝音源(30.4MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編85編9節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編33編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント1章18〜31節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「十字架の言葉は神の力」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 474 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

コリントの信徒への手紙では、「あなた方のために十字架につけられたキリスト」があなた方に伝えられた福音であり、神の知恵がキリストによって示されていると教えています。

1.十字架につけられたキリストは神の力
「十字架の言葉」は、イエス・キリストによって与えられる祝福の知らせです。言葉は、何かを伝えるための道具と言ってもよいでしょう。その言葉によって示された神の知恵が、信じるものを救う神の力なのです。

2.十字架につけられたキリストは神の知恵
世の知恵では、神を認めることができません。神のなさることを知ることもできません。人が自分の知恵で神の救いを得たと誇ることがないために、神はこの世では愚かだと思われる方法でキリストによる救いを与えられました。神の知恵によってキリストの者、聖なる者とされるためです。その神の知恵は十字架につけられたキリストに表されています。

私たちにとってキリストは、神の知恵であり、キリストによって神を知ることができます。また十字架につけられたキリストは、信じる者を義とし、聖め、贖われた者としてくださいます。これがキリストの十字架による救いです。
私たちの知恵では、計り知ることのできない神の知恵によって、キリストの十字架に表された神の力が信じるものを救う力です。

キリストの十字架によって一つに(2023.5.7)

聖 書

さて、きょうだいたち、私たちの主イエス・キリストの名によってあなたがたにお願いします。どうか、皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。(1コリント1:10 )

礼拝音源(32.4MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編68編20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編32編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント1章10〜17節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神はすべてを奪うのか」 仁科共子牧師
祈  祷
5月誕生者祝福 詩編20編6節
賛  美 411 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

「主イエス・キリストにあって聖なるものとされた人々」と呼びかける挨拶で始まった手紙は、10節から教会に起こっている問題を取り上げていきます。

1.分派の問題
コリントの人たちにイエス・キリストを伝えたのは、パウロ、アポロ、ケファといった人たちでした。そこから、誰によって洗礼を受けたから誰に付くと考え、分派ができていました。彼らは、自分にイエス様を伝えた人に対する感謝から、この人こそが素晴らしいと崇拝するような形に変わってしまったのでしょう。それが分派を生み出したのです。イエス・キリストの恵みではなく、「人」に目を向けた結果です。

2.十字架のキリストにあって一つになるように
キリストだけが十字架につけられた方であり、この方の死によって聖なるものとされていることを明確に伝えます。そして、人ではなくキリストに目を向けるようにと教えます。

「キリストの十字架が空しくならないように」キリストを伝えたとパウロは言っています。このキリストによる救いの恵みがはっきりする時、心と思いを一つにして、キリスト・イエスによって聖なる者とされたものにふさわしい生活ができるようになっていきます。人にではなくイエス・キリストに目を向けて進みましょう。

神の恵みを受ける(2023.4.23)

聖 書

神は真実な方です。この方によって、あなたがたは神の子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。(1コリント1章9節 )

礼拝音源(25.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 フィリピ1章2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編30編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント1章1~9
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神の恵みを受ける」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 451 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

使徒たちがイエス・キリストを宣べ伝え、コリントにはクリスチャンが増えていき、教会がたてられました。けれども、教会には色々な問題が起こってきました。この手紙は、それらの問題を解決して、キリストを信じる者としてどのように生活していくかを教えています。

1.キリスト・イエスにあって聖なるものとされた
手紙の始まりは挨拶です。この中でまず、「キリスト・イエスにあって聖なる者とされた人々」と彼らに呼びかけます。これは、キリストを信じた彼らがどのような者とされているかを確認させるためです。それは、聖なる者とされ、イエスを主とする者ということです。そして、キリスト・イエスにあって恵みを与えられたので、「すべての点で豊かにされた」と彼らが受けている恵みについて語ります。

