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礼拝メッセージ

あなたを休ませてあげよう(2025.10.26)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。( マタイ 11章28節 )

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 テトス 2章11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 17 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編62編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ 11章28節~30節
使徒信条 93-4 1A 一  同
信仰の体験談
演 奏
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「あなたを休ませてあげよう」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 481 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

イエス様はあなたを招いておられます。

3 私のもとに来なさい
イエス様は、重荷を負って苦労している人に「私のもとに来なさい。休ませてあげよう」と招かれました。「苦労している人」は「疲れた人」とも訳されます。私たちが「重荷」と感じるものは病気、忙しい仕事のストレス、人間関係の悩みなどたくさんあります。いろいろな重荷をずっと抱えているなら、体も心も疲れてしまいます。イエス様のもとに行くなら、重荷を負って疲れてしまっている私たちを、イエス様が休ませてくださるのです。

2. 私に学びなさい
イエス様は、重荷を負って苦労している人に「私の軛を負い、私に学びなさい」と招かれました。軛は牛などに付けて畑を耕す時に使う道具です。イエス様と一緒に軛を負って働くことを学んでいくなら、魂に安らぎを得ることができます。イエス様は、重荷ではなく軽い荷を私たちに与えてくださるので、苦労しないで働くことができるのです。
イエス様のもとにとどまり続けるなら、休むことができ、負っていく荷は軽いので楽しく働くことができます。あなたを招いておられるイエス様のもとに行って、休ませていただきましょう。

神様が心配してくださる(2025.10.19)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

一切の思い煩いを神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。( 1ペトロ 5章7節 )

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編 124編8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 6 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編61編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1ペトロ 5章7節
使徒信条 93-4 1A 一  同
聖歌隊賛美 352
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神様が心配してくださる」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 205 一同起立
感謝献金 新101 (聖歌隊)
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 思い煩いを神にお任せする
私たちは、いろいろな事を思い煩います。「思い煩う」というのは、日常生活の中で起こって来る様々の出来事について悩むことです。悩みを解決するにはどうしたらよいのだろうと考えると不安になります。その「思い煩い」全部を神様にお任せしなさいと教えています。困っていること、苦しいこと、不安なことなど全部です。どんなことでも神様に祈って、お任せするのです。

2. 神はあなたがたのことを心にかけていてくださる
神様が私たちのことを心にかけていてくださるのは、私たちのことを愛していてくださるからです。神様に愛されていることを知る時、私たちは神様を信頼して、どんなことでもお任せすることができます。神様は、神様にお任せしようとする私たちの祈りを聞いてくださいます。神様にお任せするなら、私たちは心配しなくて良いのです。神様が私たちのためにしてくださることは、私たちにとって一番良いことだからです。
私たちは、神様に信頼して思い煩い全部を神様に祈りましょう。神様は私たちの祈りに応えてくださり、思い煩うことのない安心できる生活を導いてくださいます。

小さな者を選ぶ神(2025.10.12)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

「容姿や背丈に捕らわれてはならない。私は彼を退ける。私は人が見るようには見ないからだ。人は目に映るところを見るが、私は心を見る。」( サムエル記上 16章7節 )

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書 43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 59編
会衆祈祷 一  同
聖  書 サムエル記上 16章1節~13節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「小さな者を選ぶ神」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 432 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 主自身のために王を立てる
サムエルはサウルから王国がもぎ取られたことを悲しんでいた。しかし、主は民のためではなく、自らのために王を立てると言う。サムエルはサウルの権力を恐れたが、主はエッサイ一家を招くための知恵をサムエルに与えた。

2. 主に従うサムエル
サムエルは危険を覚悟の上で主に従い、ベツレヘムへ行った。彼の到来に長老たちは不安を覚えたが、サムエルは主へのいけにえを献げる祭儀に彼らを招いた。その中にエッサイもおり、彼の息子たちも聖別された上で、この祭儀に招かれた。

