聖 書
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」これは、「神は私たちと共におられる」という意味である。(マタイ1章23節)
礼拝音源(31.9MB)
礼拝順序
前 奏 | ||
招 詞 | イザヤ40章9節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交 読 | 詩編130編1〜8節 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | マタイ1章18〜25節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一 同 |
牧会祈祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
宣 教 | 「神は私たちと共に」 | 川原﨑晃主管牧師 |
祈 祷 | ||
賛 美 | 231 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
宣教要旨
主イエスの御降誕の出来事は、神の愛の冒険でした。とともに、神の信頼の冒険でもありました。神が人となって私たちのもとに宿られ、私たちと共におられるほどに私たちを信頼され、私たちも神を信頼して神と共にいるのです。
1.神は私たちと共におられる
主イエスは、その系図に見るように、人間の罪と嘆きの現実の中に到来されました(1章1~17節)。それは、人間の力によるのではなく、聖霊による御業でした(18節、20節)。
この主イエスが来られた目的は、その名とされた「イエス」と「インマヌエル」とに明らかにされ、互いに結びついています(21節、23節)。
すなわち、主イエスは、神との間を隔てていた罪の赦しを十字架によって成し遂げられたことによって(イザヤ書59章1~2節)、神が私たちと共にいてくださいます。私たちは、「いつも」そして今日も主の臨在に囲い込まれているのです(マタイ28章20節)。
2.私たちも神と共にいる
それは、「マリアを妻に迎えた」ヨセフの信仰姿勢に見ることができます(24節)。すなわち、人間としての正しさを越えた(19節)、「恐れずマリアを妻として迎えなさい」(20節)との招きに、信仰によって応答しました。ヨセフは、沈黙の中で、神の前で思い巡らし(20節)、神の御言葉と御旨に従ったのです。
私たちは、神の前にひとりになり、神の御言葉と御旨に従う中から神と共にいることを知らされ、神への信頼へと導かれていくのです。