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Kobe Central Church

世界とあなたのための十字架(2023.5.21)

聖 書

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ 3:16)

礼拝音源(32.3MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 エレミヤ29章11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編34編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ3章16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「世界とあなたのための十字架」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 430 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1. 世界を愛された神
 世界を愛する神がおられる。神は、この世界を造られたからこそこれを愛されるのだ。世界を大切にし、その最善を願っておられる。さらに、神は世界のために人を造り、この世界を整えてよくし、美しくし、豊かにする使命を与えた。そして、この使命を果たすことができるように力と、力を用いる自由を人に与えられた。

2. ひとり子を与えられた神
 与えられた力と自由を人は自分のために用いるようになった。その結果、自分も世界もだめにしていった。そこで、神は自らが愛する世界のために行動をした。アブラハムを選び、エジプトから救い、律法を与え、住む地へと導いた。世界を回復するためだ。しかし、民は世界を破壊し、自らを破壊しつづけた。神は彼らに警告を与えた。それでも応答しない民は自分の国から追い出された。そこで、神はひとり子であるイエスを送り、その働きのクライマックスとして彼を十字架に架けた。イエスがすべての破壊を自らの身に負ったので、人は罪から解放され、命の道を進むことができるようになった。

3. 信じる者に与えられる使命
 こうして、イエスのわざのゆえに、人がその使命を果たす道が開かれた。永遠の命とは、死後のことだけではなく、今、ここで人としての使命を果たす道をも表している。この道を進みなさい、御子を信じなさい、と神は私たちを招いておられる。神が与えてくださるこの素晴らしいプレゼントを受け入れ、神の働きに加わろうではないか。

十字架の言葉は神の力(2023.5.14)

聖 書

あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのです。
キリストは、私たちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。(1コリント1:30 )

礼拝音源(30.4MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編85編9節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編33編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント1章18〜31節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「十字架の言葉は神の力」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 474 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

コリントの信徒への手紙では、「あなた方のために十字架につけられたキリスト」があなた方に伝えられた福音であり、神の知恵がキリストによって示されていると教えています。

1.十字架につけられたキリストは神の力
「十字架の言葉」は、イエス・キリストによって与えられる祝福の知らせです。言葉は、何かを伝えるための道具と言ってもよいでしょう。その言葉によって示された神の知恵が、信じるものを救う神の力なのです。

2.十字架につけられたキリストは神の知恵
世の知恵では、神を認めることができません。神のなさることを知ることもできません。人が自分の知恵で神の救いを得たと誇ることがないために、神はこの世では愚かだと思われる方法でキリストによる救いを与えられました。神の知恵によってキリストの者、聖なる者とされるためです。その神の知恵は十字架につけられたキリストに表されています。

私たちにとってキリストは、神の知恵であり、キリストによって神を知ることができます。また十字架につけられたキリストは、信じる者を義とし、聖め、贖われた者としてくださいます。これがキリストの十字架による救いです。
私たちの知恵では、計り知ることのできない神の知恵によって、キリストの十字架に表された神の力が信じるものを救う力です。

キリストの十字架によって一つに(2023.5.7)

聖 書

さて、きょうだいたち、私たちの主イエス・キリストの名によってあなたがたにお願いします。どうか、皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。(1コリント1:10 )

礼拝音源(32.4MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編68編20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編32編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント1章10〜17節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神はすべてを奪うのか」 仁科共子牧師
祈  祷
5月誕生者祝福 詩編20編6節
賛  美 411 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

「主イエス・キリストにあって聖なるものとされた人々」と呼びかける挨拶で始まった手紙は、10節から教会に起こっている問題を取り上げていきます。

1.分派の問題
コリントの人たちにイエス・キリストを伝えたのは、パウロ、アポロ、ケファといった人たちでした。そこから、誰によって洗礼を受けたから誰に付くと考え、分派ができていました。彼らは、自分にイエス様を伝えた人に対する感謝から、この人こそが素晴らしいと崇拝するような形に変わってしまったのでしょう。それが分派を生み出したのです。イエス・キリストの恵みではなく、「人」に目を向けた結果です。

2.十字架のキリストにあって一つになるように
キリストだけが十字架につけられた方であり、この方の死によって聖なるものとされていることを明確に伝えます。そして、人ではなくキリストに目を向けるようにと教えます。