2.主イエス・キリストとの交わりに入れられた
豊かに祝福してくださった神は、イエス・キリストとの交わりに入れてくださったのです。「交わりに入れられる」というのは、イエス・キリストとの付き合いが始まったということです。親しく付き合う関係になったのです。親しい付き合いをしていくのですから、互いを想い、尊重し合う関係になっていかなければなりません。
キリストを信じたものは、キリスト者にふさわしい生活ができるように、神の恵みを受けているのです。
今、私たちも同じ恵みを受けて祝福された生活を送ることができます。

よく知っておられます(2023.4.09)

聖 書

三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、私を愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「私を愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。私があなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「私の羊を飼いなさい。」(ヨハネ21章17節)

礼拝音源(24MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編125編1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編28編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ21章1~19節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「よく知っておられます」 仁科共子牧師
祈  祷
4月誕生者祝福 詩編1編2〜3節
賛  美 475 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

イエス様がペトロをどんなに愛しておられたかを見て、イエス様の愛に生きることを教えられたいと願います。

1.イエス様とペトロ
イエス様がペトロを弟子とされてから、彼はずっとイエス様と一緒にいて、教え導かれていました。そのようなイエス様にペトロは、「あなたのためには命を捨てます。」とまで言える関係でした。でも彼は、自分の弱さのため、イエス様の裁判の場で、イエス様のことを知らないと三度も言ってしまいました。

2.イエス様はよく知っておられた
復活したイエス様が三度目に弟子たちに現れた時、それは特にペトロのためだったと言えるでしょう。イエス様はペトロに「私を愛するか」と三度質問されました。三度も同じ質問をされたペトロは「悲しくなった」のです。イエス様を三度知らないと言った時のことを思い出させたのでしょう。それでもペトロは、「主よ、私があなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」と答えました。
イエス様は確かにペトロのことをよく知っておられました。ですから「あなたの信仰がなくならないように祈った」とあらかじめペトロに話しておられました。(ルカ22:32)

このイエス様は、今私たちのためにも祈り、守り導いてくださっています。イエス様に信頼し、イエス様とともに生きる日々を導いていただきましょう。

愛され、愛にとどまる(2023.4.2)

聖 書

父が私を愛されたように、私もあなたがたを愛した。私の愛にとどまりなさい。(ヨハネ15章9節)

礼拝音源(37.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 エレミヤ31章3節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編27編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ15章1~17節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「愛され、愛にとどまる」 仁科共子牧師
祈  祷
聖 餐 式 新聖歌 49
奉仕者任命式
賛  美 300 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

イエス様は弟子たちに、イエス様と父なる神様の関係、イエス様と弟子たちの関係を教えられました。それは、愛によって結び合わされた永遠のいのちの関係です。

1.愛してくださっているイエス様の愛から離れない
イエス様はブドウの木とその枝、農夫との関係を例えにイエス様と弟子たちの関係、父なる神様と弟子たちの関係について教えられています。イエス様から離れないでいるなら、多くの身を結ぶことができ、願うものはかなえられ、喜びが満たされると言われています。イエス様から離れないということは、イエス様の愛の中にとどまることです。イエス様は私たちを愛していてくださいます。父なる神様がイエス様を愛されたのと同じように愛していてくださいます。

2.イエス様の友達として生きる
イエス様は私たちを大切な友達として愛してくださっています。それは、自分の命を捨てることができるほどの大きな愛です。そのイエス様と親密な愛の交わりの中に生きること、それがイエス様の愛にとどまり続けることです。それはまた、私たちが互いに愛し合うところに表されてきます。
愛し合うことがイエス様の戒めであり、その戒めを守ることが、イエス様の愛にとどまっていることになると教えられました。イエス様の友達として愛されていることを喜び、イエス様を愛して、その愛で互いに愛し合って生活させていただきましょう。イエス様の愛にとどまる生活です。

悩みある世での希望(2023.3.26)

聖 書

今までは、あなたがたは私の名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。(ヨハネ16章24節)

礼拝音源(28.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ14編27節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編25編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ16章16~33節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「悩みある世での希望」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 531 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

私たちの日々の生活には、悩みや苦しみがあります。その悩みや苦しみのどう向き合い、解決していけば良いでしょうか。イエス様は「あなた方は泣き悲しむ、苦しみにさいなまれる」しかし「その苦しみは喜びに変わる」と言われました。

