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2024年7月28日

見つけた喜び(2024.7.28)

聖 書

『見失った羊を見つけましたから、一緒に喜んでください』(ルカ15章6節)

礼拝音源(35Mb)

礼拝順序

前  奏
招  詞 テトスへの手紙2章11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
賛  美 211 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編111編
会衆祈祷 一  同
聖  書 詩編91編1~16節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 鎌野直人副牧師
宣  教 「私が頼みとする方に守られて」 鎌野直人副牧師
祈  祷
賛  美 443 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 鎌野直人副牧師
後  奏

宣教要旨

3. 失う悲しみ、失われた悲しみ
イエスの周りには様々な人が集まってきた。その中には生まれはユダヤ人でありながら、律法を守ることのできない人々もいた。彼らとイエスが食事をするので、ある人は文句を言った。イエスはなぜこのようなことをしているのか、たとえで説明した。100匹の羊を飼う羊飼いがいたとして、1匹がいなくなったとき、羊飼いは、自分の羊が失われたことを悲しむ。その羊も失われてしまったことを悲しむ。

2. 見つけ出された喜び
そこで、羊飼いは羊飼いとして当然すべきことを行う。他の羊飼いに99匹を委ねて、荒野におき、自分は1匹の羊を捜しに行く。見つけ出すまで捜す。ついに羊の居場所を見つけたら、その羊を肩に担いで、喜びつつ家に帰る。そのとき、失われた羊は見つけ出されたことを喜ぶだろう。しかし、聖書は羊の喜びを語らない。

3. みつけた喜び
イエスがこのたとえで語ったのは、見つけ出した喜びである。羊はなにもできない一方で、羊飼いはその情熱で羊を見出し、それゆえに喜ぶ。そして、自分の羊を見出したからこそ、羊の価値以上の宴会を開き、自分と共に喜ぶように人を招く。無駄にも思えるほどの喜びである。神は見失われた者を見出すために人となられた。そして、その人を見出し、その人が立ち返ったとき、神は喜び、一緒に喜ぶようにと招く。「私の愛する子」であるあなたが見出されたからだ。