「キリストの十字架が空しくならないように」キリストを伝えたとパウロは言っています。このキリストによる救いの恵みがはっきりする時、心と思いを一つにして、キリスト・イエスによって聖なる者とされたものにふさわしい生活ができるようになっていきます。人にではなくイエス・キリストに目を向けて進みましょう。

神はすべてを奪うのか(2023.4.30)

聖 書

私は満ち足りて出かけて行ったのに 主は私を身一つで帰されたのです。どうして私をナオミと呼ぶのですか。主は私を痛めつけ 全能者は私に災いを下されたのです。(ルツ記1:21 )

礼拝音源(35.6MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編67編1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編31編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルツ記1章1〜22節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「神はすべてを奪うのか」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 487 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

1.すべてが奪われたナオミ
王国が誕生する前の時代、豊かな食を与えると主が約束した地に飢饉が訪れた。エリメレク一家はその地を去り、モアブへ行った。ところが家長エリメレクはすぐにその地で死ぬ。その後、家族はモアブに長期的に寄留し、ナオミの息子たちは妻を迎えた。十年後、二人の息子も死んだ。すべてが奪われた。ナオミは一人、残された。

2 母の家に帰るオルパ
ナオミはベツレヘムへ帰ることにした。主がその地を顧みたということを聞いたからである。二人の嫁はナオミと共に帰途につく。ナオミは彼女たちに自分の母の家に帰るように、彼女たちがこれまで示した慈しみにしたがってイスラエルの神である主が慈しみを示すように、と語る。ナオミが母の家、ナオミの民が自分の民だと語る彼女たちに、期待してはならないとナオミは釘を刺した。主がすべてを奪った、私はあなたがたより辛い、と嘆いた。これを聞いたオルパは、彼女なりの選択として自分の母の家に帰った。

3 ベツレヘムへ帰るルツ
ルツは、希望などなくてもよい、ナオミという母の家に留まり、その民、その神のところに帰る、自分の将来よりも母への慈しみが重要だ、と語った。ナオミは諦めてルツと戻る。帰ったとき、女たちは「すてきだ」と語るが、ナオミは、主がすべてを奪い取ったから自分は「苦々しい」と語る。誰もまだ、神の張られた伏線に気がついていなかった。賜物を神は、備えていたのだ。目をこらして待て。時が来たら、見える。

礼拝ご案内・行事予定(2023年5月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉がわかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日)
第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:00
第2礼拝 :AM 10:45 ~ 11:45
第3礼拝 :PM 5:00 ~ 6:00
○成人科プログラム (毎週日曜日) AM9:30 ~ 10:15
楽しい聖書の学び 1階集会室にて
お話は毎回完結します。 いつでもお入りください。
7日(日) 第1聖日 礼拝
「キリストの十字架によって一つに」
1コリント1章10〜17節
罪の始まり
創世記2:15~17、3:1~7
鎌野 健一
14日(日) 第2聖日 母の日礼拝
「十字架の言葉は神の力」
1コリント1章18〜31節
罪の結果
創世記3:6~19
鎌野 健一
21日(日) 第3聖日 伝道礼拝
「世界とあなたのための十字架」
ヨハネ3章16節
祈りと証し
28日(日) 第4聖日 ペンテコステ感謝礼拝
「それぞれの言葉で聞いた」
使徒言行録2章1〜16節
聖霊の実
ガラテヤ5:16~26
鎌野 健一

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~11:30、PM 7:00 ~ 8:00

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを神さまに感謝するものです。

5月行事予定

■ 7日(第1聖日)礼拝 5月誕生者祝福
■ 14日(第2聖日)母の日礼拝 銀婚式 役員会
■ 21日(第3聖日)伝道礼拝 バルナバミッション祈祷会
■ 28日(第4聖日)ペンテコステ感謝礼拝 洗礼式 聖餐式 質問受付会

6月行事予定

■ 4日(第1聖日)礼拝 6月誕生者祝福 教会総会(定期総会)
■ 11日(第2聖日)花の日礼拝 花の日行事(CS,JY)
■18日(第3聖日)父の日礼拝 伝道礼拝 役員会
■25日(第4聖日)海外宣教日礼拝

神の恵みを受ける(2023.4.23)

聖 書

神は真実な方です。この方によって、あなたがたは神の子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。(1コリント1章9節 )

礼拝音源(25.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 フィリピ1章2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編30編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント1章1~9
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「神の恵みを受ける」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 451 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

