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新約聖書

何を求めているのか(2021.5.30)

聖 書

イエスは振り返り、二人が従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。
(ヨハネ1章38節a)

礼拝音源(26.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ローマ5章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編46編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ1章35~42節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「何を求めているのか」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 451 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

洗礼者ヨハネが、アンデレと使徒ヨハネに、主イエスを「見よ、神の小羊だ」と紹介したところ、彼らは「イエスに従った」のでした。それを見られた主イエスは、「何を求めているのか」と尋ねられました。これは、今の私たちへの問いかけでもあります。

1.最高の出会いを  35~38節a

私たちの出会いには多くのものがありますが、神との出会いこそが最高の出会いです。その道筋を備えてくださったのが、救い主イエス・キリストです。
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(29節、36節)と紹介されていますが、主イエスこそが、唯一私たちを罪から解き放ち、罪の力に勝利させてくださる救い主です。
二人は、洗礼者ヨハネに命じられてではなく、主イエスを自発的に求め「イエスに従った」のです(37節)。あなたと主イエスとの個人的な最高の出会いが、ここにあります。あなたは、この出会いにどのように踏み出していますか。

2.一生かけた信仰の歩みを  38節b~42節

続けて、二人は「来なさい。そうすれば分かる」との招きに応えて、「イエスのもとに泊まった」のです(39節)。彼らにとっては、祝福の晩となりました。主イエスと交わってその人格に触れ、主イエスが「先生」から「メシア」である救い主となったからです。
主イエスに従うことが、この方と信仰によって結びつき、その後の生涯が主の弟子となっていきました。シモン・ペトロも例外ではありませんでした(40~42節)。
信仰生活の途上において弱さを覚えることがあっても、主イエスは執り成し続けていてくださいます。主イエスが、一生かけた信仰の歩みを導いてくださいます。

 

聖霊によって(2021.5.23)

聖 書

「霊が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼(バプテスマ)を授ける人である。」(ヨハネ1章33節c)

礼拝音源(25.3MB)

ペンテコステ感謝礼拝順序

前  奏
招  詞 使徒言行録1章8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編84編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ1章29~34節
使徒言行録1章3~8節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聖霊によって」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
5月誕生者祝福 「イザヤ書41章10節」
賛  美 343 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

洗礼者ヨハネは、イエス・キリストとの関わりにおいて、聖霊がどのような方であり、どのような働きをされるのかを明らかにしています。

  1. イエスを証しする聖霊

ヨハネは、罪の赦しに至る悔い改めを象徴する「水で洗礼を授け」ながら、イエスがおいでになる準備をしていました(30~31節)。彼は、イエスを見て「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言いました(29節)。そう言い表したのは、自分の考えや意見に基づくものではなく、「霊が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である」と神が語られたことに根拠がありました(33節)。イエスこそが、聖霊によって洗礼を授ける方であり、十字架と復活のイエスに浸すように一つとしてくださり、罪の赦しときよめをもたらしてくださる「神の子」なのです(34節)。

キリストを証しするのは、聖霊ご自身です(ヨハネ15章26節)。ですから、聖霊の働きによってイエスを主と告白し、聖霊に全く明け渡すことによってきよくされるのです。

2.イエスの証人とする聖霊

使徒たちはイエスの約束に従って、聖霊が降るのを祈り待ち望みました(使徒言行録1章12~14節)。そして、聖霊が一人一人の上にとどまり、一同が聖霊に満たされました(同2章1~4節)。この「聖霊によって洗礼を受ける」とは(同1章5節)、聖霊によってイエスと一つにされて力を受け、イエスの証人とされることでもあるのです(同1章8節)。

聖霊によって、私たち一人一人と教会の霊性と信仰に風通しをよくしていただいていることが大切です。そのためには、聖霊を待ち望み、慕い求め続けることが必要です。

キリストは今、どこにおられるのか (2021.5.16)

聖 書

神は、この力ある業をキリストの内に働かせ、キリストを死者の中から復活させ、天上においてご自分の右の座に着かせ、(エフェソ1章20節)

