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礼拝メッセージ

イエスを見つめながら走り抜く(2025.9.14)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

信仰の導き手であり、完成者であるイエスを見つめながら、走りましょう。 (ヘブライ人への手紙 12章2節a)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ書 35章1節~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 18 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 53編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヘブライ 11章39節~12章3節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「イエスを見つめながら走り抜く」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 516 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 人の考え

1. すべての重荷と絡みつく罪を捨てて走る
この箇所では、信仰の生涯を競争にたとえ、自分の走るべき競争を走り抜くようにと教えています。走り抜くためには、走ることを妨げる重荷や罪を捨てなければなりません。重荷は私たちの日常生活の中に起こって来る様々の困難と言えるでしょう。また、不信仰こそが走ることを妨げようとする罪です。

2. イエス様を見つめながら走る
私たちが自分の競争を走り抜くには、目標を見つめて走らなければなりません。イエス様は、信仰の生涯を導いてくださる方です。イエス様ご自身「ご自分の前にある喜び」を見つめて忍耐して走り抜かれ、信仰を完成されました。私たちは、このイエス様を見つめながら走り続けるのです。

3. 最後まで走り抜く
「イエスを見つめながら走る」とは、イエス様以外のものを見ることをやめて、イエス様に信頼して走ることです。イエス様は、私たちが気力を失い、弱り果てることなく走り続けることができるように、私たちを導いてくださいます。

イエス様をいつも見つめながら、私たちの信仰の生涯を走りましょう。信仰の完成者であるイエス様が、私たちを最後まで走り抜かせてくださいます。

揺るぎない心で主にとどまっている(2025.9.7)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

バルナバはそこに到着すると、神の恵みを見て喜び、そして、揺るぎない心で主にとどまっているようにと、皆を励ました。(使徒言行録 11章23節)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ハバクク書 2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 50編1~15節
会衆祈祷 一  同
聖  書 使徒言行録11章19節~30節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「揺るぎない心で主にとどまっている」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 510 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 人の考え

1. 主の御手と共に
ステファノの殉教から始まった迫害のため、弟子たちはユダヤとサマリヤの地方へ散って行き、御言葉を告げ知らせながら巡り歩きました(使徒8:4)。彼らはアンティオキアまで行きます。そこでは、ユダヤ人にだけではなくギリシア人にも主イエスの福音を伝えました。主の御手が彼らと共にあり、多くの人がイエス様を信じました。

2. 聖霊と信仰とに満ちているバルナバによって
アンティオキアでユダヤ人だけでなく異邦人も大勢イエス様を信じたことがエルサレムの教会に伝わりました。そこで、教会はバルナバをアンティオキアに遣わしました。バルナバはそこに着くと、神様の恵みが異邦人にも与えられたことを見ました。彼は喜んで、信じた人たちを励まします。神様は聖霊と信仰とに満ちているバルナバを用いられ、さらに多くの人がイエス様を信じました。そこで、バルナバはサウロ(パウロ)を見つけてアンティオキアへ連れて行き、信じた人たちを彼と一緒に教えました。こうしてアンティオキアの教会が建てあげられ、弟子たちがキリスト者と呼ばれるようになりました。

3. 主にある愛の業
アンティオキアの教会の人たちは、飢饉のために困難の中にあるユダヤの教会の人たちに、それぞれの力に応じて援助の品をおくることを決め、実行しました。
私たちも揺るぎない心で主にとどまり続け、主の言葉に教えられ、主と共に働き、主の愛の業を行う「キリスト者」としての歩みを導いていただきましょう。

無駄と思えるほどの愛(2025.8.31)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。 (マタイ 26章7節)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編 51編19節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 17 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 48編
会衆祈祷 一  同
聖  書 マタイ 26章1節~13節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷
宣  教 「無駄と思えるほどの愛」 加藤 満師
祈  祷 加藤 満師
賛  美 513 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野かをり副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 無駄と思えるほどの愛

