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2022年11月20日

キリストを知る(2022.11.20)

聖 書

そこで、イエスは言われた。「あなたがたは、人の子を上げたときに初めて、『私はある』ということ、また私が、自分勝手には何もせず、父に教えられたとおりに、話していることが分かるだろう。 (ヨハネ8章28節)

礼拝音源(31.0MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 1ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編116編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ8章21~30節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストを知る」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 303 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

聖書は、私たちに人生の損益勘定をするように勧めています(マタイ16章26節)。パウロは、この計算に強かった人です(フィリピ3章7~8節)。そこで彼は、キリストを知ることが、人生最大の得をもたらすことだと語っています。

1.キリストは何者か
ユダヤ人たちは主イエスに、「あなたは一体、何者なのか」(25節)と問いかけています。それに対して、主イエスは、御自身が神であり(23節)、父なる神と共におられ、その御心に適うことを行われ(29節)、何よりも十字架に上げられることにより(28節)、誰も代わることができない死を遂げられる(21節)ことを明らかにされました。
主イエスの十字架の死こそが、私たちに罪の赦しを与える神の愛の勝利の御業でした(ルカ23章34節)。この高価な犠牲による赦しがなければ、私たちは自分の罪のために滅びるしかなかったのです。

2.人は何者なのか
主イエスは、人は「自分の罪のうちに死ぬ」(21節、24節)と繰り返し語られました。悔い改めないままで、闇の中を歩んでいたからです(23節)。そのままにとどまるならば、永遠の滅びにいたる致命傷を負うことになります。その罪を自覚させ、そこからの救いをもたらすために、「私はある」と言われる主イエスが、十字架の死を通して、私たちが「罪のうちに死ぬ」ことのないようにしてくださったのです(24節、28節)。
主イエスは、「罪のうちに死ぬ」ことのない救いの恵みを与えていてくださいます。私たちは今、その主イエスを信じる信仰をもって応答するのです(エフェソ2章8節)。