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2022年2月

恵みにあずかるために(2022.2.27)

聖 書

そこで、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。(ヨハネ6章11節)

礼拝音源(32.8MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 マタイ11章28節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編150編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ6章1〜15節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「ヨブ記32章2節」
「恵みにあずかるために」
若山翔也神学生
川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 459 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

主イエスは、豊かな恵みに溢れておられます。私たちは、その恵みに気づき、あずかり、楽しむように招かれています(1テモテ6章17節)。ですから私たちは、その恵みを受け取ることが必要なのです。

1.主イエスを見上げる
主イエスは、大勢の人たちの必要を十分に知った上で、あえて弟子たちに尋ねられました。ところが彼らは、現状と少年が持ちあわせた「大麦のパン五つと魚二匹」では、とうてい足りるものではないことを訴えています(1~9節)。ところが主イエスは、それらを用いて全ての人たちの必要を満たされたのです(10~11節)。主イエスは、現状に向けられていた人々の目を、ご自身の方に見上げさせようとされたのです。
「命のパン」である主イエスは(35節)、「永遠の命」の恵みにあずかるように招かれます(同27節)。私たちは、この主を見上げて生きるのです(イザヤ40章26節、45章22節)。

2.主イエスに委ねる
父なる神を信頼し、恵みの御業をなされた主イエスは、「少しも無駄にならないように、余ったパン切れを集めなさい」と命じられ、豊かに与えて楽しませてくださいました(12~13節)。
私たちが、命のパンである主イエスをまるで食べるようにして、信じ受け入れるならば、決して失われることなく、滅びることなく、無駄でない者とされるのです(6章39節、3章16節)。一人ひとりが、この主イエスに自分自身を委ねていくならば、その人生を真に祝福あるものに変えてくださるのです。

礼拝ご案内・行事予定(2022年3月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉がわかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

 

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日)
第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:00
第2礼拝 :AM 10:45 ~ 11:45
第3礼拝 :PM 5:00 ~ 6:00
○成人科プログラム (毎週日曜日) AM9:30 ~ 10:15
楽しい聖書の学び 1階集会室にて
お話は毎回完結します。 いつでもお入りください。
6日(日) 第1聖日 礼拝
「負うべき重荷」
ガラテヤ6章1~5節
休会
13日(日) 第2聖日 礼拝
「蒔くことと刈り取ること」
ガラテヤ6章6~10節
キリストのまなざし
ルカ22;21~31,54~62
増永 茂
20日(日) 第3聖日 総会礼拝
「目指す地へ」
ヨハネ6章16~21節
身代わりの十字架
ルカ23:13~25
鎌野 健一
27日(日) 第4聖日 伝道礼拝
「信仰は実践的なもの」
ヨハネ19章38~42節
祈りと証し

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~11:30、PM 7:00 ~ 8:00

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを神さまに感謝するものです。  

3月行事予定

■ 6日(第1聖日)礼拝 3月誕生者祝福 新任教師研修会(1)
■13日(第2聖日)礼拝  新任教師研修会(2) 役員会
■20日(第3聖日)総会礼拝 教会総会(定期総会)新任教師研修会(3)
■27日(第4聖日)伝道礼拝 新任教師研修会(4)

4月行事予定

■ 3日(第1聖日)礼拝 4月誕生者祝福 奉仕者任命式
■ 10日(第2聖日)パームサンデー礼拝 聖餐式 教会学校教師研修会(1)
■ 20日(第3聖日)17日(第3聖日)イースター感謝礼拝 洗礼式 召天者合同記念会
■ 24日(第4聖日)子供礼拝・伝道礼拝

どうしたら信じられるか(2022.2.20)

聖 書

あなたがたは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を調べているが、聖書は私について証しをするものだ。 (ヨハネ5章39節)

礼拝音源(29.7MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ハバクク2章20節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編149編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ5章31〜47節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「どうしたら信じられるか」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 54 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

信仰者は、大きなことばかりでなく小さなことにも、ありとあらゆることを主イエスとその御業と御言葉を信じて歩んでいきます。それは、どういう信仰なのでしょうか。

1.信頼する  31~40節
主イエスは、自ら神として働いていることを明らかにされました(5章17~18節)。そのことを「証し」したのは、洗礼者ヨハネであり(33~35節)、主イエス御自身の御業であり(36節)、父なる神御自身であり(32節、37節)、聖書そのものです(39節、46節)。
しかし、ユダヤ人たちは、主イエスの語ることは信じるに値しないと決めつけ、主イエスのもとに来ようとしませんでした(40節)。それは、「父のお言葉を自分の内にとどめていない」で(38節)、主イエスを小さくし、その御言葉を軽く考えていたからです。
私たちは、主イエスとその御業と御言葉に対して、全き信頼を持ち続けて歩むのです
(37節b、1ペトロ1章8~9節)。

