聖 書
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ3章16節)
礼拝音源(31.7MB)
礼拝順序
前 奏 | ||
招 詞 | マルコ1章15節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交 読 | 詩編98編 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | ヨハネ3章9~16節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一 同 |
牧会祈祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
宣 教 | 「やり直しのきく人生」 | 川原﨑晃主管牧師 |
祈 祷 | ||
賛 美 | 303 | 一 同 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
宣教要旨
神は、私たちを愛しておられます。その神の愛によって「永遠の命」に与ることを疑ったり、否定したりしているところがないでしょうか。私たちを新しく生まれ変わらせ、やり直す人生へと変えてくださるのは、イエス・キリストです。
1.キリストの十字架を仰ぎ続ける 10~14節
主イエスは、「新たに生まれなければならない」(3節、5節、7節)と「地上のこと」を語られ(12節)、「人の子も上げられなければならない」(14節)と「天上のこと」を語られました(12節)。主イエスは、そのことを具体的に分からせるために「民数記21章4~9節」を引用して説き明かされました。
人が自らの罪を解決できないまま、その罪責を訴えられるままに苦しみ、死の恐れの虜のままにいるところから解き放たれるのは、主イエスの十字架と復活の事実にあることを知って、ただ主イエスを信じ仰ぎ見続けることです。
2.キリストの命にあずかり続ける 15~16節
このように、主イエスによって現された神の愛を受け止めて歩んでいくためには、信仰が必要です。信仰とは、主イエスご自身を「信じる」(ヨハネ1章12節)ことであり、食するように「受け入れる」(同6章51節)ことであり、ぶどうの木とその枝のように「つながって」(同15章5節、7節、9節)いることです。それは、一時的なことでなく、継続し続けていることが大切です。
それによって「永遠の命を得」続け、「神の国」に入れられて永遠の限りない命を与えられ続け、神と共に生きるのです。全ての救いの主導権は、神ご自身です。