礼拝音源(22.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨエル書3章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編126編
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ1章20~23節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストは今、どこにおられるのか」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 390 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主の愛の御手に触れられた者は、その愛に信仰の手を伸ばして応答し、隣人にも交わりの手を差し出す誠実な心と歩みがつくられていきます。このことを「手」との言葉を題目にしつつ、御言葉から聴いていきます。

キリストは今、昇天され神の右に着座されています(20節、使徒言行録1章11節)。このキリストによって私たちの信仰は確かにされ、力を増していくのです。

1.キリスト、すべての頭として  1章21~23節

神は、信じる者に力強く働く神の力をキリストの内に働かせて、十字架の死から復活させ、昇天させて神の右に着座させ、神とキリストが一つであることを明らかにされました(19~20節)。それによって、キリストはすべてのものを将来にいたるまで支配され、その上に立つ頭となられました(21~22節)。ただ、今の現実の全てが、キリストの支配に服しているのではありません。

なお、キリストは教会の頭として満ち満ちておられ(22~23節)、教会においてキリストのすべての恵みを受け取ることができます。それゆえに、私たちは「イエス・キリストは主である」との信仰告白へと導かれるのです(フィリピ2章6~11節)。

2. キリスト、私たちの内に  3章16~19節

キリストは今、主のものとされた者の「心の内に住んで」くださり、住み続けてくださり、一つになって生きていてくださいます(17節a)。そのために、神はご自分の力をもって「内なる人」を強くしてくださり(16節)、キリストの愛に満たされた歩みをさせてくださいます(17~19節)。

ところで私たちは、現実に弱さを覚えて恐れを抱き、祈れなくなることがあります。しかし、キリストは恐れなさらないお方です。私たちは、このキリストを信頼し、内に住み続けていただいて全てを支配していただくことが大切なのです。

 

右手を差し出して(2021.5.9)

聖 書

私にこのような恵みが与えられたのを認めて、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、私とバルナバに交わりのしるしとして右手を差し出しました。(ガラテヤ2章9節a)

礼拝音源(23.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ16章13節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編128編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ9章18~26節
ガラテヤ2章9節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「右手を差し出して」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 520 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主の愛の御手に触れられた者は、その愛に信仰の手を伸ばして応答し、隣人にも交わりの手を差し出す誠実な心と歩みがつくられていきます。このことを「手」との言葉を題目にしつつ、御言葉から聴いていきます。

1.主への信仰の手を伸ばす  マタイ9章18~26節
12年間病気に苦しんでいた女性は、絶望的とも思われたなかから、主イエスに近づき、治してもらえると信じて手を伸ばして衣に触れました。主イエスは愛ゆえに、この女性の信仰を見て「あなたの信仰があなたを治した」と言われました(20~22節)。一方、娘の死によって絶望に打ちのめされていた父親は、主イエスの前に「ひれ伏して」嘆願しました(18~19節)。主イエスは愛ゆえにその娘の手を取り、父親の信仰に応えて、娘を起き上がらせたのです(23~26節)。
このように、主イエスは愛の御手を差し伸べて触れてくださるお方です。それに対して、人が主への信仰の手を差し伸べることを通して、主は御業をなされるのです。

2.主にある交わりの手を差し出す  ガラテヤ2章9節
母なるエルサレム教会の指導者たちとパウロたちは、主の恵みの御手に触れて同じ福音に与った人たちです。それゆえに、指導者たちがパウロたちに「交わりのしるしとして右手を差し出」すことを通して、共通のものを共有している証しをしたのです。
これは、教会での互いの間における、また互いの家族におけるコイノーニアの交わりに与る者たちの姿です。今の私たち一人ひとりにも、祈りの交わり手を、愛の交わりの手を差し伸べる人が、身近なところにおられます。

福音は一つ(2021.5.2)

聖 書

福音の真理があなたがたの内に常にとどまるように、私たちは、一時も彼らに屈服することはありませんでした。(ガラテヤ2章5節)

礼拝音源(25.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編118編23~24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編127編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ2章1~10節
使徒信条 93-4  1A 一同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「福音は一つ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 411 一同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリストの福音によって造り変えられたパウロは、人間の支えによるのではなく、独善でもなく、イエス・キリストを死者の中から復活させた父なる神の御業の中て生かされてきました(1章)。その福音は一つであることを明らかにしています(2章)。

