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2023年7月9日

キリストを土台とする人生(2023.7.10)

聖 書

イエス・キリストというすでに据えられている土台のほかに、誰も他の土台を据えることはできないからです。(1コリント 3章11節)

礼拝音源(30.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 コロサイ 2章7節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編42編
会衆祈祷 一  同
聖  書 1コリント 3章10〜22節
使徒信条 93-4 1A 一  同
牧会祈祷 仁科共子牧師
宣  教 「キリストを土台とする人生」 仁科共子牧師
祈  祷
賛  美 390 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 仁科共子牧師
後  奏

宣教要旨

パウロはクリスチャンたちを神の建物にたとえてクリスチャンの生き方を教えます。

I 土台はキリスト
パウロは「土台を据えた」と言い、その土台はイエス・キリストであると言いました。それは「神から受けた恵みによって」であり「賢い建築家のように」据えたのです。そして、いろいろな材料でその土台の上に建物を建てていく、それがクリスチャンの人生です。「金・銀・宝石」は永続的なものを指し、「木・草・わら」は長くは続かないものを表しています。土台は、揺るぐことのないキリストですが、どんな材料でどのように建てていくか注意して建てなければなりません。終わりの日にどのような建物であるかが明らかにされるからです。

II 神の神殿となっている
クリスチャンの人生を建物にたとえた後、クリスチャンは「神の神殿」であると教えます。神の霊がその人のうちに住んでおられるからです。キリストによって神と共に生きるものとしての人生を歩ませていただいているのです。

III すべてはあなた方のもの
この世の知恵で自分は知者だと誇るのではなく、神の知恵によって考えるようにと再び諭します。そうする時、すべてのものが神から与えられ、キリストのもの、神のものとして一つとされていることがわかり、分派はなくなるのです。