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2020年12月20日

救い主イエスを抱いて(2020.12.20)

聖書

わたしはこの目であなたの救いを見たからです。(ルカ2章30節)

礼拝音源(29.4MB)

礼拝順序

前  奏
招  詞 ヨハネ3章16節 司 会 者
頌  栄 一同起立
祈  祷 司 会 者
主  祷 93-5 A 一  同
交読詩編 98編1~9節
会衆祈祷 一  同
聖  書 ルカ2章25~35節
使徒信条 93-4  1A 一同起立
賛  美 247 一同起立
牧会祈祷 川原﨑晃主管牧師
宣  教 「救い主イエスを抱いて」 川原﨑晃主管牧師
祈  祷
賛  美 268 一同起立
感謝献金
奏  楽
頌  栄 27 一同起立
祝  祷 川原﨑晃主管牧師
後  奏

宣教要旨

私たちは、一生を決定する救い主イエスとの出会いを大切にしたいものです。主イエスもまた、その出会いを大切にしてくださいます。ここに、シメオンが、幼子イエスをしっかりと抱くことによって、その出会いをしています(28節)。

1.神の慰めを見る  25~32節
普通人は、穏やかで柔和な思いを持って幼子を抱きます。シメオンは同じような思いを持って幼子イエスを抱き、「イスラエルの慰められることを待ち望み」つつ、聖霊の導きをいただいて幼子イエスと出会いました (25~28節)。
その出会いが、シメオンの賛歌を生み出したのです。彼は、神の救いを見たことが、神の慰めをもたらしたと語っています。人は誰であっても、自分の罪深さに悲しみ、罪を悔いて神の救いの恵みを信じるならば、神の慰めが訪れるのです(29~32節。イザヤ書40章1節とマタイ5章4節)。これ以上の救いはないし、これ以上の慰めはありません。

2.救い主の十字架を通して見る  33~35節
シメオンは同時に、救い主イエスの十字架を見ていました。救い主イエスは、すべての人を御腕に抱くようにして一切の罪を引き受けられ、神の前にその身代わりとなって十字架で死なれたことを預言しています。それは、母マリアが心を剣で刺し貫かれるような痛みを経験することだと語ります(ヨハネ19章23~27節)。このように、シメオンは、救い主イエスの十字架を通して、神の救いと慰めを見ていたのです。
同様に私たちは、十字架の主イエスの愛の御腕に抱かれ、罪の記憶を十字架によって赦された恵みの記憶に変えていただき、安んじるのです。