聖 書
主の手はアシュドドの人々に重くのしかかり、彼らを悩ませ、(サムエル記上 5章6節a)
礼拝音源(30.9Mb)
※司会者の聖書朗読の箇所が間違えています。
下記の礼拝順序が正しい箇所です。
礼拝順序
前 奏 | ||
招 詞 | 詩編29編2節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
賛 美 | 6 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交 読 | 詩編97編 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | サムエル記上 5章1~12節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一 同 |
牧会祈祷 | 鎌野直人副牧師 | |
宣 教 | 「主の手は重く」 | 鎌野直人副牧師 |
祈 祷 | ||
賛 美 | 357 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 鎌野直人副牧師 | |
後 奏 |
宣教要旨
1.ダゴンの神
栄光はイスラエルを去った、とイスラエルの民は嘆いたが、彼らの見ていないところで主の栄光が現された。自分たちの神ダゴンが勝利したと考えて、主の箱をアシュドドのダゴンの神殿に安置したペリシテ人は、ダゴンが主の前に平伏し、その足と両手が切り取られるのを目の当たりにした。主がダゴンをその神殿から追い出し、自らこそが支配者であると示したのだ。イスラエルの敗北は主の敗北ではない。
2.アシュドド
栄光の主の手はアシュドドの人々の上に重くのしかかった。エジプトに起こったのと同じ災いが町とその周辺を襲ったのだ。ペリシテ人の領主たちは、イスラエルの神の力を認めて、神の箱はここに留まるべきではないとガトへと送った。
3.ガトとエクロン
ガトでも主の手は町の住民に下ったので、領主たちはエクロンへと神の箱を送った。民は来るべき災いを見越して叫び声を上げ、イスラエルの神の重い手のゆえに町は死の恐怖に襲われた。そして、神の箱をペリシテにとどめておくべきではなく、元の場所に送り返すべきだと人々は考えた。シロに続いてエクロンでも叫び声が上がったからだ。こうして、諸国は、イスラエルの民の知らないところで主の主権と力を認めた。私たちは神を一面的にしか理解していない。神は自由であり、危険な方である。みことばとキリストを通して人知を越えた神の姿を知り続けたい。