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新約聖書

子どものような心で生きる(2023.11.12)

聖 書

言われた。「よく言っておく。心を入れ替えて子どものようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。」 (マタイによる福音書18章3節)

礼拝音源(27.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 箴言3章5〜6節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 105 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編64編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイによる福音書18章1~5節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「子どものような心で生きる」 仁科共子牧師
祈  祷
幼児成長祝福式 484
賛  美 543 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 天の国では、誰がいちばん偉いのでしょうか
弟子たちはイエス様に「天の国では、一体誰がいちばん偉いのでしょうか」と聞きました。彼らは、自分が他の者たちより上に立ちたいと思っていたようです。この世の「価値がある」とされるものを求める心から出ている考えです。イエス様は、その質問に対して、子どもを彼らの真ん中に立たせて答えられました。

2. 子どものように自分を低くして
イエス様は、「天の国でいちばん偉いのは、子どものように自分を低くする者」だと答えられました。「自分を低くする」というのは、謙遜な心になるということです。そして、天の国には、「心を入れ替えて、子どものようにならなければ入れない」と言われました。「心を入れ替える」とは、それまでの考え方をやめて新しい方向へ向かうことを意味しています。偉くなりたいというこの世の価値観ではなく、謙遜な天の国の価値観で生きることへと方向転換していくことです。

3. 謙遜な心で生きる
謙遜な子どものような人を受け入れる人は、イエス様を受け入れるのとおなじだと言われました。「謙遜な子どものような人」とは、イエス様を信じている人のことで、天の国に入った人です。それは、イエス様と共に、イエス様のように生きている人です。そのような人を通して、他の人たちはイエス様を知っていきます。子どものような謙遜な心で、お互いを大切に思って支え合って生活しましょう。

神が慰めてくださる(2023.11.5)

聖 書

神は、どのような苦難のときにも、私たちを慰めてくださるので、私たちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。 (2コリント 1章4節)

礼拝音源(35.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編23編4節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 111 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編63編
会衆祈祷 一  同
聖  書 2コリント 1章3〜11節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神が慰めてくださる」 仁科共子牧師
祈  祷
11月誕生者祝福 (エフェソ3:14~16)
賛  美 533 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.慰めに満ちた神が慰めてくださる
パウロは、「私たちの父なる神」は「慰めに満ちた神」であり、この神が私たちを「どのような苦難のときも慰めてくださる。」といっています。神の慰めは、私たちの苦しい思いを慰めてくださるというだけではありません。苦しみの中にあっても私たちに希望を与え、生きる力を与えるものです。

2. キリストによって慰められる
この神の慰めは、キリストによって受けることができます。キリストの十字架の苦しみと死によって私たちは神のものとされました。復活のキリストの命によって生きる者とされたのです。その私たちにキリストによって神の慰めが私たちの内に満ち溢れています。この慰めは、苦しみに耐える力となります。

3. 慰められて他の苦難のなかにいる人を慰めることができる
キリストによって、私たちが苦しみの中で神から受けた慰めによって、私たちもほかの人たちを慰めることができます。「どのような苦難のときにも」慰められた私たちは「あらゆる苦難のなかにある人々を」慰めることができるのです。
パウロは、「生きる望みを失った」苦難の中で、ただ神だけを頼り、神に望みを置きました。私たちの生活も、苦しみ悩みは尽きません。私たちも慰めに満ちた神に信頼し、その慰めに満たされて、共に慰め合い支え合って歩ませていただきましょう。

イエスを見て喜んだ人たち(2023.10.29)

聖 書

こう話していると、イエスご自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 (ルカによる福音書 24章36節)