1.喜びで満たされる
イエス様の弟子たちにとって、イエス様がいなくなることは悲しいことでした。しかも、イエス様は死刑にされてしまうのですから、弟子たちの失望、嘆き悲しみは深く、苦しいものになります。イエス様は、そのことをわかっておられたので、その苦しみは喜びに変わる、と言って励まされたのです。それは、死んでしまったと思ったイエス様と再び会えるからだと言われました。

2.この世に勝ったイエス様によって平和を得る
この世では苦難があり、苦しみ戦いながら生きていくようなものでしょう。けれども、イエス様は「この世」に勝利し、平和を勝ち取られました。その平和を、私たちに与えてくださいます。悲しみ苦しみに負けてしまわないで、生きることができるのです。

イエス様を信じる人には、この平和を与えられ、苦しみの生活から喜びに満ちた生活に変えられて行きます。それは、誰にも奪われない喜びです。イエス様と共に、苦しみを喜びに変えていただく生活をしていきましょう。

生きた信仰(2023.3.5)

聖 書

「ただ一つ知っているのは、目の見えなかった私が、今は見えるということです。」 (ヨハネ9章25節c)

礼拝音源(36.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ55章6,7節b 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編20編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ9章13~41節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「生きた信仰」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
入会式
3月誕生者祝福 コロサイ2章6~7節
賛  美 402 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、神の業の最大の現れである主イエスの十字架による罪の赦しの恵みによって、信仰の目は開かれます。その信仰は、目が見えるようになったこの人と同じように、深められ、生きた信仰となっていきます。

1.恵みの事実に生きる
この人は、目が見えるようになった次第を語っています。そのことが繰り返される中で、彼の主イエスに対する理解は深められていきました(11節、17節、25節、31節、38節)。そして、彼は自分自身が受けた恵みの事実については、確実に「ただ一つ知っている」(25節)と、動揺することもひるむこともなく語っています(30~33節)。そのとき、主イエスがこの人に近づいてくださり、個人的に「あなたは人の子を信じるか」と問いかけられ、「主よ、信じます」と応答したのです(35~38節)。
生きた信仰は、個人的に主イエスの救いの恵みの事実に立って生きるのです。

2.恵みの業を主イエスと一緒に担う
この人は、主イエスを信仰告白した後ただちに「ひれ伏す」礼拝をしたところから、主イエスの救いの恵みが見えてきました(38~39節)。確かに神の業は、主イエスによってなされました。そして主イエスは、それを「私たち」も一緒に担って、その恵みの業が拡げられていくことを願っておられます(4節)。
生きた信仰は、恵みの事実に生きる私たちが、主イエスと一緒に喜びと感謝に満ちて恵みの業を担っていくところに証しされるのです。

苦悩や虚無にさようなら(2023.2.26)

聖 書

イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。
神の業がこの人に現れるためである。」 (ヨハネ9章3節)

礼拝音源(27.9MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 マタイ11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編19編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ9章1~12節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「苦悩や虚無にさようなら」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 446 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、どうしても自分では選ぶことができないことがあります。それは、自分の「生まれ」です。ここに、「生まれつき目の見えない人」が登場していますが(1節)、
生まれつきですから、それを自分で選んでそうなったのではありませんでした。

1.過去に原因探しをしますか
それに対して当時の人たちは、その人が背負う苦悩や虚無が誰のせいなのかと問題にしました。主イエスの弟子たちも問いただしています(2節)。こうした因果応報の考え方は、いつの時代にもありましたし、今なお人の心と思いを支配しています。
しかし、因果応報の考え方は、どんなに人を苦しめているか、不安に陥れているかは、主イエスがよくご存じでした。それが主イエスによって断固断ち切られところで、私たちは生かされるのです(3節)。過去に原因探しをすることから、私たちは主イエスによるとらえ直しをすることが大切です。