使徒たちがイエス・キリストを宣べ伝え、コリントにはクリスチャンが増えていき、教会がたてられました。けれども、教会には色々な問題が起こってきました。この手紙は、それらの問題を解決して、キリストを信じる者としてどのように生活していくかを教えています。

1.キリスト・イエスにあって聖なるものとされた
手紙の始まりは挨拶です。この中でまず、「キリスト・イエスにあって聖なる者とされた人々」と彼らに呼びかけます。これは、キリストを信じた彼らがどのような者とされているかを確認させるためです。それは、聖なる者とされ、イエスを主とする者ということです。そして、キリスト・イエスにあって恵みを与えられたので、「すべての点で豊かにされた」と彼らが受けている恵みについて語ります。

2.主イエス・キリストとの交わりに入れられた
豊かに祝福してくださった神は、イエス・キリストとの交わりに入れてくださったのです。「交わりに入れられる」というのは、イエス・キリストとの付き合いが始まったということです。親しく付き合う関係になったのです。親しい付き合いをしていくのですから、互いを想い、尊重し合う関係になっていかなければなりません。
キリストを信じたものは、キリスト者にふさわしい生活ができるように、神の恵みを受けているのです。
今、私たちも同じ恵みを受けて祝福された生活を送ることができます。

ビジョンに生きる(2023.4.16)

聖 書

幻がなければ民はちりぢりになる。教えを守る者は幸いである。     ( 箴言29章18節 )

礼拝音源(25.8MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編96編1、2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編29編
会衆祈祷 一  同
聖  書 箴言29章18節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「ビジョンに生きる」 第2 船田献一師
第1、第3 仁科共子牧師
祈  祷
任職式
賛  美 461 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

人は誰でもビジョン(幻)に生きる者だが、キリスト者はさらに神様から与えられたビジョン(視点)に生きる者である。みことばを通して自分の真相を知り、十字架の血潮で贖われた者に約束された御国の望みと世界宣教の視点に立たせていただきたい。

1.自己認識と贖いのビジョン
まず、神様から見せていただくビジョンは、自らを深く洞察して、自分の罪の真相を
知ることである。聖なる神の前に立ち、みことばを通して自らの内面が照らされる時、自分の真相が暴露される。そして、ただ神の憐れみの故に血潮による贖いをいただき、召命と献身の土台が据えられる。

2.将来の祝福のビジョン
神様は神様を愛する者たちに御国の望み、変貌の望みを与えられる。この将来の祝福のビジョンは、あらゆる試みや苦しみ、罪の誘惑から私たちを助け出し、失望や落胆から引き上げてくれる。このことが日々の生活の中で繰り返して洞察され、展望される必要がある。

3.世界宣教のビジョン
神様は旧約時代には預言者を通して生けるまことの神を示され、新約時代には十字架と復活のイエス様を通して世界宣教へのビジョン(幻)を与えられた。神様は全ての人の救いを求めておられる。そして、その実現のために私たちを必要とされている。終末の時代、神様からいただいたビジョンに生きる者でありたい。

よく知っておられます(2023.4.09)

聖 書

三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、私を愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「私を愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。私があなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「私の羊を飼いなさい。」(ヨハネ21章17節)

礼拝音源(24MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編125編1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編28編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ21章1~19節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「よく知っておられます」 仁科共子牧師
祈  祷
4月誕生者祝福 詩編1編2〜3節
賛  美 475 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

イエス様がペトロをどんなに愛しておられたかを見て、イエス様の愛に生きることを教えられたいと願います。

1.イエス様とペトロ
イエス様がペトロを弟子とされてから、彼はずっとイエス様と一緒にいて、教え導かれていました。そのようなイエス様にペトロは、「あなたのためには命を捨てます。」とまで言える関係でした。でも彼は、自分の弱さのため、イエス様の裁判の場で、イエス様のことを知らないと三度も言ってしまいました。

2.イエス様はよく知っておられた
復活したイエス様が三度目に弟子たちに現れた時、それは特にペトロのためだったと言えるでしょう。イエス様はペトロに「私を愛するか」と三度質問されました。三度も同じ質問をされたペトロは「悲しくなった」のです。イエス様を三度知らないと言った時のことを思い出させたのでしょう。それでもペトロは、「主よ、私があなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」と答えました。
イエス様は確かにペトロのことをよく知っておられました。ですから「あなたの信仰がなくならないように祈った」とあらかじめペトロに話しておられました。(ルカ22:32)