1.福音の真理にとどまる  1~5節
パウロは、回心後17年目にして、バルナバとテトスを伴って「再びエルサレム」を訪問しました(1章18節、2章1節)。この間、パウロのうちに十分な福音理解が形成されていったと思われます。この訪問の動機は、神のご計画・ご指示によったことでしたが、エルサレム会議が開かれた時だったと考えられています(使徒言行録15章1~2節)。
教会は、イエス・キリストを信じるだけでは救われないと歪める主張に対して、罪人であるすべての人に対する無条件で、無代価で与えられる「福音の真理」に固く立ちました(3~5節)。この揺らぐことのない福音の再発見こそが、今日の教会を支えています。

2.神の恵みに立ち続ける  6~10節
エルサレム教会の指導者たちとパウロたちは、「人を分け隔て」なさらない神によって、互いに尊敬の念を抱いています(6節)。そして、誰もが神の恵みによって救いと使命への召しに与っていることを知っていたために、同じ福音のために各々に委ねられた使命に生きることを確認したのでした(7~8節)。そして、主にある一致の交わりとして「右手を差し出し」、教会に共通に与えられている使命を確認したのでした(9~10節)。
私たちの存在の原点が神の恵みであることを忘れることなく、その神の恵みに繰り返し立ち続けることが大切です。

偉大な謙遜(2021.4.18)

聖 書

ヨハネは答えた。「私は水で洗礼(バプテスマ)を授けているが、あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられる。(ヨハネ1章26節)

礼拝音源(27.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編68編20~21節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編40編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ1章19~28節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 208 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「偉大な謙遜」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 522 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

神の民の歴史(キリスト教会の歴史)は、主なる神から遣わされた主の僕たちによって担われてきました。ここにも、ひとりの主の僕がいます。「洗礼者ヨハネ」です。そして、私たち一人ひとりも主の僕です。

1.主の僕の自覚をもって
洗礼者ヨハネは、キリストについて証しをし、それによってすべての人がキリストを信じるようになるために遣わされました(1章6~8節、15節)。彼はキリストではなく、ただキリストが来られるための準備をしたのです(20~23節)。彼は、罪の赦しのための悔い改めのバプテスマを宣べ伝え、水のバプテスマを施しました。そうすることによって、罪の赦しをされるキリストに仕える僕でしかないことを語ったのです(26~27節)。
洗礼者ヨハネは、キリストの偉大さと自分の小ささを謙遜に受け入れました。それはパウロも同様でした(1コリント15章9節、エフェソ3章8節、1テモテ1章15節参照)。

2.主の僕であることを喜んで
洗礼者ヨハネは、キリストを指し示して、すでに主の救いの道は始まっていることを証言しています。そして、それに応答しないことが「荒れ野」の状態であることを明らかにしています。まさに、御言葉に心を開いて聴こうとしない、応答しようとしない霊的貧困こそ「荒れ野」です。彼は、主の僕の「声」が消えていくことを喜びとし、キリストとその救いが人々の魂と生涯に刻み込まれることを願ったのでした(23節)。
洗礼者ヨハネ同様に、キリストの謙遜が私たちの救いとなり、キリストの救いの事実ゆえに、私たちは謙遜にされるのです。偉大なのは、キリストの謙遜です。

神によって生かされる(2021.4.11)

※録音機器のエラーにより、礼拝データのアップロードが遅れましたこと、
申し訳ございませんでした。

聖 書

ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、当時は滅ぼそうとしていた信仰を、今は告げ知らせている」と聞いて、私のことで神を崇めていました。(ガラテヤ1章23~24節)

礼拝音源(29.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1コリント15章54節b~55節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編34編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ1章18~24節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 13 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「神によって生かされる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
奉仕者任命式
賛  美 402 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

本書の1章では、パウロの生涯が神によって設計され(1節、15~16節)、復活の主イエスのご介入によって、神によって生かされることを証ししています。それは、神に対してどういう歩みが造られていくことなのでしょう。

