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第一コリント

全体の益のために(2024.10.26)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

一人一人に霊の働きが現れるのは、全体の益となるためです。( 1コリント 12章7節 )

礼拝順序

前  奏
招  詞 ガラテヤ 3章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 377 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 130編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 12章1節~11節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「全体の益のために」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 411 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 聖霊によって信じる
パウロは、人々が、イエス様を救い主と信じることができたのは、聖霊によるのだと
言います。聖霊が、私の罪のためにイエス様が死なれたことをわからせ、「イエス様は私の救い主だ」との信仰を与えてくださったのです。人の知恵や知識によってではありません。聖霊によって信じた人たちがイエス様の体である教会の部分となって、教会が建てあげられていきます。

2. 同じ霊、同じ主、同じ神
キリストの体である教会として建てあげられ、成長していくためにそれぞれに違った賜物が与えられます。担う務めもそれぞれ違います。一つの同じ霊によって賜物があたえられ、同じ主に仕えます。また、いろいろな働きがあっても同じ神様がすべての人の中に働いてすべての働きをしてくださいます。こうして、キリストの体の部分である一人一人が、一つの体として成長し、働いていくのです。

3. 全体の益となる働き
パウロは、一人一人様々な違った賜物が与えられて、その賜物を用いて仕えていくようにと勧めます。教会の部分である一人ひとりが、それぞれ違った賜物を与えられ、異なる働きをしていきます。それは、全体の益になるためです。聖霊が一つの体として成長させてくださるからです。
私たちにもそれぞれ違った賜物が与えられています。賜物を用いて互いに支え合い、共に働いて、キリストの体として成長させていただきましょう。

主の晩餐(2024.10.6)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

キリストが父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためです。 ( ローマ 6章4節b )

礼拝順序

前  奏
招  詞 1ペトロ 3章18節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 79 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 126編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 11章17~34節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「主の晩餐」 仁科共子牧師
祈  祷
聖  餐  式 新49
賛  美 299 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 474 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 教会の集まりの中で

パウロは、コリントの信徒たちの集まりが悪い結果を招いていると指摘しました。それは、彼らが集まる時、分裂があることを聞いたからです。パウロは、分裂があるなら、一緒に集まって食事をしていても「主の晩餐を食べることにはなりません」と言い、「主の晩餐」について教えます。

2. 主から受け、伝えたこと

パウロは、自らが主から受けた「主の晩餐」をコリントの信徒たちにも伝えました。イエス様が十字架につけられる前の夜、弟子たちに与えられたパンとぶどう酒によって守られるのが「主の晩餐」であり、これはイエス様の死によって与えられる罪の赦しと新しい契約による祝福を示します。イエス様が「私の記念としてこれを行いなさい」と弟子たちに命じられたので、弟子たちはイエス様を信じた者たちにこれを伝えました。

3. ふさわしいしかたで食べて飲む

パウロは、ふさわしいしかたで「主のパンを食べ、主の杯を飲む」ようにと教えます。つまり、イエス様の十字架が自分のためであったと信じ、イエス様の命に生かされている者であることをわきまえるのです。そして、イエス様がもう一度来られる時まで、「主の晩餐」にあずかる度にその意味を告げ知らせるのです。

「主の晩餐」にあずかり、復活のイエス様と共に生きる恵みを与えられていることを感謝して歩ませていただきましょう。

何をするにも、すべて神の栄光を現すために(2024.7.7)

聖 書

だから、食べるにも、飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。(1コリント 10章31節)

礼拝音源(32.6Mb)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 83 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編106編1~12節
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 10章23~33節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「何をするにも、すべて神の栄光を現すために」 仁科共子牧師
祈  祷
7月誕生者祝福 「詩編37編3~4節」
賛  美 536 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.自分の利益ではなく、他人の利益を
真実な神様を信じて生きる人たちは、自分のためではなく、他の人たちの益になることを求めるようにと教えられています。それは、弱い人のことを思いやる愛による生き方であり、人を造り上げていく生き方です。

