宣教:川原﨑 晃 牧師
聖書:ルカ 6章39~45節
親を、家族を大切にするということは、聖書が一貫して教えていることであり(箴言1章9節、15章20節、ヨハネ19章26~27節他)、互いに愛のきづ なで結ばれていることが大切です。そうした「愛の気づき」は、人と人とが関わるすべての領域において必要なことです。
1.愛のまなざしをもって 39~42節
とかく私たちは、主イエスの教えに対して(41~42節)、自分自身に無頓着であったり、他の人に無関心であったりします。しかし、「人を裁くな」 (37節)と語り出された主イエスは、真に人を裁くことができるのは主なる神のみであると言っておられるのです。つまり、主イエスの愛のまなざしが、自分 の目にある丸太のような罪を気づかせ、それを取り除く十字架の救いの道を開いてくださったことに気づかせてくださっているのです、
そして、この主イエスの愛に気づかせていただくならば、他の人の目にあるおが屑のような罪からの救いのために、私たちの愛の目を回復していただき、他の 人を生かす目を開いていただき、証しの目、伝道の目を持たせていただきたいと願うようになるのです(1テモテ1章15節参照)。
2.愛の心をもって 43~45節
ここで語られている「良い実を結ぶ」とか「良いもの」とは、人を生かし、家族を生かし、教会を生かす言葉を語ることです。他の人の目からおが屑を取り除 いてくださることを願って、意味があり、説得力があり、力がある言葉を溢れるように語ることです。そして、そのような言葉は、主イエスの愛の心が溢れてく るところから生まれてくるのです。そのためには、神の愛の現われである主イエスの十字架を信じ、受け入れることと、主イエスと愛のきずなで結ばれ続けてい ることが大切です。
私たちの家族の交わりと教会の交わりにおいて必要なことは、自らとお互いを包み込んでしまう主イエスの愛の心がいつも溢れていることです。この愛の気づきを抱き続けたいものです。