礼拝音源(32.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編107編1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 129 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編62編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカによる福音書 24章36~43節
使徒信条 93-4 1A 一  同
証しと演奏
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「イエスを見て喜んだ人たち」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 430 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 復活されたイエス様が弟子たちの前に現れた
イエス様は十字架で死んで葬られた後、復活されて何人かの弟子たちの前にあらわれました。それから、弟子たちが集まって、復活したイエス様に会った弟子が他の弟子たちに話しているときに、また現れてくださいました。復活されたイエス様を見た弟子たちは恐れました。現実のこととは思えなかったようです。
2. 恐れから喜びに
恐れおののいている弟子たちにイエス様は語りかけられました。「まさしく私だ」と言って、彼らにしっかり見るように、触ってよく見るようにと言われました。たしかにイエス様だとわかった弟子たちの心には喜びがわきあがりました。それでも弟子たちはまだ信じられなかったようです。それほど、驚くことだったのです。
3.  イエス様が信じることができるようにしてくださった
見て触って確かめるだけでなく、しっかり信じて受け止め、喜びに満たされるために、イエス様は聖書から教えられました。「聖書を悟らせるために彼らの心を開いて」話されたのです。(ルカ24:45)現実に目の前に見ても不思議がっていた弟子たちが、イエス様の死と復活の意味を理解し、イエス様の弟子として喜んで従っていくことができるようにしてくださいました。
私たちも、イエス様にお会いして、信じることができるように教えていただくことができます。そして、喜びのある人生を与えていただけるのです。

悲しみから喜びへ(2023.10.22)

聖 書

主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。(ルカによる福音書 7章13節)

礼拝音源(32.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編19編9節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 493 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編61編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカによる福音書 7章11〜17節
使徒信条 93-4 1A 一  同
証しと演奏
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「悲しみから喜びへ」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 472 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

I. 悲しみの中にある母親
イエス様がナインという町に近づかれた時、町から大勢の人たちが出てきました。それは、一人息子を亡くした母親に付き添って葬るために出て行く人たちでした。夫を亡くし、一人息子にも先立たれた悲しみの中にある母親でした。悲しみと嘆きに満ちた人々をイエス様はご覧になりました。

II. 悲しむ母親を慰められるイエス様
唯一の拠り所である一人息子を亡くした母親の悲しみはどんなに大きかったことでしょう。イエス様はその母親の姿を見て「憐れに思い」声をかけられました。この時のイエス様は母親の悲しみに深く共感した「憐れみ」を表されました。そして「もう泣かなくとも良い」と慰められました。

III. 悲しみが喜びに変わる
母親に慰めの言葉をかけたイエス様は、棺に触れて「若者よ、起きなさい」と棺の中の息子に呼びかけられました。するとその息子が起き上がって話を始めました。信じられないような奇跡が行われました。イエス様は生き返った息子を母親にお返しになりました。この時、母親の深い嘆きは、大きな喜びに変わりました。

イエス様は、私たちの悲しみ嘆き、苦しみに深く共感して慰めてくださいます。その慰めは、言葉だけではなく具体的な助けを与えてくださり、悲しみを喜びに変えることができるものです。愛していてくださるイエス様に信頼しましょう。

仕えるために(2023.10.8)

聖 書

人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。(マタイによる福音書 20章28節)

礼拝音源(32.0MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ書48章17節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 83 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編59編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ20章17〜28節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野かをり副牧師
宣  教 「仕えるために」 鎌野かをり副牧師
祈  祷
献 児 式
賛  美 564 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野かをり副牧師
後  奏

宣教要旨

この聖書の箇所にはイエスがこの世界に来られた目的が書かれている。

1.受難の告知
イエスはエルサレムに上る途中、12弟子にこれからご自分の身に起こる出来事について話された。それは、十字架への道の苦しみと苦難と復活についてである。しかし、弟子たちはその真意を悟ることができなかった。

2.ゼベダイの息子たちと母
ゼベダイの息子たちと母がイエスのところへ来た。母は、息子たちが御国でイエスの右と左に座れるように、と願い出た。イエスは、あなたがたは間違った求めをしていると指摘する。御国の王座の右と左に座ることは、父なる神によって備えられた人たちに父が与えられるからだ。聞いた他の弟子たちは二人に腹を立てた。