1.神の前で  18~20節
パウロは、神の選びと召しの出来事を神の前に問いかけ、神の御心を確信を持って捉える時を持ちました(17節)。続いてパウロは、回心した時から三年後に、エルサレムに行って、ケファとヤコブに会いました(18~19節)。彼のこうした人たちとの交わりは、これからの宣教の働きのために互いの役割を確認するためであったと思われます。
さて、そのことをパウロが「神の前で断言しますが」と語ったのは、自分の召しと働きが神からのものであることを明らかにするためでした。同じように、私たちの証しと伝道の動機が、神の前に純愛と情熱をもったものであるかが問われます。

2.神を崇めて  21~24節
その後パウロは、アンティオキア教会のあったシリアと彼の故郷タルソスのあったキリキア地方の宣教に赴きました。その宣教姿勢は一貫してぶれることはありませんでした(21~22節)。パウロは、「かつて」「今は」と復活の主が新しい命、新しい生き方に変えられたことを証ししました(23節)。それは、パウロ自身が神の恵みに屈服したことであり、それによってパウロのことで「神を崇め」ることになったのです(24節)。
私たちの信仰の立ち位置は、パウロと同じです。そのように神に生かされていることによって、神が崇められるのです。

私の主、私の神よ(2021.4.4)

聖 書

トマスは答えて、「私の主、私の神よ」と言った。(ヨハネ20章28節)

礼拝音源(26.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 エフェソ5章14節cde 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編24編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ20章24~29節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 327 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「私の主、私の神よ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
入 会 式
4月誕生者祝福 1ペトロ1章8節
賛  美 197 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

復活された主イエスは、恐れと不安を覚え、かつ疑いを抱いた弟子たちに「あなた方に平和があるように」に語られています(19節、21節、26節)。そうした中から、トマスは、「私の主、私の神よ」と信仰の確信へと導かれたのでした。

1.復活の主は、ほっとかれない  24~26節
トマスは、他の弟子たちと「一緒にいなかった」ために、復活された主イエスにお会いする喜びを経験しませんでした。そして、彼は自分の目で見、手で触れなければ「決して信じない」と言ったのです(24~25節)。驚くべきことに、その八日の後にトマスが他の弟子たちと「一緒にいた」時に、主イエスの方から来られて語りかけられたのでした(26節)。主イエスは、トマスをほっとかれなかったのです。
今も主イエスは、聖徒の交わりの中で、神の救いの恵みを明らかにされ、信仰に導かれ、養い育ててくださいます。私たち一人ひとりをほっとかれません。

2.復活の主は、対面してくださる  27~29節
主イエスは、主体的かつ実証的な性格をもったトマスに対して、ご自分から身を低くして語りかけられ、明確な信仰へと導かれ、祝福されました。それは、トマスが、直面する主イエスに対面して個人的に培われた信仰でした。
私たち一人ひとりは、対面してくださる主イエスを「私の主、私の神よ」と信仰の告白をすることが必要です。それは、十字架に架かられた主イエスに叫び求めた「もう一人の」犯罪人も同じでした(ルカ23章42節)。そして、「私の主、私の神よ」と信仰の告白する聖徒の交わりに生きることが、幸いな勝利者の歩みとなるのです。

あと一歩でクリスチャン(2021.3.28)

聖 書

イエスは言われた。「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない。(ヨハネ14章6節)

礼拝音源(29.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 イザヤ53章1~7節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ14章1~6節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 288 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「あと一歩でクリスチャン」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
教会役員任命式
賛  美 300 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちの信仰には、主イエスの言動を信じる信仰と、主イエスご自身を信頼する信仰とがあります。この二つの信仰が結びつくプロセスを生きた人物に、「トマス」がいました。彼の人物像については、「ヨハネによる福音書」が詳しく語っています。

