聖 書
主は、私たちのために死んでくださいました。それは、私たちが目覚めていても眠っていても、主と共に生きるためです。(1テサロニケ5章10節
礼拝音源(26.73MB)
礼拝順序
前 奏 | ||
招 詞 | ローマ13章12節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交 読 | 詩編95編 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | 1テサロニケ5章1~24節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一 同 |
講師紹介 牧会祈祷 |
川原﨑晃主管牧師 | |
宣 教 | 「大いなる喜び・再臨の希望」 | 福本行宏 師 |
祈 祷 | ||
賛 美 | 474 | 一 同 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
宣教要旨(第一礼拝、第二礼拝)
1.その日、その時は主の他に誰も知らない。 1~11節
主イエスの再臨は、(1)盗人のように来る。(2)人々が「平和だ、何事も無く、平穏無だ」と嘯いている時に、突如として起きる。(3)妊婦に産みの苦しみが臨むように。
私たちの人生に、世界には、予期せぬ出来事が突如として起きることがある。主の再臨される時も、予期せぬ時に起きると聖書は宣告している。
【その結果】
(1)神を蔑ろにして生きて来た人たちには、逃れることが出来ない破滅が襲ってくる。
ノアの大洪水、ソドムゴモラ、栄華を極めた諸々の国々、町々など、世界各地に起きている災害、その殆どが何の予告も無く突如として起きている。主の再臨はそれ以上の出来事、不信仰者で破滅から逃れることが出来る者は皆無である。
彼らは自分の頭上に燃える炭火を積み重ねている。キリストの十字架による罪の赦しも、復活による永遠の命も、主の再臨も、世界の滅びも皆、神の言葉である聖書の宣告であるから、神の御前にひれ伏して悔い改めることが肝心である。決して政治学・教育学・社会学・倫理学・心理学・諸々の思想などによるのではない。
(2)どんな時にも主を信じて生きて来た人は、キリストの十字架による贖いの故に、誰一人として破滅に陥る者はいない。
その為に常に『目を覚まして身を慎んでいなさい』と聖書は勧めている。キリストの十字架の愛と赦しを思い起こす。キリストガ死とサタンとその王国を打ち負かして復活したことを思い起こす。神の国の相続人とされたこと、その保証として御霊の内住を㥅かったことを思い出す。神の御座で執り成しておられるキリストの熱愛を思い起こす。主の再臨を待ち望む希望が与えられていることを思い起こす。
2.キリスト信徒の務め。 12~24節
(1) 愛の労苦を共にしている指導者を重んじて支える。
(2) 互いに尊敬と平和を堅持する。
(3) 怠惰な者を諭す。祈り・みことば・礼拝・献金・奉仕などを怠っている者を愛と寛容を持って諭す。
(4) 思考で悩んでいる者を温かく節度を持って慰める。
(5) 悪を持って悪に報いず、善を持って悪に打ち勝つ。
(6) 常に喜び、絶えず祈り、すべてのことを感謝する。これは神が私たちに臨んでいることで、みこころに叶うことですから、不可能な事では無い。
(7) 御霊を悲しませたり、働きをけしてはなりません。
(8) みことばを重んじ、しっかり蓄えなさい。
(9) 世俗的な事柄に執着しては為りません。
キリストの再臨の時、聖さと平和を保てるように。真実な神がそれを保証してくださっていることを忘れないように。
宣教要旨(第三礼拝)
ステファノは、最初のペンテコステの日に居合わせた120人のひとりでした。彼の生涯を象徴する言葉が「聖霊に満たされ」(6章3節、5節、10節、7章55節)です。聖霊に満たされた彼は、絶えず見ていたものがあり、それが勝利の秘訣でした。
1.天を見つめていた 55節
キリストの福音に敵対する者たちの罪を指摘したステファノに向かって、人々は激しい怒りを燃やし、憎悪をむき出しにしてきました。その時彼は、まず「天を見つめ」ていたのです。私たちが日々見つめているものが、その人を表し、その人を決めます。
私たちは、ここ一番、また日々に何を見つめているでしょうか。
2.神の栄光と着座されたキリストを見ていた 55節
そうした中で、ステファノは、冷静かつ落ち着いて復活され生きておられるキリストを見ていました。聖霊に満たされていると、人の憎悪や怒りの中にあっても、臨在されるキリストが見えるのです。見なくてもよいものは見えなくなり、見なければならないキリストがいつも見えるのです。
3.見たものを証しし、執り成している 56節、59~60節
生ける臨在のキリストを見ている者は、人が聞こうが聞くまいが、認めようが認めまいが、そのことを訴え、勧め、証しするのです。ステファノは、そうせずにはいられなかったのです。これこそ、聖霊の力が可能にする働きであり、クリスチャンの使命です。
私たちは、さらに神と深く交わり、キリストの愛と力を知って、聖霊に満たされ続けていることが大切なのです(エフェソ5章18節)。