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2022年3月13日

蒔くことと刈り取ること(2022.3.13)

聖 書

自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。(ガラテヤ6章8節)

礼拝音源(27.9MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 イザヤ43章1節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編2編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ6章6〜10節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「蒔くことと刈り取ること」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 514 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

この聖書箇所には、「蒔く」ことと「刈り取る」ことについてのテーマで語られています。私たちが信仰とその歩みに蒔き続けるものに対して、神が刈り取らせられることを教えています。何を蒔き、何を刈り取るのでしょうか。

1.良いものを分かち合う  6節
救いの神は、日々に私たちを担っていてくださる恵みに立って(詩編68編20節)、「おのおのが自分の荷を負」い(6章5節)、「互いに重荷を担」っています(同2節)。
この荷を負うことの大切なことの一つに、御言葉を語り教える者とそれを教えられる者とが、互いに神の国に仕えていきます。前者は御言葉の真理を学んで得た良いものを、後者は働きによって得た良いものを、共に神から授かった賜物として「分かち合」うことによって(1コリント9章11節)、「愛をもって互いに仕え」(5章13節)ているのです。これは、聖霊による交わり(コイノーニア)です。

2.聖霊に蒔く生き方をする  7~10節
霊の人は、神への奉仕、他の人の霊的・実際的必要を満たすために「蒔く」労苦をするように勧めています。神を尊ぶことは、他の人も尊ぶからです(7節)。それは、「自分の肉に蒔く」(5章19~21節)のではなく、「霊に蒔く」(同22~23節)ことにより、失望落胆して投げ出すことなく、時のある間に機会を生かして「善を行う」ことです。
それに対して、神が終わりの時に「刈り取り」をされます(マタイ16章27節)。神の恵みによって「永遠の命を刈り取」るのですから、怠惰になることなく、高慢になることもなく、日々に聖霊に蒔く生き方をしていくのです。