1.誠実な求道者  11章16節
ユダヤ人指導者たちが主イエスを殺そうと謀っていたので(10章31節)、主イエスがエルサレムに行くことは向う見ずな行為に見えました。しかも、ラザロが死んでしまったためにエルサレムに行くことは無用なことだと思われました(11章1~15節)。その時です。トマスは、自ら死に至るまで主イエスに誠実であろうと決心しました(同16節)。
しかし、このように誠実なトマスでしたが、主イエスが十字架にお架かりになった場面では、主イエスから離れていってしまいました。それは、主イエスを信頼するのでなく、自分の誠実さに頼っていたからです。信仰は、信心ではないのです。

2. 当惑する求道者  14章5節
主イエスが、十字架に架かられる前日のことです。主イエスは、当惑するトマスたちに、ご自身が父なる神のもとに通じる唯一の道であり、神について説き明かす唯一の真理であり、神の限りない唯一の命をもたらすことを明らかにされました(14章1~6節)。
主イエスは、十字架で踏みつけられるように死に、救いの道を開いてくださったのです。
神が人となって出てきてくださった主イエスが、私たちと会ってくださいました。それに対して、私たちは自分に固執している所から一歩出て、生きておられる主イエスにお会いするのです。一人ひとりには、この出会いをする信仰の一歩が求められています。

必要な一つのこと(2021.3.21)

聖 書

しかし、必要なことは一つだけである。マリアは良いほうを選んだ。それを取り上げてはならない。(ルカによる福音書10章42節)

礼拝音源(25.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マタイ16章24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編32編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカによる福音書10章38~42節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 56 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「必要な一つのこと」 池口輝雄師
祈  祷
賛  美 403 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

イエス様は「必要なことは一つだけである」と言われました。どうしてでしょうか。そして、その一つのこととは、一体、何なのでしょうか。

1.一つだけの必要なこととは何か

イエス様は、他の全てのことが不必要だと言っておられるのではありません。それらは、確かに、大切なもので私たちの生活に必要なものです。中には、とても尊いものもあります。けれども、ここでイエス様が、言われたのは、必要なものの中で最優先すべきものは何かということです。それは、マリアのように神の御言葉を聴くことです。

2.神の御言葉の中心は十字架

では、マリアが聴いていたイエス様の言葉の中心テーマは何だったのでしょうか。それは、「福音」です。「福音」とは、神の御子であられるイエス様が、私たちすべての人間の罪を負って下さり、私たちに代わって十字架にかかって死んで下さり、信じる者の罪が赦される道を完成して下さったということです。そして、この福音を宣べ伝えるように命じられました。

3.命令と約束という恵み

神様の命令には、常に、その命令を遂行できるようにしてあげようという神様の約束が伴っています。あなたは既に神様に用いられています。安心して、必要なただ一つのこと「御言葉を聴き、従う」ことを最優先してみて下さい。想定外の神の恵みに浴することでしょう。例えそうでなくても神様の御言葉は空しく神様のもとに返ることはありません。

黙示録とデジタル世代(2021.3.14)

聖書

見よ、私は新しいことを行う。今や、それは起ころうとしている。あなたがたはそれを知らないのか。確かに、私は荒れ野に道を荒れ地に川を置く。(イザヤ43章19節)

礼拝音源(27.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編51編19節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編29編
会衆祈祷 一  同
聖  書 黙示録11章7~13節
イザヤ43章19節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 579 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「黙示録とデジタル世代」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 463 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

1.ヨハネの黙示録と掛けてデジタル世代と解きます
言葉には、使う人の地域性、考え方、価値観等が表れます。生まれた時からインターネットが普及していた世代は、デジタルネイティブやZ世代と呼ばれています。便利だけど不景気の中に育った、最新の世代です。私達は世代が異なると文化の違いから、理解できず、戸惑い、批判する事が多くなります。
信仰継承から、現代用語を使ったメッセージをしてきましたが、その用語を使っていると思っていた方から、意味を知らないと言われた事がありました。予想外に世代が短く分かれていることに驚きました。新しい言葉が次々と出て来る様に、新世代も次々と現れ、お互いの理解と伝えることが難しくなっています。
黙示録は難解だと言われ続け、以前は11章9節を見て、世界中の人が同時に見るということを理解されず、あり得ない事だと言われていました。