3. 小さな者を選ぶ主
サムエルの前にエッサイと七人の息子が並んだ。エリアブを見たサムエルは主が彼を選ぶ、と考えた。サウルの容貌や背の高さと重なったからだ。しかし、主は目に映ることではなく、心で判断すると述べた。実は、エッサイには、祭儀に与る必要などないと低く見積もられた八人目の息子がいた。彼は兄弟に代わって羊の番をしていた。サムエルはその小さな者を招いた。その子ダビデは目に映ることは素晴らしかったが、背は高くなかった。彼は、家族の中でも、体格でも小さかった。しかし、主は小さい者をあえて選んだ。サムエルはダビデに油を注ぎ、家族の前で彼を王に任命し、主は霊をダビデに下した。
私たちには、優秀だからダビデが選ばれたのだという思い込みがある。主は小さい者を選ぶし、神の選びの基準は私たちには分からない。だから、「小さい者です」と言って主からの任命を拒絶してしまうような私たちの偏見を悔い改めよう。

成し遂げられた(2025.10.5)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

イエスは、この酢を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。( ヨハネによる福音書 19章30節 )

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨブ記 19章25節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 78 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編57編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ 19章28節~37節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「成し遂げられた」 仁科共子牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49
賛  美 297 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 「渇く」
イエス様は十字架につけられ、苦しみを受けられました。「渇く」という言葉にイエス様の苦しさが表れています。イエス様は、私たちの身代わりとして苦しまれたのです。
イエス様が神様の懲らしめを受けてくださったので、私たちの罪が赦されました(イザヤ53:5)。

2. 脇腹から血と水が流れ出た
兵士がイエス様の脇腹を刺したのは、イエス様の死を確かめるためでした。その時流れ出た血は、イエス様が弟子たちに言われた「あなたがたのために流される、私の血による新しい契約である(ルカ22:20)。」との言葉を思い出させます。水は、イエス様から流れ出て私たちを生かす命の水が与えられることを教えてくれます。イエス様が、十字架で人として私たちの罪を身代わりに負って死なれ、その犠牲によって私たちは罪のない者として生きることができるのです。

3. 成し遂げられた
すべての人の罪を赦し、罪から贖う神様の恵みの業は、イエス様の死によって成し遂げられました。「成し遂げられた」は「完了した」とも訳されています。イエス様によって私たちの罪の償いがなされ(1コリント6:20)、神様との平和が与えられ(2コリント5:19)るのです。私たちは、この成し遂げられた神様の恵みを信じて受け取るだけで良いのです。イエス様によって与えられた恵みを感謝して歩ませていただきましょう。

あなたの手を取って呼びかけられる(2025.9.28)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

イエスは娘の手を取って、「子よ、起きなさい」と呼びかけられた。( ルカによる福音書 8章54節 )

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 1ペトロ 3章18節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 17 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編56編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ 8章49節~56節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「あなたの手を取って呼びかけられる」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 430 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 会堂長の願い
一人の会堂長がイエス様のところに来て、死にかけている娘のために家に来てくださるようにと、ひれ伏して願いました。イエス様だけが救うことができる、という切なる思いで来たのです。イエス様はすぐに会堂長と一緒に出かけました。
2. ただ信じなさい
会堂長の家に行く途中で、彼の家から人が来て「お嬢さんは亡くなられました」と伝えました。会堂長の娘は死んでしまったから、もうイエス様の手を煩わせる必要は無いと言ったのです。それを聞いてイエス様は、信じるなら娘は救われると会堂長に言われました。現実は、イエス様は間に合わず、助けてほしかった娘は死んでしまったのです。しかし、イエス様は「ただ信じなさい」と言われました。会堂長はイエス様の言葉を信じてイエス様と一緒に家に帰りました。
3. 「子よ、起きなさい」と呼びかけられた
会堂長の家に着くと、そこでは人々が泣き悲しんでいました。イエス様が彼らに「娘は死んでいない」と言われると、聞いた人々はイエス様を嘲笑いました。しかし、イエス様がその娘の手を取って呼びかけられると、娘は生きかえりました。
絶望的だと思う状況でも、イエス様を信じるなら、そこから救い出してくださいます。イエス様は、あなたの手を取って呼びかけておられます。イエス様にはできると信じて、イエス様の言葉に従いましょう。

