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2019年6月

神が召すとき(2019.6.30)

宣教題 「神が召すとき」          宣 教  大嶋重徳師 
聖 書 イザヤ書6章1~13節

ウジヤ王の死んだ年にイザヤは神殿で幻を見ます。神の為さることの全てに神のご計画があるのであれば、この時、イザヤに神は語らなければならないことがありました。イザヤの住む南ユダ王国は偶像礼拝、姦淫、不品行が満ち、形だけの礼拝をする民が多く居ました。すでに預言者の働きを始めていたイザヤにとって、ユダの状況は怒りと裁きの預言を語るしかなかったのです。

しかし神はご自身をイザヤにあらわされ、イザヤに「わたしは汚れた唇の者」さらに「汚れた唇の民の中に住む者」(5節)と自らの罪とユダ王国の罪人の繋がりの中にいる自らの存在の告白に導かれます。そして「すると」(6節)という言葉と共に、神の側の一方的な救いの業が起こり、「見よ。これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された」(7節)という赦しの宣言がイザヤに聞こえてくるのです。

キリスト者は、自らの罪深さを深く知りつつ、尚、礼拝の只中で神の圧倒的な赦しに身を置いていることを深く知らされていく者とされているのです。そしてさらにイザヤは驚くべき神の声を聞きます。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか」(8節)。この驚くべき神の召命の実際を聞いたイザヤは「主よ、いつまででしょうか」(11節)と自らが受けた救いをあのイスラエルの民の中でいつ実現するのでしょうか?という祈りをささげ、キリスト預言に生涯をささげました。

私たちは今日、自分に与えられた救いの事実からどのように主の召しに生きるように導かれているでしょうか。

聖書朗読(1.1MB)

メッセージ(15.7MB)

礼拝ご案内・行事予定(2019年7月)

礼拝はキリスト教会の最も大切な行事です。私たちのいのちの糧である聖書の言葉が、わかりやすく語られます。讃美歌を歌い、祈ります。 神さまを讃え、救いにあずかった感謝を表します。

◎ 主日礼拝 (毎週日曜日) 第1礼拝 :AM 9:00 ~ 10:15 第2礼拝 :AM10:45 ~ 12:00 第3礼拝 :PM 7:00 ~ 8:00 ○成人科プログラム (毎週日曜日) AM9:30 ~ 10:15 楽しい聖書の学び 1階集会室にて お話は毎回完結します。 いつでもお入りください。
7日(日) 第1聖日 礼拝 「神の現実を見て生きる」 エフェソ1:15~23 獄吏と家族の救い 使徒16:25~34 鎌野 健一
14日(日) 第2聖日 礼拝 「祝福の担い手」 ルカ19:1~10 エリヤ1 生きて働かれる神 列王上17:1~16 山崎 勝
21日(日) 第3聖日 教団創立記念礼拝 「神の匠のわざ」 エフェソ2:1~10 エリヤ2 火をもって答える神 列王上18:20~40 増永 茂
28日(日) 第4聖日 伝道礼拝 「神の国は近づいた」マルコ1:1~15 祈りと証し

祈祷会 恵みの分かち合い (毎週水曜日)  AM 10:30 ~12:00、PM 7:00 ~ 8:30

祈祷会は毎日の家庭の祈りに加えてクリスチャンが心を合わせて神に問い、神と語る集会です。キリスト教にとって、祈りは「ご利益の祈願」や「瞑想」ではありません。 神さまのみこころが私たち世界に満ちることを願い、さらに救われたことを、神さまに感謝するものです。

7月行事予定

■ 7日 (第1聖日)礼拝 7月誕生者祝福 聖餐式 教会学校教師研修会2
■ 14日(第2聖日)礼拝 オリーブ例会 介護勉強会 役員会
■ 21日(第3聖日)礼拝 教団創立記念日礼拝
■ 28日(第4聖日)伝道礼拝

8月行事予定

■ 4日(第1聖日)平和聖日礼拝 8月誕生者祝福
■ 11日(第2聖日)礼拝 聖餐式
■ 18日(第3聖日)礼拝 ギデオン・ラリー ソーメン大会 次期公用聖書説明会  役員会
■ 25日(第4聖日)振起日合同礼拝・伝道礼拝(講壇交換) エノク会例会

地の果てに至るまで(2019.6.23)

宣教題 「地の果てに至るまで」      宣 教  石﨑善土伝道師 
聖 書 使徒言行録1章6~11節

 「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」私たちは、信仰を持つと同時に、宣教する事が神の命令であると言われ、努力してきたのではないでしょうか。

1.聖霊が降るとき
 しかし、イエスは宣教に行く前に、する事があると言われます。それは、聖霊が降るのを待ち、聖霊によって力を受けることです。宣教には、困難が待ち受けています。それは、異教との闘いであり、文化との闘いであります。海外宣教は更に多くの困難があります。気候や病気、食べ物、言葉の壁、経済的な事、クリスチャンの仲間、命の危険、人手不足等々、上げればキリがありません。その様な中で、失敗し挫折し、自分を見失ってしまう事があります。
 聖霊が降るとき、自分が罪人であることがはっきり分り、イエスが救い主であることが分かり、自分が救われていることが分かります。それは、自分が何者であるかが分かる事です。宣教(doing)をする前に、自分が何者(being)であるかが分かっていなければ、困難にあったとき、踏みとどまる事ができません。

2.わたしの証人となる
 地の果てには、頼りになるものがあまりありません。支えになってくれる家族、友人、頼れる医者、慣れ親しんだ食事、本や漫画、教師。それらは遥か遠くにあります。遠くにありますが、それらの支えがなければ、証人としてその地に立ち続ける事はできません。使徒たちが地の果てに宣教に出て行ったとき、エルサレムでそれを支援する使徒もいました。宣教は、出て行く人と残って支える人のチームです。どちらも主の証人であり、聖霊による力でする事が必要です。