2. 自分の良心のためではなく、他人の良心のために
偶像に献げた肉を食べることについて、再びとり上げています。市場で買った肉でも、信仰のない人に招かれたときに出されたものでも、何でも食べなさいと教えます。もし、誰かが「神殿に献げた肉です」と教えてくれたら、その人の良心のために、食べてはいけないと、教えてくれた人のことを思いやって行動するようにと勧めています。

3. 神の栄光を現すために
イエス様を信じて神様との交わりの中に入れていただいた者は、自由にされたものであり、すべてのことが許されています。しかし、すべてにおいて神様の栄光を現すために、益になること、人を造り上げることを選んで行動するようにと教えています。それは、どんな人のつまずきにもならず、人々が救われるためです。
私たちが、日常のすべてのことにおいて、他の人の利益を求め、他の人を思いやって行動していくとき、神様の栄光が現されて、人々の救いにつながっていきます

神は真実な方です(2024.6.16)

聖 書

あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。(1コリント 10章13節b)

礼拝音源(30.8Mb)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編68編20~21節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 208 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編103編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 10章1~22節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神は真実な方です」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 457 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 善い行いのために

1. 警告として起こったこと
パウロはイスラエルの先祖たちのことを例に挙げ、警告しています。そして、神様の御心に適う生き方をするように教えます。この警告は、彼らのように悪を貪る者とならないためです。そのために、偶像礼拝をしてはいけません、神様にだけ従いなさい、と勧めます。

2. 試練にも耐えることができる
イスラエルの先祖たちの中で、淫らな行いをしたり、神様の選んだ者を試みたり、不平を言ったりした人たちは滅ぼされました。それは、神様を信じず、御心に従わない生き方をしたからです。このことが伝えられているのは、今キリストを信じて生きる私たちを戒めるためだと教えています。ただし、神様を信じて御心に適う生活をしていくときにも、試練があります。神様は、その試練に耐えて生きることができるようにしてくださっているのです。

3. 真実な神様に信頼して
偶像そのものには何の力もありませんが、偶像を礼拝させようとするのは悪霊であり、悪霊と交わりを持つことになります。ですから、偶像礼拝を避けて、キリストの血と体によるキリストとの交わりに生きるようにと勧めます。耐えられない試練に遭わせることのない、真実な神様に信頼して神様との交わりの中に歩ませていただきましょう。

朽ちない冠を受けるために(2024.5.5)

聖 書

競技をする人は皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるために節制するのです。(1コリント 9章25節)

礼拝音源(30.5Mb)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 15 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編97編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 9章24~27節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「朽ちない冠を受けるために」 仁科共子牧師
5月誕生者祝福 「ヨハネの手紙三  2節」
祈  祷
賛  美 505 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.賞を受けられるように走る
パウロは福音に生きる生き方を、競技をする人に例えて語ります。競技場で走る人は、やみくもに走ることをしないで、賞を受けられるように走ります。そのように、目標に向かって、しっかり走りぬくようにと教えています。

2. 節制する
競技をする人は、冠を受けるためにすべてを節制すると例えをあげました。それは「キリストの福音を妨げないように、すべてのことを耐え忍んでいます」という福音のために生きる生き方を指しています。福音にあずかるためにすべてのことをしている、という生き方です。

3. 朽ちない冠を受けるまで
この世で冠を得ようとする競技者は、そのために節制をし、全てのことを整えて全力を注ぎます。節制するというのはたやすいことではありません、時には辛く、苦しいと思うことがあります。「朽ちない冠」は、神様のもとで受ける永遠の恩賞です。「朽ちない冠を受ける」望みを持つとき、節制していくことができます。この望みが与えられているので、全てのことを福音のためにして、生きていく力が与えられるのです。
福音にあずかり、朽ちない冠を受けることを望みとして、福音の力によって、生活のすべてを福音のために生きる歩みを導いていただきましょう。