3.仕えるために
弟子たちの中で、誰が偉いのかと権力争いをする様子を見たイエスは、この世の支配者のようになってはならないと言われた。偉くなりたい者は仕える者に、頭になりたい者はしもべになる。イエスがメシヤとして仕えるために、多くの人の身代金としてご自分の命を与えるためにこの世界に来られたからである。仕えるとは、奉仕、奉仕者と訳されることばである。イエスは私たちに仕えて、命を与えて下さった。その恵みのゆえに、私たちは与えられている賜物を用いて、イエスのように仕える者として奉仕するよう招かれている。

代価を払って買い取られた者(2023.10.1)

聖 書

知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。(1コリント 6章19節)

礼拝音源(35.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1コリント1章30節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 56 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編57編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント6章12〜20節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「代価を払って買い取られた者」 仁科共子牧師
祈  祷
聖 餐 式 49
10月誕生者祝福 ヨハネ15章9節
賛  美 513 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

パウロはコリントの信徒たちの不品行の罪を指摘しました。そして、キリストを信じて罪を悔い改めるなら命の道に生きることができると教えました。

Ⅰ.すべてのことが益になるわけではない
キリストを信じたものには、「すべてのことが許されているが、すべてのことが益になるわけではない。」ですから、益になることを選んで生きるようにと教えています。「体は主のためにあり、主は体のためにおられる」のであり、主と同じ復活の命に生きています。

Ⅱ.キリストの体の一部とされた
キリストの復活の命に生かされているキリスト者は、キリストの体の一部となりました。それは、主との交わりに生き、主と一つにされて生きることです。そのキリストの体を自分の欲によって不品行な生き方のために使ってはならないと教えています。

Ⅲ.神が代価を払って神のものとされた
神がキリストという代価を払って、私たちを罪の奴隷から買い取り、神のものとしてくださいました。そして、聖霊を与えてくださり、神の栄光を現すものとして生きるようにしてくださったのです。
私たちもキリストという代価によって買い取られて神のものとなりました。私たちは、主の聖餐を受けるときこの恵みを覚えて感謝します。私たちの生活を通して神の栄光が現されていきますように、主の導きに従って生活しましょう。

イエスに会って喜んだ人(2023.9.24)

聖 書

ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。(ルカによる福音書 19:6)

礼拝音源(34.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編103編3〜4節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 72 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編56編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカによる福音書19章1〜10節
使徒信条 93-4 1A 一  同
証 し
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「イエスに会って喜んだ人」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 461 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは人生の中で出会った人によって、大きな転機を迎えることがあります。

1 イエス様を見たいと思ったザアカイ
イエス様がエリコという町に行かれた時、そこでもたくさんの人がイエス様を見ようとして集まってきました。その中に徴税人のザアカイという人がいました。彼も、他の人と同じようにイエス様を見たいと思って人々が集まっているところにやってきました。でも、彼は背が低かったので群衆に遮られてしまい見ることが出来ませんでした。

2ザアカイとイエス様の出会い
ザアカイの背が低かったからというだけでなく、当時税金を集める仕事をしていた人たちは不正に税金を集めて私腹を肥やしていた人が多く、人々から嫌われていました。それで、ザアカイを助けてくれなかったようです。ザアカイは、こっそり木の上からイエス様を見ようとしました。ところが、ザアカイがいる木の下にイエス様がこられた時、木の上を見上げて「ザアカイ、降りてきなさい。あなたの家に泊まることにしている」と言われました。イエス様がザアカイに目をとめて声をかけられたのです。

3 喜んでイエス様を迎えたザアカイ
イエス様を自分のところに迎えたザアカイは、転機を迎えました。心を入れ替えて新しい生き方を始めたのです。喜んで、貧しい人を助け、不正に取り立てたものを償うと言いました。イエス様と出会って彼の生き方が変わったのです。

聖なる者とされている(2023.9.17)

聖 書

あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、主イエス・キリストの名と私たちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされたのです。(1コリント 6章11節)

礼拝音源(31.0MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書60章2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 464 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編55編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 6章1〜11節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「聖なる者とされている」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 518 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

