聖 書
そこで、イエスは言われた。「私の時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備わっている。 (ヨハネ7章6節)
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礼拝順序
前 奏 | ||
招 詞 | マタイ11章28節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交 読 | 詩編50編 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | ヨハネ7章1~13節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一 同 |
牧会祈祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
宣 教 | 「すべてに時がある」 | 川原﨑晃主管牧師 |
祈 祷 | ||
賛 美 | 403 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
宣教要旨
イザヤ書が開示する信仰は、臨在信仰に生きることについて大きな示唆を与えます。聖なる主は(15節)、私たちを恵もうと待ち、憐れもうと立ち上がられる公正の神です(18節)。私たちは、いかなる時にもこの主に対する生きた信仰を抱きつつ歩むのです。
私たちは時間を等しく与えられているので、それをどのように使うかが問われます。
主イエスは、父なる神が定められた時を絶好の時とされました。私たちもその時を人生の絶好の時としたいものです。
1.キリストの時
この時人々は、かつて神の民が神の救いを経験し、その後も神の導きをいただき養われたことを感謝する仮庵祭を祝っていました。ガリラヤからエルサレムに向かわれる主イエスに対して、ユダヤ人は敵対感情を持ち、群衆は傍観者のようになり、イエスの兄弟たちは評論家のようになって、主イエスに対する信仰は生まれませんでした。
主イエスを憎み、殺そうとする「世」の罪に対して(7節)、神の審きの極まる時、神の愛の極まる時となったのが、主イエスの十字架の事実でした。この時に、主イエスによる救いが現されたのです(6節)。
2.一人ひとりに備えられた時
主イエスに神の時があったように、私たちにも時があります。それは、一人ひとりが「私が救い主イエスを十字架に架けた」ことの罪を認め、主イエスに対する信仰の応答をする時です。 そして、主イエスを信頼して歩んでいく時、神はすべてを絶好の時としてくださり、神の最善へと導かれます(コへレトの言葉3章1~11節)。私たちは、自分で設定した時でなく、神に設定していただいた好機を知って、主イエスと共に「時」を過ごすのです(2テモテ4章6節、8節)。