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2021年4月25日

イエスが来られる(2021.4.25)

聖 書

その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。(ヨハネ1章29節)

礼拝音源(27.6MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 29 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交  読 詩編100編
会衆祈祷 一  同
聖  書 ヨハネ1章29~30節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 484 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「イエスが来られる」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 280 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

人は誰しも、救い、自分の側にいて力づけ、手を取るようにして導いて下さる神を求めます。そのことをご存知の神が人となって来てくださったのが、主イエスです。そして今、私たちのところにも「イエスが来られ」ているのです。

1.永遠からおられる神  30節

主イエスは、この地上に来られる前からおられて、永遠から永遠までおられるお方です。聖書の開口一番「初めに神は天と地を創造された」(創世記1章1節)と告げられる神こそが、全ての造られたものの第一におられるお方であり、何よりも人間が神と愛の交わりをもてるように造くられたのです。

このように私たちを造ってくださった神を信じ信頼して、その生きた方を造ってくださった神のご意志・御心を確かめつつ、そのように生きることが本当に幸いなのです。

2.罪を取り除く神の小羊  29節

人間は、善悪を知る良心と、自分の意志で行動する自由を与えられました。しかし、その自由を乱用し、造り主である神に背いて生きるようになってしまいました。つまり、神との正しい関係を違えて罪を犯し続け、神に捨てられても仕方がないものとなったのです。その結果、価値観を狂わせ、心とその人格が曲げられ、神の御心にそった言動を委縮させ、他者に苦痛を与えてしまっているのです。

しかし、神は「初めに」私たちを愛し、救おうとされたのです。主イエスが「世の罪を取り除く神の小羊」となられて、十字架で私たちの罪の身代わりに死んでくださいました。一人ひとりがこの救いを受け入れ、「初めに神」との新たな歩みを始めるのです。