キリストが過越の小羊としてすでに屠られたので、そのキリストによる贖いによって神の恵みに与っている者とされている、だから古いパン種を取り除いて新しい生き方をするようにとパウロは教えました。(5章7節)
1.キリスト共に世を裁く者
キリストを信じたものは聖なる者とされており、終わりの時にキリストが世を裁かれる時、一緒にこの世を裁く者とされています。それで、教会内の争いを裁くことができるのに、それをしようとしていないことをパウロは責めています。

2.兄弟の間の争いを仲裁する者
「きょうだいたち」とパウロが言っている教会のクリスチャンたちの間に争いがあることを指摘します。それは大きな争いではなく、日常の生活をめぐる争いでした。そのような争いを仲裁する者がいないことを責め、クリスチャンではない人たちに争いを裁かせようとしていることを嘆いています。

3.聖なる者とされ、義とされている
5章11節に述べたような不正を行う者は「神の国を受け継ぐことはできない」ことを再び取り上げます。そして、「あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、・・・」と、そのような者であったが、すでに「聖なる者とされ、義とされた」と受けている恵みを確認させます。それは、「主イエス・キリストの名と私たちの神の霊によって」であり、人の知恵や努力によるのではありません。「洗われ」て聖められ、それによって神に「義と」認められました。聖なる者としての歩みを導いていただきましょう。

新しくされた者として(2023.8.13)

聖 書

新しい生地のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、私たちの過越の小羊として屠られたからです。 (1コリント5章7節)

礼拝音源(34.3MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編100編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 351 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編49編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 5章1〜13節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「新しくされた者として」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 520 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1 パウロ、罪を指摘する
パウロはコリントの教会の中に、不品行の罪を犯すものたちがいることと、そのことを容認していることが問題だと指摘します。それは、当時のコリントの社会の中では、当然のこととして受け入れられていました。そしてそれが、教会の中にも影響を与えていたのです。パウロは、彼らが主の日に救われるために彼らの罪を裁いたと言います。

2 古いパン種を取り除きなさい
わずかのパン種でも粉全体を膨らませるように、小さな罪でも全体に及んでいくことをあげて、古いパン種や悪意と邪悪なパン種を取り除くようにと命じます。それは、古い考え方や習慣を離れて、イエス・キリストによって与えられた命に生きることを教えているのです。それが、イエス・キリストの十字架の死による贖いと復活による永遠の命に生きることです。

3 邪悪なこの世にあって、新しくされた者として生きる
この世の人々と交際をしないでいるようにと教えているのではなく、教会の中にいる不品行な行いをする人たちを避けるようにと教えます。それは、イエス・キリストを信じて新しく生きる者とされたクリスチャンは、この世で生きていく者であり、邪悪なこの世にあって、聖なるものとされた生き方をするようにと言っているのです。それが世にあってキリストを証しする新しくされた者の生き方なのです。

逆風が来ても安心(2023.7.23)

聖 書

イエスが舟に乗り込まれると、風は静まった。弟子たちは心の中で非常に驚いた。(マルコ 6章51節)

礼拝音源(31.4MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編55編23節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編46編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マルコ 6章45〜52節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「逆風が来ても安心」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 433 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

I 働くことと休むこと
イエス様が弟子たちを舟に乗せ、向こう岸へ行かせたのは彼らを休ませるためでした。それは、群衆がイエス様を探してやってきたので、休むことを後回しにして彼らのために働いたからです。イエス様も弟子たちも休むことが必要でした。

II 逆風に悩まされている弟子たちを助けに行かれる
イエス様より先に向こう岸へ渡ろうとしていた弟子たちは、湖の真ん中で漕ぎ悩んでいました。逆風が強くて進むことが難しかったのです。イエス様はそれを見て、湖の上を歩いて近づいて行かれました。弟子たちは、イエス様が水の上を歩いて来るなどということは考えてもいなかったので、イエス様だとわかりませんでした。それで、恐れたのです。イエス様にそんなことができるとは思っていなかったのです。でも、それはイエス様でした。助けは思いがけないところから来ました。
III 舟に迎え入れる
イエス様は恐れている弟子たちに「安心しなさい。私だ。恐れることはない。」と声をかけられました。それで、弟子たちはイエス様を舟に迎え入れました。その時、逆風は静まりました。神であるイエス様の力が現されたのです。
私たちも、自分の中にイエス様を迎え入れましょう。そして、イエス様によって逆風の中にも安心できる生活を与えていただきましょう。