福音に共にあずかるために(2023.4.14)

聖 書

福音のために、私はすべてのことをしています。福音に共にあずかる者となるためです。(1コリント 9章23節)

礼拝音源(30.3MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編100編4~5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 472 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編94編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 9章19~23節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「福音に共にあずかるために」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 458 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.すべての人に仕える
使徒として福音を宣べ伝える使命を委ねられたパウロは、「そうせずにはいられないことだからです」と言いました。そのために、「すべての人の奴隷となりました」と言っています。福音を伝え、より多くの人が信じて救われるために、人に仕える者となったのです。

2. 違っているいろいろな人々を得るために
パウロが福音を伝えた人たちにはユダヤ人も、律法に従って生きている人も、律法を持っていない人もいました。弱い人もいました。彼は、その人たちそれぞれを理解し、寄り添い、尊重して福音を宣べ伝えました。いろいろな生き方をしている人たちが、福音を信じ、福音に生きるものとなるために、彼らと同じようになったと言うのです。

3. 福音に共にあずかる者となるために
パウロは「福音のためにすべてのことをしています」と言いました。つまり、福音によって生き、福音のために生きているのです。福音による生き方を伝えていく力は福音にあります。
私たちも、聖霊に導かれて、日常のすべてのことにおいて福音を表すものとされて伝えていくものとして生きていきましょう。

福音に生きる誇り(2024.4.7)

聖 書

しかし、私たちはこの権利を用いませんでした。かえってキリストの福音を妨げないように、すべてのことを耐え忍んでいます。
(1コリント 9章12節b)

礼拝音源(35.7MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編34編6~7節 司 会 者
頌  栄 113 一同起立
賛  美 11 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編93編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 9章1~18節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「福音に生きる誇り」 仁科共子牧師
祈  祷
奉仕者任命式
4月誕生者祝福 詩編2編2~3節
賛  美 402 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.使徒パウロ
パウロはイエス様によって使徒として召されたと確信していました。しかし、パウロがイエス様と生活を共にしていた人ではないので、使徒ではないと批判する人たちがいました。それに対して、少なくともパウロによって福音を伝えられ、信じたコリントの信徒たちには使徒であると弁明しました。

2. キリストの福音を伝えるパウロの誇り
パウロは多くの例を挙げ、人はそれぞれ働きによって報酬を得ることは当然のことだと言います。そして、主は福音を宣べ伝える人たちも同じように福音によって生活の糧を得るように命じておられると話しました。しかし、パウロはその権利を用いずに福音を宣べ伝えることが、自分の誇りだと言いました。キリストの福音が妨げられることなく、伝えられていくためにそうしていると言うのです。

3. パウロにとっての報酬
パウロは、福音を宣べ伝える者として受けている報酬は、宣教者としての権利を用いず、無償で福音を伝えている生き方だと言っています。福音によって生きること、そして、権利を用いるためでも、生活の糧を得るためでもなく、無償で福音を伝えるために生きていることが、パウロの誇りでした。
私たちも、福音に生きる者とされていることを誇りとして、福音を伝える者としての歩みを導いていただきましょう。

愛によって造り上げられる(2024.2.18)

聖 書

偶像に献げた肉について言えば、私たちは皆、知識を持っている、ということは確かです。しかし、知識は人を高ぶらせるのに対して、愛は人を造り上げます。(1コリント 8章1節)

礼拝音源(32.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ書48章17節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 6 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編84編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 8章1〜13節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「愛によって造り上げられる」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 520 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 唯一の神以外に神はいない
コリントの町には偶像がたくさんありました。そして、その偶像に献げられた肉が、市場でも売られていたようです。それで、コリントの信徒からパウロに、偶像に献げた肉を食べることについて質問しました。それに対する答えとして、「偶像の神はいない」ことを私たちは知っていると言いました。偶像の神はいないのだから、偶像に献げた肉を食べても問題ではないというのです。

