聖 書
主の恵みの年と 私たちの神の報復の日とを告げ すべての嘆く人を慰めるために。(イザヤ61章2節)
礼拝音源(36.9MB)
礼拝順序
前 奏 | ||
招 詞 | ローマ13章12節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交 読 | 詩編130編 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | イザヤ60章19節~61章4節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一 同 |
牧会祈祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
宣 教 | 「主の来臨の待望」 | 川原﨑晃主管牧師 |
祈 祷 | ||
聖 餐 式 | 新49 | |
賛 美 | 236 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
宣教要旨
待降節から降誕節に向かうこの時節は、一年の中でも最も喜ばしい時です。私たちがこの「待降節」を過ごすときに、主イエスの来臨をどのように待望するのでしょうか。そこには、どのような意味があるのでしょうか。
1.二つの待望
イザヤ書は、神の御業を全歴史を貫いて預言しています。特に、救い主の二つの来臨が、さながら一つの来臨のように重なって語られています。第一の来臨(61章1~2節a、ルカ4章16~21節)、続いて第二の来臨(61章2節b~4節)と預言されています。
待臨節は、かつて来臨された御子イエスの御降誕を想い起しつつ待ち望み、やがて主イエスが再び来臨されることを期待しつつ待ち望み、心を向ける時節です。ですから、御子の御降誕を想い起して感謝の祈りをささげ、再び来臨される主イエスに対する待望信仰を抱いて備えるのです。
2.二つの時を待望しつつ
主イエスは、第一の来臨によって、私たちに仕えて救うために来られした。その極みが主イエスの十字架と復活の御業に現されました。第二の来臨は、栄光の王が栄光のうちに来られ、神の救いは完成し、神の栄光が輝き現れるのです(60章19~22節)。
その中心におられるのは、ただ一度限りの永遠の贖いの御業を成し遂げてくださった「神の小羊」である主イエスです(61章1~2節、ヨハネの黙示録21章22~23節、22章3~5節)。この御方こそが、永遠に変わることなく、信仰者を永遠の交わりの中に導かれるのです(61章3~4節)。