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2021年7月4日

聖化の恵みに(2021.7.4)

聖 書

私はキリストと共に十字架につけられました。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。(ガラテヤ2章19節b~20節b)

礼拝音源(27.1MB)

礼拝順序

 

前  奏
招  詞 詩編46編11節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編62編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ガラテヤ2章17~21節
使徒信条 93-4  1A 一  同
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「聖化の恵みに」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
7月誕生者祝福 エフェソ2章8節、10節
賛  美 521 一  同
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

キリスト信仰は、いかに生きるか、いかに死を迎えるかが密接にかかわっています。ところがこの聖書箇所には、死の後に生が続いており、義とされた者が聖化の恵みに導かれる筋道が語られています。

1.キリストと共に十字架につけられた  19節
「人が義とされる」ことは、律法を無視することでもなく、また再び律法の奴隷となることでもなく、福音の自由の恵みに生きることへと導かれます(17~18節)。律法によれば、私(たち)は罪人です。キリストは、その罪のさばきを十字架で代わって負ってくださったことにより、私(たち)は「律法に死にました」(19節a)。
私(たち)は、この「キリストと共に十字架につけられ」一つとされたことによって、十字架に死んでくださったキリストの支配下に入り、復活されたキリストに生きていただくのです(19節b)。ここから、キリストによる自由と喜びに生きることを知るのです。

2.キリストが私の内に生きておられる  20節
私(たち)は、キリストと共に十字架につけられたことによって、自分がなくなるのではありません。生まれながらの古い自己中心的な自我性が十字架につけられてキリストと共に死んだことにより、キリストと一つに結び合わされ「キリストが私の内に生きておられる」という新しい私(たち)が生きるのです。それは、キリストが私(たち)を支配していてくださることです(19節b~20節b)。
具体的には、いつでも、神の愛とキリストの真実によって生かされているという自覚をもって、それに全く信頼して生きることです(20節c)。