2.その心は
理解が難しいかもしれませんが、聞けばきっと解かるでしょう。
黙示録は研究が進み、良書も増えているようです。信仰を持って神の言葉に耳を傾けるとき、聖霊によって教えられます。デジタル世代や異なる世代の人は、生きて目の前にいます。聞く耳さえあれば、解らない事は聞く事ができます。そして、解りあえたとき、共に信仰に生きる事ができるのではないでしょうか。
私たちには不可能と思えることを、神は新しい事として実現します(イザヤ43:19)。神の言葉にも、人の言葉にも、耳を傾ける事が大切です。

恵みによる回心(2021.3.7)

聖書

なぜならこの私は、その福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、実にイエス・キリストの啓示を通して受けたからです。(ガラテヤ1章12節)

礼拝音源(30.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヤコブ4章8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編27編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ1章11~17節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 6 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みによる回心」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
3月誕生者祝福 「箴言3章5~6節」
賛  美 441 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

パウロは、回心した時から人生についての考え方や価値観が変わりました。キリストの十字架の事実が、彼の回心するまでの人生とその後の人生とを区切ったのです。

1.回心をもたらす恵みの主  11節~16節a
パウロは、福音の出所も起源も人間からではなく、神ご自身からのものであると宣言しています(11~12節)。キリストが、それを開かれ、明らかにされ、示されたのです。
かつてのパウロは、行動的にも内面的にも「極めて熱心でした」(13~14節)。しかし、神が恵み深い主権的な働きかけをもって、パウロに回心をもたらされたのです(15~16節b)。そこにおいて、恵みによる神の選びがあり、恵みによる召命があり、恵みによってイエスが救い主であることを示されたのです(ヨハネ15章16節参照)。
私たちの内にキリスト信仰を与えてくださるのは、聖霊なる神です。

2.確信へと導かれる恵みの主  16節b~17節
回心後のパウロには、二つの衝動がありました。自分の身に起こったことを直ちに他者に知らせたいという衝動、自分の身に起こったことの意味や結果を深く吟味したいという願いです。別言すれば、隠れ込んで出て行く、という衝動です。
パウロは、ダマスコ(使徒言行録9章20節)からアラビアへ、そしてダマスコに戻ったのでした。この間彼は、深く主との交わりを持つ孤独の時を過ごしています(哀歌3章26~28節参照)。そこで、信仰の確信へと導かれたことは、神の恵みでした。
私たちは、その信仰生活において、礼拝や祈祷会や個々人の密室などが真に生かされ、救いの確かさが深められ、広げられていく恵みにあずかり続けることが大切です。

 

あなたは何をしたいのか(2021.2.28)

聖書

そして、シモンをイエスのもとに連れて行った。イエスは彼に目を留めて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。(ヨハネ1章42節)

礼拝音源(30.3MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マタイ11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編23編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ1章40~42節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 225 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 栗本高仁神学生(ガラテヤ2章16節)
「あなたは何をしたいのか」
川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 475 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「私は何をしたらよいのか」との問いは、「私は何のために生きるのか」との問いにつながり、つまるところ「私は何ものなのか」との問いとなります。ペトロは、主イエスを通して、その問いかけに対する答えを明らかにしていただいたのです。

1.あなたは・・・である
主イエスは鋭くも恵みに満ちた視線をペトロに注いでおられます。開口一番、主イエスの口から出た言葉は、「あなたヨハネの子シモンである」でした。主イエスは、この後明らかにされるペトロの罪深さ(ルカ5章8節)、臆病(マタイ14章30節)、弱さ(ルカ22章61節)といったありのままの姿を見ておられたのです。
主イエスの憐れみの目は、今この瞬間においても、私たちの上に注がれています。常に弱さと醜さと罪深さが混在している私たちに対して、主イエスは「あなたはそのような者だ」と診断されます。実は、そこから、主イエスの恵みの御業が始まるのです。

2.あなたを・・・にする
続いて主イエスは、「ケファ ― 『岩』という意味 ―と呼ぶことにする」と言われました。「するであろう」ではなく、「する」と言われたのです。それに対して、ペトロは、主イエスを信じ、信頼して、従っていこうとしたのです。こうしてペトロは、これまでとは違う新しい生き方をスタートしたのです。
主イエスは、あなたの神との関係が変えられ、心が変えられ、価値観が変えられ、生きる目的が変えられる新しい生き方に招いていてくださいます。私たちは、この主イエスの恵みの招きを聞いて、信仰の歩みを始めるのです。