2. 良心が弱い人と強い人
「良心が弱い人」とは、信仰がまだ、未熟な人を指しています。たくさんの偶像があるコリントの町で生活してきた人たちは、偶像の影響を受けています。信仰が成長していかなければ、正しい知識を伝えても信仰による行動ができません。弱い良心の人に対する配慮が必要だと言っています。

3. 知識ではなく愛によって
偶像に献げた肉を食べることについて、唯一の神を信じている者には、食べなくても不利にはならず、食べても有利にはならないとパウロは答えます。けれども、信仰がまだ成長しておらず、偶像の影響を受けてきた良心の弱い人たちのことを思いやり、良心の強い人の行動が彼らのつまずきとならないように配慮することが大切だと教えます。それは、愛の配慮であり、この愛が人を成長させ、造り上げていきます。神の愛に導かれて、共に成長させていただきましょう。

ひたすら主に仕える(2024.2.11)

聖 書

このように私が言うのは、あなたがたの益のためであって、あなたがたを束縛するためではありません。むしろ、あなたがたが品位を保ち、ひたすら主に仕えるようになるためなのです。(1コリント 7章35節)

礼拝音源(29.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編121編4~5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 2 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編81編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 7章25〜39節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「ひたすら主に仕える」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 528 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 現状にとどまるのがよい
未婚の人たちに、「迫っている危機」があるので、現状にとどまっているのがよいと言いました。けれども、結婚してはならないと言っているのではありません。結婚している人も現状のままでいるようにと言っています。また、結婚しても罪を犯すことにはならないので、結婚してもよいといっています。ただ、結婚する人たちが苦労を負うことになるので、結婚しないで一人でいるほうがよいと勧めています。

2. 時が縮まっている
「危機が迫っている」とパウロは感じていたのでしょう。それで、過ぎ去っていくこの世のものにとらわれて思い煩わないで、主に仕えるようにと勧めています。

3. ひたすら主につかえるために
独身の人は、主のことに心を遣うが、結婚している人は世のことに心を遣い、心が分かれてしまう。それで、独身でいるほうがよいと言っています。けれども、それは独身でなければならないというのではなく、主に仕えることを妨げるような結婚であれば、ふさわしくないということです。未婚であっても、結婚していても主に仕えるために心を遣うようにと勧めているのです。
主に喜ばれるように、と主のことに心を遣い、ひたすら主に仕える者としての歩みを導いていただきましょう。

そのままで新しく生きる(2024.1.14)

聖 書

きょうだいたち、おのおの召されたときの状態で、神の前にとどまっていなさい。(コリントの信徒への手紙一 7章24節)

礼拝音源(29.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 哀歌3章22〜23節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 127 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編76編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント7章17〜24節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「そのままで新しく生きる 仁科共子牧師
祈  祷
はたち祝福式
賛  美 440 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 霊によって一致して歩む
キリストの体として一人一人が結び合わされて、一致して歩むことを教えています。それは、キリストの体は一つだからです。イエス・キリストを信じた人は、キリストの体である教会の部分として生きていきます。そして、一つの聖霊によって一つにされ、キリストの体である教会としての歩みをしていくのです。

2. 違う賜物が与えられて一つにされる
「キリストの賜物の秤に従って」それぞれに賜物が与えられます。そして、違う務めを与えられます。その一人一人が結び合わされて、それぞれの働きをしてキリストの体が造り上げられていきます。一人一人に違う賜物が与えられるのは、それらが体全体を成長させるために、必要だからです。そして、その違いが結び合わされるときあらゆる点で成長していきます。

3. 愛の内に造り上げられてゆく
キリストによって、一人一人は結び合わされます。違っている部分はそれぞれの分に応じて働いて体を成長させていきます。それが、キリストにあってキリストのものとされた私たちにふさわしい歩みです。このような歩みは聖霊によってできることです。私たち一人一人が結び合わされて、キリストの体として歩ませていただきましょう。

神が慰めてくださる(2023.11.5)