2.誠実である  41~47節
ユダヤ人たちは、神を愛し敬っていると言いつつ、神の栄光を求めて神に喜んでいただこうとするより、人からの栄誉に心を奪われていました。それが、主イエスを軽んじて十字架に架けることにつながっています。そこには、主イエスとその御業と御言葉に対する誠実さはありませんでした。
イスカリオテのユダは、不誠実の中を歩みましたが(マタイ27章3~5節)、パウロは主イエスとその救いを知って、誠実な歩みに変えられました(45節、フィリピ3章7~8節)。
私たちは、主イエスとその御業と御言葉に対して、誠実な歩みを続けるのです。

聖霊によって歩む(2022.2.13)

聖 書

私は言います。霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。(ガラテヤ5章16節)

礼拝音源(30.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編29編2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編148編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ5章16〜26節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聖霊によって歩む」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
2月誕生者祝福 詩編16編8~9節
賛  美 342 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリストを信じた時に聖霊を授けられて(3章2節、5節)、新しく生まれ変わらせていただいた私たちは、キリストに属する者となりました。それが私たちの真の居場所となり、その時から聖霊によって歩み続けるように導かれてきました。

1.聖霊の道を
キリストのものとされた者は、肉の望むことと聖霊の望むこととの葛藤を意識することがあります(17節)。しかし、聖霊が導いていてくださっているので(18節)、聖霊によって歩み(16節)、聖霊に導かれて生きているので、聖霊によって進んでいきます(25節)。聖霊は御言葉とともに働かれますから、御言葉に聴従し、聖霊に全面的に信頼し、支配していただくことによって、内側から溢れてくる聖霊の道を生きるのです。
さらに、聖霊によって進むとは、教会が秩序をもって共に進むことを意味していますから(25節)、聖霊の道を踏み外すことがないようにしたいものです(26節)。

2.聖霊の実を
このように聖霊の道を歩む者たちに、聖霊は内側から人を造り変え続けます。そして、聖霊の恵みによって実が結ばれていきます(22~23節)。それには、「愛、喜び、平和」との神に対する実、「寛容、親切、善意」との人に対する実、「誠実、柔和、自制」との自分自身に対する実があります。これらは、聖霊の導きに従って歩むすべての人に、一つの実となって表れ、結ばれていく驚くべき恵みです。
私たちは、聖霊が結ばせてくださる実であることを謙虚に受け入れ、それが私たちの人格と品性の証しとなって表れていくことが大切なのです。

キリストに属する者(2022.2.6)

聖 書

キリスト・イエスに属する者は、肉を情欲と欲望と共に十字架につけたのです。 (ガラテヤ5章24節)

礼拝音源(29.2MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 詩編100編1〜2節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編133編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ5章16〜26節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「キリストに属する者」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 503 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリストに愛されている自分に出会い続けることは、信仰者にとって大切なことです。そのような信仰の自覚は、「キリスト・イエスに属する者」(24節)とされている自分に出会うことにつながります。

1.キリストのものとされている
キリスト者の自由に生きる者は(5章1~15節)、キリストに属する者となり、キリストのものとされて生きるのです。ところで、キリストのものとされるためには、キリストの十字架なしにはありえませんでした(1コリント6章19~20節参照)。それによって、キリストが永遠の主人となられたのです。
私たちは、キリストのものとされている自分に出会い続けることにより、今の自分が100パーセントキリストのものとされているとの自覚をもって生きるのです。

2.十字架につけられている
ここでいう「肉」とは、神に反逆させる罪を「情欲」と「欲望」に呼び込んでくるもので、キリスト者の中にも残存するものです。その「肉の行い」は、本能むき出しの性的な罪(19節)、神に対する敵対行為の罪(20節)、対人的に毒された感情(20~21節)、不節制で自分自身を破壊する罪(21節)などとなって明らかになっていきます。中でも「妬み」は人間の罪の核心部分にあります(26節、マルコ15章10節参照)。
私たちは、この「肉を情欲と欲望と共に十字架につけられ」ていることを信仰をもって受け取り、主の恵みによってその肉の働きと決別させていただくのです。そして、時々刻々、十字架につけられている自分に出会い続けて歩むのです。