恵みは尽きることがない(2021.2.20)

聖書

私たちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを与えられた。(ヨハネ1章16節)

礼拝音源(23.95MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ローマ12章1節 司 会 者
頌  栄 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 イザヤ書40章26~31節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ1章14~18節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 342 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みは尽きることがない」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 451 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ヨハネによる福音書が書かれた時代は、イエス・キリストの恵みに対する確信が揺らぎかねない状況下にありました。そのような時に、尽きることのない豊かな恵みに与り続けることを証言しているのです(14節、16節、17節)。

1.キリストの栄光を見る恵み  14節
私たちと同じ人間になられたキリストが、私たちの間に宿ってくださったことによって、私たちに安息を与え、喜びと感謝に満たしてくださいます。それによって、神の栄光を見させていただくことになりました。
神の栄光は、キリストの全生涯において現されました。とりわけ、十字架において神の救いを成し遂げられたことによって(ヨハネ12章23~24節)、復活された勝利を通してです(同17章24節)。罪のゆえに神の栄光を受けられなくなっていた私たちは(ローマ3章23節)、キリストの十字架と復活の恵みによって、キリストの仲間とされたのです。

2.恵みの上にさらに恵みへと導かれる  16節
キリストを通して現わされた恵みは、継続して与えられていきます。一つの恵みを受け取ったら、新しい恵みを受け取り続けるのです。順境には順境の恵みが、逆境には逆境の恵みが、強くされた時には強くされた時の恵みが、弱さを覚えた時には弱さを覚えた時の恵みが、試練の時には試練の時の恵みが、病める時には病める時の恵みが、悩める時には悩める時の恵みがあります。それは尽きることがありません。
一人ひとりにふさわしく差し出されている恵みは、心を開いて受け取り続けるのです。神の前に謙虚にされ、キリストの恵みに立ち続けるのです。

灯の照らすところ(2021.2.14)

聖書

「灯を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。(マルコ4章21節bc)

礼拝音源(24.9MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ4章23節ab 司 会 者
頌  栄 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編19編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マルコ4章21~32節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 403 一同起立
牧会祈祷 石﨑善土伝道師
宣  教 「灯の照らすところ」 石﨑善土伝道師
祈  祷
2月誕生者祝福 詩編37編5節 一同起立
賛  美 18 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

1.隠されている言葉
イエスは、「聞く耳のある者は(信仰のある者は)聞きなさい」(23)と、たとえを用いて話した。たとえには、イエスの弟子ではない人が聞いても悟らないよう、意味が隠されている言葉が使われた。『種を蒔く人』のたとえでは、蒔かれた種は御言葉であり、成長するのは信仰である事が隠されていた。今回の聖書箇所のたとえでも、隠されている言葉は同様に『御言葉』と『信仰』である。

2.たとえの意味
灯のたとえ-御言葉と信仰は、世を照らす。秤のたとえ-信仰によって聞いて「量る」(判断する)人は、さらに与えられる。これは個人の信仰の成長を表している。
成長する種のたとえ-神の国(教会)の成長は、個人の成長とよく似ている。神がそうして下さる。そして、29節には、「実が熟す」(時が来る)と「鎌を入れる」「収穫の時」(裁き)が来る事を示している(ヨエル4:13、黙示録14:15)。
からし種のたとえ-イエスの宣教からはじまった神の国は、最初は信じるものが少なかったが、多くの者が信じるようになることを教えている。32節の成長の表現は、豊かに成長することを表現する昔からの言い方(エゼキエル17:23、ダニエル4:9,18)である。

3.宣教題の意味
今日の宣教題に、隠された言葉を当てはめると、『あなたの信仰の照らすところ』となる。世界も人生も、悲観的に見えるかもしれない。しかし、信仰を通して見るとき、希望がある事が見えて来ないでしょうか。あなたの灯は、あなたの周りを照らします。