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2019年11月3日

一つの希望に招かれて(2019.11.3)

宣教題 「一つの希望に招かれて」     宣 教  川原﨑晃主管牧師
聖 書 エフェソ4章1~6節

 「主に結ばれて」いる私たちは、キリストの体である教会を形造らせていだいている一人ひとりです。そして、「一つの希望にあずかるように招かれて」います(4節)。どこにその根拠があるのでしょうか。

1.復活の主のご支配に置かれているから 
 「一つの希望に」あずからせていただいているのは、主キリストを信じる信仰によって神への信頼を抱き、洗礼によって主キリストと結ばれることによって、神の家族として受け入れられているからです(5~6節)。
 聖なる者たちが受け継ぐべきものは、十字架の死から復活されて、全てのものを支配しておられるキリストに拠り所を置いた歩みをします。それこそが、揺るぎない希望です(1章18~20節)。キリストは、死に勝つ命に生かしてくださり、私たちを力強いみ手をもって捉えていてくださいます。

2.キリストの体に結び合わされているから 
 キリストの体を造るように招かれている一人ひとりは、欠けてはならない、かけがえのない存在です。その一人ひとりは、キリストの体である教会につながって、キリストの命と支えと導きをいただきなが生きていくのです。
 ですから、教会の仲間のお互いが共に支え合い、補い合って歩むように招かれているのです。そのためには、一人ひとりの信仰のあり方が問われます。キリストの救いのゆえに、謙遜へと導かれていることです(2節a)。お互いが、キリストの愛のみ手によって捉えられ、互いに愛をもって受け入れ合い、平和の絆で結ばれ、聖霊による一致を熱心に保ち続けていることです(2節b~3節)。
 このようにして、違いを遥かに凌駕する同じ「一つの希望」にあずかるのです。

聖書朗読(0.4MB)

メッセージ(9MB)