神の愛は十字架に表わされています。聖書は十字架の愛を実に様々なイメージで語りますが、この高価な香油を注いだ女性の行為にも、十字架の愛が示されています。

1. 十字架に神は、ご自身の香油を注がれた
受難の直前、ある女性がイエス様に「極めて高価な香油」(7)を注ぎました。この行為は他の弟子達からも「無駄」(8)と言われるほどに、惜しみない行為でした。イエス様は喜びます。それは彼女の行為が葬る準備(12)だけでなく、福音の記念(13)と言われるように、ここからのイエス様の受難と十字架の意味を表わしていたからです。
この女性は、高価な香油を無駄遣いするかのように、イエス様の為に献げたのです。同じように父なる神は、何よりも高価な神の御子を無駄遣いするかのように、罪人を救うために献げられたのです。これが受難と十字架です。神ご自身が極めて高価な香油を、私たちの為に注いでしまわれたのです。この過剰な愛に戸惑い、驚く他ありません。

2. 私の香油を注ぎだす
私たちはこの愛にどう応えるでしょう。先ず神の愛を小さく見積もらないことです(エフェソ3:17-19)。そして、高価な香油を私たちの為に注がれた主は時に、主のためにあなたの香油を注ぎ出しなさいと招かれます。その応答が遅々としたものであっても、この注がれた愛に応えたいと願う歩みこそ、この女性の行為と同じように、福音の記念(13)として、神様ご自身の喜びとなるのです。

見えるようになった(2025.8.24)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。(ヨハネ 9章3節)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編 124編8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 493 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編47編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ 9章1節~12節
使徒信条 93-4 1A 一  同
聖歌隊賛美 543
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「見えるようになった」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 433 一同起立
感謝献金 新325(聖歌隊)
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 人の考え

人は不幸な出来事が起こったとき、「なぜこんなことが起こったのか」とその原因をさがす。悪いことが起こったのは、悪いことをした結果だと考える。イエス様の弟子たちも、生まれつき目の見えない人を見たとき、誰かが罪を犯したからだと考えた。この当時も今も、人は同じような考えを持っている。

2. 神の業がこの人に現れるため

イエス様の考えは、弟子たちとは違っていた。イエス様は、弟子たちが不幸な出来事と考えていたことは、「神様の業が現れるため」であり、そのことに意味や目的があるのだと教えられた。そして、この生まれつき目の見えなかった人を癒された。彼は見えるようになった。イエス様によって、この人に神の業が現れたのである。

3.見えるようになった

生まれつき目の見えない人は、イエス様の言われるとおりに行動したとき、見えるようになった。彼を知っていた人たちは、見えるようになって帰ってきたこの人を見ても、すぐには信じられなかった。

 

私たちが自分の考えにとらわれているとき、目の前に神の業が現されてもすぐには受け入れることができない。私たちの目を見えるようにしていただき、神様の業が現されるのを見ることができる者としていただきましょう。

失敗から学ばないリスク(2025.8.17)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

主が喜ばれるのは 焼き尽くすいけにえや会食のいけにえだろうか。 それは主の声に聞き従うことと同じだろうか。見よ、心して聞くことは雄羊の脂肪にまさる。(サムエル記上 15章22節)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ書 57章15節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 8 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 46編
会衆祈祷 一  同
聖  書 サムエル記上 15章17節~31節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷
宣  教 「失敗から学ばないリスク」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 197 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 失敗から学ばないリスク

1. 同じ失敗を繰り返す
一度は退けられたサウルのところに、主はサムエルを遣わし、アマレクと戦うように命じた。すべてを滅ぼし尽くすことによって、すべてを主の戦利品とするためであった。サウルは多くの兵を集め、戦い、勝ち、アガグを生け捕りにし、兵は滅ぼしつくした。しかし、サウルとその兵は良いものを惜しんだ。彼は兵を見て、主を見なかった。

2. 退けたから退けられる
主は、サウルを王としたことを悔やんだ。サムエルは、ギルガルのサウルの所へと行く。サウルはサムエルに対して、自分は主の命令を守った、しかし、分捕りものは兵たちが主にささげるために取り分けたのだ、と語る。残念ながら、サウルは正確なことを語ってはいない。王は主の声に聞き従うことが何よりも重要であったのだ。主が彼を王として任命したからだ。サウルは、主のことばを退けるという、神以外のものを神とする偶像崇拝を行った。サウルは、主を王としなかったから、その王位から退けられる。

3. 悲しみ、悔やむ
サウルは主とサムエルの前で罪を認め、サムエルに罪の赦しを求めた。サムエルはそれを拒絶し、サウルから王国が剥ぎ取られるという主の決意を伝えた。サウルは主の厳しい審判下でも自分の面目を守ろうとする。サムエルは、アガグを処刑し、サウルの行動を悲しみ、主はサウルを王としたことを悔やむ。失敗を避けることはできない。だからこそ、取るに足らない者を選ばれた、王の王である主の声に聞くことを学び続けたい。