このイエス様は、今私たちのためにも祈り、守り導いてくださっています。イエス様に信頼し、イエス様とともに生きる日々を導いていただきましょう。

愛され、愛にとどまる(2023.4.2)

聖 書

父が私を愛されたように、私もあなたがたを愛した。私の愛にとどまりなさい。(ヨハネ15章9節)

礼拝音源(37.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 エレミヤ31章3節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編27編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ15章1~17節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「愛され、愛にとどまる」 仁科共子牧師
祈  祷
聖 餐 式 新聖歌 49
奉仕者任命式
賛  美 300 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

イエス様は弟子たちに、イエス様と父なる神様の関係、イエス様と弟子たちの関係を教えられました。それは、愛によって結び合わされた永遠のいのちの関係です。

1.愛してくださっているイエス様の愛から離れない
イエス様はブドウの木とその枝、農夫との関係を例えにイエス様と弟子たちの関係、父なる神様と弟子たちの関係について教えられています。イエス様から離れないでいるなら、多くの身を結ぶことができ、願うものはかなえられ、喜びが満たされると言われています。イエス様から離れないということは、イエス様の愛の中にとどまることです。イエス様は私たちを愛していてくださいます。父なる神様がイエス様を愛されたのと同じように愛していてくださいます。

2.イエス様の友達として生きる
イエス様は私たちを大切な友達として愛してくださっています。それは、自分の命を捨てることができるほどの大きな愛です。そのイエス様と親密な愛の交わりの中に生きること、それがイエス様の愛にとどまり続けることです。それはまた、私たちが互いに愛し合うところに表されてきます。
愛し合うことがイエス様の戒めであり、その戒めを守ることが、イエス様の愛にとどまっていることになると教えられました。イエス様の友達として愛されていることを喜び、イエス様を愛して、その愛で互いに愛し合って生活させていただきましょう。イエス様の愛にとどまる生活です。

礼拝ご案内・行事予定(2023年4月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉がわかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

 

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日)
第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:00
第2礼拝 :AM 10:45 ~ 11:45
第3礼拝 :PM 5:00 ~ 6:00
○成人科プログラム (毎週日曜日) AM9:30 ~ 10:15
楽しい聖書の学び 1階集会室にて
お話は毎回完結します。 いつでもお入りください。
2日(日) 第1聖日 パームサンデー礼拝
「愛され、愛にとどまる」
ヨハネ15章1〜17節
十字架による新しい群れ
ヨハネ19:23~30
鎌野 健一
9日(日) 第2聖日 イースター感謝礼拝
「主はよく知っておられます」
ヨハネ21章1〜19節
復活の主との出会い
ヨハネ20:11~18
鎌野 健一
16日(日) 第3聖日 礼拝
「ビジョンに生きる」
私を愛するか
ヨハネ21:15~19
増永 茂
23日(日) 第4聖日 子ども・伝道礼拝
「神の恵みを受ける」
Iコリント1章1〜9節
祈りと証し
30日(日) 第5聖日 礼拝
「まことのぶどうの木」
ヨハネ15章1〜8節
天地創造
創世記1:1~31
鎌野 健一

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~11:30、PM 7:00 ~ 8:00

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを神さまに感謝するものです。

4月行事予定

■ 2日(第1聖日)パームサンデー礼拝 聖餐式 奉仕者任命式  教会学校教師研修会1
■ 9日(第2聖日)イースター感謝礼拝(召天者記念会)洗礼式 4月誕生者祝福
■16日(第3聖日)礼拝 牧師・副牧師任職式 仁科師・鎌野師夫妻の歓迎会  役員会
■23日(第4聖日)子供礼拝・伝道礼拝  CS遠足
■30日(第5聖日)礼拝

5月行事予定

■ 7日(第1聖日)礼拝 5月誕生者祝福
■ 14日(第2聖日)母の日礼拝 銀婚式
■ 21日(第3聖日)伝道礼拝 バルナバミッション祈祷会
■ 28日(第4聖日)ペンテコステ感謝礼拝 洗礼式 聖餐式 質問受付会

悩みある世での希望(2023.3.26)

聖 書

今までは、あなたがたは私の名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。(ヨハネ16章24節)

