聖書
こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。(フィリピ2章 10~11節)
礼拝音源(30.8MB)
礼拝順序
前 奏 | ||
招 詞 | ヨハネ16章13節a | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交読詩編 | 119編9~16節 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | フィリピ2章1~11節 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一同起立 |
賛 美 | 358 | 一同起立 |
牧会祈祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
宣 教 | 「信仰を告白するということ」 | 金井由嗣師 |
祈 祷 | ||
賛 美 | 411 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
宣教要旨
「イエス(・キリスト)は主です」と声を合わせて言い表す告白(ホモロギア)は、初代教会におけるもっとも重要な信仰の表明でした(ローマ10章9節、1コリント12章3節参照)。この告白にはどのような意味があったのでしょうか。
1.イエス・キリストは唯一の主です
新約聖書の時代、ローマ帝国は武力で平和と繁栄をもたらした皇帝を「主」(「キュリオス・カエサル」)と呼んで礼拝することを全ての市民と公職者に求めていました。しかしキリスト者は、力による平和ではなくキリストがもたらす真の平和を追い求め、皇帝礼拝を拒否しました。それは文字通り命をかけた告白でした。
2.全被造物が加わる告白です
神様の救いのご計画は、終わりの日に霊的存在も含めた「すべての」被造物が「イエス・キリストは主である」と告白することを目指して今も進んでいます。私たちキリスト者はその初穂として、先に救われ、信仰を告白します。個人の信仰告白が共同体(教会)の共通の告白、さらに被造物全体の告白へと広がっていくのです。
3.「しもべ」となってくださったお方を「主」と告白します
イエス様は力で征服するのではなく、「僕の身分」になり、「十字架の死に至るまで」神様の御心に従われました。そのイエス様を、父なる神が「主」として高く引き上げてくださったのです。イエス様を「主」と告白するキリスト者は、自らも「しもべ」として生きるように召されています。まず教会の交わりの中で、次に遣わされて生きる場所で、隣人に仕えつつ真の「主」を告白し、証して生きるのです。