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2022年5月

永遠の命を生きる(2022.5.29)

聖 書

よくよく言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。(ヨハネ6章47節)

礼拝音源(37.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編32編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ6章41〜51節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「永遠の命を生きる」 川原﨑晃主管牧師
聖 餐 式 新49
祈  祷
賛  美 120 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、「私は命のパンである」(48節、ヨハネ14章6節)と語られる主イエスに招かれています。主イエスは、その招きに一人ひとりが応答することにより、永遠の命を生きるようにされるのです。

1.永遠の愛に引き寄せられて  41~46節
「私は天から降って来たパンである」(41節)との主イエスの発言が、ユダヤ人にとってはつぶやきの種となり躓きともなりました。主イエス御自身が神であることを明らかにされたからです。それは、主イエスが十字架に架かられたことに対して、自分たちとは関係のないこととした人たちの躓きと相通じます(1コリント1章18節)。
このように神との関係がズレてしまった罪人を、神は永遠の愛をもって「引き寄せ」てくださいます(44節、エレミヤ31章3節)。そして、主イエスのもとに来て、神が語られることを聞いて従うように招いておられます(44~45節)。

2.永遠の命を得て  47~51節
私たちが「永遠の命を得て」生きるために、十字架と復活を通して御自分の命を「与え」てくださった主イエスを「信じ」受け入れることが必要です(47節)。「私は命のパンである」(48節)と言われる主イエスは、私たちのこの世における日々の生活を新たに造り生かされるだけでなく、死にも勝利して「永遠に生きる」ようにされるからです(50~51節)。
永遠の命を生きる人生は、常に望みに満ちた新しさ、前進する力、死への勝利をいただいたねばり強さがみなぎっています。永遠の命を生きるのは「あなた」自身です。

 

礼拝ご案内・行事予定(2022年6月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉がわかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。  
◎ 主日礼拝 (毎週日曜日) 第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:00 第2礼拝 :AM 10:45 ~ 11:45 第3礼拝 :PM 5:00 ~ 6:00 ○成人科プログラム (毎週日曜日) AM9:30 ~ 10:15 楽しい聖書の学び 1階集会室にて お話は毎回完結します。 いつでもお入りください。
5日(日) 第1聖日 ペンテコステ感謝礼拝 「聖霊による祝福」 イザヤ44章1~5節 聖霊の働き ヨハネ20:4b~15 鎌野 健一
12日(日) 第2聖日 花の日礼拝 「命あふれて」 ヨハネ6章52~59節 光の子として歩みなさい エペソ5:6~14a 山崎 勝
19日(日) 第3聖日 父の日・伝道礼拝 「唯一の希望」 ヨハネ6章60~71節 神の子として ガラテヤ4:1~7 増永 茂
26日(日) 第4聖日 海外宣教日礼拝 「一つになって」 ヨシュア1章10~18節 祈りと証し

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~11:30、PM 7:00 ~ 8:00

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを神さまに感謝するものです。

6月行事予定

■ 5日(第1聖日)ペンテコステ感謝礼拝 洗礼式 教会総会(定期総会) ■ 12日(第2聖日)花の日礼拝 花の日訪問(JY・CS) ■ 19日(第3聖日)父の日礼拝 伝道礼拝 バルナバミッション祈祷会 ■ 26日(第4聖日)海外宣教日礼拝

7月行事予定

■ 3日(第1聖日)礼拝 教会学校教師研修会2 ■ 10日(第2聖日)礼拝 ■17日(第3聖日)教団創立記念日礼拝 ■24日(第4聖日)伝道礼拝 JYキャンプ献金 ■31日(第5聖日)礼拝  

強く、雄々しくあれ(2022.5.22)

聖 書

強く、雄々しくあれと、私はあなたに命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行っても、あなたの神、主があなたと共にいるからだ。(ヨシュア1章9節)

礼拝音源(25.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 エフェソ5章8節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編100編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア1章6〜9節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「強く、雄々しくあれ」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 新聖歌486 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主は、ヨシュアと共に歩んでくださる支えと導きの中で、「強く、雄々しくあれ」(6節、7節、9)と励ましておられます。主は、ヨシュアが弱さを感じ、おびえていたことを見通しておられたからです。

1.主が導かれるから
主が与えていてくださる約束の地に導かれることは、かつてモーセを通して語られていたことでした(申命記31章7~8節)。モーセと共に歩まれた主の導きは、絶えることがなく、誤りはありませんでした。神の民の弱さを見抜いておられた主は、回り道と思われる中を通されました(出エジプト13章17~22節、民数記9章15~23節)。それは、ヨシュアに対しても同様で、主が共に歩まれる導きは確かなことだったのです(5節、9節)。
主が共におられる導きを必要としない人は、ひとりもいません。教会も主の導きを必要としています。皆が、それに従えるように招かれているのです。

2.主の導きに従えるように
それゆえに、導き主がモーセを通して命じられた「律法」の教えや戒めを守り行い、それからそれることなく歩み続けることが祝福を受けるために大切なことでした(7節)。それは、御言葉を蓄え続け、思い巡らし、喜んで従っていくことでした(8節、申命記6章6~7節)。
ヨシュアは、主の導きに従うことができるように主が共におられたので、「成功をおさめ」祝福されたのです(8~9節)。同様に私たちは、世に勝利されている主が共にいてくださるので、主によって勝利者とされるのです(ヨハネ16章33節)。

 

新しい時代の始まり(2022.5.15)

聖 書

あなたの命の続くかぎり、誰一人あなたの前に立ちはだかる者はいない。私がモーセと共にいたように、私はあなたと共にいる。あなたを見放すことはなく、あなたを見捨てることもない。(ヨシュア1章5節)