イエス様に招かれた(2025.9.21)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。(ヨハネ 9章3節)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書 42章1節a 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 482 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編54編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ9章9節~13節
使徒信条 93-4 1A 一  同
聖歌隊賛美 474
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「イエス様に招かれた」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 432 一同起立
感謝献金 464(聖歌隊)
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 人の考え

1. 立ち上がって従った
イエス様は、収税所に座っているマタイに「私に従いなさい」と声をかけられました。すると、彼は立ち上がって従いました。マタイは、イエス様の招きに応えて、それまでの生活を離れて従いました。

2. イエス様と同席する
イエス様が食事の席に着いておられると、大勢の徴税人や罪人が来てそこに同席しました。イエス様と同席して食事を一緒にするというのは、親しい交わりを表しています。当時の社会では、徴税人は罪人と同じように見られて嫌われていました。イエス様は、そのような人たちと親しく一緒に食事をされたのです。ファリサイ派の人々は、イエス様のその行いを非難しました。

3. 罪人を招かれた
イエス様は、ファリサイ派の人々に対して「医者を必要としているのは病人である」というたとえを話されました。イエス様を必要としているのは「罪人」であり、その人たちを親しい交わりに招くために世にこられたのだと言われたのです。イエス様は、「罪人」を退けるのではなく、慈しみをもって招かれました。彼らがイエス様を必要としているからです。
イエス様は、私たちを愛して、親しい交わりの席へ招いてくださいました。その招きに応えて、イエス様に従う歩みを導いていただきましょう。

イエスを見つめながら走り抜く(2025.9.14)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

信仰の導き手であり、完成者であるイエスを見つめながら、走りましょう。 (ヘブライ人への手紙 12章2節a)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書 35章1節~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 18 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 53編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヘブライ 11章39節~12章3節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「イエスを見つめながら走り抜く」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 516 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 人の考え

1. すべての重荷と絡みつく罪を捨てて走る
この箇所では、信仰の生涯を競争にたとえ、自分の走るべき競争を走り抜くようにと教えています。走り抜くためには、走ることを妨げる重荷や罪を捨てなければなりません。重荷は私たちの日常生活の中に起こって来る様々の困難と言えるでしょう。また、不信仰こそが走ることを妨げようとする罪です。

2. イエス様を見つめながら走る
私たちが自分の競争を走り抜くには、目標を見つめて走らなければなりません。イエス様は、信仰の生涯を導いてくださる方です。イエス様ご自身「ご自分の前にある喜び」を見つめて忍耐して走り抜かれ、信仰を完成されました。私たちは、このイエス様を見つめながら走り続けるのです。

3. 最後まで走り抜く
「イエスを見つめながら走る」とは、イエス様以外のものを見ることをやめて、イエス様に信頼して走ることです。イエス様は、私たちが気力を失い、弱り果てることなく走り続けることができるように、私たちを導いてくださいます。

イエス様をいつも見つめながら、私たちの信仰の生涯を走りましょう。信仰の完成者であるイエス様が、私たちを最後まで走り抜かせてくださいます。

揺るぎない心で主にとどまっている(2025.9.7)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

バルナバはそこに到着すると、神の恵みを見て喜び、そして、揺るぎない心で主にとどまっているようにと、皆を励ました。(使徒言行録 11章23節)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ハバクク書 2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 50編1~15節
会衆祈祷 一  同
聖  書 使徒言行録11章19節~30節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「揺るぎない心で主にとどまっている」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 510 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 人の考え

1. 主の御手と共に
ステファノの殉教から始まった迫害のため、弟子たちはユダヤとサマリヤの地方へ散って行き、御言葉を告げ知らせながら巡り歩きました(使徒8:4)。彼らはアンティオキアまで行きます。そこでは、ユダヤ人にだけではなくギリシア人にも主イエスの福音を伝えました。主の御手が彼らと共にあり、多くの人がイエス様を信じました。