御子による和解(2025.8.10)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

その十字架の血によって平和を造り 地にあるものも 天にあるものも 万物を御子によって ご自分と和解させてくださったのです。(コロサイ 1章20節)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ書 35章1節~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 299 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 45編1節~10節
会衆祈祷 一  同
聖  書 コロサイ 1章15節~23節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷
宣  教 「御子による和解」 鎌野かをり副牧師
祈  祷
賛  美 499 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野かをり副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 御子による創造

御子は見えない神様を私たちに見えるかたちで示されたお方であり、すべてのものが造られる前に最初に生まれたお方であり、すべてのものが存在する前から存在されていたお方である。そして、すべてのものは御子によって造られたのである。御子は創造の主である。そして、万物は、御子のために造られたのであり、御子が関わってくださり、御子のために存在している。

2. 御子による和解

御子は死者から最初に復活され、死に対する勝利においても初めとなられた。御子の十字架と復活の事実によって、神様との和解と平和が現実のものとなった。和解の主である御子が、私たちだけでなくすべて造られたものに和解と平和をもたらされた。

3.教会の頭である御子

私たち教会は御子を頭とする、御子の体である。だから、私たちはすべてのものの創造と和解の主である御子と深く結び合わされている存在である。それゆえ御子のわざを覚え、御子によって成長させられ、見えない神様のかたちをあらわす生き方をさせていただきたい。御子の創造と和解の恵み、つまり神様からの平和が、個人、教会、社会、世界へと広がるように、私たちは平和を知るだけでなく、自分たちの生活の中に平和を造り出し、実現していくことが出来るよう、祈りつつ歩ませていただきたい。

真実な平和の神(2025.8.3)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。(1テサロニケ 5章23節a)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ハバクク書 2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 210 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 42編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1テサロニケ 5章12節~24節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「真実な平和の神」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 413 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

Ⅰ. キリスト・イエスにおいて

パウロはテサロニケの教会の人たちへの手紙の終わりに「互いに平和に過ごしなさい」と勧め、具体的にどのようにするのかを挙げています。その生活は、イエス様の十字架の死と復活を信じて生きる者に、神様が望んでおられるものです。

2. 霊によって

神様が望んでおられる生活は、イエス様を信じた者に与えられている聖霊によって行うことができます。自分の知恵で神様の望まれることを知ることはできません。また、自分の力や努力でそれを行うこともできません。聖霊が私たちの内にいて、私たちを教え導き、力を与えてくださり、神様が望んでおられる生活ができるようにしてくださるのです。

3.平和の神ご自身によって

 私たちは、イエス様によって神様との平和が与えられました。神様は、私たちを聖なる者としてくださり、神様と一緒に生きることができるようにしてくださいます。また、私たちのすべてを守って、イエス様がもう一度来られる再臨の時に御前に立つことができるようにしてくださるのです。パウロは、「神様は真実な方であるから、必ずそのことをしてくださる」と確信をもって語っています。

神様の真実に信頼し、神様との平和の中に聖霊の助けによって神様の望まれる生活を歩ませていただきましょう。

神のプレゼントは突然に(2025.7.27)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。 (ヨハネ 5章6節)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 テトス 2章11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 2 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 41編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ 5章1節~9節a
使徒信条 93-4 1A 一  同
聖歌隊賛美 297
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「神のプレゼントは突然に」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 451 一同起立
感謝献金 新185(聖歌隊)
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 良くなりたいのか
イエスがユダヤ人の祭りのためにエルサレムに上ったとき、町のすぐ東のベトサダ池のアスクレピオスという異教の神の神殿に向かった。そして、そこにいた大勢の人の中で、38年、病気で苦しんで、そこに横たわっている人に目を向けた。イエスは、彼の状況を知り、彼にだけ声をかけ、「良くなりたいか」と彼に問うた。答えは自明だ。

2. 質問に答えない
ところが、男は「良くなりたい」とは答えなかった。むしろ、不平を述べはじめた。池の周りに横たわっている人は、水が動くとき、池に入れば、病気は良くなると信じていた。彼もそうであった。しかし、誰も自分を助けて、池の中に入れてくれない。さらに、なんとか入ろうとすると、他の人が自分より先に入っていく。自分の問題が解決しないのは他の人のせいだ、と彼は不平を述べた。