礼拝音源(29.1MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ4章23節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編29編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨシュア1章1〜5節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「新しい時代の始まり」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 467 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

「ヨシュア記」は、モーセからヨシュアに信仰とそのあり方が継承されていくことを語っています。「私の僕モーセは死んだ」(2節a)との書き出しは、新しい時代の転換点となったことと、信仰者とその群れがだれと共に歩むかを明らかにしています。

1.人と共に歩む  1~4節
「モーセの従者」ヨシュアは、モーセに仕えることを通して恵みの経験をし(出エジプト33章11節)、失敗の経験もしました(民数記11章28節)。このように、モーセと共にいたことで、単なる知識の受け継ぎでなく、人格的な信仰の交わりに与ったのです。それは、主イエスの弟子も同じ経験をしています(ルカ10章1節、ヨハネ13章34~35節)。
そして、ヨシュアは「あなたとこの民は皆立ち上がり」と語られたように、神が約束され与えていてくださる恵みの世界に進んで行きました(2節b~4節)。その信仰の一歩は、信仰の戦いを神の民と共にする歩みとなったのです。

2.主と共に歩む  5節
主はモーセと共におられたように、ヨシュアと共におられました。この主の臨在は、この後ヨシュアと神の民が山積みする困難や問題の中を通されても、恐れや不安が支配する中にあっても変わりませんでした。
「御顔(臨在)こそ、わが救い」(詩編42編6節)とあるように、主は御言葉に立って歩む信仰者の方を向いて、顧み、恵みを注ぎ続け、祝福と力の源となってくださいます。
私たちは、主イエスから使命を受け継いでいます(マタイ28章19~20節)。そこに立つ度に、「いつもあなたかだと共にいる」との主イエスの約束を喜び味わうのです。

 

間違いのない憐れみの主(2022.5.8)

聖 書

女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎内の子を憐れまずにいられようか。たとえ、女たちが忘れても私はあなたを忘れない。(イザヤ49章15節)

礼拝音源(32.0MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ガラテヤ3章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編27編
会衆祈祷 一  同
聖  書 イザヤ49章14〜16節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「間違いのない憐れみの主」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 11 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

母親は、自分の子どもを体をはって愛します(ルカ2章48節)。そこには、憐みの主の御心を思わせるものがあります。ところで、私たちは、憐れみの主がどのような方であり、その憐れみが今も変わらずに注がれていることを知ることが大切です。

1.決して忘れることのない方
70年のバビロン捕囚の経験をするイスラエルの民は、虚無的になりました(14節)。そこで、憐れみの主は、主に忘れられ捨てられたと思い込む彼らに、手を替え品を替えて励まされます。母親が忘れるようなことがあっても、主は決して忘れることはなさいません(15節)。主は御自身の手の中に御自身の民の名を刻み込むようにして、どこまでも守られます(16節)。
主イエスが「私は、あなたがたをみなしごにはしておかない」(ヨハネ14章18節)と語られたように、私たちは主の前で忘れられてはいないのです(ルカ12章6節)。

2.贖ってくださる方
主が御自身の民を決して忘れなさらないのは、主が「贖い主、聖なる方」(49章7節)だからです。贖いの主は、他者に渡ってしまっていたものを再び代価を払って買い戻して御自身のものとされるのです(イザヤ書43章1節)。
私たちは、主イエスの十字架の贖いによって、永遠の滅びから永遠の救いにあずかった者です。ですから今、主イエスの十字架を仰ぎ見て立つのです。さらに今、主イエスの十字架の側近くに立って、母と子の関係のみか互いの新しい関係を造っていただくのです(ヨハネ19章26~27節)。そして、主の憐れみを受けつつ歩むのです。

主のものとされた恵み(2022.5.1)

聖 書

終わりに、誰も私を煩わさないでほしい。私は、この身に、イエスの焼き印を帯びているのです。(ガラテヤ6章17節)

礼拝音源(32.0MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編118編23〜24節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編24編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ6章17〜18節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「主のものとされた恵み」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
5月誕生者祝福 箴言3章5~6節
賛  美 529 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスの恵みは、過去と現在と将来にわたって変わることがありません(ヘブライ13章8節)。私たちは、この主イエスの救いの恵みに与って主のものとされ、パウロと同じように「イエスの焼き印を帯びて」歩む者にされているのです(17節)。

1.恵みによって召し出された
パウロは、神の「恵みによって召し出」されて洗礼の恵みに与り、主のものとされました(ガラテヤ1章15節、使徒言行録9章1~18節)。さらに、この神の恵みによって福音宣教の使命のために召されて遣わされました(ガラテヤ1章16節)。こうした事実が、「イエスの焼き印を帯びている」と語る根底にありました。
同様に私たちは、主イエスの恵みによって救いに与り洗礼を受けて主のものとされ、一人ひとりに相応しい主からの使命を託されています。私たちは、達成感よりも使命感に生きるように召し出されている喜びに生きるのです。

2.主のために苦しむ恵みを与えられた
パウロは、主イエスの福音を宣べ伝えていく中で受けた苦難や試練と言う「イエスの焼き印を帯びて」いました(2コリント11章23~28節)。それは、彼が主の十字架を誇るゆえの受けたものであるとのあつい思いを込めて証ししています(ガラテヤ6章14節)。
同様に私たちは、主イエスの恵みを証しし、そのために仕えていくときに、「キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられている」という経験をします(フィリピ1章29節)。この主の恵みの道を歩むことによって、主の祝福と励ましと慰めが豊かに注がれることを知るのです(18節)。