聖 書

神は、どのような苦難のときにも、私たちを慰めてくださるので、私たちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。 (2コリント 1章4節)

礼拝音源(35.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編23編4節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 111 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編63編
会衆祈祷 一  同
聖  書 2コリント 1章3〜11節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神が慰めてくださる」 仁科共子牧師
祈  祷
11月誕生者祝福 (エフェソ3:14~16)
賛  美 533 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1.慰めに満ちた神が慰めてくださる
パウロは、「私たちの父なる神」は「慰めに満ちた神」であり、この神が私たちを「どのような苦難のときも慰めてくださる。」といっています。神の慰めは、私たちの苦しい思いを慰めてくださるというだけではありません。苦しみの中にあっても私たちに希望を与え、生きる力を与えるものです。

2. キリストによって慰められる
この神の慰めは、キリストによって受けることができます。キリストの十字架の苦しみと死によって私たちは神のものとされました。復活のキリストの命によって生きる者とされたのです。その私たちにキリストによって神の慰めが私たちの内に満ち溢れています。この慰めは、苦しみに耐える力となります。

3. 慰められて他の苦難のなかにいる人を慰めることができる
キリストによって、私たちが苦しみの中で神から受けた慰めによって、私たちもほかの人たちを慰めることができます。「どのような苦難のときにも」慰められた私たちは「あらゆる苦難のなかにある人々を」慰めることができるのです。
パウロは、「生きる望みを失った」苦難の中で、ただ神だけを頼り、神に望みを置きました。私たちの生活も、苦しみ悩みは尽きません。私たちも慰めに満ちた神に信頼し、その慰めに満たされて、共に慰め合い支え合って歩ませていただきましょう。

代価を払って買い取られた者(2023.10.1)

聖 書

知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。(1コリント 6章19節)

礼拝音源(35.5MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 1コリント1章30節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 56 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編57編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント6章12〜20節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「代価を払って買い取られた者」 仁科共子牧師
祈  祷
聖 餐 式 49
10月誕生者祝福 ヨハネ15章9節
賛  美 513 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

パウロはコリントの信徒たちの不品行の罪を指摘しました。そして、キリストを信じて罪を悔い改めるなら命の道に生きることができると教えました。

Ⅰ.すべてのことが益になるわけではない
キリストを信じたものには、「すべてのことが許されているが、すべてのことが益になるわけではない。」ですから、益になることを選んで生きるようにと教えています。「体は主のためにあり、主は体のためにおられる」のであり、主と同じ復活の命に生きています。

Ⅱ.キリストの体の一部とされた
キリストの復活の命に生かされているキリスト者は、キリストの体の一部となりました。それは、主との交わりに生き、主と一つにされて生きることです。そのキリストの体を自分の欲によって不品行な生き方のために使ってはならないと教えています。

Ⅲ.神が代価を払って神のものとされた
神がキリストという代価を払って、私たちを罪の奴隷から買い取り、神のものとしてくださいました。そして、聖霊を与えてくださり、神の栄光を現すものとして生きるようにしてくださったのです。
私たちもキリストという代価によって買い取られて神のものとなりました。私たちは、主の聖餐を受けるときこの恵みを覚えて感謝します。私たちの生活を通して神の栄光が現されていきますように、主の導きに従って生活しましょう。

聖なる者とされている(2023.9.17)

聖 書

あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、主イエス・キリストの名と私たちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされたのです。(1コリント 6章11節)

礼拝音源(31.0MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書60章2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 464 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編55編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 6章1〜11節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「聖なる者とされている」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 518 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

キリストが過越の小羊としてすでに屠られたので、そのキリストによる贖いによって神の恵みに与っている者とされている、だから古いパン種を取り除いて新しい生き方をするようにとパウロは教えました。(5章7節)
1.キリスト共に世を裁く者
キリストを信じたものは聖なる者とされており、終わりの時にキリストが世を裁かれる時、一緒にこの世を裁く者とされています。それで、教会内の争いを裁くことができるのに、それをしようとしていないことをパウロは責めています。

