聖 書
これは天から降って来たパンである。先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は永遠に生きる。(ヨハネ6章58節
礼拝音源(30.4MB)
礼拝順序
前 奏 | ||
招 詞 | ヨハネ16章13節a | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交 読 | 詩編33編 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | ヨハネ6章52〜59節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一 同 |
牧会祈祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
宣 教 | 「命あふれて」 | 川原﨑晃主管牧師 |
祈 祷 | ||
賛 美 | 56 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
宣教要旨
主イエスを個人的な救い主また主として信じ受け入れるまでは、永遠の命に生きることができません。それは、一度限りのものではなく、繰り返し信じ受け入れ続けていくことによって、永遠の命にあふれる歩みとなるのです。
1.主イエスと一体となって生き続ける 55~56節
主イエスを食べるとは、主イエスを信じて一体となることであり、その血を飲むとは、主イエスの命にあずかることです(53~54節)。主イエスに一人ひとりが「とどまる」すなわち一体となるとは、主イエスと人との区別がなくなることではなく、主イエスにある命と恵みの祝福が、その人のものになることです(56節)。
主の聖餐によって明らかにされたように(1コリント11章26節)、私たちは主イエスを信じる信仰によって、いつも主イエスと結ばれ続け、豊かな祝福に与り続けるのです(ヨハネ15章5節)。
2.キリストのために生き続ける 57~58節
主イエスが父なる神から遣わされ、父なる神のために御生涯を生きられたように、私たちが命の源である主イエスによって、主イエスのために充実した歩みをすることが、「永遠に生きる」ことです(57~58節)。
ところで、「食べる」(54~58節)とは、むさぼり食うという意味があります。それは、その人に代わって他の人が食べるのではありません。そのように私たちは、主体的な信仰の貪欲をもって、主イエスと一体とされ、主イエスのために「永遠に生きる」という視点で生き続ける一人ひとりであり、群れであるように招かれているのです。