宣教題 「地の果てに至るまで」 宣 教 石﨑善土伝道師
聖 書 使徒言行録1章6~11節
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」私たちは、信仰を持つと同時に、宣教する事が神の命令であると言われ、努力してきたのではないでしょうか。
1.聖霊が降るとき
しかし、イエスは宣教に行く前に、する事があると言われます。それは、聖霊が降るのを待ち、聖霊によって力を受けることです。宣教には、困難が待ち受けています。それは、異教との闘いであり、文化との闘いであります。海外宣教は更に多くの困難があります。気候や病気、食べ物、言葉の壁、経済的な事、クリスチャンの仲間、命の危険、人手不足等々、上げればキリがありません。その様な中で、失敗し挫折し、自分を見失ってしまう事があります。
聖霊が降るとき、自分が罪人であることがはっきり分り、イエスが救い主であることが分かり、自分が救われていることが分かります。それは、自分が何者であるかが分かる事です。宣教(doing)をする前に、自分が何者(being)であるかが分かっていなければ、困難にあったとき、踏みとどまる事ができません。
2.わたしの証人となる
地の果てには、頼りになるものがあまりありません。支えになってくれる家族、友人、頼れる医者、慣れ親しんだ食事、本や漫画、教師。それらは遥か遠くにあります。遠くにありますが、それらの支えがなければ、証人としてその地に立ち続ける事はできません。使徒たちが地の果てに宣教に出て行ったとき、エルサレムでそれを支援する使徒もいました。宣教は、出て行く人と残って支える人のチームです。どちらも主の証人であり、聖霊による力でする事が必要です。
聖書朗読(0.5MB)
メッセージ(10.3MB)