2.神の業を信頼し今を生きますか
「世の光」として来られた主イエスは、この人に対する深い愛をもって、不思議な方法で目が見えるようにされました(5~7節)。このように、遣わされて来られた主イエスは、一人ひとりの一番つらいところに愛をもって触れる御業をされるお方です。その極みこそ、主イエスが存在を賭けて成された十字架と復活の御業であり、それに対して私たちが信仰の一歩を踏み出すことが必要なのです(35~39節)。
今も生きておられる主イエスは、神の業が現れる人生を開いてくださいます。私たちにできることは、その神の業に自分を委ねることです。

死に勝利するには(2023.2.19)

聖 書

よくよく言っておく。私の言葉を守るなら、その人は決して死を見ることがない。(ヨハネ8章51節)

礼拝音源(33.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ハバクク2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編17編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ8章48~59節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「死に勝利するには」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 467 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

本箇所は、永遠のイエス・キリストが(ヘブライ13章8節)、どういうお方であるかを明らかにしています。真実な主イエスは、確かな救いを得させてくださるのです(51節、58節)。それに対して、私たちはどういう信仰の歩みをしてくいのでしょうか。

1. 御言葉を重んじ目を注ぐ  48~55節
ユダヤ人たちの高ぶった思いは、心を閉ざし、聞こえなくし、主イエスに対する抵抗の炎を燃やさせました(48、52、53、57、59節)。それに対して主イエスは、御自身と父なる神との深い信頼の関係を明らかにされたのです(49~50節、54~55節)。それゆえに、主イエスは、御自身の御言葉を重んじて目を注ぐように大事にするならば、「決して」永遠の「死を見ることがない」と大胆に主張されました(51節)。
私たちは、主の御言葉を重んじて目を注ぎ続け、死に勝利する信仰の霊的センスを養い続けさせていただくのです。

2.主イエスを生きがいとする  56~59節
ユダヤ人は、真に聖書や神の力を知らないでいました(52~53節、55節a)。ところが、先祖アブラハムは、主イエスの日を見るのを楽しみとし、喜びとし、生きがいとしていました(56節、ヘブライ11章13節)。そのことも理解できないユダヤ人に対して(57節)、主イエスは、永遠から永遠までいつも「私はある」ことを明らかにされたのです(58節)。
主イエスは、今も変わらない同じお方です。私たちは、アブラハムと同じように、十字架と復活の主イエスを楽しみとし、喜びとし、生きがいとすることによって、死に勝利する道がつくられていくのです(詩編68編20~21節)。

主に仕える祝福(2023.2.12)

聖 書

しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある顕現を、あなたがたが広く伝えるためです。(1ペトロ2章9節)

礼拝音源(33.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編16編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア13章8~14節

1ペトロ2章9節

使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「主に仕える祝福」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 390 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

イスラエルの12部族には、カナンの地征服後の土地が分割されました。ただ、神と民との交わりの道をとりなす「祭司」の務めに任じられた「レビ族」には、相続地は与えられませんでした(14節、33節)。彼らは、余念なく主に仕える人々とされたからです。

1.神に選ばれている
レビ族は、最初から祭司として主に仕える人々ではありませんでした。レビが非常に醜いことをしてしまったことにより(創世記34章)、ヤコブから神の祝福を受けることができませんでした(同49章5~7節)。ところが、レビ族が主に忠実に仕えたことにより(出エジプト32章25~29節)、モーセから神の祝福を受けています(申命記33章8~11節)。こ
のようにして、レビ族は神の選びの祭司として用いられるようになったのです。
私たちは、主イエスの救いを信じて従うことを通して、レビ族と同じように神に「選ばれた民」として主に仕える者とされているのです(1ペトロ2章9節)。

2.神のものとされている
レビ族は、相続地は与えられませんでしたが、住むべき町と神殿でのささげ物の動物のための放牧地という最小限必要な土地が与えられました(14章4節)。主に直接仕える彼らは、主御自身が相続地であり、主への感謝をもって受け取ったのでした(詩編16編5~6節)。こうして、彼らの歩みが整えられていったのです。
旧約のレビ人は、新約のキリスト者のひな型です。私たちは、主イエスによる贖いの救いによって「神のもの」とされ、主にとりなし祈り、「広く伝える」ことにより主に仕える使命に与っているのです(1ペトロ2章9節)。これは、キリスト者の特権です。