2. 聖霊と信仰とに満ちているバルナバによって
アンティオキアでユダヤ人だけでなく異邦人も大勢イエス様を信じたことがエルサレムの教会に伝わりました。そこで、教会はバルナバをアンティオキアに遣わしました。バルナバはそこに着くと、神様の恵みが異邦人にも与えられたことを見ました。彼は喜んで、信じた人たちを励まします。神様は聖霊と信仰とに満ちているバルナバを用いられ、さらに多くの人がイエス様を信じました。そこで、バルナバはサウロ(パウロ)を見つけてアンティオキアへ連れて行き、信じた人たちを彼と一緒に教えました。こうしてアンティオキアの教会が建てあげられ、弟子たちがキリスト者と呼ばれるようになりました。

3. 主にある愛の業
アンティオキアの教会の人たちは、飢饉のために困難の中にあるユダヤの教会の人たちに、それぞれの力に応じて援助の品をおくることを決め、実行しました。
私たちも揺るぎない心で主にとどまり続け、主の言葉に教えられ、主と共に働き、主の愛の業を行う「キリスト者」としての歩みを導いていただきましょう。

無駄と思えるほどの愛(2025.8.31)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。 (マタイ 26章7節)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編 51編19節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 17 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 48編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ 26章1節~13節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷
宣  教 「無駄と思えるほどの愛」 加藤 満師
祈  祷 加藤 満師
賛  美 513 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野かをり副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 無駄と思えるほどの愛

神の愛は十字架に表わされています。聖書は十字架の愛を実に様々なイメージで語りますが、この高価な香油を注いだ女性の行為にも、十字架の愛が示されています。

1. 十字架に神は、ご自身の香油を注がれた
受難の直前、ある女性がイエス様に「極めて高価な香油」(7)を注ぎました。この行為は他の弟子達からも「無駄」(8)と言われるほどに、惜しみない行為でした。イエス様は喜びます。それは彼女の行為が葬る準備(12)だけでなく、福音の記念(13)と言われるように、ここからのイエス様の受難と十字架の意味を表わしていたからです。
この女性は、高価な香油を無駄遣いするかのように、イエス様の為に献げたのです。同じように父なる神は、何よりも高価な神の御子を無駄遣いするかのように、罪人を救うために献げられたのです。これが受難と十字架です。神ご自身が極めて高価な香油を、私たちの為に注いでしまわれたのです。この過剰な愛に戸惑い、驚く他ありません。

2. 私の香油を注ぎだす
私たちはこの愛にどう応えるでしょう。先ず神の愛を小さく見積もらないことです(エフェソ3:17-19)。そして、高価な香油を私たちの為に注がれた主は時に、主のためにあなたの香油を注ぎ出しなさいと招かれます。その応答が遅々としたものであっても、この注がれた愛に応えたいと願う歩みこそ、この女性の行為と同じように、福音の記念(13)として、神様ご自身の喜びとなるのです。

見えるようになった(2025.8.24)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。(ヨハネ 9章3節)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編 124編8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 493 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編47編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ 9章1節~12節
使徒信条 93-4 1A 一  同
聖歌隊賛美 543
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「見えるようになった」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 433 一同起立
感謝献金 新325(聖歌隊)
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 人の考え

人は不幸な出来事が起こったとき、「なぜこんなことが起こったのか」とその原因をさがす。悪いことが起こったのは、悪いことをした結果だと考える。イエス様の弟子たちも、生まれつき目の見えない人を見たとき、誰かが罪を犯したからだと考えた。この当時も今も、人は同じような考えを持っている。

2. 神の業がこの人に現れるため

イエス様の考えは、弟子たちとは違っていた。イエス様は、弟子たちが不幸な出来事と考えていたことは、「神様の業が現れるため」であり、そのことに意味や目的があるのだと教えられた。そして、この生まれつき目の見えなかった人を癒された。彼は見えるようになった。イエス様によって、この人に神の業が現れたのである。

3.見えるようになった

生まれつき目の見えない人は、イエス様の言われるとおりに行動したとき、見えるようになった。彼を知っていた人たちは、見えるようになって帰ってきたこの人を見ても、すぐには信じられなかった。

 

私たちが自分の考えにとらわれているとき、目の前に神の業が現されてもすぐには受け入れることができない。私たちの目を見えるようにしていただき、神様の業が現されるのを見ることができる者としていただきましょう。

