宣教題 「キリストが私たちの平和」 宣 教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 エフェソ2章14~22節
誰もが平和に暮らしたいと望むのは、パウロの時代も今も変りません。ところが、平和を求めていながら、人間と人間の間に強固な「敵意という隔ての壁」(14節)があって、互いに疎外し、分断し、分裂し合っているのが現実です。
1.主の十字架こそが
敵意という隔ての壁がひとたび築かれると、取り除くのは何と難しいことでしょう。そうした人間の現実に対して、「実に、キリストはわたしたちの平和であります」(14節)と宣言しています。キリストこそが、「一人の新しい人を造り上げて平和を実現」されるからです(15節)。
そのために、キリストは「十字架によって敵意を滅ぼされました」(16節)。そこには、人が神に対して敵意という壁を築いてきたという事実があります。また、神はご自身の正義と平和を私たちに要求して裁かれるのではなく、ご自身が十字架に架けられてまで、私たちに対する愛を貫かれたという事実があります。
2.主の十字架の道を生きることが
それゆえに、私たちは、キリストの十字架によって一つに結ばれているのです(17~18節)。ですから、私たちはキリストの平和を他の人に要求するのではなく、私たち自身がキリストに倣って十字架の道を生きるのです。
ただし、その道は、孤立して歩むのではなく、教会において、信仰の仲間たちと共に歩むことによって培われていくのです。そこにおいて、神の家族として結ばれ、神の愛の交わりをもって生きるのです。聖霊の働きによる絆で結ばれ、聖なる神殿となって神の住まいとなるのです。キリストが自分たちの平和であることを存在の根拠に置く人々が加えられることを祈り、労するのです(19~22節)。
聖書朗読(0.7MB)
メッセージ(9MB)