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2022年7月31日

どこまでも真実に(2022.7.31)

聖 書

しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不正がない。(ヨハネ7章18節b)

礼拝音源(32.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ハバクク2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編51編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ7章14~24節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「どこまでも真実に」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 451 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

ユダヤの人たちにとって仮庵祭という喜ばしい祝いの時に、その指導者たちは主イエスに対する殺意を抱いていました(19~20節)。そのような中にあって、主イエスは「真実な人」であり(18節、14章6節)、信仰者にも真実であるように語っておられます。

1.分かることにおいて  17節
主イエスの教えは人々を驚かせるほどのもので、お遣わしになった父なる神からの教えでした(15~16節)。そのことが分かるのは、父なる神の「御心を行おうとする者」です(17節)。
主イエスの教えが分かったら、主イエスを信じるのではありません。まず信じたら、真実な主が分かってくるのです。そして、神の御心を行おうと願うことは、自分自身を主イエスに委ねていくことです。私たちは、この点において真実でありたいものです。

2.求めることにおいて  18節
主イエスは、御自分の栄光ではなく、遣わされた父なる神の栄光を求めておられます。そのことによって、御自身が真実な者であることを証しされたのです(18節)。それに対して、ユダヤ当局者たちは、自分たちの栄光を求め、不真実な有様でした(19~20節)。続く主イエスの反論は、見事です(21~24節、5章1~9節)。
ところで、父なる神は、主イエスの十字架と復活において御自身の栄光を現しなさいました(12章27~36節)。そして、私たちがこの主イエスの救いを信じることにより、神の栄光が現わされるのです。私たちは、この点においても真実でありたいものです。