宣教題 「晩年に神の祝福を」 宣 教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 フィレモン8~25節
パウロにも「年老いて」と思う時が来ました(9節)。この手紙とパウロが死の直前に書いた「テモテへの手紙二」から、晩年のパウロの信仰と心情を学んでみましょう。そこには、キリストに結ばれた者への神の祝福があります(20節)。
1.キリストによって安息を与えられて
パウロには、このとき置かれていた状況がもたらした孤独感がありました。それは、監禁中にあったために、狭い世界に閉じ込められた思いです。また、晩年の寂しさや悲しみがありました(2テモテ4章9節、10節、14節)。
そのパウロが、「キリストによって、わたしの心を元気づけてください」と願っています。私たちは、パウロと同じように、神の御前にひとり立つものとされています。その時に、キリストによって(ヨハネ15章5節、2コリント5章17節)、安息をいただいていることが大切なのです(マタイ11章28節)。
2.キリストによって力づけられて
パウロは、最後まで伝道のスピリットに満たされていました。『監禁中にもうけたわたしの子オネシモ』が与えられています(10節)。また、パウロは配慮と気遣いの人でした。彼は、生まれ変わったオネシモを「役立つ者」(10節)、「愛する兄弟」(16節)、「わたしの心である」(12節)と推薦し、信頼するフィレモンがオネシモを受け入れてくれるように期待しています(17節)。このような魂への配慮ができるのは、キリストによって力づけられていたからです。
大切なことは、誰もが「年老いて」という言葉の後に、どういう言葉が続く生き方をするかということです。
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メッセージ(10.3MB)