聖書
そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。(マルコ3章5節)
礼拝音源(28.5MB)
礼拝順序
前 奏 | ||
招 詞 | 詩編124編8節 | 司 会 者 |
頌 栄 | 29 | 一同起立 |
祈 祷 | 司 会 者 | |
主 祷 | 93-5 A | 一 同 |
交読詩編 | 34編1~23節 | |
会衆祈祷 | 一 同 | |
聖 書 | マルコ3章1~6節 | |
教団信仰告白 | 一同起立 | |
使徒信条 | 93-4 1A | 一同起立 |
賛 美 | 205 | 一同起立 |
牧会祈祷 | 石﨑善土伝道師 | |
宣 教 | 「捨てて得する」 | 石﨑善土伝道師 |
祈 祷 | ||
賛 美 | 511 | 一同起立 |
感謝献金 | ||
奏 楽 | ||
頌 栄 | 27 | 一同起立 |
祝 祷 | 川原﨑晃主管牧師 | |
後 奏 |
宣教要旨
前の章で、ファリサイ派と律法学者は、イエスと弟子に、「なぜ」「どうして」と4回質問しました。イエスはそれに答えるようにして、ご自身が何者であるか、罪を赦し、罪人を招き、花婿であり、安息日の主である事を示されました。
1.イエスの質問
3章に入って、遂にイエスの方からファイリサイ派と律法学者に、「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」と、質問されました。この答えは当然、善を行うこと、命を救うことです。ところが、彼らは黙っていました。命を救う医療行為は、律法に反する、安息日に行ってはいけない労働だと思っていたからです。この事から彼らは、イエスを殺すことを決心します。イエスが、彼らの期待する救世主の言動とは異なったからです。
2.なぜ殺すことにしたのか
誰でも、様々な事で期待と実際のギャップに失望し、苛立ち、悲しみ、怒る事があります。それがかたくなな心となって譲れなくなったとき、人を傷つけ、罪を犯してしまいます。彼らはイエスにその思いを向け、イエスを拒んでしまいました。
3.かたくなな心を捨てて神の恵みを得る
ファリサイ派と律法学者の姿は、他人事ではありません。私のうちにも、神の御心に対する思い込みや勘違い、期待とのギャップによる苛立ちや失望があります。さらにかたくなにさせるプライドがあります。イエスは悲しみつつ、かたくなな心を捨て、従ってくる事を待っておられます。イエスの質問に、あなたはどう応えますか。