キリストを土台とする人生(2023.7.10)

聖 書

イエス・キリストというすでに据えられている土台のほかに、誰も他の土台を据えることはできないからです。(1コリント 3章11節)

礼拝音源(30.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 コロサイ 2章7節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編42編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 3章10〜22節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「キリストを土台とする人生」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 390 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

パウロはクリスチャンたちを神の建物にたとえてクリスチャンの生き方を教えます。

I 土台はキリスト
パウロは「土台を据えた」と言い、その土台はイエス・キリストであると言いました。それは「神から受けた恵みによって」であり「賢い建築家のように」据えたのです。そして、いろいろな材料でその土台の上に建物を建てていく、それがクリスチャンの人生です。「金・銀・宝石」は永続的なものを指し、「木・草・わら」は長くは続かないものを表しています。土台は、揺るぐことのないキリストですが、どんな材料でどのように建てていくか注意して建てなければなりません。終わりの日にどのような建物であるかが明らかにされるからです。

II 神の神殿となっている
クリスチャンの人生を建物にたとえた後、クリスチャンは「神の神殿」であると教えます。神の霊がその人のうちに住んでおられるからです。キリストによって神と共に生きるものとしての人生を歩ませていただいているのです。

III すべてはあなた方のもの
この世の知恵で自分は知者だと誇るのではなく、神の知恵によって考えるようにと再び諭します。そうする時、すべてのものが神から与えられ、キリストのもの、神のものとして一つとされていることがわかり、分派はなくなるのです。

私たちは神の協力者(2023.6.25)

聖 書

私たちは神の協力者、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。 (1コリント 3:9)

礼拝音源(31.2MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書42章6節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編40編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 3章1〜9節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「私たちは神の協力者」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 414 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

パウロは、キリストを伝えてくれた人に目をとめ、その人たちを遣わされた神様に目を向けることができないのは、まだ信仰が成長していないからだと指摘します。

1 キリストにある幼子
コリントのクリスチャンたちは確かにイエス・キリストを信じて救われました。けれども、まだ聖霊によって生活することができていませんでした。それは、妬み争っていることに表れていると言います。その様子を「キリストにある幼子」と言い幼子なので真理の御言葉を理解する力がないと言っています。幼子は成長しなければなりません。

2 神に仕える者、神の協力者
パウロもアポロも人々を信仰に導くために神様に仕える者だと言います。そして、成長させてくださるのは神様だと教えます。コリントの教会を畑に例え、パウロもアポロもその畑に作物を植え、世話をする者だと言うのです。畑の持ち主である神様によって与えられた仕事を行なっていき、作物の収穫のため協力して働く者だと表現します。そして、仕える者ではなく、育ててくださる神様を信じて生きる者に成長するように教えます。

3 幼子から神の協力者へ
私たちも聖霊によって教えられ、神様のみ言葉によって養われて成長させていただきましょう。神様が成長させてくださいます。

あなたの罪はゆるされた(2023.6.18)

聖 書

イエスは彼らの信仰を見て、その病人に、「子よ、あなたの罪は赦された」と言われた。(マルコ2:5)

礼拝音源(29.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書30章18節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編39編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マルコによる福音書 2章1~11節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「あなたの罪はゆるされた」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 442 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 人々の期待
イエスがカフェルナウムの家にいるという知らせが広がった。いやしや悪霊追い出しを期待して、人々はイエスのところに集まった。体の麻痺した男もイエスのところに連れて来られた。人々は屋根を剥ぎ、穴を開け、その人を釣り下ろして、この男をイエスの前に連れ出した。「神の国」の到来を語り、見せたイエスの姿は彼らのうちに信仰を生み出し、その信仰のゆえに彼らはこのような行動をした。