3.すぐに良くなる
彼はイエスの問いに答えなかった。しかし、神は彼にプレゼントを与えた。イエスが彼に語られると、彼は直ぐに良くなったのだ。そして、彼は、言われた通り、床を取り上げて、歩き始めた。不意打ちのようにして与えられた神のことばによって、彼のうちに自分のやり方に死ぬ悔い改めが生まれた。歩き始めるというかたちで新しい命が与えられた。神のことばの生み出す信仰が、彼を死と復活へと導いた。神は私たちにも神のことばによって同じプレゼントを与えてくださる方である。

キリストの愛を知って(2025.7.20)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができ、神の満ち溢れるものすべてに向かって満たされますように。(エフェソの信徒への手紙3章19節)

礼拝順序

使徒信条93-4 1A一  同

前  奏
招  詞 詩編100編1節~2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 528 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 40編1節~12節
会衆祈祷 一  同
聖  書 エフェソ 3章14節~21節
教団信仰告白 一  同
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「キリストの愛を知って」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 481 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 膝をかがめて祈る
パウロは、エフェソの教会の人たちのために祈っています。彼の祈りは、「御父の前に、膝をかがめて祈る」と、神様を「御父」と呼び、謙虚な姿勢の祈りです。

2. 愛に基づく者となる
パウロは、神様がエフェソの教会の人たちの「内なる人を強めてくださるように」と彼らの心の内が強められ、信仰によってキリストが心の内に住まれるように、また彼らが、キリストの愛に根ざし、愛に基づいて生きる者となるようにと祈ります。

3.すべての聖なる者たちと共に
パウロは、エフェソの教会の一人一人が愛に基づく者となることによって、すべての聖なる者たちと共にキリストの愛を知ることができるようにと祈ります。教会全体がキリストの愛を知って、キリストの体として神の栄光を現すものとなるのです。

私たちも、パウロのように教会のために祈りましょう。神が私たちの内なる人を強めてくださり、キリストが心の内に住んでくださるように。私たちが愛に根ざし、愛に基づく者とされ、教会の人たちと共に人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができるように。私たちを愛していてくださる御父なる神様は私たちの祈りに答えてくださる方です。

新しいものが生まれる(2025.7.13)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

だから、誰でもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、まさに新しいものが生じたのです。(コリントの信徒への手紙二 5章17節)

礼拝順序

前  奏
招  詞 黙示録 21章5節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 472 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 37編1節~11節
会衆祈祷 一  同
聖  書 2コリント 5章16節~19節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「新しいものが生まれる」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 544 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 誰でもキリストにあるなら
パウロは自分が経験したことに基づいて、「イエス・キリストを信じるなら新しいものに造り変えられる」とコリントの教会の人たちに語りました。パウロは、かつて、イエス様を信じる人たちを捕らえて、イエス様を信じることをやめさせようとしていました。その時のパウロは、自分が正しいと思うことを一生懸命していたのです。しかし、そのパウロにイエス様が現れて、彼をイエス様を信じる者に変えられたのです。パウロは、イエス様が自分のために死んでくださったと信じ、イエス様のために生きる者となったのです。彼と同じように、イエス様を信じる人は誰でも、新しいものに変えられます。自分のためにではなく、自分のために死んで復活してくださったイエス様のために生きる新しい生活をするようになるのです。

2. すべて神からでている
神様が、イエス様を信じる人を新しいものにしてくださいます。そのために、神様がイエス様をこの世に遣わされました。イエス様がすべての人のために死なれたので、信じる人は誰でも新しく造り変えられるのです。私たち人間は、自分の努力や行いで自分を変えることはできません。また、イエス様のために生きることもできません。
私たちを愛していてくださる神様は、イエス様を信じる人を新しく造りかえてくださるのです。イエス様を信じて、新しく生まれた者としての生活を歩ませていただきましょう。

主イエスの恵みがありますように(2025.7.6)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

主イエスの恵みが、あなたがたと共にありますように。( コリントの信徒への手紙一 16章23節 )

