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2022年9月10日

私たちを背負われる主(2022.9.11)

聖 書

あなたがたが年老いるまで、私は神。あなたがたが白髪になるまで、私は背負う。私が造った。私が担おう。私が背負って、救い出そう。(イザヤ46章4節)

礼拝音源(29.7MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編124編8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編90編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ46章1〜13節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「私たちを背負われる主」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
長寿祝福・感謝の時 詩編68編20~21節
賛  美 549 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちの1日1日は、主からのプレゼントの日です。その日々を私たちは主によって生かされているのであり(2コリント4章16節)、主に背負われて歩んでいます。恵み深い主は、主の民を背負い、救い出す方です(3~4節)。

1.背負ってくださる主
主の民を捕囚したバビロンが信奉していたのは、人が背負わなければならない神々で、真に人間を救うことはできませんでした(1~2節、6~7節)。しかし、主の民が信じた神は、唯一絶対の神であり、御自身の方から現れ、語りかけられ御業をなされる方です。永遠から永遠まで支配され、主御自身が決断されて、造られた者をどこまでも背負い続け、救いを全うしてくださる方です(3~4節、9~10節)。
十字架に死んで復活された主イエスは、いかなる時も、私たちの生涯を責任をもって背負い続けてくださいます(マタイ28章20b)。

2.背負われる私たち
背負ってくださる主は、日々に私たちの救いの神であり、死からも勝利させてくださいます(詩編68編20~21節)。このように預言されている方が、主イエスであり、私たちはこの方のもとに招かれ、安らぎを得ているのです(マタイ11章28~30節)。私たちの一番重い荷は、自分自身であり、その罪と死です。この私たちが、十字架と復活の主イエスに背負われているのです。
主は私たちに、「聞け」(3節)、「胸に刻め」(8節)と繰り返し立ち返ることを求めておられます。私たちは、この主に信頼するのみです(詩編62編9節)。