2. 罪のゆるしから生み出された論争
いやしを期待している男にイエスは「子よ、あなたの罪は赦された」(2:5)と言った。いやしを望んでいた人々の期待は裏切られたように思った。律法学者たちは、イエスが律法を破ったと考えた。罪の赦しは神殿で祭司によって与えられるものであったからだ。しかし、イエスはこれらを省略して罪の赦しを宣言した。

3. 罪を赦す権威
イエスが罪の赦しを宣言されたのは、からだのいやしが罪の赦しの現れであるからだ。それには全人格的な広がりがある。ちょっとした悪いことの積み重ねが、本人も親しい人も苦しめていくからだ。地上で罪を赦す権威を持つイエスは罪を赦し、人をその苦しみから解放する。実に力あるわざをなされたのだ。イエスがおられるところに、神の国があり、罪のゆるしが実現し、神の祝福が溢れ流れる。

神の霊によって知る(2023.6.11)

聖 書

私たちは世の霊ではなく、神の霊を受けました。それで私たちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。(1コリント 2:12)

礼拝音源(31.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書30章23節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編37編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 2章10〜16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神の霊によって知る」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 504 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

信仰が神の力によるものであることを伝えたパウロは、さらに神の霊によって神との交わりに入れていただいた者について教えていきます。

1.神の霊によって神を知ることができる
イエス・キリストを信じて神の霊を受けた者は、この神の霊を通して神がどのような方であるのかを知ることができるようにしてくださっています。人の知恵では神を理解することができません。けれども、神の霊は神のことをよく知っているので、神のことを明らかに示してくださるのです。

2.神の霊によってみこころを知る
神の霊を受けた者たちは、神が与えてくださったものがどんなものであるかを知ることができます。また、神のみこころを知ることができ、みこころに従う生活をすることができるようにしてくださいます。

3.キリストの思いを抱いて神とともに生きる
イエス・キリストを信じる者に与えられた神の霊は、私たちとともに住み、信じる者たちを神とともに生きるものとしてくださいます。それは、神との親しい愛の交わりの中に生きることです。その生き方を、神の霊は教えてくださるのです。
私たちが受けた神の霊によって、私たちを愛してくださる神を知り、神のみこころを知って神を愛し、神との愛の交わりの中に生きる生活をさせていただきましょう。

神の力によって(2023.6.4)

聖 書

私の言葉も私の宣教も、雄弁な知恵の言葉によるものではなく、霊と力の証明によるものでした。 (1コリント 2:4)

礼拝音源(34MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 箴言9章10〜11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編36編
会衆祈祷 一  同
聖  書 コリントの信徒への手紙一 2章1〜9節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神の力によって」 仁科共子牧師
祈  祷
6月誕生者祝福 詩編91編4〜5節
賛  美 457 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

神の知恵によって十字架にあらわされた神の力が救いの力であると語ったパウロは、続いて、この神の力は聖霊によって知ることができると教えていきます。

1. 神の霊と力によって伝える
パウロは、知恵や知識によって雄弁に語っても、聞いた人が信じることはできないということを経験して知りました。それで、コリントの人たちには知恵の言葉によらないで神の霊と力によって伝えた、と言っています。

2. 神の知恵によって語るもの
神の力によってキリストの十字架になされた救いの恵みをいただいた者には、聖霊によって神の知恵が開かれ、神の言葉と神のみわざを理解することができるとパウロは教えています。それは、「人の心に思い浮かびもしなかったこと」であり、神が「ご自分を愛する者たちに準備された」ものです。

3. 神の力による信仰
神の知恵によって、十字架にあらわされた神の恵みのわざは、神の霊と力によらなければ知ることができず、信じることができません。パウロは、神の聖霊と力によってキリストを伝え、聞いた人々が信じて、信仰に生きる者とされていると語ります。この世の知恵によってはできないことです。
私たちは、神の力によって神の恵みのわざを知り、信じることができるようにしていただき、信仰の生活を導いていただいています。神の力によって歩みましょう。