礼拝順序

前  奏
招  詞 マタイ 21章9節b 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 472 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 36編1節~10節
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 16章13節~24節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「主イエスの恵みがありますように」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 510 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 目を覚ましていなさい
パウロは、様々の問題を抱えていたコリントの教会の人たちに、手紙でそれらの問題を指摘した上で、それらを解決していくように教えてきました。その手紙の終わりに「目を覚まして、信仰にしっかりと立ちなさい」と神様に目を向けて信仰生活を続けていくように勧めています。

2. 何事も愛をもって行いなさい
パウロは、彼らが神様に愛されている者として互いに愛し合い、愛をもってすべてのことを行うようにと勧めます。彼は、熱心に奉仕している人たちの名をあげ、彼らを重んじるようにと言います。また、パウロと一緒にいる人たちから「あなた方によろしく」と言っていることを伝えます。この挨拶の中にも、離れたところにいても、お互いを覚え互いに愛し合う姿が表されています。

3. 主イエスの恵みがありますように
パウロは手紙の終わりに、挨拶に託して「主よ、きたりませ」とイエス様がもう一度来られる時を待ち望む希望を語っています。さらに主イエスの恵みがあるようにと祝福を祈っています。イエス様の恵みによって生かされているクリスチャンは、信仰にしっかりと立つことができ、愛をもってすべてのことを行い、イエス様が再び来られる時完成する救いを待ち望む生活ができるのです。
私たちも主イエス様の恵みによって歩ませていただきましょう。

感謝する人生(2025.6.29)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

「主に感謝せよ。 まことに、主は恵み深い。 その慈しみはとこしえに。」(詩編 107編1節)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マタイ 11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 17 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編 34編1節~11節
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編107編1節~22節
使徒信条 93-4 1A 一  同
聖歌隊賛美 436
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「感謝する人生」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 461 一同起立
感謝献金 512
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. 苦しみの中で主に叫ぶ
人生には様々な苦しみがあります。この詩編では、人の苦しみが「荒れ野をさまよう旅人」「苦悩と鉄の枷に締め付けられた捕らわれ人」「背きと過ちのゆえに苦しむ人」「大海で暴風に苦しむ人」の苦しみの姿で描かれています。人は、どんな苦しみの中にあっても、主なる神様に向かって叫ぶことができます。その叫びに神様は応えてくださるのです。

2. 主は彼らを苦しみから助け出す
主なる神様が、苦しんでいる人の叫びに応えてくださり、どんな苦しみの中からも助け出してくださいます。神様は、恵みと慈しみをもって助け出してくださる方なのです。

3. 主に感謝する人生に
主なる神様は、苦しんでいる人を慈しみ、人の理解を越えたわざで苦しみの中にいる人を救い出されます。ですから「主に感謝せよ。その慈しみと人の子らになされた奇しき業のゆえに」と勧めているのです。

私たちは、主に感謝する生活へと招かれています。苦しみの中で主に向かって叫びましょう。主が私たちを苦しみから救ってくださり、感謝する人生へと導いてくださいます。

愚かな王、賢明な民(2025.6.22)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

イスラエルにこの大勝利をもたらしたヨナタンが死ななければならないというのですか。とんでもないことです。主は生きておられます。彼の髪の毛一本なりとも地に落ちてはなりません。神が共におられたからこそ、ヨナタンは今日これを成し遂げたのです。(サムエル記上 14章45b節)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編98編1節、3節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 2 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編33編1節~15節
会衆祈祷 一  同
聖  書 サムエル記上 14章24節~46節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「愚かな王、賢明な民」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 441 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1. ヨナタンによる勝利の理由
断食をして戦うというサウルの誓願のゆえに、イスラエルの兵は苦しんでいた。ヨナタンはサウルの誓願を知らなかったので、森で見つけた蜂蜜を食した。だから、ペリシテとの戦いで活躍できた。さらに、ヨナタンは自分の父の誓願の愚かさも指摘した。

2. 追撃と混乱
主がヨナタンを通して勝利されたので、イスラエルの兵は戦利品を獲得したが、疲れ切っていた。夜となり、誓願の時が終わったので、ペリシテを追撃していた兵たちは適切な処理を行わずに戦利品を食した。そこで、サウルは、秩序を取り戻すために祭壇を築いた。主を重んじているように見えるサウルだが、彼の行動はどこかずれている。