失敗から学ばないリスク(2025.8.17)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

主が喜ばれるのは 焼き尽くすいけにえや会食のいけにえだろうか。 それは主の声に聞き従うことと同じだろうか。見よ、心して聞くことは雄羊の脂肪にまさる。(サムエル記上 15章22節)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ書 57章15節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 8 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 46編
会衆祈祷 一  同
聖  書 サムエル記上 15章17節~31節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷
宣  教 「失敗から学ばないリスク」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 197 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 失敗から学ばないリスク

1. 同じ失敗を繰り返す
一度は退けられたサウルのところに、主はサムエルを遣わし、アマレクと戦うように命じた。すべてを滅ぼし尽くすことによって、すべてを主の戦利品とするためであった。サウルは多くの兵を集め、戦い、勝ち、アガグを生け捕りにし、兵は滅ぼしつくした。しかし、サウルとその兵は良いものを惜しんだ。彼は兵を見て、主を見なかった。

2. 退けたから退けられる
主は、サウルを王としたことを悔やんだ。サムエルは、ギルガルのサウルの所へと行く。サウルはサムエルに対して、自分は主の命令を守った、しかし、分捕りものは兵たちが主にささげるために取り分けたのだ、と語る。残念ながら、サウルは正確なことを語ってはいない。王は主の声に聞き従うことが何よりも重要であったのだ。主が彼を王として任命したからだ。サウルは、主のことばを退けるという、神以外のものを神とする偶像崇拝を行った。サウルは、主を王としなかったから、その王位から退けられる。

3. 悲しみ、悔やむ
サウルは主とサムエルの前で罪を認め、サムエルに罪の赦しを求めた。サムエルはそれを拒絶し、サウルから王国が剥ぎ取られるという主の決意を伝えた。サウルは主の厳しい審判下でも自分の面目を守ろうとする。サムエルは、アガグを処刑し、サウルの行動を悲しみ、主はサウルを王としたことを悔やむ。失敗を避けることはできない。だからこそ、取るに足らない者を選ばれた、王の王である主の声に聞くことを学び続けたい。

御子による和解(2025.8.10)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

その十字架の血によって平和を造り 地にあるものも 天にあるものも 万物を御子によって ご自分と和解させてくださったのです。(コロサイ 1章20節)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ書 35章1節~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 299 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 45編1節~10節
会衆祈祷 一  同
聖  書 コロサイ 1章15節~23節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷
宣  教 「御子による和解」 鎌野かをり副牧師
祈  祷
賛  美 499 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野かをり副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 御子による創造

御子は見えない神様を私たちに見えるかたちで示されたお方であり、すべてのものが造られる前に最初に生まれたお方であり、すべてのものが存在する前から存在されていたお方である。そして、すべてのものは御子によって造られたのである。御子は創造の主である。そして、万物は、御子のために造られたのであり、御子が関わってくださり、御子のために存在している。

2. 御子による和解

御子は死者から最初に復活され、死に対する勝利においても初めとなられた。御子の十字架と復活の事実によって、神様との和解と平和が現実のものとなった。和解の主である御子が、私たちだけでなくすべて造られたものに和解と平和をもたらされた。

3.教会の頭である御子

私たち教会は御子を頭とする、御子の体である。だから、私たちはすべてのものの創造と和解の主である御子と深く結び合わされている存在である。それゆえ御子のわざを覚え、御子によって成長させられ、見えない神様のかたちをあらわす生き方をさせていただきたい。御子の創造と和解の恵み、つまり神様からの平和が、個人、教会、社会、世界へと広がるように、私たちは平和を知るだけでなく、自分たちの生活の中に平和を造り出し、実現していくことが出来るよう、祈りつつ歩ませていただきたい。

真実な平和の神(2025.8.3)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。(1テサロニケ 5章23節a)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ハバクク書 2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 210 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 42編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1テサロニケ 5章12節~24節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「真実な平和の神」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 413 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

Ⅰ. キリスト・イエスにおいて

パウロはテサロニケの教会の人たちへの手紙の終わりに「互いに平和に過ごしなさい」と勧め、具体的にどのようにするのかを挙げています。その生活は、イエス様の十字架の死と復活を信じて生きる者に、神様が望んでおられるものです。