礼拝音源(28.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 ヨハネ14編27節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編25編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ16章16~33節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「悩みある世での希望」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 531 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

私たちの日々の生活には、悩みや苦しみがあります。その悩みや苦しみのどう向き合い、解決していけば良いでしょうか。イエス様は「あなた方は泣き悲しむ、苦しみにさいなまれる」しかし「その苦しみは喜びに変わる」と言われました。

1.喜びで満たされる
イエス様の弟子たちにとって、イエス様がいなくなることは悲しいことでした。しかも、イエス様は死刑にされてしまうのですから、弟子たちの失望、嘆き悲しみは深く、苦しいものになります。イエス様は、そのことをわかっておられたので、その苦しみは喜びに変わる、と言って励まされたのです。それは、死んでしまったと思ったイエス様と再び会えるからだと言われました。

2.この世に勝ったイエス様によって平和を得る
この世では苦難があり、苦しみ戦いながら生きていくようなものでしょう。けれども、イエス様は「この世」に勝利し、平和を勝ち取られました。その平和を、私たちに与えてくださいます。悲しみ苦しみに負けてしまわないで、生きることができるのです。

イエス様を信じる人には、この平和を与えられ、苦しみの生活から喜びに満ちた生活に変えられて行きます。それは、誰にも奪われない喜びです。イエス様と共に、苦しみを喜びに変えていただく生活をしていきましょう。

恵みにあふれて(2023.3.19)

聖 書

しかし、私と私の家は主に仕える。(ヨシュア24章15節b)

礼拝音源(31.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編51編19節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編24編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア24章14~24節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みにあふれて」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 510 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ヨシュアは、告別説教ともいえるメッセージを語っています(23章~24章)。信仰の歩みと戦いが積み重ねられていくなかで、主の臨在に生きる恵みは(1章5節)、何をもたらすのかを指し示しています(24章15節)。

1.信仰の決断を支える恵み
ヨシュアは、「あなたがたが仕えようと思うものを今日、選ぶがよい」と語っています。彼は、信仰において「選ぶ」ということの大切さを強調するのです。ただ、その前提として、主の愛のゆえに選びの恵みがありました(23章14節、申命記7章6~8節)。それは、主イエスが弟子たちを選ばれたことに通じるものです(ヨハネ15章16節)。
先行する主の選びの恵みに対して、人格をもつものとして造られた人間が選ぶという信仰の決断をすることを支えているのは、主の恵みなのです。この霊的センスを養い続けさせていただいていることが大切です。

2.共に仕える恵み
続いてヨシュアが「私と私の家とは主に仕える」と語ったことに対して、民たちは「主に仕え、その声に聞き従います」と応答しています(24節)。そこに至るまで念入りなやりとりがされたのは(16~23節)、民が不従順に陥らないために証言を求めてのことでした(25~28節)。主イエスの御受難を前にしたペトロを想起します(ルカ22章54~62節)。
礼拝は、主に仕える恵みへと導きます。しかも「私と私の家とは」共に主に仕えるところから、仕える恵みがあふれてくるのです。それは、主イエスが明らかされたことであり(マタイ20章28節)、聖徒たちが証しし続けていることです(ローマ15章30~33節)。

恵みの深みへ(2022.3.12)

聖 書

今日もなお、モーセが私を遣わした日のように健やかです。戦いのためであれ、日常の務めであれ、今の私の力は当時と同じです。 (ヨシュア14章11節)

礼拝音源(31.2MB)
※会衆祈祷の音声が途中で途切れております。申し訳ございません。

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ57章15節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編23編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア14章6~15節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「恵みの深みへ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
洗 礼 式 67
賛  美 507 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

モーセの従者ヨシュアと共に歩み労したカレブは、年老いても「健やか」でした。それは、「主が私と共にてくださる」ゆえの前向きかつ積極的な信仰でした(10~12節)。
彼らがいつも主の恵みの約束に立って歩み続けたことは、私たちの歩みでもあります。

1.主の恵みは尽きないゆえに

主が備えておられる恵みは、ヨシュアが年を取っても尽きませんでした(13章1節)。その恵みは、モーセに告げられた約束どおりであり、カレブに対しても同様でした(9節、1章3節)。こうした恵みが尽きないのは、真実な主が責任をもって守り、支え、引き上げてくださるからです(1テサロニケ5章23~24節参照)。
ですからカレブは、主の御言葉の約束に立って、どこまでもその御言葉に聞き従う姿勢を貫いたのです(10節、12節)。

