宣教題 「祝福の担い手」 宣 教 川原﨑晃主管牧師
聖 書 ルカ19章1~10節
主イエスは、ザアカイに「今日、救いがこの家を訪れた」(9節)と言われました。訪れたとは、出来事が起こったということです。主イエスはこの出来事を通して、神の救いの祝福の担い手は、どういう人なのかを明らかにされました。
1.どういう出会いをするか
ザアカイは、この世の価値は富にあると考えてはいたものの、それでは本当の納得のいく人生を送れないという寂しさを覚えていました。徴税人を仲間としてくださる主イエスを見るために、彼はその踏み台として「いちじく桑の木に登った」のです(4節)。これは、何かの踏み台をもって主イエスを見ようとする人間の魂の状態を表しています。
そんなザアカイに向かって、主イエスは彼の名を呼び、招き、交わりを持とうとされました(5節)。彼は、主イエスの御言葉をなぞるようにして、その救いの招きに引きずり込まれていきました(6節)。私たちひとり一人も同様です。
2.どういう生き方が生まれるのか
二つの問いかけを聞きます。一つは、つぶやく人たちのように、自分も罪人のひとりであることに気づいていないことはないか(7節、1テモテ1章15~16節)。
二つは、ザアカイのように、主イエスの救いの恵みに与って、心と生活が神の願われる価値観をもった生き方に変わっているか(8節、2コリント5章16~17節)。
主イエスを受け入れて結び合わされたザアカイは、アブラハムと同じように神の祝福の担い手となりました。この救いの出来事は、ザアカイの家族に救いが及んでいく始まりとなったのです(9節)。これこそが、神から、隣人から失われていた、自分で自分を見失っていたひとり一人への救いの招きなのです(10節)。
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メッセージ(10.7MB)