2.兄弟の間の争いを仲裁する者
「きょうだいたち」とパウロが言っている教会のクリスチャンたちの間に争いがあることを指摘します。それは大きな争いではなく、日常の生活をめぐる争いでした。そのような争いを仲裁する者がいないことを責め、クリスチャンではない人たちに争いを裁かせようとしていることを嘆いています。

3.聖なる者とされ、義とされている
5章11節に述べたような不正を行う者は「神の国を受け継ぐことはできない」ことを再び取り上げます。そして、「あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、・・・」と、そのような者であったが、すでに「聖なる者とされ、義とされた」と受けている恵みを確認させます。それは、「主イエス・キリストの名と私たちの神の霊によって」であり、人の知恵や努力によるのではありません。「洗われ」て聖められ、それによって神に「義と」認められました。聖なる者としての歩みを導いていただきましょう。

新しくされた者として(2023.8.13)

聖 書

新しい生地のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、私たちの過越の小羊として屠られたからです。 (1コリント5章7節)

礼拝音源(34.3MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編100編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 351 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編49編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 5章1〜13節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「新しくされた者として」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 520 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1 パウロ、罪を指摘する
パウロはコリントの教会の中に、不品行の罪を犯すものたちがいることと、そのことを容認していることが問題だと指摘します。それは、当時のコリントの社会の中では、当然のこととして受け入れられていました。そしてそれが、教会の中にも影響を与えていたのです。パウロは、彼らが主の日に救われるために彼らの罪を裁いたと言います。

2 古いパン種を取り除きなさい
わずかのパン種でも粉全体を膨らませるように、小さな罪でも全体に及んでいくことをあげて、古いパン種や悪意と邪悪なパン種を取り除くようにと命じます。それは、古い考え方や習慣を離れて、イエス・キリストによって与えられた命に生きることを教えているのです。それが、イエス・キリストの十字架の死による贖いと復活による永遠の命に生きることです。

3 邪悪なこの世にあって、新しくされた者として生きる
この世の人々と交際をしないでいるようにと教えているのではなく、教会の中にいる不品行な行いをする人たちを避けるようにと教えます。それは、イエス・キリストを信じて新しく生きる者とされたクリスチャンは、この世で生きていく者であり、邪悪なこの世にあって、聖なるものとされた生き方をするようにと言っているのです。それが世にあってキリストを証しする新しくされた者の生き方なのです。

キリストを土台とする人生(2023.7.10)

聖 書

イエス・キリストというすでに据えられている土台のほかに、誰も他の土台を据えることはできないからです。(1コリント 3章11節)

礼拝音源(30.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 コロサイ 2章7節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編42編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 3章10〜22節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「キリストを土台とする人生」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 390 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

パウロはクリスチャンたちを神の建物にたとえてクリスチャンの生き方を教えます。

I 土台はキリスト
パウロは「土台を据えた」と言い、その土台はイエス・キリストであると言いました。それは「神から受けた恵みによって」であり「賢い建築家のように」据えたのです。そして、いろいろな材料でその土台の上に建物を建てていく、それがクリスチャンの人生です。「金・銀・宝石」は永続的なものを指し、「木・草・わら」は長くは続かないものを表しています。土台は、揺るぐことのないキリストですが、どんな材料でどのように建てていくか注意して建てなければなりません。終わりの日にどのような建物であるかが明らかにされるからです。

II 神の神殿となっている
クリスチャンの人生を建物にたとえた後、クリスチャンは「神の神殿」であると教えます。神の霊がその人のうちに住んでおられるからです。キリストによって神と共に生きるものとしての人生を歩ませていただいているのです。

III すべてはあなた方のもの
この世の知恵で自分は知者だと誇るのではなく、神の知恵によって考えるようにと再び諭します。そうする時、すべてのものが神から与えられ、キリストのもの、神のものとして一つとされていることがわかり、分派はなくなるのです。