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申し訳ございませんでした。
聖 書
ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、当時は滅ぼそうとしていた信仰を、今は告げ知らせている」と聞いて、私のことで神を崇めていました。(ガラテヤ1章23~24節)
礼拝音源(29.6MB)
礼拝順序
前 奏 | ||
招 詞 | 1コリント15章54節b~55節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交 読 | 詩編34編 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | ガラテヤ1章18~24節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一同起立 |
賛 美 | 13 | 一同起立 |
牧会祈祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
宣 教 | 「神によって生かされる」 | 川原﨑晃主管牧師 |
祈 祷 | ||
奉仕者任命式 | ||
賛 美 | 402 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
宣教要旨
本書の1章では、パウロの生涯が神によって設計され(1節、15~16節)、復活の主イエスのご介入によって、神によって生かされることを証ししています。それは、神に対してどういう歩みが造られていくことなのでしょう。
1.神の前で 18~20節
パウロは、神の選びと召しの出来事を神の前に問いかけ、神の御心を確信を持って捉える時を持ちました(17節)。続いてパウロは、回心した時から三年後に、エルサレムに行って、ケファとヤコブに会いました(18~19節)。彼のこうした人たちとの交わりは、これからの宣教の働きのために互いの役割を確認するためであったと思われます。
さて、そのことをパウロが「神の前で断言しますが」と語ったのは、自分の召しと働きが神からのものであることを明らかにするためでした。同じように、私たちの証しと伝道の動機が、神の前に純愛と情熱をもったものであるかが問われます。
2.神を崇めて 21~24節
その後パウロは、アンティオキア教会のあったシリアと彼の故郷タルソスのあったキリキア地方の宣教に赴きました。その宣教姿勢は一貫してぶれることはありませんでした(21~22節)。パウロは、「かつて」「今は」と復活の主が新しい命、新しい生き方に変えられたことを証ししました(23節)。それは、パウロ自身が神の恵みに屈服したことであり、それによってパウロのことで「神を崇め」ることになったのです(24節)。
私たちの信仰の立ち位置は、パウロと同じです。そのように神に生かされていることによって、神が崇められるのです。