聖 書
そこで、イエスは言われた。「あなたがたは、人の子を上げたときに初めて、『私はある』ということ、また私が、自分勝手には何もせず、父に教えられたとおりに、話していることが分かるだろう。 (ヨハネ8章28節)
礼拝音源(31.0MB)
礼拝順序
前 奏 | ||
招 詞 | 1ヨハネ3章16節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交 読 | 詩編116編 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | ヨハネ8章21~30節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一 同 |
牧会祈祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
宣 教 | 「キリストを知る」 | 川原﨑晃主管牧師 |
祈 祷 | ||
賛 美 | 303 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
宣教要旨
聖書は、私たちに人生の損益勘定をするように勧めています(マタイ16章26節)。パウロは、この計算に強かった人です(フィリピ3章7~8節)。そこで彼は、キリストを知ることが、人生最大の得をもたらすことだと語っています。
1.キリストは何者か
ユダヤ人たちは主イエスに、「あなたは一体、何者なのか」(25節)と問いかけています。それに対して、主イエスは、御自身が神であり(23節)、父なる神と共におられ、その御心に適うことを行われ(29節)、何よりも十字架に上げられることにより(28節)、誰も代わることができない死を遂げられる(21節)ことを明らかにされました。
主イエスの十字架の死こそが、私たちに罪の赦しを与える神の愛の勝利の御業でした(ルカ23章34節)。この高価な犠牲による赦しがなければ、私たちは自分の罪のために滅びるしかなかったのです。
2.人は何者なのか
主イエスは、人は「自分の罪のうちに死ぬ」(21節、24節)と繰り返し語られました。悔い改めないままで、闇の中を歩んでいたからです(23節)。そのままにとどまるならば、永遠の滅びにいたる致命傷を負うことになります。その罪を自覚させ、そこからの救いをもたらすために、「私はある」と言われる主イエスが、十字架の死を通して、私たちが「罪のうちに死ぬ」ことのないようにしてくださったのです(24節、28節)。
主イエスは、「罪のうちに死ぬ」ことのない救いの恵みを与えていてくださいます。私たちは今、その主イエスを信じる信仰をもって応答するのです(エフェソ2章8節)。