2.主の臨在信仰に立ち続ける
このように、尽きない恵みを自分のものにさせていただくのは、カレブに与えられた信仰に見るように、主に対する全き信仰によります。すなわち、信仰の友をもった信仰であり(6節、民数記14章)、勇気ある信仰であり(7~9節、民数記13章)、御言葉に対する変わらない進取の信仰です(11~12節)。こうした積極的な信仰は、人間的な向こう見ずなどではなく、「主が私と共にいてくださる」(12節)ことが根本にあります。

私たちは、老いてもなお主の臨在信仰に立ち続けるところに「健やか」さがあり、主の助けと備えがあり、道が開かれていくのです。私たち一人ひとりは、老いも若きも遣わされた日のように、今も変わらず壮健でありますように。

生きた信仰(2023.3.5)

聖 書

「ただ一つ知っているのは、目の見えなかった私が、今は見えるということです。」 (ヨハネ9章25節c)

礼拝音源(36.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 イザヤ55章6,7節b 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編20編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ9章13~41節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「生きた信仰」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
入会式
3月誕生者祝福 コロサイ2章6~7節
賛  美 402 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、神の業の最大の現れである主イエスの十字架による罪の赦しの恵みによって、信仰の目は開かれます。その信仰は、目が見えるようになったこの人と同じように、深められ、生きた信仰となっていきます。

1.恵みの事実に生きる
この人は、目が見えるようになった次第を語っています。そのことが繰り返される中で、彼の主イエスに対する理解は深められていきました(11節、17節、25節、31節、38節)。そして、彼は自分自身が受けた恵みの事実については、確実に「ただ一つ知っている」(25節)と、動揺することもひるむこともなく語っています(30~33節)。そのとき、主イエスがこの人に近づいてくださり、個人的に「あなたは人の子を信じるか」と問いかけられ、「主よ、信じます」と応答したのです(35~38節)。
生きた信仰は、個人的に主イエスの救いの恵みの事実に立って生きるのです。

2.恵みの業を主イエスと一緒に担う
この人は、主イエスを信仰告白した後ただちに「ひれ伏す」礼拝をしたところから、主イエスの救いの恵みが見えてきました(38~39節)。確かに神の業は、主イエスによってなされました。そして主イエスは、それを「私たち」も一緒に担って、その恵みの業が拡げられていくことを願っておられます(4節)。
生きた信仰は、恵みの事実に生きる私たちが、主イエスと一緒に喜びと感謝に満ちて恵みの業を担っていくところに証しされるのです。

苦悩や虚無にさようなら(2023.2.26)

聖 書

イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。
神の業がこの人に現れるためである。」 (ヨハネ9章3節)

礼拝音源(27.9MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 マタイ11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編19編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ9章1~12節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「苦悩や虚無にさようなら」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 446 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、どうしても自分では選ぶことができないことがあります。それは、自分の「生まれ」です。ここに、「生まれつき目の見えない人」が登場していますが(1節)、
生まれつきですから、それを自分で選んでそうなったのではありませんでした。

1.過去に原因探しをしますか
それに対して当時の人たちは、その人が背負う苦悩や虚無が誰のせいなのかと問題にしました。主イエスの弟子たちも問いただしています(2節)。こうした因果応報の考え方は、いつの時代にもありましたし、今なお人の心と思いを支配しています。
しかし、因果応報の考え方は、どんなに人を苦しめているか、不安に陥れているかは、主イエスがよくご存じでした。それが主イエスによって断固断ち切られところで、私たちは生かされるのです(3節)。過去に原因探しをすることから、私たちは主イエスによるとらえ直しをすることが大切です。

2.神の業を信頼し今を生きますか
「世の光」として来られた主イエスは、この人に対する深い愛をもって、不思議な方法で目が見えるようにされました(5~7節)。このように、遣わされて来られた主イエスは、一人ひとりの一番つらいところに愛をもって触れる御業をされるお方です。その極みこそ、主イエスが存在を賭けて成された十字架と復活の御業であり、それに対して私たちが信仰の一歩を踏み出すことが必要なのです(35~39節)。
今も生きておられる主イエスは、神の業が現れる人生を開いてくださいます。私たちにできることは、その神の業に自分を委ねることです。