聖書朗読(0.5MB)

メッセージ(10.3MB)

そこに救いがある(2019.6.16)

宣教題 「そこに救いがある」      宣 教  川原﨑晃主管牧師 
聖 書 ルカ18章35~43節

 主イエスは盲人に、「何をしてほしいのか」と問いかけられることにより、彼の願いを知られ、また主イエスご自身の願いを明らかにされました。そのことを通して、神の救いへと招かれたのです。

1.あなたの願い  
 人は誰もが、その人なりの願いを持っています。そして、そうした人間の願いがこの社会を作り出していると思っています。
 さて、この盲人は、主イエスに対してただ一つのはっきりした切実な願いをしています。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫ぶ盲人に対して、人々は「叱りつけて黙らせようと」しましたが、なお叫び続けています
 神は、いかなることに対しても「わたしを呼びなさい。苦難の日、わたしはお前を救おう」(詩編50編15節)と私たちを招いておられます。

2.神の願い  
 主イエスは、叫び呼び求める者に「何をしてほしいのか」と尋ねられました。そして、主イエスは、ご自身に対する彼の信仰に対して御業をなされました(41~42節)。そうしてくださるのは、神が愛のお方だからです。そのようにして、人間の願いと神の願いが一つになって、新しい人生が始まりました(43節)。

 このように、かつて盲人に成されたことは、今この私たち一人ひとりに成されます。神の願いは、自分の本当の姿が見えない、主イエスが見えない、また十字架上の主イエスの御言葉と叫びが聞こえないでいる者が、主イエスを仰ぎ見る目をもって、主イエスに従っていく人生へと歩みだすことです。そこに生きる意味があり、慰めと喜びがあり、使命が与えられる新たな人生があります。

聖書朗読(0.5MB)

メッセージ(8.4MB)

同じ救いの経験を(2019.6.9)

宣教題 「同じ救いの経験を」      宣 教  川原﨑晃主管牧師 
聖 書 エフェソ1章11~14節

 神をほめ讃える大合唱からは(3節)、父と子と聖霊の三位の神とその救いの御業を讃えるコーラスが聞こえてきます(6節、12節、14節)。本箇所は、聖霊の恵みの御業として讃えています。

1.救いの確信を  13~14節
 ペンテコステの時に降った聖霊は(使徒言行録1章8節)、今も働いておられ、私たちの救いに関わっておられます。救いをもたらす福音を聞いて、それを信じる時に、聖霊は神の子とされたとの確信の「証印」を押してくださいます。また、聖霊は御国を受け継ぐ者とされたとの「保証」をしてくださり、贖われて神のものとされているとの確信を与えてくださいます。
 今もなお聖霊が注がれているならば、キリストの御業を「見聞き」でき(使徒言行録2章33節)、神に従う者に、聖霊の恵みの確かさを明らかにしてくださいます(使徒言行録5章32節)。

2.わたしたちから、あなたがたへ  11~14節
 この救いの経験は、福音を宣べ伝えた「わたしたち」から(11~12節)、福音を伝えられた「あなたがた」へと共通の共有した体験となって(13節)、「神の栄光をたたえる」ことにおいて一つになるのです(14節)。それは、「わたしたち」と「あなたがた」との間には、キリストを信じる信仰体験において区別がないということです。

 今日まで、この聖霊による宣教の御業が展開されてきたことにより、今の「わたしたち」があります(14節)。それが教会で一つに結ばれ、神の国を継ぐ者とされている聖霊の恵みです。

聖書朗読(0.4MB)

メッセージ(11.3MB)

一つにまとめられる(2019.6.2)

宣教題 「一つにまとめられる」      宣 教  川原﨑晃主管牧師 
聖 書 エフェソ1章7~10節

 パウロは、「神の御心による」救いのご計画を語っています(3~14節)。まず神の御心は、キリストにあって神に選ばれた者たちを神と子とされることでした(3~6節)。続けて、神の御心は、どのように展開していくのでしょうか。

1.キリストにあって贖われる  7~9節
 キリストの受肉、十字架、復活の出来事は、私たちの救いのためでした。すなわち、神の豊かな恵みが溢れ出て、神の御子が人となって世に来られ、十字架で死なれ、そこから復活されたのは、私たちを贖い、罪を赦すためでした(7節)。
 神は、その罪を神の背後に永遠に投げ捨て(ミカ7章19節、イザヤ38章17節)、
驚くべきことに、その罪を永遠に消し去り、神が永久に思い出さないで、忘れたと言われました(イザヤ43章25節)。それもこれも、キリストの血によってであり、その力は神に敵対する勢力を破壊させてあまりあります。私たちは、この事実を、一人ひとりになされたことと信じているのです。

2.キリストにあって一つにされる  10節
 続いて、この救いの事実のゆえに、キリストによって「あらゆるものが」また「天にあるものも地にあるものも」神に繋がれて一つに結ばれるという「神の御心」を明らかにされました。つまり、神と一人ひとりがキリストにあって一つに結ばれ、天の御国と地上の世界がキリストにあって一つにされることになったのです。それはまた、教会において、互いに受け入れ合い、赦し合い、キリストにあって一致を作り出す新しい交わりを生み出したのです。
 教会は、「みこころの天になるごとく 地にもなさせたまえ」と祈り、キリストこそが、私の、教会の、世界の希望であることを世に証しし続けていくのです。

メッセージ(10MB)