聖 書
イエスは再び言われた。「私は世の光である。私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ。」(ヨハネ8章12節)
礼拝音源(30.4MB)
礼拝順序
前 奏 | ||
招 詞 | 詩編118編23〜24節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交 読 | 詩編8編 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | ヨハネ8章12~20節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一 同 |
牧会祈祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
宣 教 | 「光が見えていますか」 | 川原﨑晃主管牧師 |
祈 祷 | ||
幼児成長祝福式 | 484(口語訳) | |
賛 美 | 503 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
宣教要旨
神に創造された私たちは「光」が必要です(創世記1章3節)。ですから「まことの光である」主イエスを通して、闇を照らしてくださいました(ヨハネ1章9節)。では「私は世の光である」(12節)と言われた主イエスと私たちは、どういう関係なのでしょうか。
1.キリストに導かれて
この時ヨハネは、出エジプトによる神の救いと、その後の40年間の荒れ野を導かれた神の御業を想起しています。神は民にパンと水を与えて養われましたが、今や主イエスが「命のパン」(ヨハネ6章31~35節)となられ、「生ける水」(同7章37~38節)となられて養い続けていてくださいます。また、神は民を雲と火の柱をもって導かれましたが、今や主イエスは「世の光」として導かれます。
宗教家たちは、このように自己証言しておられる主イエスが受け入れられませんでした(14~18節)。神に対して心と魂の目が開かれていなかったからです(19節)。
しかし私たちは、罪と死の闇から救われ、「命の光」の中に立って歩むのです。
2.キリストに従い続けて
そして私たちは、「私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ」と約束される主イエスに従う歩みをします。ちょうど、神が民を荒れ野で導かれ際に、民が信仰によって従ったようにです(民数記9章15~23節)。
そして、主イエスが「世の光」ですから、私たちはその光を受けて、受けた「命の光」を輝かすのです。そのようにされるのは、主の恵みによるのですから、「命の光」を高くかかげるのです。