4. 愚かな王と賢明な兵
サウルはペリシテの追3を提案したが、祭司の提案により、まず神に伺いをたてた。しかし、主の答えがない。罪が原因だ、と断じたサウルは、くじを引いて、誰が罪を犯したかを探った。それはヨナタンに当たった。サウルの誓願に背いたからだ。主を重んじるヨナタンは死を覚悟し、サウルも彼の死を求めた。しかし、それまでは無抵抗であった兵もついには王の行動の愚かさを指摘し、ヨナタンを庇い、神がヨナタンと共に働いたという真っ当な主張をした。その結果、ヨナタンは死なずにすんだ。ただし、ペリシテを追撃することはできなかった。私たちも適切な識別力が求められる。神が私たちの人生にどのように働かれるのか、健全で、賢明な視点を持つ必要がある。

もうひとりの弁護者なる聖霊(2025.6.15)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

父はもうひとりの弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。(ヨハネ 14章16節)

礼拝順序

前  奏
招  詞  ヨハネ 16章13節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 352 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編32編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ 14章15節~24節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷
宣  教 「もうひとりの弁護者なる聖霊」 鎌野かをり副牧師
祈  祷
聖 餐 式 新49 仁科共子牧師
賛  美 564 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

Ⅰ. もうひとりの弁護者
イエス様は弟子たちのそばからおられなくなるが、それはイエス様が地上においてなすべきわざを成し終えたことを意味している。そのわざのゆえに、イエス様は父にもうひとりの弁護者を弟子たちに与えて、永遠に彼らと共にいるようにと願った。真理の霊はイエス様と同じように、弟子たちを慰め、弁護してくださる存在である。イエス様を信じる弟子たちは、イエス様を通して父を、そして真理の霊を知り、見ることができる。真理の霊は弟子たちと共におられ、弟子たちのうちにおられる。

Ⅱ. イエス様を信じる弟子たちのわざ
弁護者なる聖霊が来られるとき、弟子たちはイエス様のわざを継続する。イエス様のわざとは、弟子たちが互いに愛し合うことである。イエス様の戒めを守るとは、イエス様がその人を愛したい方法で、イエス様に代わって、その人への愛するわざを行うことである。

Ⅲ. 神様の愛の交わり
弟子たちが互いに愛し合うとき、イエス様は真理の霊を通して彼らのところに戻って来ている。もうひとりの弁護者によって、イエス様が彼らとともにおられることが明らかになるので、人々はイエス様のわざを弟子たちを通して見る。互いに愛するとき、私たちは神様の愛の交わりの中に入れられている。真理の霊によって、イエス様の愛のわざが私たちを通してなされる。私たちを通してなされる神様のわざによって、この世がイエス様を見ることができるように、歩ませていただきたい。

神の霊に導かれる(2025.6.8)

礼拝配信(10:45より配信が始まります)

聖 書

神の霊に導かれる者は、誰でも神の子なのです。(ローマ 8章14節)

礼拝順序

前  奏
招  詞 エゼキエル 36章26a,28b節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 351 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編31編1節~9節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ローマ 8章1節~17節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神の霊に導かれる」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 342 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

1. キリスト・イエスにある命の霊
パウロは、心の内には神の律法に仕えようとしているが、肉では罪の法則に捉えられていると、葛藤していることを語りました。しかし、彼は「キリスト・イエスにある命の霊の法則が、罪と死との法則から解放した」と聖霊によって導かれて罪の法則に勝つことができると言いました。神様が、イエス様を私たち罪深い人間と同じ姿で世に遣わされ、罪を処罰されました。それによって、神の律法を行うことができないで、罪の法則の中にとらわれていたものを解放されたのです。イエス様を復活させた聖霊が私たちの内に宿っておられ、私たちの死ぬべき体をも生かしてくださるのです。聖霊に従って生きるなら、肉の欲を満たすことはなく、律法の要求が私たちの内に満たされるのです。

2. 神の子とされる
私たちの内に与えられた聖霊に導かれて生きる者は神の子です。神の子は、聖霊によって生かされ、神様に「父よ」と呼びかけ、父と子の交わりの中に生かされます。神の子どもは、神様の相続人です。神の御子であるイエス様と共に栄光を受けることができるのです。

私たちも、内に与えられている聖霊によって、罪に定められることのない者とされました。聖霊に導かれて、神様の子どもとして神様に喜ばれる生活を歩ませていただきましょう。