2. 霊によって

神様が望んでおられる生活は、イエス様を信じた者に与えられている聖霊によって行うことができます。自分の知恵で神様の望まれることを知ることはできません。また、自分の力や努力でそれを行うこともできません。聖霊が私たちの内にいて、私たちを教え導き、力を与えてくださり、神様が望んでおられる生活ができるようにしてくださるのです。

3.平和の神ご自身によって

 私たちは、イエス様によって神様との平和が与えられました。神様は、私たちを聖なる者としてくださり、神様と一緒に生きることができるようにしてくださいます。また、私たちのすべてを守って、イエス様がもう一度来られる再臨の時に御前に立つことができるようにしてくださるのです。パウロは、「神様は真実な方であるから、必ずそのことをしてくださる」と確信をもって語っています。

神様の真実に信頼し、神様との平和の中に聖霊の助けによって神様の望まれる生活を歩ませていただきましょう。

神のプレゼントは突然に(2025.7.27)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。 (ヨハネ 5章6節)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 テトス 2章11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 2 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 41編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ 5章1節~9節a
使徒信条 93-4 1A 一  同
聖歌隊賛美 297
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「神のプレゼントは突然に」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 451 一同起立
感謝献金 新185(聖歌隊)
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 良くなりたいのか
イエスがユダヤ人の祭りのためにエルサレムに上ったとき、町のすぐ東のベトサダ池のアスクレピオスという異教の神の神殿に向かった。そして、そこにいた大勢の人の中で、38年、病気で苦しんで、そこに横たわっている人に目を向けた。イエスは、彼の状況を知り、彼にだけ声をかけ、「良くなりたいか」と彼に問うた。答えは自明だ。

2. 質問に答えない
ところが、男は「良くなりたい」とは答えなかった。むしろ、不平を述べはじめた。池の周りに横たわっている人は、水が動くとき、池に入れば、病気は良くなると信じていた。彼もそうであった。しかし、誰も自分を助けて、池の中に入れてくれない。さらに、なんとか入ろうとすると、他の人が自分より先に入っていく。自分の問題が解決しないのは他の人のせいだ、と彼は不平を述べた。

3.すぐに良くなる
彼はイエスの問いに答えなかった。しかし、神は彼にプレゼントを与えた。イエスが彼に語られると、彼は直ぐに良くなったのだ。そして、彼は、言われた通り、床を取り上げて、歩き始めた。不意打ちのようにして与えられた神のことばによって、彼のうちに自分のやり方に死ぬ悔い改めが生まれた。歩き始めるというかたちで新しい命が与えられた。神のことばの生み出す信仰が、彼を死と復活へと導いた。神は私たちにも神のことばによって同じプレゼントを与えてくださる方である。

キリストの愛を知って(2025.7.20)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができ、神の満ち溢れるものすべてに向かって満たされますように。(エフェソの信徒への手紙3章19節)

礼拝順序

使徒信条93-4 1A一  同

前  奏
招  詞 詩編100編1節~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 528 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 40編1節~12節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ 3章14節~21節
教団信仰告白 一  同
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「キリストの愛を知って」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 481 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 膝をかがめて祈る
パウロは、エフェソの教会の人たちのために祈っています。彼の祈りは、「御父の前に、膝をかがめて祈る」と、神様を「御父」と呼び、謙虚な姿勢の祈りです。

2. 愛に基づく者となる
パウロは、神様がエフェソの教会の人たちの「内なる人を強めてくださるように」と彼らの心の内が強められ、信仰によってキリストが心の内に住まれるように、また彼らが、キリストの愛に根ざし、愛に基づいて生きる者となるようにと祈ります。

3.すべての聖なる者たちと共に
パウロは、エフェソの教会の一人一人が愛に基づく者となることによって、すべての聖なる者たちと共にキリストの愛を知ることができるようにと祈ります。教会全体がキリストの愛を知って、キリストの体として神の栄光を現すものとなるのです。

私たちも、パウロのように教会のために祈りましょう。神が私たちの内なる人を強めてくださり、キリストが心の内に住んでくださるように。私たちが愛に根ざし、愛に基づく者とされ、教会の人たちと共に人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができるように。私たちを愛していてくださる御父なる神様は私たちの祈りに答えてくださる方です。